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「適当に座ってー」
「お邪魔しま〜す……」

 適当に、と言われたけど、志熊の部屋は一介の学生の寮の一室としてみるには、広すぎるくらいだった。
 まだ自分の部屋を確認していないけど、おそらく、俺と瀬田? と言う奴の相部屋より広い気がする。

「うわ、広……」

 テレビもでかいし、ソファもふかふかだし、なんかインテリアもちょっとオシャレだし。学生の寮っていうよりも、ちょっとした高級ホテルみたいだ。こんな所に住めるのかよ、特待生ってマジで羨ましいな。
 目を輝かせながら、部屋の中を見渡す。

「志熊、特待生寮って、何人くらい居るの?」
「あ〜、今は全学年併せて十人か二十人か……、そんくらい?」
「へー……」

 少ねえ。この学校結構人多いのに。やっぱ星って貰うの大変なんだな。そう考えると、この寮に住める志熊はすごい奴なんだろう。
 キッチンに立ちながら、志熊が口を尖らせる。

「本当はさあ、星って十が最大だから、俺もあと三つ貰えればもうちょっといい部屋住めんのよ」
「えっ! ここより上があんの?」
「あるある。ここは金銀銅で言えば金みたいなもん、もっと上はプラチナ〜。でも部屋数少ねえから、星七個はここ」
「ここでも十分って感じすっけどな……」
「いやー、もうちょっと色々置きたいよ。はいお茶」
「あ、どうも……」

 勉強には適さなさそうなガラス板のテーブルの上に、紅茶か何かだろうか、暖かな湯気を立てているマグカップを置かれた。そして、何も言わずに角砂糖がぼちゃぼちゃと放り込まれていく。

「ミスミクンお砂糖あと何個?」
「いや……もういい、もういいよ」

 何個って言うか、入れなくて良かった。砂糖を放り込まれた紅茶を受け取って、ティースプーンでかき混ぜる。なんか、変わった色の紅茶だな……。
 志熊も自分の分を飲みながら、俺の向かいに座った。

「…………」
「…………」

 何か話すのかと思えば、特に口を開くこともなく、志熊は無遠慮にじろじろと俺の方を見つめてくる。
 その目線が痛くて、俺は目線を下へと逸らした。なんだ? なんでこっちを見るんだよ。やり場のない思いで、注いで貰った紅茶を煽る。さっき阿呆みたいに砂糖を入れられたから、甘さしか感じない。舌の上で溶けきっていない砂糖がじゃりじゃりする。
 昔の俺だったら、好きな味だったかもしれないけど、今は砂糖を控えてるし、糖分の過剰摂取は毒だ。残したら怒るだろうか。
 ちらりと目線を上げると、相変わらず志熊は俺の方を見つめていた。

「……あの、何?」
「ん?」
「はは、いやその、すげー見るじゃんって思って……」
「んー、ミスミクン細いなあと思って。ちゃんと食ってる?」
「…………」

 それを、それをお前が言うのか。
 誰のせいで痩せようと決意したと思ってんだ。デブに人権はないっつったの誰だよ。
 大体、細いって言っても、お前よりは細くねえし。お前の方が背高いし、細身じゃん。ムカつく。イライラしながら、俺は持っていたティーカップをテーブルの上に置いた。言い返すなんて、昔の俺なら考えられないことだったけど、今の俺はもう昔の俺じゃない。

「……そうかな、俺、結構筋トレとかしてるし、まだ絞れると思うんだよね。志熊くんより筋肉あると思うし」
「へー、んじゃ見せて」
「え?」
「筋肉。鍛えてんでしょ?」
「……いや、まあ、そうだけど」

 だからって、見せてはおかしくね?
 けど、変わった俺を見せるにはいいチャンスかもしれない。とくと見ろよ悪魔。もうお前に虐げられていた俺はいないって認識しろ。
 俺は制服のブレザーを脱ぐと、腕を捲って力こぶを作って見せた。二の腕の部分が盛り上がる。

「ほら」
「ほんとだ、触ってイイ?」
「う、ん」

 するりと、志熊の手が、俺の二の腕へと触れた。普段こうやって人に触れられることがないから、なんだか変な感じだ。しかも、相手はあの悪魔。
 いや落ち着け。これはトラウマを克服する、チャンスかもしれないんだ。志熊が隣に来て、俺の力こぶを撫でる。志熊が隣にいるという、ただそれだけの事なのに、俺の胸は緊張で張り裂けそうだった。志熊という人間の絶対的恐怖。は、吐きそう……。
 顔を青くしていると、志熊が笑う。

「硬いね、ほんとに筋肉だ」
「……まあ」
「腹は?」
「え?」
「腹筋は割れてる? 見して」
「いや、流石にそれは……」

 ドクドクと、心臓が早い音を立てる。子供の頃の記憶が蘇る。そもそも、小学生の頃の嫌がらせなんて、靴を隠されたり、物を取られたり、無視されたり、そんな感じのいじめだった。
 志熊が先導を切ってはいたけれど、志熊だけがやっていたわけじゃない。なのに、どうして俺はこんなにも志熊が怖いんだろう。
 『おいデブタ、お前、今日から…………』
 ズキズキと、頭が痛む。俺は、肝心なことを、忘れている気がする。志熊の手が、俺の腹を撫でた瞬間背中が跳ねた。

「ひっ!」
「ひ?」
「あ、いや……、その俺、もう帰るよ、腹筋はあんまりないし……それじゃ……」

 怖い怖い怖い。
 志熊が隣に居ると言うことが、怖くてたまらない。子供の頃のトラウマっていうのもあるだろうけど、それとは別の違和感を感じる。俺は、何かを忘れているような……。
 どうしてかはわからない。けど、今すぐここを離れなくちゃ。そう思って立ち上がろうとした。けれど、目の前がぐにゃりと揺れる。

「あっ……?」
「ミスミクン、大丈夫? 足がおぼついてないみたいだけど」
「だ、大丈夫、はは、変だな、あれ……っ」

 なんか、おかしい。目の前がチカチカする。それに、頭の奥が揺れるみたいに気持ち悪い。突然の目眩に襲われ、それでも俺はふらつく体を立ち上がらせて、部屋のドアへと向かった。
 今日はもう、早く部屋にゆっくり帰って休もう。
 転入初日だし、志熊と話して疲れたのかもしれない。
 早く、早く、早く……。ここから離れないと。逃げないと。
 ゆっくりと歩みを進めて、部屋のドアまで来ると、気持ち悪くて吐きそうだった。なんでだ急に。食中毒? いやまさか……。
 ひたひたと、後ろから志熊が近づいてくる気配がする。ああ、早く出ないと、でも体が重い……。なんで……。
 あとちょっとなんだ。このドアノブを捻れば部屋の外に……。瞬間、後ろから伸びてきた手が、俺の身体を引っ張った。

「デ〜〜〜〜〜ブ〜〜〜〜〜タ〜〜〜〜〜 そんなうすのろな体でどこ行くの
「えっ…………?」

 今、なんて。
 力を無くした俺の身体は、あっさり尻餅をついた。恐る恐る振り向くと、志熊が嬉しそうな顔で笑っている。目を爛々と輝かせて、笑っている。全身が総毛立った。に、逃げなきゃ! 四つん這いになって、部屋を出ようとしたところを、再び後ろから抱き込まれた。

「ひぃっ」

 興奮気味に頬を紅潮させながら、志熊の手のひらが俺の腹を撫でた。

「あ〜、なるほど、脂肪消したなあ」
「さ、ささ、触っ……!」
「あのさあ、ミスミクンには教えてなかったけど、特待生って色々特典があんの」

 首筋に、べろりと志熊の舌が這う。なめくじがくっついているような感触に涙がでそうになる。なになになに、なんなのこいつ!?
 手を振りかざそうと思ったけれど、何故か体に力が入らない。鉛のように体が重かった。喉の奥から、ひゅうひゅうと空気の漏れる音だけが聞こえる。
 恐怖と混乱に、呼吸がどんどん乱れていく。

「ひっ……や……っ」
「例えば、こういう風に、防音設備のしっかりした個室貰えたりとか」
「はぁっ……はっ……」
「例えば、遅刻や早退しても、授業に出さえすれば単位貰えたりとか」
「…………っ……うっ……」
「例えば、新しく入ってくる転入生の名前とか事前に知れたりとかぁ?」
「…………っ」
「俺が忘れてると思った? そんな訳ないだろ。――なあ、デブタ。相変わらずうまそうな。お前」

 そのまま肩を強く噛まれた瞬間、俺の視界は真っ暗になった。

「あれ、デブタ? おーい、寝ちゃったの? あはは……――」

 ……――思い出した。
 どうして志熊が、志熊だけがこんなに怖かったのか。いじめっ子なんて沢山いたのに、志熊だけがトラウマになっているか。
 小学生の頃、いじめられた時のこと。
 人が沢山居るときは、机の上に落書きされたり、靴を隠されたりと嫌がらせ程度だったけど。
 二人きりの時にされたこと……。

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