「ああ……、好きだよ……」

 壮真からその言葉を聞いた瞬間、俺の胸の内で膨らんだ感情は、紛れもない『勝利』だった。

****

 少し昔の話をしようと思う。
 惨めで憐れで、人を羨むことしか出来ない男の話だ。

 壮真とは、産まれたときから一緒で、兄弟のように育った。
 俺は壮真の事が好きだったし、壮真だって俺のことが好きだったと思う。例え壮真自身が否定したとしても、それは間違いなかったと思うよ。
 子供の頃は、純粋に、ただただ大好きな友達だった。一緒に居ると楽しくて、話していると嬉しくて、遊んでいると幸せだった。
 でも、ずっと純粋で居られる程、俺は馬鹿じゃなかったし、壮真だってそうだろう。
 俺たちは別の人間で、いつまでも子供じゃ居られない。
 壮真と居ると楽しいけど、いつしか周囲に比べられるようになった。壮真がそれに気づき疎んでいたことも、悔しがっていることも気付いてた。
 少しずつずれた歯車は段々噛み合わなくなっていく。俺は知っていたけど、敢えて口には出さなかった。
 だってそうだろ?
 壮真が俺に隠し事をしているように、俺だって壮真に隠していることは沢山ある。
 俺たちは兄弟のように一緒に育ったけれど、別に兄弟ではないし、家族でもない。

 自分じゃ気付いていないのかもしれないけど、壮真はよく俺に羨望を含んだ眼差しを向けていた。
 でも気付かないふりをしたんだ。
 壮真が俺を羨ましがるように、俺だって壮真のことが羨ましかった。お前が欲しいと思っているものが手に入らないように、俺が欲しいと思うものは手に入らない。
 壮真は、俺のことを貧乏だと思っていただろう。間違っていない。確かに、あんな平屋のぼろ屋に住んでいる俺はみすぼらしく思えただろう。
 俺が壮真のことを羨ましいな、と溢すのを冗談だと思っていたか?
 お金がないけど、幸せなやつだと思っていた? そんなわけない。
 壮真は知らないだろ。母さんが夜に知らない男と居なくなる事。
 怖いおっさんが家に来ると、壮真の家に逃げていたこと。
 雨漏りを言い訳に飯を貰いに行っていたことも。
 服だって全部誰かのお下がりで、髪の毛は毎回母さんに切ってもらってバラバラ。
 お前と一緒に居ると、惨めだったよ。
 嬉しそうに両親や兄弟に囲まれて、笑っているお前を見ていると、腹の内にドス黒いものが溜まっていく気がした。そんなことを思っちゃいけないのに、お前も失えばいいと思うことが何度もあった。
 自分でも憐れだと思う。お互いただの無い物ねだりだ。
 壮真は、俺を貧しくとも明るいやつ、なんて思っていたのかもしれないけど、そんなはずないだろう。
 貧困さは性格を歪めるし、金が無ければ余裕がなくなる。俺は壮真の思っているような人格者でも無ければ、優しくもない。
 醜い人間だ。嫉妬に狂って、親友のお前のことすら貶めたいと思う男だよ。
 将来絶対金持ちになってやると誓って生きてきた。
 その為に、学んで、勉強したし、人に好かれる人間になろうと努力もした。
 いつか絶対金持ちになって、食べたいものを食べて、欲しいものを買って、好きな時に好きなことをする。それだけが目標だった。
 
 でも、俺にとって壮真という人間が特別だったことは事実で、そのことが自分でも耐えがたかった。
 だって、俺は壮真を羨んでいた。どんなに他人に好かれても、俺の中の基準値は、やっぱり壮真が一番上に来るのだ。
 そして、その裏で憎悪していた。
 嫌いで嫌いで仕方なかった。笑う度にその笑みをぐちゃぐちゃに泣かせてやりたいと思うこともあった。
 けれど、また別の側面では、壮真のことが好きだった。
 一緒に居るとどろどろに甘やかしたいという欲求。好きだと囁けばどういう反応をするのか考えて、壮真の痴態をネタに抜いたこともあった。
 バターのように溶けていく感情は、ぐちゃぐちゃに混ざり、自分でも壮真をどうしたいのかわからなかった。
 逃げたかったのかもしれない。
 欲しかったのかもしれない。
 嫌いになりたかったのかもしれない。
 だから、告白したんだ。思春期の思いに逃げ場などなく、もうこれ以上溜めておくことができなかった。

『俺さ、壮真のこと好きなんだ。……友達としての、意味じゃなく』

 壮真は嫌悪するだろうか。笑うだろうか。怒るだろうか。罵るだろうか。どれでもよかった。俺はただ、もう壮真という人間に振り回されたくなかったんだ。
 壮真だってそうだろ? わかるんだよ、だってずっと一緒に居たから。お前の気持ちは、なんとなくわかる。
 壮真と居ると、俺はどんどん惨めな気持ちになってくる。
 壮真は、俺と比べられる自分こそが憐れで惨めだと思っているかもしれないけど、本当に憐れなのは俺の方だ。
 俺にないものを沢山持っている。俺はそれにどうしようもなく嫉妬していたんだ。壮真が持つもの全てを、壮真から奪ってやりたかった。

 確かに親友だと思っているのに、そんなことを考える自分の底意地の悪さと意地汚さには心底嫌悪する。
 けれど、壮真と居ると、ふとそんな感情が湧き上がってくるんだ。自分が気持ち悪かった。
 俺が目指す自分に成るために、こんな感情が混在することが嫌だった。
 だから壮真がどんな反応をしたところで、俺は離れていたと思う。どうせ、高校だって別々になる。だから。
 そう思ったのに、その時壮真が見せた反応は、俺の想像のどれでもなかった。

『え……』

 困惑した顔。困ったように下げられた眉尻。けれど、その口元が嬉しそうに綻んだのを、俺は見逃さなかった。
 鼻の上に少し浮いたそばかすが広がる頬。その頬が赤く染まるのを、俺は確かに見た。三白眼気味の瞳が揺れ、口元を手で覆い隠す。
 その瞬間、頭の中でぐちゃり、と卵が潰れたような音がした。
 なんなんだよその顔。
 気持ち悪いと思って欲しかった。
 お前なんて友達じゃないと罵って欲しかった。
 全員に言いふらしてやると笑って欲しかった。
 壮真がそんなことをする人間じゃないとわかっていながらも、そう思わずには居られない。壮真自身は否定するかもしれないけど、結局の所、お前はそういうことが出来ない人間だと俺は思うよ。

 でも、その時俺の胸には歓喜の気持ちが犇めいてしまった。満更でも無さそうなその表情に、俺は喜んでいたんだ。
 夏の暑い部屋の中、俺の身体が熱くなったのは、夏のせいだけじゃないと思う。興奮したんだ、お前のその顔に。溜まらないと思ってしまった。今すぐお前を押し倒して、その体を開いてやりたいとすら思った。
 感情を振り払うように、無理矢理その場を収めて、なかったことにしたけれど、続いたら駄目だと本能が告げていたのだ。
 壮真がなんて言おうと、離れるつもりだった。
 本当は、壮真に嫌われてしまえばいいと思ったけど、壮真は何も言わなかったから、気まずいままに少しずつ、距離が離れていった。
 これでいい。
 仲が良かった思い出だけとっておけば、きっともう、お互い嫌いになることもない。そう思っていたのに。



『ね〜、豊〜、なんで豊んちいくとき、毎日こっちの道通るの? 回り道じゃん〜』
『……いいだろ別に』
『いいけどぉー』

 高校生になって、彼女が出来た。
 中学の時より出来るバイトの幅も広がったし、昔よりは貧乏じゃなくなったと思う。少なくとも、部屋に彼女を呼べるようになる位には、家もマシになった。
 でも、近所に引っ越しても、俺は必ず壮真の家の前を通った。遠回りになっても、回り道でも、俺は壮真の家の前を通る。壮真が俺の姿を目に留めるように、俺を忘れないように。
 母さん同士は相変わらず仲が良いので、壮真の情報は聞けばすぐに入ってくる。
 それに。
 ちらりと目線を上げると、壮真の部屋のカーテンがすぐに閉まった。
 見てるんだろう、俺のこと。

 なあ、お前、今何考えてる? 俺の彼女とか見て、どう思ってる? 俺が好きだって言ったとき、本当はどう思った?
 そんなことばかり考えている。壮真に振り回されるのはもう沢山だと思っているのに、そのくせ気がつけば壮真のことを想っている。
 これじゃあ、本当に壮真のことが好きみたいだ。
 馬鹿らしいと一蹴する割に、壮真に追いかけて欲しいと思っている。
 俺のことだけ考えていろと願っている。
 俺のことを忘れて幸せになるのが嫌だと自分勝手に夢想する。
 カーテンの閉まった壮真の部屋をじっと見つめる。昔はよくあの部屋に泊まりに行った。多くもないお泊まりセットを持って、走って行った。
 同じベッドで並んで眠って、朝から二人で遊びに行った。今はもう、話すことすらないけど。

『ねー、豊ぁ、早く家に行こ?』
『ああ……うん、そうだね』

 艶っぽく笑う彼女に微笑んで、俺は家で性欲を吐き出す。
 そういうことをしていると、中学の頃に告白したときのことを思い出す。
 もしもの話で、そんなことはあり得ないけれど、あの時壮真が了承したら、俺はどうするつもりだったんだろう。
 そのまま付き合っただろうか。
 そうして、こんな風に壮真を抱くこともあったりするんだろうか。俺の下で女みたいに喘ぐ壮真を妄想すると興奮して、何度も吐精した。

 そこで、自覚したんだ。俺が壮真にしたいこと。
 壮真に対する気持ち悪い感情。
 けど、認めたくなかった。
 だって、認めてしまうと俺の負けのような気がしたから。別に壮真と勝負なんてしていないのに、子供っぽい自尊心が邪魔をして、昔からの対抗心から俺は勉学に励んだ。こんなんじゃ足りない。
 もっともっと、学ばないと。誰からも愛されるように振る舞わないと。壮真のことなんて考える暇もないくらい、詰め込まないと。
 壮真と居ると、俺は自分がわからなくなる。そうしたら、またあの貧乏な生活に逆戻りだ。そんな恐怖があり、俺は無心で勉学に打ち込んだ。
 その結果、難関と言われた大学に受かって、順風満帆な出世街道に乗れたと思う。
 付き合った女も、沢山居た。
 可愛いと思った子も、好きだと思った子も居た。
 けど、全員続かなかった。
 気がつけば、似たような女とばかり寝ていることに気がついてしまったから。
 男とも寝てみたけれど、やっぱり駄目で、その鬱憤を晴らすように仕事に打ち込み、気がつけば、この年齢にしては結構な役職に就いていた。

 壮真のことなんて、今じゃ連絡先すらしらない。携帯端末に入っているのは、一番初期のメールアドレスで、もう使われてもいない。でも、消せずに居た。
 壮真が今どうしているかという近況は、相変わらず母親がまめに教えてくれた。俺も、壮真に伝わるように、なるべく母親とは電話した。俺にとって、最高の親というわけではないけれど、唯一の肉親だし、貧しいことで母親を恨んだこともない。
 多分俺は、壮真に追いかけてきて欲しかったんだ。

 今はもう貧乏でもない。同世代に比べると、貰っている方だと思う。奨学金の返済や、他にも返す金はあるけれど、豪遊しなければ、もっと金も貯まるだろう。
 今では、昔みたいに飢えることもなく、寒さに震えることも、知らない男の怒号に怯えることもない。
 欲しいものは自分で買えるし、好きな時に好きなことが出来るとは言えないけど、仕事は楽しい。休日は趣味に費やせる。
 充実していると思うのに、やっぱり何かが足りなかった。

 自分の夢は叶ったはずなのに、欲しいものが一つ足りない。
 じゃあ、やっぱりそれを手にしないと、きっとこの先も乾きは飢えないままだ。
 ああ、わかった、認めるよ、
 結局俺は、子供時代から何一つ成長しちゃいないんだって。

 ――なら、手に入れなくちゃ、永遠に前に進めない。

****

  知り合いから聞いた店に行くと、一人で餃子を食ってる壮真を見つけた。少し寂しい立地にあり、あまり客も入ってないけど、お気に入りらしいと聞いたから、行けばすぐ見つかった。
 うまそうに餃子を頬張るその横顔が、一瞬だけ、子供の頃と被った。けれど、俺たちはもう子供じゃない。
 息を吸う。大丈夫だ、俺はいつだってうまくやってきた。
 だから、お前の前でもうまくやってみせるよ。

「もしかして、壮真?」
 
 偶然を装い、何食わぬ顔で壮真へと話しかけた。
 食いかけの餃子をぼとりと落とし、目を見張る壮真に、俺は昔と変わらない笑みを向ける。破裂しそうな心臓を押さえながら、隣に着いた。
 何度も空想して、妄想した会話を展開させながら、磨き続けた話術とコミュ力で、壮真と一緒に昔話に花を咲かせた。
 壮真は酒をよく飲み、よく笑った。つり目気味の三白眼が、嬉しそうに細められると、昔を思い出す。まるで子供の頃に還ったような気分になる。
 過去に抱いた感情が、溢れてくる。
 でも、これだけじゃあ満足できない。もう遅いんだよ。長い時間で、こじらせた。

 それから、飲み足りないと大量にアルコールを買い込んで、明日が休みだからと家に誘って……。



 ――そうして、現在に至るのだ。
 赤く火照った顔は、アルコールのせいだけじゃないだろう。
 
 わかっていた。壮真が俺のことを好きだって事くらい。忘れられないって事も、わかっていた。
 でも、本当はわかった気でいただけなのかもしれない。
 壮真が俺のことを忘れられないと思えば、それだけで俺の中に得も知れぬ高揚感が満ちていった。だから、自分に都合のいいように考えているのかも、という思考があった。
 だから、目の前で好きだという言葉を聞いた瞬間、俺の中で何かが弾けたのだ。
 ああ、そうだよ!
 俺はずっとこれが欲しかった!
 自分の中に興奮と感動が溢れ、頬が赤くなり、眉を掻いた。
 子供の頃から欲しくて欲しくてたまらなかった。
 どう嫌っても、疎んでも、羨んでも、妬んでも、根底にあるのは、結局壮真が手放せないという事実だけだ。足りないんだよ。
 俺はもう貧乏でもないし、欲しいものは手に入れようと思えば手に入る。幼い頃に憧れていた存在になれたはずなのに、お前だけ俺の世界にが居ない。
 俺は、お前の存在が必要だったんだ!

 子供の頃、自分のお小遣いでゲームを買って、一緒にやろうと誘ってくれた。
 隣の布団で眠って、笑いかけてくれた。
 手を繋いで、どこへでも連れて行ってくれた。
 俺が誰かに悪口を言われても、壮真だけはいつも隣に居て、言い返してくれた。励ましてくれた。
 守ってあげると笑った。
 例えそれが壮真の本心でなかったとしても、小さな思いで一つ一つが、どうしようもなく捨てがたくて、大切で、傍に居れば居るほどに、独占欲が満ちていった。
 俺だけの壮真。
 本当は、ずっと一緒に居たかったんだ。
 少し照れくさそうに目線を逸らす姿を見て、歓喜とも興奮ともとれる感情と、勝利に胸が満ちていく。ああ、だめだ。だめだだめだだめだ。
 足りない。これじゃあまだ、全然足りない。
 欲しいんだ。もっと、もっと!

「……この年になって何やってんだろうな、俺ら……」

 はにかむような笑みに、俺も笑った。けど、感情はなるべく表に出さないように。ゆるりと手を伸ばし、壮真の頬を撫でた。
 俺の中で、欠けていた最後のピースがお前だよ。
 お前がいないと、俺はきっと俺として完成しない。

「壮真、キスしていい?」
「えっ」

 壮真は俺の言葉に、硬直したように赤くなる。俺は熱い目線を向けた。まるで中学生のような聞き方に、自分自身でも笑ってしまいそうになったけど、壮真は笑わなかった。
 俺が居ない間、壮真は童貞を捨てたんだろうな。俺じゃない誰かと、体を繋げたのか。どういう女だったんだろう。男だったら許せないけど、壮真は多分ノーマルだろうか、女だろうな。
 初めて自分が童貞を捨てたときの事を思い出す。
 こんなものか、って思ったけれど、お前としたら、また気持ちは変わるんだろうか。お前はどうなんだ? 壮真。

「……手ぇ早くね?」
「昔からずっとしたかったんだよ、ダメ?」
「…………」

 黙り込んでしまった壮真の唇に、俺は自分の唇を重ねた。壮真は、特に抵抗はしなかった。
 瞑られた瞳が愛おしいと思う。そのくせ、まだ歪めてやりたいと思っている自分が中に存在する。思春期の頃散々妄想しておかずにし尽くした思い出まで蘇ってくるみたいだ。
 柔らかな唇を食み、軽いリップ音を立てながら離れると、壮真が顔を赤くした。

「…………」
「ありがとう、壮真」

 俺が礼を言うと、壮真はもごもごと口の中で何か言いながら、顔を背けた。壮真は、昔から俺のことを聖人か何かだと勘違いしているけど、俺はそんな清い人間じゃないんだよ。

 なあ壮真、俺が今、お前に対して何を考えているかわかるか?
 好きだと言った。応えてくれた。
 俺のだ。俺の、俺だけの。
 もう、手放したりなんてしない。

「なんでお礼……ってか、あっつ……はは、やべ、酔ったかも」

 笑いながらシャツをはためかせてるお前のこと、今すぐぐちゃぐちゃに犯してやりたいよ。




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