佐々木との話


「うわっ」
「………………」
「最悪」

 佐々木は、僕の事が嫌いだ。

 日直の所に並んだ「小波・佐々木」の文字を見て、佐々木は露骨に顔を顰めた。僕を睨みつけ、わかりやすく舌打ちまでしてきた。っていうか最悪って口で言ってる。
 こうまでわかりやすく嫌っていますアピールをされると、僕も絶対に近づかないようにしようという決意が出来るので、むしろいいのだ、と自分を納得させた。
 内心は、こうもあからさまに敵意をぶつけられると、狐面をつけていなければ、ストレスで倒れていたかもしれない程度には胃が痛いけど。今の僕はお面をつけているから、この表情も佐々木には悟られない。つくづく、お面をつけていてよかったと思った。最初はつけたことを後悔していた面も、慣れてくれば便利アイテムだ。
 僕は日誌を担任から受け取って、自分の席に戻る。
 この学校は、正直かなりゆるい学校だと思う。
 まず僕がお面をつけて学園生活を過ごしていても何も言われない辺りが緩い。緩さ通り越して崩壊しているのではとも思うけど、助かっている側面もあるから何も言わない。
 そんな学校だから、別に日誌や日直の仕事なんて適当でいいと思われるけど、日誌だけはきちんとつけろというのだから不思議だ。地元からは底辺高校と言われる場所でも、一応ルールというものは存在する。
 日誌をひらけば落書きやどうでもいいことが書かれているけれど、一応皆記入はしている。適当でも、何かしら記入すれば良いらしい。
 でも、僕はこういうのを適当に出来ない。要領が悪いと言われるし、化野にもそんなの手を抜いて書けばいいと言われるけど、どこで手を抜けばいいのかがわからない。どう書こうか悩んでいると、突然声をかけられた。

「おい」
「…………」

 佐々木の声に顔をあげると、不機嫌そうな顔で僕を睨みつけてきた。

「お前、日誌書いとけよ。得意だろ? 喋らねえし」

 にやりと笑った佐々木に、僕はこくりと頷いた。
 実際、声に出して話すより、文字に起こした方が得意だから、佐々木の言うとおりだ。それに、正直な話、僕は佐々木の事が怖かった。
 佐々木は井上や西園、そして化野と仲がいいけど、化野と仲がいい僕をあからさまに敵視している。
 見た目は、西園より怖面ではないし、化野程不気味さを感じないけど、つり目気味の瞳は、睨まれると怖いし、化野よりも耳にじゃらじゃらつけられたピアスも怖い。色が違う髪も怖い。
 怖さの大部分は化野にも当てはまることだけど、化野は僕に対して露骨な嫌悪を滲ませてこないので、大分和らいでいる。たまに、怖いと思うことを感じることもあるけど、基本的に化野は僕に優しい。
 でも佐々木は違う。
 僕のことを敵視しているし、僕の悪口も僕の目の前で言う。いっそいさぎ良いくらい僕のことを公然と嫌っている。
 だから、出来れば近寄りたくない。日誌を一人で書いて良いなら、僕にとってはその方が都合がよかった。
 何も言わない僕に対して、日誌を押しつけ、去ろうとしたところで、誰かが佐々木の肩を叩いた。

「あ? 誰……」
「おっはよ〜〜〜」
「…………た、大志……」

 ひくり、と佐々木の頬が引き攣った。
 それもそのはずだ。僕も狐面の奥で少しだけ顔を青くした。化野の今日のお面は、なんて言うんだろう、阿修羅? っていうんだっけ。顔が三つ付いた、ちょっとおどろおどろしいデザインの、古風なお面だった。泣き顔、喜び顔、怒り顔の三面あるが、今は怒り顔の所になっている。お祭りの露天で売っているような安いお面とは違う、重厚な素材で出来ているせいか、普段よりも迫力があって、僕と佐々木は固まった。

「なーに正義ちゃん困らせてんのぉ? 佐々木ぃ」
「はあ? べ、別に困らせてねーし」
「あ、何、今日、日直佐々木と正義ちゃんなの? へー、俺変わろっか?」
「え?」
「佐々木と変わろっかって。俺が代わりに組んでやるよ。な、いいだろ?」

 へらへらと笑いながら、化野が佐々木に言う。妙案とも言える提案に、僕は佐々木がすぐさま乗ってくると思っていた。実際、僕も佐々木とよりは化野の方が気楽だったし。けど、意外にも佐々木は首を縦に振らなかった。

「……いや、日直は俺だから俺やるわ」
「…………ふーん」

 一瞬、面白くなさそうな顔をしたものの、化野はそこまで日直に執着はしていなかったのか、すぐに僕に向かって話しかけてきた。

「あっそ。あ、おはよー正義ちゃん! どう? 今日のお面、強そうじゃね? 鬼やべ〜!」
「…………」

 どう、と聞かれても、言葉を発しないキャラということになってる僕に言えるのは、ハイかイイエの二択だけで、ただこくりと頷いた。化野はそんな僕の返答に満足したのか、次は西園へと話しかけている。

「セイー、おはー! ど? これ?」
「うわ怖」
「おー、大志今日は馬鹿殿じゃねーの?」
「なんで俺のデフォルトバカ殿やねん!」

 なんて、言い合いながら笑っている。それにしても、どうして佐々木は断ったんだろう。嫌いな僕と日直をやるより、化野に代わって貰ったほうがいいのに……と思ってちらりと佐々木を盗み見ると、冷たい瞳が僕を射抜いた。

「……っ!?」
「……お前、大志と仲いいからって、あんま調子こくなよ、マジで」

 ぼそりと低い声で呟くと、佐々木は化野の元へと向かっていた。こ、怖い……。どくどくと音を鳴らす心臓に、僕は俯いた。
 それと同時に、僕は佐々木が断った理由に合点がいった。多分佐々木は、単純に僕と化野が仲良い所を見たくないのかもしれない。佐々木は化野と仲がいいから……。
 とりあえず、僕に出来ることは、なるべく日直の仕事を佐々木に振らないよう、静かに、穏やかに一日を過ごす事だけだ。

****

 日直の仕事と言うのは、ただ日誌を書くだけじゃない。授業の準備をしたり、黒板の文字を消したり、体育であれば先に向かって用意をしたりと、色々だ。
 勿論、そんなの真面目にやる生徒は稀だから、大抵は先生が自分でやるけれど、僕に関しては、教師陣の間で違う認識が広まっているらしい。

「おっ、今日は小波が日直か。じゃあ授業の準備はしなくていいな」

 任せたぞ、と言われてしまえば、僕に頷く以外の選択肢なんてない。僕以外が日直の時は、先生は自分で黒板の文字を消すし、自分で授業に必要な道具も準備するけど、僕の時は、僕がやるとわかっているからなのかやってくれない。
 黒板の文字を消しながら、高い位置にある黒板の文字が消せずに奮闘していた。ちなみに、佐々木は何もせずに西園と話している。

「おい佐々木、お前日直って書いてあるけど、手伝えよ」
「あ? いーのいーの、にっしーも日直の仕事やんねーっしょ」
「まー確かに……」

 後ろから聞こえてくる会話に、胸が痛む。ここでは、こんなこと、やらないのが普通らしい。けど、僕はびびりなので、黒板の文字が消えてなかった時の先生の顔とかを想像して、結局してしまう。
 一人で消していると、後ろから化野の声が聞こえた。
 もう一つの黒板消しが高い場所の文字を消し、上から声が振ってきた。

「まっさよっしちゃ〜ん、俺も手伝う手伝うー
「…………」

 こういう時、化野は本当にすごいなあって思う。
 どうして、そんな簡単にできちゃうんだろう。逆の立場だったら、僕は化野みたいに、さらりと出来ただろうか。いや、そもそも化野は僕の助けなんて必要としないのか……。ぺこりと化野に礼をすると、化野は満足げに僕の頭を撫でてきた。

「次の授業の準備するんだっけ? 正義ちゃんは偉いね〜、俺も手伝おうか?」
「…………」
「遠慮なんてしなくていいよ、俺がやりたいだけだからね」

 まるで子供に言うみたいに言われて、少し恥ずかしい。でも、化野は優しかった。顔が熱くなってくる。つくづく、お面をしていて良かったと思う。

「おい、小波、職員室行くぞ」
「あれ、佐々木何しに?」
「いや、俺も日直だから、授業の準備道具、担任から職員室行って貰うんだろ? 確か」
「へーー、やったことない癖に珍し−、俺が行こうか?」
「や、大志はここに居ろって。俺が行くし」

 な、と佐々木に微笑まれ、僕はびくりと肩を揺らした。え? いや、一人で大丈夫です。とは言葉で言えずに、僕は思わず首を横に振った。すると、瞬間佐々木の額に筋が入ったように見えた。

「は? なに、俺邪魔ってこと? 大志と二人がいい?」
「…………!」
「え〜、やだ嬉し〜い!」

 オネエっぽい振る舞いで抱きついてくる化野と、更に不機嫌そうな表情になる佐々木に、僕の顔は青ざめた。違う違う! そういうことじゃない! 慌てて何度も首を横に振ると、化野が拗ねたように、僕の体を突いてきた。

「おいおーい、そんな全力で否定することなくね? 俺傷ついちゃうよ〜」
「…………っ、……っ」
「はいはい、わかったわかった」

 何がわかったのか僕にはわからないけど、とりあえず急いで教室を出た。もう、あそこに居続けるのがなんだか居たたまれなかったので、逃げることにした。化野は怒っているだろうか。後で、ラインしておこう。教室を出て職員室に向かうと、後ろから佐々木が付いてきた。

「おい狐面」
「……っ!」

 がし、と肩を掴まれ、爪が肉に食い込んだ。い、いたいいたい……! 結構強めに掴まれてる!

「お前なーに人無視して勝手に行こうとしてんの? あ? 失礼とか思わねえの? それとも俺のことバカにしてる?」
「…………」

 ひぃ、怖……! よく見たら口にもピアスがついてる。なんでそんなところに穴をあけるんだ。
 僕は怯えて、ただ頭を下げた。平身低頭に徹し、スマホに文字を慌てて打ち込んで、佐々木の前に掲げた。

「あ……?」
【迷惑かと思って、一人でやろうと思いました。ごめんなさい】
「いや口で言えよ」

 当たり前の突っ込みが入った。その突っ込みが最も過ぎて、僕は無言でスマホの画面を消して、自分のポケットへと戻す。
 佐々木は周りの目線もあるからか、僕の肩から手を外し、隣に並んだ。

「つーか、お前なんで喋んねえの? 別に喋れねえ訳じゃねんだろ? そういうちょっと変わったことするから、大志がお前に興味持っちゃうんだろ、普通に喋れや根暗」
「………………」

 全くもってその通りだったけど、僕だって普通に喋れるなら喋ってる。喋ろうと思うと緊張して、うまく言葉が出ないし、どもるし、何より顔が赤くなるのが嫌だった。
 何も答えない僕に対して、佐々木は鬱陶しそうに鼻を鳴らした。

「ま、お前の事なんて別にどうでもいーけど、せいぜい隅っこで目立たず、大志の目に触れないようにしろよ」

 舌打ちして、佐々木は前を歩いて行った。やがて職員室について、僕と佐々木は、それからは無言で授業道具を持って教室へと戻った。

****

 日直の仕事なんて、ほとんどない。
 特にこの学校では、自主的にやる生徒の方が稀なのだ。
 そうこうしている間に、恙なく時間は過ぎ、少し佐々木に文句を言われることもあったけれど、なんとか5限目まで来た。
 5限目は体育だ。
 僕たちは日直として、人数の確認と、体育委員と一緒に準備をしておかないと行けない。
 ……このクラスの体育委員って誰なんだろう。今まで何かしているのを一回も見たことがないから、誰だかわからないや……。
 とりあえず点呼を、と思ったけど、そもそも喋らない僕が突然点呼なんて取れるはずもないし、今まで日直が点呼を取っているのを聞いたこともない。サボりも沢山居る。今日はバスケとか、サッカーとか、そういうのじゃなくて跳び箱だから、面倒くさがって来ない人も多いのかもしれない。
 本当は、体育の時はお面を取れって言われてるけど、化野が取らずにやったりしているからか、結局僕も何も言われなくなった。

「おい狐、お前どこ行くんだよ」

 点呼は諦め、先に今日使う跳び箱やマットの準備しようと、体育準備室へと向かおうとすると、再び佐々木に声をかけられた。前に、ここで同じクラスの人たちに殴られた記憶があるから、出来ればぱっと行って、すぐに終わらせたい。
 僕が体育準備室を指さして、マットのジェスチャーをすると、佐々木はふぅん、と鼻を鳴らし、僕を無遠慮にじろじろ見つめる。それから、突然にこりと愛想の良さそうな笑みを浮かべた。

「じゃ、早く取りに行くぞ」
「…………?」
「なんだよ、準備するんだろ」
「…………」

 突然そんな笑みを浮かべる佐々木を不気味に思いながらも、準備しないといけないことは本当なので、頷いて佐々木の後を付いていった。
 体育準備室は、埃や黴、汗の匂いが染みついていて、あまり居たい場所ではない。用具室の片隅に、跳び箱用のマットを見つけて、佐々木が引っ張り出した。

「結構重ぇな。おい、お前そっち持て」
「…………」

 佐々木の指示に頷いて、僕は佐々木とは逆側の、折りたたまれているマットの端を掴んだ。やっぱり、少しほこり臭い。それに、佐々木の言うとおり結構重い。一人でも持てるけど、二人で持った方が断然楽だ。一人でやるつもりだったから、佐々木が手伝ってくれるとは思わなかった。
 突然どうしたんだろう。もしかしたら、僕が無害な奴だと判断してくれたのかな。そうだといいんだけど……。

「せーので持ちあげっからな」
「…………」

 佐々木の指示に再び頷き、せーの、というかけ声を待つ。

「せー……っの!」
「…………!」

 しかし、襲ってきたのはマットの衝撃だった。
 佐々木と一緒に持ち上げられたマットは、突然勢いよく僕側へと倒れてきた。突然の事にマットの重みを支えきれず、バランスをくずした僕は床に尻餅をついた。
 マットが顔に勢いよく当たって、つけていたお面が取れた感覚がして、僕は焦る。からん、とどこかに面が落ちる音がした。

「あーあ、ちゃんと持っとけよ小波〜」
「……っ! ……っ!」

 手のひらで顔を覆って、指の空いた隙間から、お面を探した。どこだ? どこに飛んだ!? 視界の中では見当たらない。もしかしたら、佐々木側に飛んだのか。
 ただ外しただけなのに、顔に熱が集まってくる。もしかしたら僕は、お面に甘えすぎて、もうこの学校でお面をつけずに生活すること自体が、出来なくなっているのかもしれない。佐々木の近づいてくる気配がして、僕はとっさに佐々木に背を向けた。楽しそうな佐々木の声がする。

「おいおい、何? こっち向けよ」
「…………」
「無視? そういうとこ、ほんっとむかつくわ」

 瞬間、目の前に狐のお面が現れた。上から、佐々木が僕の前に掲げたらしい。僕は手を掴もうと伸ばしたが、あっという間に狐面は上へ引っ張られ、後ろへと持って行かれた。

「っ、返……っ!」
「へー、そんな顔してんだ。つーか声もちゃんと出るじゃん」
「………………あ……」
「案外フツーじゃん」

 一瞬青くなったものの、すぐに羞恥心が湧いてきた。
 見られた。
 顔、見られた。声も。
 いや、それより、こんなに隠して勿体ぶっているくせに、面白みもない顔で、しかも、喋れるのに喋らないで、謎のキャラ作りをしている奴みたいになってしまった。恥ずかしい。自分で招いた種とはいえ、恥ずかしすぎる。化野にも、見られるなって言われてたのに……。
 顔がどんどん熱くなっていくと、佐々木はにやついた笑みを浮かべながら、僕にお面を返してくれた。
 
「ほら。お前になんかすると大志うるせーからな。もうこんな事故おきねえよう気をつけるし、さっさとそれつけて体育館戻るぞ」
「……あ……あの」
「んだよ、普通に喋んのかよ」
「…………このこと、化野には、言わないで……」
「はぁ? 言う訳ねえだろ、馬鹿かお前? いいから早くそっち持てっつーの、トロいんだよ」
「…………」

 僕はお面をつけ直し、佐々木の指示通り、再びマットを持ち直した。また同じ事をされたらどうしようかと思ったけど、今度はそんなこともなく、普通に体育館までマットを運んだ。
 いつの間にか、クラスの生徒達も集まってきていて、一枚しかマットを持ってきていなかったが、佐々木は化野を見つけるとすぐにそっちに行ってしまった。

「おい佐々木ー、お前マットもっと運んどけよ。跳び箱もねえし」
「だーって、小波君がとろくさくってさあ〜」
「んじゃ、俺手伝おう〜っと。正義ちゃーん、君の阿修羅が来ましたよぉ〜」
「こえーんだよ。俺も行くわ」
「うっさ。セイは来なくていいんだけど」
「俺も行くかなー」
「はあ〜? 井上までなに? 俺と正義ちゃんのラブラブタイム、邪魔しないでくれますぅ?」
「うぜー」
「なに、皆行くのかよ、じゃあ俺も行く!」

 と、まるでさっきまでの空気が無かったかのように、いつもの化野グループ全員が体育準備室に入ってきて中の跳び箱や飛び台、マットを体育館に運び出した。
 とはいえ、この学校の体育授業は割とおざなりだ。一応科目の跳び箱が跳べれば、後は自由とされている。
 化野たちは早々に必須とされている跳び箱を跳んで、後はさっさと遊んでいた。勝手にバスケのボールとか持ち出している。ちなみに、僕は跳び箱は苦手だった。というか、お面で視界が遮られて怖かった。完全に自業自得だ。
 飛んでいるフリをしていると、いつの間にか、佐々木が近づいてきていった。

「おいタコ」
「…………?」
「お前、タコみたいに真っ赤になってたから。つーかあのお面、耳隠れてねえからバレバレだけど」
「…………!」
「何? もしかして気づいてなかった? ばっか」
「…………っ」

 ケラケラと楽しそうに笑って、佐々木はバスケットボールをゴールに入れた。最早誰も跳び箱を使っていない。大半がノルマをクリアして遊んでいるか、サボっている。
 っていうか、顔が赤いのは、このお面をつけていても効果がなかった……? み、耳も隠さなくちゃ……。

「おい小波、あとお前だけだぞー。っていうか跳び箱の時はそのお面外せ。なんのポリシーだ」

 そんなことを考えていると、やる気のない体育教師が、まっとうな指摘をしてきた。本当にそうだと思う。いっそ、外してしまおうかな。佐々木にも見られたし、僕が気にするほど、周りは気にしてなんて居ないのかもしれない。そっとお面に手をかけると、聞きなじんだ声がそれを制した。

「まさか外さないよね?」
「…………?」

 振り向くと、化野が笑っていた。というか、阿修羅の笑い顔に、お面が変わっている。でも、どうしてだろう、阿修羅の奥に見える瞳を見ると、少し、胸がざわついた。怖い、と直感的に思ってしまう。
 化野には、たまにそういう雰囲気を感じる事があるのだ。

「ちょっとぉ、せんせー、せっかく俺らお面おそろっちでカワイーのにそういうのやめてくれません?」
「いや化野、お前全然可愛くないぞ」
「ひでー! 俺ら可愛いよなあ!?」

 化野が周りの生徒に向かって言うと、引っ込めーという笑い声が聞こえてきた。一瞬にして場が和み、先生もはいはい、と諦め気味に笑った。柔らかくなった空気に、僕が安堵したのも一瞬のことだった。化野の手が、一瞬僕の背中を見えない様に強く抓ったからだ。

「……っ……!!」
「ん? どしたの正義ちゃん? あ、もしかして具合悪い?」
「………………っ」

 化野はお面を外し、心配そうな顔を僕に向けてきた。僕がハイともイイエとも答える前に、化野が先生に言った。

「せんせー、正義ちゃん具合悪いって。俺保健室連れてきまーす。保健委員だし!」
「大志べつに保健委員じゃねーだろ」
「ぜってーサボりたいだけじゃん!」
「うっさうっさ! お前ら黙っとれ! ね。先生! 正義ちゃん苦しそうだよ」

 思い切り抓られた背中は、確かに痛い。っていうか、化野は何でこんなこと……。化野の顔を見ると、にんまりと笑った化野と目が合った。
 ぞわ、と背中に悪寒が走る。
 ……………………おこ、ってる?

「……小波、お前体調悪いのか?」
「…………」

 僕は化野が怒っているのかもしれない、という事実が急に怖くなり、ただ小さく頷いた。それに、化野が反応する。

「ほらー! せんせー俺の言った通りでしょ?」
「小波、お前こいつに弱みでも握られてんのか?」
「うわ、ひどっ。ちげーし! 正義ちゃんの分は俺が飛ぶからさあ。ね?」
「はいはい、わかった。じゃあ行ってこい」
「イエーイ。んじゃ行こ正義ちゃん」

 そう言って、化野は強く僕の手を引いた。強く掴まれた腕。けど、足が一瞬固まって動かなかった。

「正義ちゃん? ほら早く」

 その言葉に、辿々しいながらも僕の足はようやく動き出した。
 どうして僕は今、"行きたくない"なんて思ったんだろう。ただ、化野が怒っているというのなら、その化野に直面するのが、怖かったのかもしれない。一瞬、佐々木と目があった。
 佐々木は、また僕が化野と一緒にいることを不機嫌に思っているのかと思ったけど、目が合った時の佐々木の表情は、怒っているというよりは……。

「おい大志」
「なーによセイ」
「……保健室に送ったらさっさと戻って来いよ」
「おっけーまるまるー!」

 西園の言葉に、化野は明るく返す。
 でも、僕はそれが嘘だと感じたし、僕ですらそう感じるのだから、西園もそう思ったのかもしれない。
 佐々木が、横から口を挟んできた。

「な、なあ大志、俺が連れてこうか? 一応同じ日直だし……」
「さーさーきぃーーーー」
「……な、なに?」
「うるせえよ、お前」
「………………」

 微塵も茶化した雰囲気を感じない化野の声色に、西園も佐々木も、近くに居た井上も押し黙った。

「ほんじゃ、俺抜けるわ。じゃーねー」
「…………」

 そうして、僕は結局何も言うことが出来ず、化野に手を引かれて保健室へと連れられていった。

****

 けれど、連れてこられた場所は保健室なんかじゃなかった。
 いつもの、と言ってしまえば語弊があるけれど、初めてではない科学準備室。ここに来ると、初めて化野に連れてこられた事を思い出して、心臓の音が早くなる。

「あ、あの……化野……」
「おいで」
「………………」

 僕の言葉を遮って、化野が僕を呼んだ。呼ばれたなら、行かなくてはいけない。まるで刻み込まれた様に、僕の足は化野の元へと向かう。化野に対面すると、化野の手が僕の体へと伸びてきた。化野は阿修羅の怒り面のお面を被ると、僕の狐面の紐を取り払う。かつん、と音がしてお面は地面へと落ちた。僕の顔が、露わになる。外気がやけに寒く感じたのは、僕の顔が熱いからだろうか。
 するりと、化野の手のひらは僕の頬を撫で、着ていたジャージのチャックを下ろした。

「…………あ、あだ……」
「喋んな」
「………………」

 化野は怒っている。なんでかわからないけど、怒っている。このお面の表情が、それを体現している気がした。ジャージのチャックを下ろし終わると、当たり前のように指示してくる。

「脱いで」
「………………」

 僕はそれに逆らう事もせず、上を脱いだ。

「ティーシャツも、全部」
「…………」

 上半身裸になった僕を、化野は未だにお面をつけたまま眺めている。これからされるであろうことを、僕は予測がついていた。あれは、あまり好きじゃない。僕が、僕じゃなくなるみたいで、恐ろしい。だから、足が化野についていくことを拒んだのだろうか。でもきっと、それだけが理由じゃないってことは、僕が一番知っている。
 それから、化野は僕の鎖骨の中心に、人差し指を突きつけた。皮膚に爪が刺さり、少し痛い。

「んっ……」

 ぴくり、と僕が眉間に皺を寄せると、面の奥で一瞬笑う声が聞こえた。鎖骨の中央にあった指は、そのままゆっくりと下へ落ちていく。胸の中央を通り、臍をひっかけ、やがてジャージのズボンを引っ張った。

「これも脱いで」
「………………」
「そう、正義ちゃんは良い子だね。やーっぱ俺の親友だわ〜」
「………………」

 その親友という言葉が、嘘であることは、もうなんとなく気づいている。でも、だからどうだっていうんだろう。
 今更、僕に何が出来る? この手を突っぱねて、もうやめろ、と叫べばいいんだろうか。そんなことをしてはいけないと、体がわかっていた。
 化野は基本的に僕に優しいけれど、時に、非情であることをよく知っている。

 僕は化野の指示通り、制服のベルトを外した。次の指示は、ズボンも脱ぐこと。僕は上履きを脱いで、制服の下も脱ぎ、ついにはトランクスと靴下だけの姿になった。こんなのおかしいってわかってる。
 これがおかしくないなら、この学校が、化野がおかしいんだ。そんなことは、もうとっくに理解してる。
 でも、もう……。

「なんで逃げないの?」
「…………え……」
「こーんな理不尽に服脱げって言われたら、普通怒んね? 親友だから? あは、正義ちゃんって、俺の言うことならなんでも言うこと聞いてくれんだね」
「…………違う、ぼ、僕は……」
「でも、そういうトコ、すーっげバカで可愛いよ」

 お面を取った化野の顔は、喜色が滲み、瞳に映った僕の顔は、泣きそうな顔をしていた。
 化野の手が、僕の腕を掴み、己の方へと引き寄せる。僕は、勇気を出して化野に問いかけた。

「な、なんで……?」
「ん?」
「化野は、なんで、怒ってるの」
「……正義ちゃんは俺が怒ってると思ってんだ?」

 化野の問いかけに、僕は恐れながらも頷いた。だって、怒ってるだろ! 化野は、怒っている時は笑う。それも、普段とは違う笑みだ。だから、わかりやすい。そして、怒っている時の化野は、見ているだけで底冷えしそうな瞳になるんだ。

「なんでだと思う?」
「え……」
「なんで、俺が怒ってると思う?」
「………………」

 考えられるのは一つだけだ。
 僕が、佐々木に顔を見られたから。でもそんなこと、化野は知らないはずだ。あの時、あそこには僕と佐々木しか居なかったし、佐々木だって言わないと言っていた。なら、なんだ? なんで化野は怒っている? 誰かに見られていたんだろうか。そんなまさか……。考えても、答えは見つからない。
 結局僕は、選択を拒否した。
 佐々木とのことを言うのは、化野との約束を破ったことになる。あれは事故だったと説明しても、信じて貰えるかもわからない。だったら、最初からなかったことにした方がいい。
 首を横に振った。

「わ、わかんない」
「そ」
「……僕には、化野が考えていることが、わからないよ……」
「………………」

 少しだけ視界が滲む。どうして、こんなことになっているんだろう。いつからこうなったんだっけ? ただ、友達が出来ればいいと思っただけだったのに。
 化野が何を考えているかなんて、僕にはさっぱりわからない。
 僕の額に、化野の唇が振ってきた。本当は、コレも異常だってわかってる。仲良しの友達でも、男同士はこんなことしない。
 重ねられた唇に、声が漏れた。

「んっ……」
「別に、正義ちゃんにはちょっとだけしか怒ってないよ」
「…………」
「ほんとほんと。あ、信じてない?」

 その言葉に、僕は首を横に振った。信じられるものではないかもしれないけど、僕はその言葉に縋るしかない。
 化野が笑う。

「…………あーあ、俺以外と関わらなければいいのに」

 唇から溢れた言葉は酷く暗く、重い物だった。
 ひょっとすると化野は、僕が佐々木と喋ったから怒ってるんだろうか。でも、佐々木だけじゃない、西園とだって話している、というより、声をかけられることもあるのに、どうして。

「なんで突然? って思ってる?」
「………………」

 頷く。すると、化野はにこにことした笑みを一変させて、真顔で僕の首を掴んだ。
 近づけられた顔、衝突した額。低い低い声が、響く。

「突然じゃねえよ、ずっとずーっと前からだっつの。いい加減、お前が俺以外と話すのがむかつく」
「…………っ……」
「そんだけー」

 ぱ、と手を離して、また朗らかな笑みを浮かべる化野が怖かった。
 ドクドクと響く心臓の音が、鳴り止まない。頭の奥で、警鐘が聞こえた。逃げた方が良い。もうこれ以上、化野と関わるな。そう、僕の本能が囁いている気がした。
 けれど、僕の体は震えたまま、まるで蛇に睨まれた蛙のように動かなかった。

「正義ちゃん、エッチなことしよっか?」
「あ…………」

 僕は首を横に振るべきだ。もうこんなことやめたい。僕は、化野とは「普通の」友達になりたい。そう告げるべきだ。頭ではわかっているのに、その言葉は、喉の奥に張り付いたまま出てこない。なんとなく、自分でもわかっているのかもしれない。もしここで否定した後の未来、化野に嫌われた時の、クラスの自分の立ち位置。
 小さく頷く僕に、化野は満足げに笑った。
 
「かわいいね」

 きっと僕は、一生化野とは対等になれない。

終わり


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