「ただいま帰りました、林道さん」
「……おー」
 濡れた部屋を雑巾で拭いて、壊れたものがないか確認して、ようやく掃除が終わると、タイミングよく雪が帰ってきた。雪の降る中歩いてきたというのに、寒そうな気配すらない。どころか相変わらずの薄着だ。人間社会に馴染みたいなら、もう少し厚着をすべきだと思う。雪は肩や頭に積もった雪を払うと、部屋の中に入ってくる。
「今日は早かったんだな」
「ええ、撮影が予定より早く終わったのと、天候のせいで仕事が延期になって……あれ、林道さん、部屋のデザイン変えたんですか? 湿った臭いがしますね」
「お前の弟が部屋凍らせてびしょ濡れになったんだよ」
「成程、それで窓から放り投げたんですね」
「だから放り投げねーって! 俺は鬼かっ! ………………いや、鬼かも」
「? どうしたんですか? 林道さん」
 黙ってしまった俺を、雪が覗き込んでくる。相変わらず、表情は乏しいが、少し心配しているようにも見えた。ここ数か月で、俺も随分と雪の表情がわかるようになってきたと思う。
 そんな風に聞かれたら、誤魔化すこともできない。あまり言いたくなかったけど、それでも俺がしたことは事実だし、こいつの身内にしたことだ。俺はもごもごと口を開いた。
「……いや、お前の弟泣かせてアパートから追い出した……悪い……」
「あの気が強い六花を泣かせるなんて、流石ですね」
「…………おい」
「はい?」
「それだけ?」
「ブラボーです、林道さん」
 言いながら、雪は拍手した。パチパチと乾いた音が室内に響く。
「……あのさ、お前、身内が泣かされたんだから少しは怒ってくれよ。俺も子供泣かしてなんか罪悪感あるし……」
 すると、雪は冷蔵庫から牛乳を取り出してコップに注いだ。あっという間に若干固まり始めて、スムージーっぽい牛乳が出来上がった。そして、それを俺に勧めてくる。いや、寒いし、多分美味しくないだろそれ。仕方なく自分で飲みながら、雪は嘆息して言う。
「六花はわがままで、自分の思い通りにならないと怒るんですよ。林道さんもそれに怒ったんでしょう。部屋も凍らせたみたいですし、あまり気にしないでください。それより、そんな怒った林道さんが、僕は見たかったです」
 言いながら、俺が手を出さない固まり初めの牛乳を飲み干した。兄弟なのに、こうも違うものなのか。六花は兄が大好きなのに、雪は弟のことに興味がないように思える。けど、言わなくちゃいけないことは他にもあるのだ。
「あー……まあ、それもあるけど、俺が怒らせたっぽいところもあるし……」
「なんですか?」
「六花が、俺はお前のハンリョって言ってたから、それは勘違いだろ、って言ったら、怒っちゃって……ははは、本当のことなのになー」
「……え」
「ん?」
 そう告げると、妙な静寂が部屋を包んだ。
 無駄に心臓がどくどくと音を立てる。なんだよ、なんで黙り込むんだよ。
 あ、あれえ? 俺はてっきり雪のことだから「はい、勘違いですね、流石林道さん、痛々しいところも素敵です」とか言って煽ってくるもんだと思っていたのに。なんだこの静寂は、居た堪れない。何とか言えよ。ちらり、と雪の顔を伺うと、何かを考えているような顔をしていた。
 えええ? 何その顔、お前一体何を考えてるんだ。さっさと否定すればいいんじゃね? 言葉に出してしまったことを後悔しつつ、混乱していたら、急に冷気が漏れ出してくるのを感じて、俺は顔を上げた。
「お、おいっ? 部屋凍らせるなよ! 掃除が大変なんだから!」
「大丈夫です、僕がそんなことすると思ってるんですか?」
「いやお前ここに初めて来た時やっただろ!」
「その時とは大分変りましたよ、状況とか、心情とか、いろいろ…………出来た」
「? 出来たって何が――――って冷てえ!」
 凍らないまでも冷たい雪の手が、俺の手を包む。雪にとっても、俺の手は熱いはずなのに、一体なんだ? と思って見てみると、左手の薬指に、氷でできた指輪が嵌っていた。雪の薬指にも同じものが嵌っている。しかし不思議なことに、その指輪は冷たくはあるが、俺の手の熱でも解けない。水晶のように透き通った美しい指輪は、俺の薬指で変わることのない輝きを放っている。形容出来ないような美しさで、光に当たると不思議な色を見せてくる。思わずマジマジ見つめていると、雪が口を開いた。
「……何これ?」
「僕たち一族に伝わる秘術です。一生に一度しか作れませんが、自分が決めた人に、渡すしきたりなんです」
「えっ?」
「順番、逆になってしまいましたが、伝えておきますね。林道さん、僕、林道さんが好きなので、伴侶になってずっと一緒にいてください」
「……………………はいっ?」
 今、なんつった。
「了承を頂けてうれしいです。ありがとうございます、幸せにします」
「いやいやいや、今のはそういう『はい』じゃない! つーかちょっと待て!」
 首を勢いよく横に振ると、雪はきょとんとした顔で俺を見た。頭が混乱状態で考えがまとまらない。今の俺は状態異常だ、何で回復できる? 残念ながら、木の実や薬は手元にない。俺は混乱したまま、戦わなければいけないのか、この現実と……。
「えーっと……あの」
 ハンリョ? こいつ今俺に伴侶っつった? 寒い部屋だというのに背中に流れる汗を感じて、俺は恐る恐る聞き返す。聞き間違いかもしれないからな。
「は……般若?」
「伴侶です」
 伴侶だった。聞き間違えじゃなかったのか。
「…………あのさ、お前、えーっと、何から聞けばいいのかわかんないけど、とりあえず……お前、俺のこと好きだったの?」
「好きですよ? 最初から言ってたじゃないですか」
「いや、最初のはお前、あれだろ!? なんか人間の師匠として気に入ったみたいな、冷たいところがいいみたいな……そうっ、お前そもそも俺のこと師匠にするって言ってたじゃん!?」
「はい、林道さんは、僕の師匠であり、僕の伴侶にしたい方です」
「そんな二つも役割は無理だ! どっちかひとつに絞れ!」
「では伴侶で」
「やっぱ今の発言なし!」
「わかりました」
 頷いた雪から目線をそらし、背を向けた。ひとまず深呼吸、落ち着け、落ち着くんだ林道時雨、こいつは未だに世間知らず街道ばく進中だから、自分が何を言っているかわかってないだけなんだ。そう自分に言い聞かせて、後ろを振り返る。
 目の前に、雪の顔があった。
「近っ!」
「急に後ろを向いてしまったので、何かあったのかと。悩みなら相談にのりますよ」
「おおお、お前のその無駄に前向き発言は最初から本当に変わんねえな……!」
 悩みの種にそんなこと言われても、こっちだって対応に困る。いや、そもそもこいつは何もわかってない。ならば師匠として、教えてやらねば。今更な師匠面に自分でも少し引いたが、これは俺にも関わってくることだ。俺は一つ深呼吸して、雪を見据えた。無駄に綺麗な顔が、目の前にある。
「……あのさ、雪」
「はい」
「あ、と……お前の気持ちは、嬉しいよ。ありがとう。でもさ、人間社会では男同士ってのはあまり認められてないんだ。それに、お前はわかってないのかもしれないけど、その好きって、恋愛的なもんじゃないと思うんだよ。お前、俺にキスしたりエッチしたりしたいとか思うか? 思わないだろ。お前のそれは勘違いだよ、なんつーかこう……お前の好きって、師匠に対する尊敬の念も入ってんじゃないかな。それを」
「林道さん、僕の気持ちが嬉しいんですね。僕も嬉しいです。ありがとうございます」
「いや、うん……そうだけど、あの、後半の話聞いてた?」
「はい。人間は雄同士は駄目なんですよね。でも大丈夫です、僕は人間じゃないので」
「あっ、あー……うん、そうだけど……そういう話じゃなくてな……」
 どういえば伝わるんだこの天然雪女に。俺が考えあぐねていると、雪が口を開いた。
「それに、林道さん、間違ってます。僕は、林道さんと繁殖行為をしたいです」
「………………え」
「キスしたいですし、林道さんに触れたいと思います。勘違いではないです」
 まっすぐ目線を返されて、逆にこっちが照れる始末。やめてくれ、俺は今まで二次元世界では何百という女の子に告白されてきたが、現実で誰かに告白されるのは初めてなんだ。
 どうすりゃいい、どう答えれば!? 俺がまごつきながら何て返そうか慌てふためいていると、雪が俺の手を握ってきた。温度は調節されているので、そこまで冷たくはない。けれど、強い力で握られて、振り払えない。背の高い雪が俺の目の前に立つと、やたら威圧感があるのに、今はそれがあまり感じられなかった。少し屈んでいるからかもしれない。ずい、と雪の顔が近づいてきた。
「っ……!」
「最初は、もの珍しかったんです。普通に罵倒してくる人も、雪に埋もれている僕を無視する人も。ああしていると、大抵すごく心配されるか怖がられて逃げられましたから」
「…………あ、ああ」
「本当は、林道さんに声をかけられる前も、いろんなところで雪山に埋もれていたんです」
 何やってんだお前。けど、どうしてか口を挟むことができなかった。
「でも、無視して進もうとした挙句、僕が生きてることを知っても尚、無視して行こうとしていた人は初めてだったので、逆に気になってしまいました、林道さんのこと」
「……あー……」
 確か、欲しいゲームがあったんだっけ。まさかそれがきっかけになるとは思ってなかった。こいつと一緒に暮らすことになるなんて、考えもしなかった。
「それから、一緒に暮らしている内に、段々林道さんが好きになっていきました」
「う……」
「林道さんはなんでも知っていて、僕のことを否定しません。間違って凍らせると怒られますが、林道さんになら怒られても嬉しいんです、僕。林道さんが笑うと嬉しいし、一緒にゲームしていると楽しい。冷たい林道さんも魅力的ですが、いつまでいるのかと聞かれたときは、泣きたくなりました」
「お、おい」
「僕に厳しい林道さんも好きですが、優しい林道さんも満たされるんです。こんな気持ちは初めてなんです。林道さんといると、温かい物は苦手なはずなのに、林道さんと手を繋いでいたくなる。ずっと林道さんと一緒にいたいと思うんです、林道さん、僕は」
「ちょっ、ま、待って! 手痛いから!」
 握られていた手が、最初は冷たくも痛くもなかったのに、雪が話を続けるにつれて、どんどん体温が下がっていった。最終的には、霜焼け寸前の温度まで下がったので、俺は慌てて手を離す。雪もそのことに気付いたのか、焦ったように頭を下げてきた。
「あっ、……す、すみません……」
「いや、もう慣れた……け、ど……?」
 そう、慣れた。そりゃそうだ、もうこいつと暮らして何か月になると思っている。こうやって凍らされるのも慣れた。けど、見上げた瞬間、目に飛び込んできた雪の顔は、見慣れたものではなかった。
「……っ普段は調節できるんですが、興奮すると、体温調節が難しくなるんです……」
「あ、ああ……」
 赤い。
 顔がめっちゃ真っ赤。え、もしかして、照れてんのか? あの表情筋死んでるんじゃないかってくらいの無表情が? 普段白い顔をしているだけに、赤くなるとわかりやすい。ていうか、こいつ、こんな顔もすんのかよ。照れたように顔を手で覆っている。
 ……普段は無表情で、慇懃無礼なくせに。なんだかこっちまで照れるだろ。俺自身も、顔に熱が集まっているのを感じて俯いた。なんなんだこの空間は。こんな空気が許されるのは二次元のBLゲームとかくらいじゃねえの? 俺がいくらゲームが好きでも、そっちは守備範囲外だ。しばし沈黙が続いたが、やがて雪に肩を掴まれ、視線がかち合った。
「というわけで林道さん、……僕は林道さんが好きです」
「う、あ、おう……」
「勘違いではありません」
「わ、わかった、わかりました」
「林道さん」
「う……」
「返答、お願いします」
 じっと見つめてくる雪の青い瞳から、目が逸らせない。なんだか胸がドキドキする。いや、待て、違う。別にドキドキなんてしていない。けれど心臓を押さえると、鼓動が掌に伝わってくる……って、待て待て、こんなの勘違いだ。けれど、なんだか顔が熱い。よく考えると、俺、他人から告白されるのって現実だと初めてなんだ。誰かに好意を寄せられたことなんてなかったから、どう返せばいいのかわからない。どうしよう、なんて答えればいいんだ?
 そもそも、俺、男なんだよ。こいつは完全無視しているみたいだけど、よくわからない理屈を展開して有耶無耶に出来るもんでもないだろうに。とりあえず、問題点を上げていく。
「……お、俺、雪山とかで暮らせないし」
「林道さんが望むなら、人間世界で暮らします」
「……いや、お前ら絶滅の危機に瀕してるから人間雪山に連れてくんじゃ」
「そう言ってる人もいますが、僕は別にかまいません。そもそも、僕らは伴侶が一番大切なので、そんなことはいいんです」
「…………俺、男……」
「構いません、気にしません」
「えーっと、あー……」
「林道さん、林道さんは、僕が嫌いですか? そうなら言ってください。死ねって」
「極端かおい! いや、嫌いじゃないけど……」
「じゃあ好きですか」
 だから、なんで二択なんだよ。そして、どうして俺は悩んでるんだ。ぐちゃぐちゃと混ざる感情に、俺は妙なことを口走った。
「…………お前、他にもっといい奴絶対いるぞ」
「いません」
 そんなきっぱり言うな。絶対いる。いるに決まってる。なのに、まっすぐ見てくる雪に、俺はたじろぎながら答えた。
「…………いるって」
「いません」
「……俺でいいのか、マジで」
「はい。林道さんがいいです」
 そう言って、雪はにっこり笑った。
「っ〜〜〜……!」
 負けた。赤くなった顔を両手で覆って、その場にしゃがみこんだ。
 ……わかったよ、もういいよ、俺の負けで! ゲームオーバーだ。俺だって、お前のことは嫌いじゃないんだ。最初はあれだったけど、暮らしている内に、一緒にいることが日常みたいになっていったし。今更出て行かれたら、こっちだって気になって仕方ない。彼女もいないし、大家にはもともとそういう風に思われてるんだ。事実になるだけ。大体、その笑顔は反則だろう。
「……お前さ……」
「はい」
「後悔すんなよ」
「しません。これでも結構待ったんです。本当はビルの屋上で言いたかったですし」
「ビル?」
 この真冬になんでビルの屋上に連れていかれなきゃいけないんだ。突き落とす気か。すると、雪は近くのテーブルに置いてあったパッケージを手に取り、俺の前へ掲げた。
「これで、学びました。相手を確実に落とす方法。屋上で、星がきれいな空の下言うのがいいみたいです」
 目の前に掲げられたのは、恋愛ゲームのパッケージ。得意げに言う雪がなんだか俺はおかしくて、その場で吹き出した。
「林道さん?」
「だから、それは男女の話でっつーかそもそも二次元……いや、もういいよ。おい、ゲームしようぜ」
「はい」
 俺たちは二人で笑いあうと、パソコンの電源を入れて、コントローラーを握った。元々、こいつを人間社会に馴染ませたら俺の勝ち、ゲームクリアって思ってたんだけど、これって、一体何エンドなんだろうな?



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