それから、また数日が経った。雪が帰ってきたのはまあいい。生活がまた元に戻ったと考えればどうということはない。ただし、そこに一人増えるとなると、また話が変わってくる。
「では林道さん、僕は仕事に行ってきます」
「おー、俺は今日休みだから家にいるわ」
「わかりました。では」
「いや、お前出る前にこいつも連れてけよ」
「雪兄! 行っちゃやだあーー」
 ソファの上で転がりながら足をばたつかせている六花を指さすと、表情の乏しい雪にしては、心底面倒そうに顔を顰めた。
「窓から投げ捨てて構いません。林道さんならそれくらいするでしょう」
「しねーよ。お前俺をなんだと思ってんの」
「しないんですか?」
「当たり前だろ! 見た目14そこらの子供を窓から放り投げるって俺はなんなんだよ! 鬼か!」
「僕はそんな林道さんも好きですよ」
「だからしねーよ、あたかも普段してるみたいに言うな!」
「まあまあ、では、遅刻するので僕はこれで」
「あっ、おいこら!」
 待て、という言葉を言い終える前に、扉が閉まった。逃げやがったあの野郎、人を誤魔化す能力が伸びたあたり、またなじみ始めてきた気もする。後にはソファの上で転がっている六花と、その隣にいる俺だけが無言のまま残る。俺は目線だけ動かして六花を見ると、六花はものすごく俺を睨んでいた。なんでだよ、俺何かしました?
「……なんだよ、何睨んでんだよ」
「べっつにぃー、ただ、雪兄はお前みたいなやつのどこがよかったのかなって思っただけ」
 冬だというの短めのキュロットから伸びた白い足をクッションの上に載せながら、口を尖らせる。自分の冷気をコントロールできていないのか、クッションが凍り始めていたので、俺は無言でクッションを取り上げた。バランスを保てなくなった六花はその勢いでソファの端に頭をぶつける。
「痛っ、何すんの!」
 多分、ブラコン気味なこの弟は、自分の大好きな兄が俺のところにいることが気に入らないんだろう。でも、そのことを俺に言われても困る。
「クッション凍らせんな馬鹿。雪がここにいるって言ったんだから、仕方ないだろ」
「うあーー! 何それ! 自分は雪兄のことわかってますアピール!? ムーカーつーくー! ばーかばーか!」
「そんなこと言ってねーだろ!」
「言ってるじゃん! もー雪兄のバカバカバカバカバカバカ! なんでよりによってこんな冷血男を伴侶に選んだの!? 意味わかんない!」
「あいつが冷たいモノ好きだからだろ! つーか雪女なんて皆そんなもんじゃ……………………ハンリョ?」
 待て、今聞き覚えのない単語が聞こえたような。しかし当の六花は顔を赤くして俺に怒鳴ってくる。流しちゃ駄目な言葉だっただろ。冷たい汗が流れる俺を無視して、六花がまくし立ててくる。
「雪女族が皆冷たいもの好きとか嘗めてんの? あったま悪ッ、大体雪兄だってボクが冷たくしたらそのまま無視するんだよ!? 冷たいのが好きなわけないでしょっ!」
「いや、待て。待て待て待て待て! ちょっと待って! つーかハンリョってなんだよ。師匠の言い間違いか!?」
「ハァ!?」
 俺の問いに、六花が思い切り眉を顰めた。その勢いに、思わず少したじろぐ。えっ、俺、何か変なこと言った!? 狼狽える俺をよそに、六花の顔はさらに険しくなった。
「お前みたいのがかっこいい雪兄の師匠になれるわけないでしょ!」
「いや、だ、だってあいつそういう理由で、こっちに来たんだろ……!?」
「はああ〜〜?」
 なんだ、まるで俺がおかしいみたいな顔してるけど、今俺が言った言葉は全部雪が言ったもので、俺は嘘なんて一つもついていない。そんな俺が師匠と呼ばせてるみたいな痛い人扱いしないでくれ。
 六花は「何ふざけたこと言ってんだこいつ」とでも言いたげだ。どこかで、何かが食い違っているのかもしれない。落ち着け、話を整理しよう。少し焦りながら、六花に問いかける。
「えーと……お前らって、住んでた雪山が人間に開発されて、住むところなくなったから、人間を師匠にして人間界に馴染むためこっちに来たんだろ?」
「……確かにボクたちは住むところは追われちゃったけど、全てがなくなっちゃったわけじゃないよ。お父さんはまだ雪山に住んでいるし」
「え、じゃあ……」
「ただ、ボクたち種族も大分少なくなっちゃったし、このままだと絶滅しちゃうから、人間捕まえて子孫繁栄させるために下りてきただけ」
「……………………」
 あどけない顔ですごいこと言い出した。何その理由、初耳だよ。
「…………あー……、それで、俺が雪のハンリョとか言い出したのか? あのさ、俺男だから。子孫繁栄無理だから」
「は? 雪女族は基本的に性別とか関係ないから」
「えっ」
「雪男族だと、交わるには性別は雌じゃないとだめだけど、雪女族だったら相手の性別がどっちでも大丈夫なの。っつーかボクたちが下等な人間なんかを師匠にするわけないでしょ」
「…………んんん〜〜」
 頭痛くなってきた。
 なんだろう、今まで非常識とはいえ、まだ理解できる範疇の毎日を送っていたのに、ここに来て、突然非日常的な単語が飛び出してきたぞ。そんなゲームみたいなことがあっていいのか? エロゲが飛びつく設定だな。つーか、性別が関係ない? 何だそれどういう仕組み? いや、それ以前に唐突過ぎて頭が全然ついて行かないんだけど。頑張れ俺、負けるな俺。正直、六花は猪突猛進的なところがあるから、勘違いして突っ走っている可能性も高い。
「…………あのさっ」
「何?」
「ほかの奴はどうだか知らないけど、雪に関しては、お前の勘違いじゃね? 雪は今までそんなこと言ったことねえし、俺のところである程度社会性身に着けてからハンリョを探しに行くんじゃ……」
 そう言いかけたところで、大量の冷気が部屋中を包んだ。ぶわりと広がった風がソファから床、家電製品まで凍らせ始めたので、俺は焦って六花を止める。ただでさえ雪のせいで壊れやすくなっている電化製品だ。また氷攻撃を食らったら、今度こそ全部逝ってしまうかもしれない。
「お、おい! やめろって!」
 俯いている六花の肩を掴むと、鋭い痛みが走る。忘れてた、こいつらの体って調節してないとドライアイスみたいなもんなんだ。
「いっ……!」
 霜焼けにでもなりそうな冷たさに、慌てて手を離す。
「……勘違いって……、あの雪兄があんなに優しくしてたのに、勘違いって…………」
「…………六花、くん?」
「お前、本当マジふざけんなよ……?」
「いって! いいいいちょっ、ちょっと待って!」
 六花が人差し指を俺の手首に当てると、氷の輪が俺の手首を覆った。こんなことも出来るんだ、スゴーイとか感心している場合じゃない。冷たすぎてやばいっつーかこれ下手したら凍死するんじゃね!? 氷漬けにされる!  こ、殺される!? 雪に初めて会った時の恐怖が蘇ってきて、別の意味でも震えた。俯いている六花の表情は読み取れないけど、怒っているのだけは確かだ。
「いったっ、ちょ、六花、なんかごめん、俺が悪かった、マジすみません! だからやめて! 本当、痛いからこれ! 雪も悲しむぞ!」
 雪の名に反応したのか、六花は不満げな顔をして俺を見たけれど、こっちは手首が霜焼けになりそうでそれどころじゃない。気が付けば靴下が床に凍ってくっついてるし、どうするんだよこの惨状!
「お前……雪兄とどこまでいったの? 子孫繁栄したの」
「してないしてない! するわけないだろ!? 俺らそういうんじゃないからね!」
「……雪兄がお前に取られちゃうくらいなら……」
「っ!?」
 ぐっと、六花の顔が近くに迫って来た。同時に冷気が俺の体を包み、ますます持って震えが止まらなくなってくる。俺の顔色、今やばいことになってない? 人生で一番青くね? なんだこれ、もうどうなってんのか全然わかんねー、俺このまま死ぬの? 幼いと思っていたけれど、今は氷の様に冷たい表情の六花が、とても恐ろしかった。
「……人間なんて脆弱なくせに……、すぐ寒さで死んじゃうくせに……!」
「っ……」
 いや、死ぬのはごめんだ。だってまだやりたいゲームとか沢山あるし、つーかなんでこんなガキに氷漬けにされて死ななきゃいけないんだ。パキパキと音を立てて凍り始めていた足の力を振り絞って、靴下を脱ぐ。最初から、こうしていればよかったんだ。
「お前みたい人間、ボクが……」
 俺は、渾身の力を込めて六花を蹴り飛ばした。
「っ……ど、けっ……!」
「ひゃあっ!」
 人外といっても、まだ子供。成人男性の力には敵わずそのまま後ろへ転がった。それと同時に、手首の氷も砕け散る。六花が冷気を出すのはやめたらしい。部屋の氷が、じわじわと溶けていく。……ああ、部屋がまたずぶ濡れに……。なんて思ってる場合でもなく、俺は冷え切った手首をすぐさま水道の蛇口から出るお湯に浸した。壊れていなかった暖房をマックスに切り替え、毛布を上から被った。
「……お前……本当ふざけんなよ……ここ追い出されたらどうすんだ……」
 とは言ったものの、少し怖かったので、部屋の隅から声をかけた。子供相手でも妖怪は妖怪。六花はまだソファ近くで俯いたままだった。その大人しさが、逆に怖かった。雪もだけど、こいつももう少し人間社会の常識を身につけた方がいい。人間の部屋を凍らせてはいけませんという常識をな。
「…………く……に……」
「は?」
 ぼそりと、六花が何かを呟いた。俺が聞き返すと、六花は勢いよく立ち上がり、俺を睨みつけた。
「人間のくせに! ボクを蹴り飛ばすなんて!」
「え」
 いやだって、命の危機だったんだから、正当防衛だろう。あそこで俺が蹴り飛ばさなかったら、俺が死んでたんだろ。しかし六花は俺の意見など聞く気はないようで、顔を真っ赤にしながら目に涙を浮かべた。
「大体、お前最初から気に食わなかったんだよ! こんなに可愛いボクを前にして、ボクを好きにならないしっ、冷たいし!」
「えー……」
 こいつもいろいろ無茶を言う。人間、容姿だけで、好きになるわけじゃないんだぞ。
「ほかの人間は、ボクのこと皆可愛くて大好きっていうのに!」
 ……いや、まあ、そういう人間もいるけど。容姿もそりゃあ大事だけど、凍らせかけておいて、好きになれというのも大概無茶な話だと思う。どんなマゾ野郎だよ。口を挟む暇すら与えてくれず、六花は俺に向かって怒鳴りつける。
「大体、雪兄にあんなに優しくされておいて、勘違いなわけないだろ! お前なんて、お前なんて……!」
 ぐっと、涙を堪えるようにして、叫んだ。
「だいだいだいっ大っ嫌いだー! 絶対に認めないからなーー!!」
 そして、そのまま泣きながらアパートを出て行った。しかも、ちょうど大家が取り立てに来ていたらしく、玄関のところですれ違ったらしい。俺を蔑むような目で見る大家と一瞬目があった。一瞬の静寂、そして、扉が閉まる。
 多分、今大家の中で俺は男と付き合いながらも美少女を泣かせて部屋から追い出した酷い男に成り下がったのだろう。違います、誤解です。俺はそんあ最低やろうではないし、振り回されているのは俺の方。泣きたいのはこっちだっての。けど、あんな風に泣かせたのは、少しやり過ぎだった気がしないでもない。あいつはただ単に、兄を取られて悔しかっただけだろうに。
「…………どうしよ」



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