「榮太郎、どうしよ、東君に告られた……ね、どうしよ……夢じゃないよね?」

 数日後、かん奈が泣きそうな顔で俺に告げてきた言葉に、俺はよかったな、とだけ言った。本当は、少しだけ胸がズキズキしたけど、それはきっと、大好きなヒーローが他の人のものになってしまう喪失感からくるもので、失恋とか、そういった類のものじゃない。
 かん奈の恋が実ったのなら、それは喜ぶべきことだ。俺はへらりと笑いながら、肩を叩いた。

「おめでと」
「ありがと……ね〜、やばい、嬉しい、泣きそう……夢じゃないよね? これ……」
「あはは……」

 うれし泣きなのか、目尻に涙が浮かんでいる。そこにいるのは、ヒーローでもなんでもなくて、ただの同い年の女の子だ。俺は少しだけ、胸がちくちくした。

「ねえ、榮太郎」
「ん?」
「私と東くんの未来、榮太郎見える?」
「…………は」
「いや、どうなるのかなって、……榮太郎ならわかるでしょ?」

 かん奈が、純粋な眼差しで聞いてくる。

 ”あいつが言った通りのことが起こるんだよ、あいつって、悪魔だよ悪魔!”
 ”やだー、気持ち悪い”
 ”あーくま! あーくま! どっか行けよえーたろう!”

 子供の頃、自分の超能力を言い触らした結果、悪魔だとからかわれ、いじめられた記憶がうっすらと蘇る。あの時もかん奈は俺を信じて、助けてくれた。
 予知能力なんて、ヒーローみたいで格好いいね、と言ってくれた。かん奈が俺の能力を本当に信じていたのかなんんてわからない。わからないけど、どうでもよかった。ただ、信じて、肯定してくれた。それだけで、俺は救われたんだ。
 今では、言い触らしたところでプラスになることはないってわかったから、誰にも言わないけど、かん奈はまだ、その時のことを覚えていてくれたんだな。

「……何言ってんのかん奈。そんなのもうとっくに見えないって。あんなの子供の時の話だよ」
「そうなの?」
「うん。でもかん奈のことは、うまくいく様に応援する」
「なーんだ、格好良かったのに。でもま……ありがとっ、榮太郎!」

 俺の言葉にかん奈はにっこりと笑う。俺も、笑いながらこれでいいんだと思った。





 思ったのに、なんだこの状況は。

「東くん、あのー、無理して食べなくても大丈夫だからっ、マジで!」
「なんで? かん奈ちゃんが作ったんでしょ? 美味いよ。なあ榮太郎」
「ああ、うん……」
「そ、……ですか……。お粗末様デス……」

 真っ赤になるかん奈は、俺から見ても可愛いと思う。前までがさつというか、細かいことは気にしないというか、料理なんてしようと思うタイプじゃなかったのに。週末、東が家にくるから俺に料理を教えて欲しいと言ってきたときは驚いた。
 ただ、俺が教えたのはあくまで基本的なことだけで、このグラタンだとかスープだとかを作ったのはかん奈だ。普段料理をしないかん奈からしてみれば、よくできていると思うけど、なんで俺がここにいるんだろう。
 東とかん奈の間に挟まれて、俺は一人グラタンを咀嚼した。

 かん奈と東がつきあい始めてから三週間が経った。
 かん奈も東もそれなりに人気があるから、その噂はすぐに広まって、今ではクラスに留まらず、別のクラスの人間も知っているほどだ。
 でも、何故かそのつき合いに俺も巻き込まれている。

「……俺、そろそろ帰るよ」
「えっ、なんで榮太郎!? もうちょっといなよ!」
「そうだよ、用事でもある?」
「いや、用事っていうか……」

 そもそも、俺がここに居ることがおかしいだろう。つき合ってる二人の間にいる俺はなんなんだよ?
 なんでそうやって、二人で俺のことを不思議そうな目で見る。

「邪魔でしょ、俺がいたら」
「じゃ、邪魔じゃないって!」
「うん、俺も榮太郎と話してると楽しいし。あ、もちろんかん奈ちゃんと話すのが楽しくないって言ってるわけじゃないから!」
「え!? う、うん、私もだよ! はは……」

 ……なんだこのカップル。
 俺は小さく息を吐いて、二人を眺めた。かん奈は、東とつき合い始めてから、少しだけ前よりおしゃれをするようになった気がする。前は全然いじってなかった髪の毛も、今は綺麗に編み込まれているし、すっぴんだった顔も、うっすら化粧をしている様に見えた。
 東は、前と変わらずだけど、かん奈の前だと、心なしかいつもより笑顔が優しい気がするし、要はこの二人、お似合いだ。
 応援するとは言ったけど、俺にできることなんてまずないし、何もしなくてもうまくやっていけるだろう。そう思った。だから、此処にいても邪魔になるだけ。

「いや、俺は帰るよ。あとは二人、で……っ!?」

 立ち上がって帰ろうとした瞬間、突然目の前が霞んでくる。あ、やばいこれは。俺はすぐに顔を抑えた。

「榮太郎?」

 『……私、ふられちゃったあ……っ、何がだめだったのかなあ……』

 映像が見えた。
 雨の中、泣きじゃくって立ち尽くすかん奈の姿。その映像は一瞬で消えて、目の前で心配そうに俺を見つめる二人の姿に切り替わった。
 俺は息を飲んで二人を見つめる。

「っ……!」
「ど、どうしたの? 頭痛い?」
「大丈夫か? 榮太郎」

 未来予知。
 いつものごとく、少ししか見えない。けれど、その一瞬でも、かん奈が悲しんでいることは明らかだった。
 この未来予知は、いつ起こる出来事か、なんてわからない。でも、確かなことは、少なくとも近日中。そう遠くない未来に起こる出来事なんだ。心臓が早鐘を鳴らし、俺は震えながらかん奈を見つめた。かん奈は、心配そうに俺に手を伸ばしてきた。
 東が、かん奈を振る? こんなに仲良さそうに見えるのに、どうして東がかん奈を振るんだよ、そんなのだめだろ。
 だって、このままだと、かん奈が……。

「榮太郎?」

 かん奈は、何も知らない顔で俺に問いかけてくる。
 ……俺はへらっと笑って、手を振った。

「なんでもない。それじゃ俺帰るから。また明日な」
「あ、榮太郎……っ」

 続く言葉を無視して、俺はかん奈の部屋を後にした。
 心臓の音が、いつもより大きく聞こえた。部屋を出て歩いていく足が、にわかに震えていた。どうしよう、かん奈が振られちゃう。
 このままだと、かん奈が泣いてしまう。もし、かん奈が振られてあの未来が来てしまったら、俺はなんて言えばいいんだろう。どう慰めればいい。いっそ俺が、そう思ったけど、そんなことできるはずもない。
 東と同じ高校に入ってから、ずっとかん奈は東の話をしてた。あんな風に、誰かを純粋に好きだって笑うかん奈を見るのは初めてで、だからこそ俺は応援したいって思ったんだ。振られたら俺が、なんて浅ましいにもほどがある。そもそも、俺はそういう意味でかん奈を見ているんじゃない。
 だったら、俺はどうすればいい。そんなの、一つしかない。

 あの未来を変えなくちゃ。

****

 家に帰ってから一人、ずっと悩んでいた。スマホを握りしめ、東とかん奈の名前をなぞる。

 まず、どうすればいい。
 何をすればいい。どうすれば、あの未来を変えられる? かん奈が泣かなくて済む? かん奈は、東にふられたから泣いてた。じゃあ、まずは東に話を聞かなくちゃ。
 スマホを操作して、東にラインを送る。今日はかん奈と一緒にいるかと思ったけど、東はすぐにメッセージを返してきた。
 かん奈の家をもう少しで出るから、その後会おう、ということ。俺が家を離れてから三時間くらいしか経ってないけど、もうかん奈の家出るのかよ、と思ったけど、好都合だ。あの未来予知は、直近の間に起こりやすい。行動は早ければ早いほどいい、はずだ。
 待ち合わせは、この間のカラオケ店。俺はどうすればいいのか、自分でも考えがまとまってないくせに、なんとかしなくちゃという、それだけの気持ちで、カラオケへと向かった。





「よっ、榮太郎」
「ごめん、東。かん奈と居たのに……」
「榮太郎から話があるなんて珍しいからさ。どうしたの?」

 部屋に案内されながら、東がにこやかに訪ねてくる。
 部屋に入ると、俺は、なんて言ったらいいものか、悩みながらへらりと笑った。

「あー、えっと……か、かん奈とどんな感じかなって……」
「ん?」
「いや、その、かん奈って俺の知る限り、全然男とつき合ったことないし、なんていうか、大丈夫かなって……。いや、東相手なら大丈夫だと思うんだけど、俺も一応幼なじみとしてな!? し、心配っていうか」

 いや、何言ってんだろう俺。そんなの俺関係なくね?  幼なじみだからなんだよ、何言ってんだこいつって絶対東に思われてる。俺だってそう思うもん。ああ、やっぱり考えがまとまってからいけばよかった。ちらりと東を見ると、東は神妙な面もちで、俺を見つめていた。

「……東?」
「ん? やあー……、榮太郎結構するどいなって」
「え?」
「…………これさあ、引かないで聞いてほしいんだけど」
「う、うん」
「…………俺、ぶっちゃけ、童貞なんだよねー…………」
「………………は?」
「あ、今笑った!?」
「いや、笑ってない! っていうか俺もだし、仲間! っていうか、いやその、ごめん、東が童貞って意外すぎて……っ、その、女の子とつき合うの、かん奈が初めてじゃない、だろ?」
「まあ、何人かとはつき合ったことあるんだけど……」

 言い淀む様子に、俺は問いかけた。
 だって、こんなの意外すぎる。東はモテるし、色んな女子から好かれてるし、つき合ったこともあるって言ってたから、てっきり経験済かと思ってたんだけど。東は口ごもりながら、普段の堂々とした様からは想像できないような赤面で声を震わせた。

「女の子の気持ちとか、俺全然わかんないんだって……」
「あ、東がぁ?」
「なんだよ、東がって」
「いやだって、東って人の心掴むのうまいし、コミュ力も高いのに……」
「いやいやいや、すっげー本とか読んで勉強してんの俺。失敗しないようにしてたらなんか、こういうキャラで固定されちゃったから、今更失敗とか童貞とかバレたらどうなんだろって考えると、後込みしちゃって、発展する前に別れちゃうんだよ、毎回。だから今回もそうなりそうって予感はあってさ……」
「で、でも、東なら、女側から迫られることだってあるだろ?」
「……ある、けど。でも、かん奈ちゃんはそういうタイプじゃないじゃん」
「う……」

 確かに、言いたいことはなんでも言うタイプのかん奈だけど、恋愛に関しては奥手だ。そうじゃなきゃ、想いも伝えず俺に東と話せたこととか、嬉しそうに報告してこない。東は悩んでいるような表情で、顔に手を当てた。

「かん奈ちゃんと話すのは楽しいし、一緒に居て楽しいんだけど、俺から告白したのに。今日だって榮太郎挟んで話して、なんか、それも申し訳ないなーって」
「べ、別にエッチだけがつき合うってことじゃないと思うし、その、二人でやってけば……」
「んー……多分、無理」
「えぇ……なんで?」
「なんていうか、初めてだからこそ、ちゃんとしたいってのもあるし、情けない話だけど、失敗するのも怖いし」
「でも……」

 でも、そんなこと言ってたら一生童貞じゃね? いや、東に限ってそれはないと思うけど、思わぬ所で東の面倒くさい一面を知ってしまった。これがただの知り合いとかなら、大変だな、で済ませられるけど、今はまずい。だってそれって、かん奈ともうまくいかないってことだろ?
 このままだと、東はまたそれが原因でかん奈と別れちゃうかもしれないんだろ?
 『……私、ふられちゃったぁ……』
 頭の中で、目を真っ赤にして泣いているかん奈の顔がよぎった。
 ……だめだ。やっぱり、かん奈にあんな顔させたくない。

「かん奈ちゃんとのこと、応援してくれたのにごめんな榮太郎、俺やっぱ……」
「ま、待って!」
「え?」
「別に、かん奈のこと、嫌いになったわけじゃないんだろ? ただ、失敗するのがイヤなら練習なり勉強なりすればいいだけだって……! 俺、協力するし!」
「練習って言っても、映像とかじゃ限界があるし」
「そ、それは……」

 それは確かにそうだけど、だからってかん奈以外の女の子にやらせたりもできないし……。どうしよう、どうする?

「に、人形相手にとか」
「それ、やったことある」
「え、えっと、じゃあ……」

 やったことあんのかよ。ちょっと怖いな。
 いや、今はそんなこと思ってる場合じゃない。鼓動が早くなる。口元が自然と歪んだ。こうやって、困ったときにすぐ笑っちゃう癖、自分でもどうにかしたいって思ってるのに、なかなか直らない。

「お、俺が練習台になるから……」
「…………」
「いや、やっぱそれもだめだよな。男相手とか気持ち悪いし、えっとじゃあ……ちょっと待って、考えるから……」
「榮太郎はいいの?」
「え?」
「榮太郎は、なんでそんなに俺に協力してくれんの?」

 じっと見つめられて、俺は息を飲んだ。
 なんで? そんなの、かん奈が東にふられてほしくないから。あの未来を見たくない。かん奈と東に幸せになって欲しい。いや、違う。

 かん奈に笑っていてほしいから。

「す、好きだからだよ、東も、かん奈も」
「…………」
「だから、二人のこと応援したいっていうか……」
「そっか」

 俺の言葉に東は笑い、そっと顔を近づけてきた。

「え」

 東の顔が、どんどん近づいてくる。瞬間、脳が痛んで、ゼロ距離の東の顔が浮かんできた。これも未来予知。でも、そんなの見る前から、もうこんな映像予想はできてる。
 多分これは、練習だ。そう思って、ぎゅっと目をつむると、唇ががつんとぶつかる。

「だっ……!」
「いたっ……」

 多分、キスしようと思ったんだろうけど、思い切り歯がぶつかって、お互い口元を抑えた。唇がすげーじんじんする。手を離すと、ちょっとだけ東も唇が赤くなっていた。
 無言の中、俺がへらっと笑うと、東も笑った。

「……本番じゃなくてよかったな、東」
「うん、ありがと、榮太郎。やっぱさあ、こう、角度があるのかな」
「どうだろ……俺もしたことないし」
「え、もしかしてファーストキス俺? うわ、それはごめんだよ榮太郎!」
「いいよ、別に……」

 そう言うと、東は嬉しそうに笑った。

「もっかいしていい?」
「……いいけど、東、気持ち悪くないの?」
「なんで? せっかく榮太郎が協力してくれるって言ってんのに、気持ち悪いなんて思わないよ」
「そういう意味じゃ……まあいいや、かん奈ともこれでやってけそう?」
「うん、もうちょっとうまくなれれば」
「そっか……」

 だったら、いいんだ。

****


 それから、生活が少しだけ変わった。
 幸いなことに、俺はあの未来のかん奈を見ていないから、東とかん奈の関係は続いているし、かん奈も、俺に今日は東と何を話しただとか、男の子はどういう格好が好きかとか、色々聞いてくる。
 学校でも東とかん奈は一緒にいるし、すっかり公認というか、つき合っていることが公然とした様に思う。
 かん奈も随分と女の子っぽい格好とか仕草するようになった。
 男子押し退けて男女混合サッカーでハットトリック決めたり、相撲のまねごと稽古でどすこい! とか言ってたり、女子に告白されたとか言ってたのが嘘みたいだ。
 今は前よりも変わって、気にしていたそばかすはファンデーションで隠れるようになり、目も大きくなった。愛嬌のあった顔立ちは、他の男子からも可愛いと言われるようになって、結構モテている。実際、俺のクラスにいる奴もかん奈のことを褒めてたし。
 つまり、お似合いなんだ、東とかん奈は。
 前は、女子から「かん奈とか東くんに釣りあってないよね。ブスだし」とかいう女子の嫉妬の声を聞く機会もあったけど、今はそうでもなくなった。
 磨けば光るタイプだったってことだ。そんなかん奈は、俺にとっても憧れで。
 だから、このままずっと東とつき合っていて欲しい。そう思っているのは本当だ。

 本当なんだけど……。俺はと言えば。

「……榮太郎、いい?」
「うん」

 唇に柔らかいものが重なる。少しだけかかる息に、目を瞑った。ちゅ、と水音が少しだけ耳に響く。背中に回された手が俺の体を抱き寄せ、頭に添えられた手が優しく髪を撫でた。

「ふっ……」

 生々しく耳に響く吐息。少しだけ唇を割り込んで中に入ってくる舌。目を瞑り眉を顰めると、東の舌が俺の咥内をまさぐった。体が揺れると、そのまま抱き寄せられる。

「ん、んん」

 くちゅ、と音を立てて唇が離れると、東は笑った。

 そう、これだ。
 あの日、練習台になると言ってしまった日から、ずっとこれは続いている。東のキスは、どんどん上手くなっていって、たまに俺でも気持ちいいかもとか思っちゃうくらいには、上達している。俺だってキスなんてしたことなかったのに、東が慣れるのは早かった。
 火照る顔が恥ずかしくて、俺は東の部屋のベッドの上に腰掛けた。
 放課後、東は高校生だっていうのに、一人暮らしをしているらしく、練習という体で東の家までやってきていた。かん奈は部活で、今日はまた後で会うという。

「……ちょっと休憩」
「ん。どう榮太郎。俺、結構上手くなったろ?」
「上手いよ。もう練習しなくてもいいんじゃね。……かん奈ともしてんだろ」
「ん、なんで知ってんの?」
「かん奈から聞いた」
「かん奈ちゃんって、結構お喋りだよな」
「まあ、元々よく喋る方ではあるけど……、ってなんでまた、ん、ぅ」
「……は、いや、練習練習」
「……っから、もうしなくていいって。充分うまいって」
「そう?」

 そう。
 もうしなくてもいいと思う。というか、元々俺相手に練習するということ自体が間違っていたんだ。男相手にキスなんてするもんじゃない。
 あの時は、かん奈が振られて泣いたらどうしようとテンパるあまり、変なことを口走ってしまったけど、東はかん奈とつき合ってるんだ。
 正直、俺が女で、彼氏が別の男と練習だと言ってもキスしてるなんて知ったら、それは浮気以外の何者でもない気がするし。
 罪悪感、という訳でもないけど、こんだけ上手くなったなら、もうする必要なんてない。俺としては、あの未来が来なければいいだけなんだ。あれから結構日も経っているし、あの未来は消失したのかもしれない。未来って、以外と変えられるものなんだな、なんて、最近では自分の能力の見直しも考えてるくらい。
 いやそもそも、初めてなんだから、失敗してもいいだろ。人間、誰だって初めてはあるんだ。かん奈だって、東が失敗したからってそれを笑ったりするような人間じゃないし、ましてや誰かに言い触らしたりなんて、絶対にしない。二人で成長していけばいい話だ。
 そう思って東を説得してみようと思ったこともあったけど、東もそこは譲れないみたいで、自分で作り上げてしまったキャラクターを、今更壊すこともできずに悩んでいるみたいだった。
 そう、東は東で、悩んでいる。
 自身で築き上げてしまった「淀川 東」という、なんでも出来る、初めてのことでもそつなくこなす、完璧というキャラを。

「榮太郎、ちょっとこっち」
「……えー……」
「練習、練習」
「もうこれ練習じゃなくて、ただの東の愚痴じゃん」
「榮太郎以外に言える奴もいないんだよ、ほら」

 東はにこにこと笑いながらベッドを叩く。俺がひくりと頬をひきつらせながら、ベッドに横たわると後ろから東が抱きしめてきた。人のことを抱き枕か何かだとでも思ってんだろうか。香水とかの匂いはしなくて、ただ男臭い匂いがした。俺は黙ったまま、東の好きな様にさせる。いつか、かん奈もこういうことされんのかな、それとも、もうされてんのかな、なんて思いながら。
 でも、東はかん奈に対してもこのキャラを崩せてないみたいだから、まだキスしかしてないのかもしれない。
 俺も、正直東のことは完璧な奴だと思ってた。嫌みなくらい何でも出来て、完璧で、誰にでも好かれるような奴って。
 でも実際はそうでもなくて、勉強だって運動だって、めちゃくちゃに努力してて、人の発言にも気を使って、気を配って、そりゃあ神経すり減るだろうなって思うけど。

「あ〜〜〜もう疲れたぁ、なー榮太郎、俺もう疲れちゃった。なんであいつら俺の宿題全部当たり前の様に写してくかなあ、自分でやってこいよ何の為の宿題だよそんなの自分の為にならねえだろ、もうやだ面倒くさいこうやってずっとここに寝てたいよ〜〜」
「…………」

 こんな面があることは、知らなかった。ぐりぐりと肩に頭を押しつけられ、東が愚痴と欲望を垂れ流す。俺は閉口することしか出来なかった。
 東は何でも出来る。実際、努力もしているけど元々器用なんだと思う。その分、頼られるし、負担も大きい。東はなんでもないことの様にこなしてたし、実際俺もなんでもないのかな、なんて思ってたこともあったけど、当たり前にそうじゃなかった。
 東だって人間なんだから、疲れもするし、愚痴だって吐く。思っていたよりもわがままで、甘えたがりで、面倒くさがり。ただ、その矛先が俺になっているのはよくわからないけど。東のことを完璧超人かと思ってたけど、こうやってつき合ってみると、その辺に居る男子高校生とそんなに変わらなかった。むしろ、最初の方は猫をかぶっていたんだろう。別にこんなことしたって、誰も嫌ったりしないと思うけどな。
 ベッドに寝転がりながら、背後から甘えるように耳元で吐かれる言葉に、俺は横目で東を振り返った。

「……もうやめちゃえば? 学校でもさ、東の好きなようにすればいいじゃん。東なら、別にどんな感じでいっても大丈夫だよ、俺だっているし」
「ん〜〜……」
「こういうのはかん奈にやれよ」
「…………もー別れよっかな」
「はぁ!?」
「うわっ」

 ぼそりと呟かれた言葉に、俺は起きあがった。
 手の内から離れた俺を見て、東が不機嫌そうに手を伸ばす。

「榮太郎、こっち」
「わ、別れるってかん奈と? なんで」
「もうやめちゃえばって言うから」
「いや、そっちじゃなくて! っていうか、かん奈だったら東のこう言うところもちゃんと受け止めてくれるって!」
「……ああ、うん。まあ、そうかもしれないけど」

 東はどうでもよさそうに頭をかきながら、起きあがった。そのことに、少しだけ苛立ちが募る。なんだってそんな適当に。東が告白したのに、振られるかん奈はどうなるんだ。東が努力しているのは知ってる。頑張ってることもわかる。でもそれでも、俺が東に羨ましいという感情を抱かないわけじゃないのに。

「かん奈のこと、好きじゃなくなっちゃった?」
「なんで、榮太郎そんな泣きそうな顔してんの?」
「別に、泣きそうな顔はしてない」
「してるよ。ぶっちゃけね、俺は、榮太郎がかん奈ちゃんのこと好きなんだって思ってたよ」
「違う、俺は、そんなんじゃ」
「だから、こういうことする前に、別れた方がいいかなって」
「え……」

 するりと、東の手が俺の詰め襟に延びてきた。ボタンを外し、中に着ていたワイシャツが露わになる。それから、今度はワイシャツのボタンが、一つ、一つ、外されていった。俺は、それを止めることも出来ずにただじっと眺めていた。

「……何すんの」
「嫌なら止めて」
「止めたら、かん奈と別れる?」
「…………榮太郎さあ」

 そこで東は初めて、呆れたような目線を俺に投げかけてきた。体を押され、ベッドの上に倒れると、その上に東がのしかかってくる。普段の、学校に居る東からは到底想像も出来ない位、冷たい眼差しをしていて、俺は少しだけ緊張する。はだかれた胸元に、東の手のひらが、心臓を押すように乗せられた。

「いくらなんでも、練習にしたってこれは出来ない、とか言えない訳? 今何されそうになってるか位わかるだろ」
「…………俺は女じゃないから、流石にそこまでの練習は難しいと、思う、けど」
「そういうことじゃなくて。かん奈ちゃんの為ならなんでもするその姿勢のこと言ってんの。俺がここでかん奈ちゃんとセックス出来そうにないし、別れるから練習させてって言えば、榮太郎はそれに従う?」

 その言葉に、俺は口を結んだ。

「榮太郎が俺とかん奈ちゃんが別れないように応援するのって、かん奈ちゃんが悲しむところ見たくないからだろ。
「そ、れは……」
「好きなのは、俺じゃなくてかん奈ちゃん、だろ」
「…………かん奈が」

 喉が乾いていた。
 乾きすぎて、喉がくっついたみたいに、漏れる声も掠れていた。東が、じっと俺を見つめてくる。まるでこっちの心でも見透かされている気分になった。
 そうだよ、俺は、ずっとかん奈が好きだ。でもそれは、恋愛とかじゃなくて、ただ、幸せになってほしくて。だって、初めてだったんだ。ちゃんと、信じてくれた人。

「かん奈が……泣くの、見たくない、から」
「……だから、俺とも別れないで付き合ってて欲しいって?」
「…………」

 俺は小さく頷いた。
 見たくないんだ。かん奈が悲しむところ、泣いてるところ。かん奈には、ずっと笑っていて欲しい。でもそれは、単なる俺のエゴでしかなく、東の気持ちを無視していることになるのかもしれない。そんなこと知ってて、俺はこれを言っている。東が怒るのは、当然といえば当然だ。
 けれど、東は怒らず、再び俺にキスしてきた。

「……泣くなよ榮太郎、ごめん」
「別に、泣いてない……」

 口元が歪む。へらっと俺が笑うと、東はなんとも言えない表情をして、頭を撫でてきた。
 何かを考え込むような顔で見つめてきたかと思えば、突然思い切ったように口を開いた。

「俺にかん奈ちゃんと別れてほしくない?」
「うん……」
「かん奈ちゃんが悲しむから?」
「……うん、ごめん」
「いいけどさ、多分無理だよそれ」
「え?」
「結末なんて、榮太郎には最初からわかってたことだろ」
「…………?」
「だって、未来が見えるんだから」
「……は」

 その言葉に、目の前が真っ白になった。
 冗談? いや、冗談でそんなこと言えるはずがない。だったら何だ、誰かから聞いた? 誰から?
 そんなの、知ってる奴なんて俺の周りにはかん奈しかいない。
 『かん奈ちゃんって、結構お喋りだよな』
 そう言いながら、東は笑っていた。じゃあ、かん奈が東に言ったんだろうか。俺のこと、俺の秘密。隠したいから、もう誰にも言わないでって、昔かん奈にお願いしたのに。かん奈もそれに対して、いいよ、約束ねって、指切りしたのに。
 俺との約束なんて、どうでもよくなっちゃったのかな。いや、俺がもうそんな力ないってかん奈に言ったから? それとも……。

「榮太郎」
「っ」
「俺、嫌いな奴相手にキスの練習頼んだりしない」
「……あ」
「榮太郎ともっと仲良くなりたくて、こういう手使うの卑怯かなって思ったけど、でもこうでもしないと、榮太郎は俺の方見てくれそうにないから」
「……なに、東」

 肩を布団に押しつけられる。ぐ、と真剣な表情で、東が言った。

「俺さあ、榮太郎のこと……好きなんだよね」
「…………っ」

 いつか見た光景。いつか聞いた言葉。
 あれから日数が結構経っているのにも関わらず、あの日見たものと同じ光景が繰り返された。カラオケ店では、どこか違和感があったけど、それが今払拭された。そうだ、この光景だった。東の顔と、天井。
 俺は言葉を失って、目を見開く。
 なんで? なんで、なんで。疑問ばかりが頭をかけ巡った。あの未来予知は、もっと近いうちに起こるはずのものじゃなかったのか。そもそも、俺は自分の能力を全く把握していない。
 少しだけ先を見る未来予知。確かに、今まで全て近い内に起こったからといって、これからも起こる保証なんて、ない。じゃあ、未来を変える努力を怠ったのは、俺の方だったんだろうか。それとも、どうやったって、未来は変えられないんなら。
 じゃあ、じゃあ、かん奈が泣く、あの未来は。
 俺は腕に力を込めて、起きあがった。

「榮太郎」
「………………帰る」

 東に告白されたことに触れることもせず、俺は暴かれたシャツのボタンを止めていく。ふらついた足取りで鞄を持つと、東の部屋のドアに手をかけた。東は特に俺を止めることもせず、そのまま俺を見送った。
 その余裕が、どうしようもなく俺の心を苛立たせた。東、東、東! 頭の中が、東のことでいっぱいになる。
 結末はわかっているはずだろ、と東は言った。もしそれが、俺の見た未来と繋がっているのなら、これからきっと、かん奈は東に振られるんだ。
 そうして、いっぱい泣くんだろう。そんなことをする東を、どうしても許せそうになかった。憎悪に燃える気持ちは、一瞬だけかん奈のことを忘れさせた。東の第一印象は、いい奴。性格もよくて、なんでも出来る奴。その後は、結構甘えん坊で、面倒くさがりの努力家。でも今は、東が何を考えているのかもわからない。
 俺は東を振り返り、小さくこぼした。

「……俺……」
「うん」
「……東のこと、好きじゃない」
「…………やっぱり?」

 俺が頷くと、東は笑って、手を振った。
 なんで笑えるんだろう。好きじゃないって言ったのに。仮にも告白した相手に、そんなこと言われたら、多少なりとも傷ついたりしないんだろうか。それとも、好きと言ったこと自体がもう、嘘なのかもしれない。俺はその後東のことを振り返らず、部屋を出ていった。
 空を見上げると、灰色の雲が広がっていて、今にも雨が降りそうな空気が広がっていた。


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