初めてそいつを見た時、死体だと思った。
 雪の中から飛び出た手は真っ白で、血が通っているようには到底思えなかったし、てっきり真冬の最中、凍死体を発見してしまったのだと、一分程悩みその場に立ち尽くした。人通りの少ない路地の中、雪に埋もれた手。犯罪か、あるいは事故の臭いがする。まず考えたのは警察への通報だけど、俺は今、俺の人生において最重要なイベントをこなす途中だった。ここで通報すると、多分発見時の第一人者として、事情聴取やらなんやらで時間を取られてしまうだろう。それは避けたかった。死んでいるなら、その内俺以外の他の誰か通報するさ。我ながら薄情だと思うけど、今の若者はこんなものだ。他人の死には結構ドライ。俺は無理やり自分を納得させて、見なかったことにした。雪山に人なんて埋もれてなかった。俺は全然気づかなかった。だから通報とかもしなかった、よし。
 そう結論付けて雪山前を通過しようとしたのだが、その瞬間、雪の中の手がぴくりと動いたので、俺はまた歩みを止める。…… マジかよ、勘弁してくれ。
 死体ならば通り過ぎてしまうことも吝かではないが、生きてるとなると話は別だ。見捨てて死なれたら目覚めが悪い。俺は手袋で覆われた手で、雪山を掻き分けて生き埋めになっているそいつを発掘した。
「おい……あんた生きてるのか?」
 埋もれた男を小さく揺さぶる。動いたように見えたのは錯覚で、実は本当に死んでいたらやだなあと思ったが、どうやらそれは杞憂に終わったらしい。下手すれば雪と同化してしまうんじゃないかと心配になるくらい白い顔をしたその男は、俺の声に反応し、ゆっくりと目を開いた。ああ、こいつ日本人じゃないな。水晶のように綺麗なブルーの瞳を見てそう確信する。肌はやたら白いし、髪も色素の抜けた薄茶色で、随分と整った顔立ちをしている。ゲームに出てくるCGみたいな奴。
「………………おはようございます……」
「え、あ、お早う……」
 寝ぼけ眼に、欠伸をしながら男が言った。……まさかこいつ、いや、ないとは思うけど雪の中で寝ていたのだろうか。ってありえないだろそんなこと、やたら暢気な心構えの自殺としか思えない。新しい遊びか何かか、それとも単なる馬鹿か。何にせよ変な奴、やっぱり関わらなければよかった。瞬時に後悔が襲ってきたが、声をかけて起こしてしまった時点で関わってしまっている。男は起き上がり、雪の中からもそもそと這い出てくると、眠気覚ましなのか、ぐるぐると首と腕を回した。見るからに生きているし、割と元気そうだ。なら俺にすることはもうない。言葉を適当に濁して逃げよう。
「誰も気づいてくれないのでうっかり寝てしまいまいました……起こしてくれてありがとうございます」
「いえいえ、じゃ、俺はこれで。もう雪の中で寝ない方がいいですよ、下手したら死ぬし」
 下手したらっていうか普通は死ぬけど。
 でもそんなこと言ってる場合でもないしもうどうでもいいや。この見ず知らずの男に関わる時間が惜しい。早くしないと間に合わなくなってしまう。未だぼうっとしながら雪の中に蹲っている男に手を振ると、足早に去っていった。変な奴だったなあ、今度見かけたら素通りしよう。そんなことを考えながら、俺は目的地に向かう。


「よかった、買えた」
 妙な凍死体を見つけたと思ったことも、最早忘却の彼方。今の俺なら北朝鮮に拉致されても逃亡して家に帰るだろう。腕の中には楽しみにしていた新作ゲーム。ファンが待ち望んだ三年ぶりの待望作だ。お目当ての宝物を抱きしめて、積もり積もった雪道を進む。ぎゅっぎゅっ、と軋んだ音が足元から響いた。転ばないようにしないとな。
 家を出るときは晴れていたのに、ゲームショップにいる間にまた雪が降ってきたらしい。俺はニット帽を目深にかぶり、買ったばかりのゲームに雪がつかないよう、鞄に仕舞いこんだ。ああ、早く家に帰ってパソコンつけなくちゃ。待遠しいったらないぜ。
「最初は誰を攻略しようかな〜」
 なんて、人がいないことをいいことに呟いた。唐突に一人で呟いたので、他の誰かに今の俺を見られたらさぞかし不審がられることだろう。えっ、あの人何突然攻略とか言ってるの? 侵略者? とか……まぁそれは思われないだろうけど。
 でも大丈夫、ここは人通りの少ない、通称『変態の通り道』と最低の俗称で女子高生に噂される路地だ。滅多に人なんてやってこない。来るとすれば変態くらいだけど、俺は今なら変態にも勝てる自信があるから大丈夫。今はただ背中に背負っているゲームが愛しい。微妙なスキップで雪を踏みしめていく。
「……あれ?」
 俺が歪なステップを踏んでいると、道端に妙な雪山が見えた。
「…………」
 そしてその雪山からは、男の顔が飛び出ている。先刻の出来事を知らない人間なら迷わず110番してしまうような図だ。それ程までに、男の顔は青白く、生気が感じられなかった。 俺はもう関わりたくなかったし、早くゲームをやりたかったので、そのまま素通りした。たぶん生きてるだろあれ。
 しかし、雪山から出てきた手に腕を掴まれ、綺麗に転んだ。いや、転ばされた。
「はぶっ!」
「どうして通り過ぎようとするんですか?」
「あんたはどうして俺を止めたんだよ!」
 冷たい雪の中にダイブしたまま顔だけを動かして男を見た。男があまりにも平然と雪の中に埋もれたまま発言するものだから、今までの常識を覆して、実は雪ってそんなに冷たくないんだ説を唱えようとしていたところだった。でも冷たいものは冷たい。俺は震えながら、掴まれた腕と体に纏わりついた雪を振り払った。
「くそっ、危ないな、何すんだあんた……」
「普通、こんな風に雪に埋もれているヒトがいたら、通り過ぎないと思います。あなたはとても冷たい人間ですね」
 な、なんでこんなこと言われなくちゃいけないんだ……。転ばされたのになぜか俺が責められてる……。
 確かにあの場面で通り過ぎるのは人としてどうかとも思うが、お前別に元気じゃん、超ハツラツと発言してるじゃん。だったら心配する必要なんてないだろう。そんな理不尽さに腹を立てていると、突然男が雪山から立ち上がった。頭に積もっていたらしい雪が俺目掛けて降ってくる。
「うおっ」
「あ、すみません」
「……イエ」
 男は想像以上に背の高い奴だった。名誉のために言っておくが、俺の身長が低いわけではない。
 ただ、そいつの身長がやけに高いだけだ。180……いや、190はあるだろう。背が高くて美形ってそれだけで妙な迫力があるよな。俺は少しだけ後ずさりつつも、鞄を抱えて立ち上がった。なんか、関わったらやばそうな雰囲気だ。この道は避けて通るべきだった、と後悔してももう遅い。男は妙な思案顔で、俺をじっと見つめてくる。
「あー……もういいか、いいですね。うん、そうしましょう」
「な、なんだよ」
「決めました」
「は? 何を?」
「あなたのその人を人とも思わない冷たい態度が気に入ったので、決めました」
 失礼すぎるだろう、いくらなんでも。しかし決めたって何をだ? 男は尚も言葉を続ける。
「驚かないで欲しいんですが」
「何だよ」
「実は僕、雪女なんです、あ、性別は男ですけどね」
「………………は……?」
 口がは、の形のまま固まった。ギャグかジョークの類かとも思ったけれど、男の顔は真剣そのもので、ふざけている様子はない。まぁ雪の中で寝ていた時点で、存在自体がふざけたものではあったけれど。しかし、段々と雪が強くなってきて、吐いた息も白くなるこの温度の中、薄手のシャツを着ているというのに寒がっている様子もない男の姿はどこか異常だった。
 どこかっていうか確実に異常だった。良く考えたらなんでこいつこんな真冬にコートも着てないんだよ。裸の大将じゃあるまいし、何だ、やっぱりやばい奴か? そりゃ雪山で寝てる奴がまともなはずない。じりじりと後ろに下がると、男が同様に前へ迫ってくる。差が全然埋まらない。
「突然で驚かれたかもしれませんが、実は今故郷がちょっとピンチで……」
「ひぃいいっ、つ、冷たっ!」
「今まで暮らしていた雪山が人間の開発によってゴルフ場にされてしまったのです」
「ちょっ、冷たい! 冷たいから手離せ! なんか痛い!」
「なので人間界に降りてきたのですが、ついうっかり眠ってしまいました。最近寝不足だったのです」
「冷たい冷たい冷たい! わかった! 話を聞くからお願いだから話してくれ! いたっいたたた! めっちゃ痛い!」
 そっと握られた手の冷たさに、体全体に鳥肌が立つ。鳥肌が立つを通り越して手が痛い。ドライアイスかと突っ込みたくなるほどの冷たさだ。冷たすぎてヒリヒリする。俺がそう叫ぶと、男改め雪女(雪男?)はしまったとでも言いたげに、口に手を当て、俺を離した。
「すみません、人間の温度を忘れていました」
「ああ、もう今後は忘れないようにしてくれ……」
 出来ればそんな今後がないことを願うけどな。がくがくと震える体を抱きしめて、俺は鞄を抱きしめる。あ、有り得ない。こんなファンタジー有り得る筈がないと思っていたが、こんなことになったら認めるしかない。こんな体温の人間がいるわけないんだから。死体を通り越したような冷たさだった。
 わかった、認めるよ、確かにお前は雪女だ。人間がこんな冷たい体温をしているはずがないしな。指先を見ると、少し赤くなっていた。まさか冷たさで火傷してしまったんじゃなかろうな。ふぅっと、指に向かって息を吹きかけると、白い霧になって消えた。
「それで、続きなのですが」
「え、まだあるの? もう十分すごいこと聞いたよ。あと俺これから用事があるんだけど……」
「あります。話を聞くと言ったでしょう。それに、此処で逃げたら後悔するのはあなたです」
 凶器とも言える指先を俺の鼻に突きつけてきた。こ、怖ぇ……。何なのこいつ。もう警官でもジョギング中の爺さんでも蕎麦屋でもいいから誰か突っ込んでこいよ。コイツ連れてけ。しかしこういうときに限って誰も来やしない、何せこの通りは人通り少ないことで有名だ。この際変質者でもいいから誰か来て欲しい。
「後悔って……」
「人間の世界にも、雪女の伝説はあるでしょう」
「伝説っていうと……、えっと、あれか。自分を見たことを誰にも言うなって言われていた男が、ふとしたきっかけにばらしてしまって、氷漬けにされるっていうやつ?」
「それです」
 男が嬉しそうに笑う。
 そうか、でもそれとその話が、今ここで何の関係があるんだ、と言いかけてこいつが雪女だという事実を思い出す。思い出すっていうか、認めたくなかった。俺の悲惨なバッドエンドを。まさかこいつ、俺を氷漬けにする気か?  そんな心裡が働いたせいか、目の前の男の表情が酷く陰惨なものに思えてきて、俺は目の前でガードするように手を振った。
「実はですね」
「やめろ! こ、殺さないで! 俺にはまだやり残したことが! 全エンディング見るまでは死ねないんだ!」
「何の話ですか?」
「え? 俺を氷漬けにするんじゃないのか?」
「ええまぁ、場合によってはしますけど……」
「そこは否定して欲しかったよ」
 その流れだと普通は「そんなことしませんよ」って言うところだろうが。自分で考え付いたことだけど、実際口に出されるとショックだぞ。とても。場合によってはって、そんな場合を認めたくない。しかしそんなショックな俺を無視して、男は話を続ける。こいつ、基本的に俺をスルーするな。
「人間の世界に伝わっている話はちょっと違いますが、僕達雪女族は、自分の正体をばらされるのをとても嫌うのです」
「ならなんで俺にバラしたんだよ」
「バラせば逃げられないので、そうする様、母に教わりました」
 お前の母ちゃんマジ怖い。逃げられないってなんだよ、俺逃げたくなるようなことになるの? 今の時点ですでに逃げたいということは置いておいて。次の瞬間、そいつはまさに俺が逃げ出したくなるようなことを発言した。
「僕達は、自分の正体をバラした人間に呪いをかけることができます」
「あ、もういいです。続きあんまり聞きたくないっていうか……」
「という訳で、あなたに呪いをかけました」
「なんてことしてくれたんだよ!」
 まさかこんな行きずりの男に呪いをかけられるなんて思っていなかった。すげぇ、人生って侮れない。俺の人生マジハードモード。クリアできる予感がしない。
「以前住んでいたところを人間に追われたので、これからは人間のところで暮らすことにしたのですが、勝手がわからないので、誰かに教えてもらおうと思っていたのです。師匠はあなたに決めました。これからよろしくお願いします」
「嫌だ!」
「駄目です」
 俺の主張を全部無視して、男、いや雪女が俺に手を伸ばしてくる。握手でもしろと言いたいのか。いや、触れないし、触った瞬間俺凍るし。ていうか師匠とか言ってるくせに扱いがぞんざいだな。
「絶対に嫌だ、あと手を引っ込めろ!」
「と、断られた場合、僕はあなたを氷漬けにすることが出来ます」
「は? なんでだよ!」
「人間の世界に伝わっている話はですね、男が正体をばらしたからではなく、雪女の信頼を裏切ったことで氷漬けにされたのです。氷漬けは僕らの呪いというか、受け継がれている能力です」
「な、なん……」
「ちなみに、正体をばらすということは、その人間を信頼するという証。つまり、僕は今あなたをとても信頼していて、この頼みごとをしました。その信頼を裏切ったら、僕はあなたを氷漬けにすることが出来ます。呪いで」
「ふざけんな!」
 なんだそのお前にとって都合のいい呪い。大体呪いとか言ってる時点で信頼のしの字もない、俺は一発殴ってやろうとしたが、手が凍りそうなので理性が止めた。自己防衛本能というやつだ。殴ることもできずただ悔しそうに唇をかんだ。
「これからよろしくお願いします」
「いや…………」
「いや?」
「いやぁ………………。よろしくお願いします……」
 握手はしなかったものの、結局俺は頭を下げる。だって凍らされるのとか怖いじゃん。俺まだ死にたくないし、やりたいゲームだって沢山ある。今この腕の中にあるゲームだってやり始めてもいない。ゲーム、そうだ。ゲームと思うことにすればいいんだ。
 この変な奴から逃げ切れたらクリア。いや、それじゃあ俺へのハードルが高すぎる。呪いとかいう嫌な縛りもあるわけだし。
「ちなみに、なんで俺?」
「気に入ったからです。その冷たさが」
「冷たいっていうのは、褒め言葉じゃないんだけど……」
「そうなんですか?」
 驚いたように言う。この一連の会話で常識が通用しないことがわかってしまった。ならば逃げ切るのはやはり難しいだろう。氷漬けフラグが回避できず、BADENDのみのクソゲーと化してしまう。じゃああれだ、こいつを無事人間社会に溶け込ますことが出来たらゲームクリアってことでどうだろう。これもかなり難しそうだけど、逃げるよりかはマシ。氷漬けにされたくないしな。
「それでは、まずお名前から教えていただけますか」
「人の名を聞くときは自分から名乗れよ。人間の世界じゃ基本だぞ」
「失礼しました。僕の名前は……」

 とまあ、そんな感じで、俺たちの奇妙な生活は始まった。

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