弟視点


 子供の頃、ある日俺の目の前にかみさまが現れた。

 かみさまは、ひ弱で根暗で人と話すのが得意じゃない俺の手を引いて、守ってくれた。
 寂しい時も、怖い時も、いつだって一緒にいてくれた。俺のことを可愛がってくれて、俺のヒーローになると言ってくれた。

 かわいいかわいい、俺のかみさま。

 戸籍上は、俺と血の繋がらない兄ということになっているけど、俺にとって守はかみさまであり、ヒーローなので、これからも俺はかみさまと呼び続けるだろう。
 勿論、面と向かってそんな風に呼べば守は嫌がるから、実際には「かみさま」なんて呼ばない。心の中で敬称するだけだ。
 現実で俺は守の弟なのだから、普通に名前で呼ぶ。その方が、守も喜ぶし。

 兄と呼ぶのも途中でやめた。
 かみさまの名前を気安く呼び捨てにすることは、とても無礼に思えたけど、兄と呼ぶと、自分の存在を突きつけられるような気がして、嫌だった。
 それに、守も俺に兄と呼ばれることに、ズレを感じている気がして、兄と呼ぶ度に少しずつ、歯車が噛み合わなくなっていった。
 だからやめた。
 守が少しでも俺を嫌いになるような要素は排除したかった。守に嫌われたら、きっと俺は生きていけない。


 守は俺のことを弟だと思っている。
 血は繋がらなくとも、大事な弟として扱ってくれる。箱庭の様な空間の中で、俺は守に頼って生きてきた。
 守も、俺を甘やかした。だから俺はそれに甘えたのだ。甘えて、甘えて、甘え尽くした。だって、俺は、ずっと守のことしか見ていない。
 初めて会ったときから、俺は守が好きなのだ。

 守がいればそれでよかった。
 俺の世界には守という"かみさま"しかいなくて、その世界にずっと丸くなっていた。心地良いぬるま湯に浸り、いつまでも守の側にいたかった。
 守の言うことは、とにかく何でも聞いたし、守がそれで喜ぶなら俺も嬉しくて、守が言うならそれに応えたかった。
 特に必要もない友達も作るよ。
 彼女も、守が言うなら作るよ。
 勉強も運動も、守がいるから頑張れる。
 守が言うなら、なんだってする。守。まもる。おまじないのように、心の中で名前を唱える。そうすると、どうしようもなく安定した。
 守は、こんな俺をきっと気持ち悪いと思うだろう。でも、もうどうしようもないのだ。今更戻れない。これが俺という人間で、俺の中には守しかいないんだから。


 俺は、守というかみさまに依存しきっていたんだ。
 でも、ある日守はかみさまであろうとすることに疲れてしまったみたいだ。
 かみさまを疲れさせるなんて、なんという大罪を犯したんだろう。俺はなんて駄目なやつなんだ。こんなだから、俺はかみさまに愛想を尽かされる。
 守が俺のところから離れていこうとするのを見て、俺は恐ろしくなった。
 このまま守がいなくなってしまったら、俺はきっと死んでしまう。俺の世界が壊れて、あとにはもう、何も残らない。

 爽という人間は、守という人間が存在しないと、己を維持できないんだ。
 守は、こんなにも不完全で気持ち悪い俺のことを、よく「すごい」と言う。
 俺はぜんぜん凄くなんてないのに、たまに眩しそうな目で俺を見る。守に褒められるのはとても嬉しく思うけど、それだけは間違っていると思った。
 だって俺は、守の言うすごさなんて、何も持っていないのだから。すごいのは、守だ。俺は知っている。ずっと守を見てきたから。

 頑張って勉強をしていたことも。
 クラスの皆に負けないように、夜こっそり体を鍛えていたことも。
 自分のことを理解してそれでもあがいて頑張る守は綺麗だと思った。
 とにかく、努力して、俺にその努力を見せないようにしていたことも知っている。
 全部知っている。その努力が俺の為だと思うと、胸が苦しくてたまらなかった。守が俺のことをどう思っていようが、愛しくて愛しくてたまらなかった。そう、と呼ばれる度に抱きしめたくなる。
 もちろん、そんなことはできないので、そのうち俺は触ることにすら許可を求めるようにした。そうすれば、変なことをすることもないと思ったから。

 血が繋がらないとはいえ、実の兄にこんな劣情を抱くなんて、バカなことだと思う。頭がおかしいとも思う。そんなの、自分自身が一番理解している。
 でも、俺はバカでも頭がおかしいと言われてもいい。守が好きだ。
 好きで好きで、おかしくなりそう。
 ちがう、元からおかしい。
 守は自分が俺をおかしくしてしまったと思っているみたいだけど、俺はそもそもこういう人間だ。それを守のせいにすることはない。むしろ、守がいてくれたおかげで、俺は今幸せだ。こに守が後悔する必要はない。
 けれど優しいから、俺のことをとても真剣に考えてくれる。
 こんなに気持ち悪い弟のことを、大事な弟として扱ってくれる。優しい守。
 本当に、優しい。優しいから、俺がこんなことをしても怒らないんだ。


「ふっ……そ、爽……っ、もう、いいだろ……っ」

 腕の中で、守が声を上げた。俺は抱きしめていた手をそっと緩めて唇を離す。暖かい吐息が首筋を擽ると、守は俺を恨みがましい目で睨みつけた。普段はたれ目がちな目尻が少しだけあがって、掌が俺の胸を押した。
 その仕草に、俺の胸がきゅんと高鳴った。

「……守、かわいい……」
「……お前さー……」

 どこか情けない表情で、守は眉を下げた。
 守が家を出た日、俺はもっと守にふさわしい人間にならなければいけないと思った。
 守は、俺が気持ち悪いから家を出たんだろう。それなら、守が俺に夢中になるくらい、すごい人間になれば、きっと守も俺から離れてなんていかなくなる。
 そんなの無理だと言う俺もいたけど、俺はそいつを自分の中に封じ込めた。
 守の言いつけはすべて守って、守が喜ぶように振る舞った。そうして、守が俺に作ってほしいと願ったものをすべて作った。自分でも、頑張ったと思う。
 けれど、日が経つにつれて、俺は自分がこうしている間にも守が誰かと一緒にいるんじゃないかと思い、不安が募っていった。
 いくら「大切なもの」を作ろうとしても、根底にあるのは守に対する想いなので、作ったところで守が離れていくなら意味がない。

 だから、俺は、守に打ち明けた。
 守はきっとこんな俺を気持ち悪がるだろうと思ったけど、優しい守は、そんな俺を受け入れてくれた。
 受け入れてくれたと言うよりも、きっと見捨てることができなかったんだろう。
 だって、守は昔からそうだったから。

 昔は俺より高かった身長も、今では俺の方が少しだけ高くなった。手作りのマントを背中ではためかせていた幼少期より、大分骨ばった体を抱きしめると、心臓の音が聞こえてくる。その音は、どんな子守歌よりも安心した。携帯に登録して寝るときにかけようかと思うくらいに。
 キスをすると、どうしようもない多幸感に包まれて、幸せすぎて夢なんじゃないかとすら勘ぐってしまう。このまま時が止まればいいのに。

「守……好き」
「…………」

 守は、俺がこういうと、何も言わない。何て声をかければいいのかわからないのかもしれない。
 かみさまを困らせるなんて、俺は駄目なやつだ。でも、止まらないんだ。日に日に強くなる。 
 守がほしい。
 もっともっとほしい。
 全部ほしい。
 守という人間のすべてがほしい。
 最初は、一緒にいられればそれでよかったのに、一度許されると、もっともっと、欲しくなってきてしまう俺はわがままだ。
 このままでは、俺はいつか、守を食べてしまうかもしれない。そんなことをしたら、守に嫌われてしまうだろうか。でも、かみさまは優しいから、許してくれるかも。なんて考えてしまう俺。浅ましい人間だ。
 抱きしめている俺の腕を解いて、守が立ち上がった。

「……なんか飲むか」
「俺が……」
「いい、座ってろ。でも好き嫌いはすんなよ」
「うん、守が言うならなんでも飲むよ」
「……俺が泥水出したらどうすんの」
「飲むよ」
「お前マジか……」

 少し引いた様な顔で、守がいった。守が言うなら、俺は毒でも飲むだろう。
 前を向いて、俺の中から台所へと移動しようとする守の首筋に、手を伸ばしそうになった。細いうなじに噛みつきたくなった。けど、そんなことは勿論しない。していいと言わればするけど、守はそれを望まない。俺がそうして欲しいといわれるような人間になればいいだけだ。
 けど、守はとても勘がいい。俺を振り返り、首もとに手を当てた。

「……なんか触った?」
「触ってない。触っていい?」
「駄目だ」
「そう……」
「お前、今日部活ないの?」
「今日は休み。だから夜までいる」
「いや、遅くなる前に帰れ。送っていくから」
「守がそう言うならわかった」
「…………」
「何?」
「なんでもない……」

 何かを言いかけて、口を噤んだ。俺が守の言うことに逆らわないから、自我を持て、とか言いたいんだろうか。でも、これが俺の自我だ。
 逆に、俺が守の言いつけに逆らったら、守はどうするんだろう。制止の声を無視して、腕を押さえて、足を開いて、体中を舐め尽くして、髪の毛の先から足の爪まで……その妄想は、とても魅力的ではあるけれど、俺はやっぱり、守の言いつけには従いたい。
 守が、呆れた顔で俺に言い放った。

「お前、俺の言うこと、なんでも聞くんだな」

 それは勿論。
 かみさまのいうとおり。

終わり

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