デートの話@


 休日になると、大抵の日は一人で過ごしている。
 そもそも、僕を遊びに誘ってくれる友達なんて、化野くらいしかいないんだから、当然といえば当然の話だ。
 もちろん、休みの日まで狐面をつけるという痛々しいことはしない様に心がけているので、休みに入ってから、僕の狐面は、すっかり形を潜めていた。
 弟に見つかるとまた、なにそれ、とか聞かれて言葉に詰まるので、今は鞄の奥にしまってある。
 今日は日曜日で、外もいい天気だ。でも一人で遊びに行くような用事はない。
 休日、化野に誘われることもあるけど、今日に限っては別だ。
 僕の通う高校は、近隣でも有名な馬鹿高校と呼ばれているし、実際そうなんだけど、それでも最低限の補習というものは存在する。
 テストで赤点を取った生徒は補習、なんて、高校としては当たり前だ。
 補習に落ちた人は再補習、それでも落ちた人は再々補習。そして、その再々補習に至っては、休みの日に行われる。化野は頭があまりよくないから、その再々補習に泣き真似をしながら出席すると言っていた。だから、今日は遊べないよ、ごめんねとも謝られた。
 別に謝られる様なことじゃないのに。
 ちなみにこの補習はサボると進学に影響するから、これをサボる人は流石にいない。底辺高校でも、守るラインは守られている。

 僕は幸いにも赤点をとることは一つもなかったので、一人家で本を読んでいた。化野が面白いからといって貸してくれたヤンキー漫画で、手に汗握る展開続きで、確かに面白い。
 今まで生きてきて喧嘩なんてしたことがない僕にとって、血まみれでぼこぼこに殴られたりする漫画は、本当に別世界の話だ。けど、化野からすると、別世界の話でもないのかもしれない。
 前に喧嘩しちゃった〜、と顔に傷を付けて笑っていたこともあったし。冗談なのかもしれないけどその辺の人からお金貰おうかとか笑ってたこともった。僕は見たことないけど、案外喧嘩っ早いのかもしれない。
 人を殴るのも殴られるのも、僕ならどっちもごめんだと思うけど、化野はそういうの怖がらない。
 すごいというか、怖いというか。

「正義、なに読んでんの」
「あ……」

 一人黙々とリビングで漫画を読んでいると、同じく休みの勇気が二階から参考書を片手に降りてきた。しまった、自分の部屋で読んでいればよかった。
 リビングの方が日差しがぽかぽかして気持ちいいからと、全巻持ち込んで読むんじゃなかった。
 案の定、僕の手元の漫画を見て、勇気は眉間に皺を刻む。勉強もしないで漫画読んでるのか、みたいな目だ。
 僕は慌てて漫画を閉じて体で隠してみたけど、今更もう遅い。

「あ……の、友達に借りて、その……」
「ふーん、頭悪そうな漫画」
「…………」

 呆れたように吐き捨てると、そのまま勇気は近くのソファに腰を下ろす。受験生だから、気が立っているっていうのもあるのかもしれない。
 昔から愛想がいいとはいえない弟だったけど、ここ最近は特に当たりが強い気がする。
 というのも、僕があの高校に入ったからだ。
 それまでも別に仲良しって訳じゃないけど、ここまで険悪っぽい空気でもなかったのに。
 馬鹿高校にいる兄を持っていると、クラスメイトから馬鹿にされることがあるらしく、最近は馬鹿じゃないの、と遠慮なく言ってくる。それに関しては、申し訳ないと思うけど、悪い奴ばっかじゃないんだから、そこまで言わなくてもいいのに。
 でも、面と向かっては言えなかった。
 沈黙に耐えきれずテレビをつけると、一気に明るいアナウンサーの声が部屋に流れる。

『最近○○市にできた大型ショッピングモール! いやあ〜すごい人ですねぇ〜!』
『全国の美味しいものを集めたうまいもの市もやってるみたいですよ!』
『行ってみたぁ〜い! あっ、そういえば今日は……』
「正義、うるさい」
「…………ごめん……」

 すぐに苛ついた声が飛んで、僕は慌ててリモコンの電源ボタンを切る。
 また、しんとした空間が広がり、僕は手持ちぶさたになってしまったので、リビングに持ってきていた漫画を紙袋の中へと片づける。
 多分、勇気は勉強したかったんだろう。それなのに、僕がリビングを占領していたから怒っているんだ。いや、そもそも僕が勉強していないことに怒っているのかも。最近、勇気と話すといつも刺々しく言われちゃうし。
 ここは一人にしてあげたほうがいいな。

 僕はもう失敗したけど受験は終わったし、受験勉強の辛さも知ってる、勇気には志望校に受かってほしいとも思ってるから、応援したいとも思ってる。
 邪魔するのは兄としてもよくないと思うし。
 紙袋にコミックスを詰め込み終わると、そそくさと二階へ上がる。勇気はそれをちらりと横目で見たけど、何も言わずにまた参考書へと視線を落とした。
 僕はほっと胸をなで下ろし、また物音をたてて勇気の邪魔をしないようにするべく、出かけることにした。
 コミックスを部屋に片づけ、軽く上着を羽織って、玄関へと向かう。
 といっても、目的地なんてないんだけど。

「…………」

 最近持っているだけでなんとなく心が落ち着くから、お守りになりつつある狐のお面と、財布と携帯をリュックに詰め込んで背負うと、玄関に腰を下ろして靴を履く。
 どこに行こう。こういう時、気軽に遊びに誘える友達とかいたらいいんだけど……。そんな奴はいない。
 ああ、でもそういえばさっきテレビで最近ショッピングモールがオープンしたとか言ってたっけ。
 あそこ、僕の家からそう遠くないし、一人で行ってみようかな。
 なんか美味しいものを勇気にお土産に買ってきてお兄ちゃんありがとう、とか……いや、そんなことあるわけないけど、でも息抜きにはなるかもしれない。

「正義、どこいくの」
「…………!」

 そのまま玄関を出ようとすると、いつの間にきていたのか、後ろに勇気が立っていた。
 僕は視線を下に反らすと、おずおずと言葉を吐く。

「…………ち、近くにできたショッピングモールに、行こうかなって……」
「一人で?」
「…………」

 小さく頷いた。自分が受験勉強で大変だっていうのに、僕ばかり好きな様に出かけてって怒るだろうか。
 でも、家にいても勇気の邪魔になるかもしれないし。そう思っていると、勇気は近くにかけてあったジャンパーを羽織って言う。

「俺も行く」
「……!」
「なに、だめなの」
「いや、い、いいよ。受験勉強、大変だと思うけど、その、息抜きも必要だと思うし……」
「…………財布と携帯持ってくるから」
「…………」

 再び頷いて、勇気を待つ。珍しいこともあるものだ。
 もしかすると、僕と話したかったとか? いや、そんなことはないと思う。
 勇気が行きたいところだったのかもしれない。けど、久しぶりに弟と二人で出かけることに、少しわくわくする。いつ以来だろう。
 お小遣い、まだあったかな? バイトとか、郵便局の配達バイトくらいしかしたことないけど、その貯金まだ残ってたっけ。
 たまには兄らしいところも見せたいから、ご飯でも奢ってあげようかなと思って、財布を漁っていると、すぐに準備したらしい勇気が近づいてきた。黒縁の眼鏡の位置を直しつつ、厚いレンズの向こうからこっちを睨みつけてくる。
 いや、向こうはきっと睨んでるつもりはない、んだと思う。勇気は昔からこうだ。

「何やってんの」
「いやあの、お金……あるかなって」
「は? 金持たずに行こうとするとか何やってんの」
「そ、そうじゃなくて」
「あっそ、別にいいけど、どうでも」

 言いながら勇気はさっさと歩き出す。僕は慌てて後ろを追いかけた。
 ここからショッピングモールまではバスで行くことになる。バス停まで二人で並んで歩いているけど、基本的に会話はない。僕はぺらぺらと話すタイプじゃないし、勇気も僕に積極的に話しかけてこない。結局、ショッピングモールに行くまでに僕と勇気がした会話は

「勇気、ショッピングモールに何しに行くの? なんか欲しいものとか……」
「関係ないだろ」

 だけだった。
 浮かれていた自分が恥ずかしくなって、顔が赤くなるのを感じた。


****



 ショッピングモールに着くと、日曜日ということと、オープンして間もないせいか、結構な人で賑わっていた。油断していたら、すぐに人混みに流されてしまいそうだ。
 ざわめく人の波を縫って進んでいくと、突然目の前に外国人の団体客がぞろぞろと押し寄せてきた。

「わっ、あの……すみません、すみません……」

 一気に人並みに流され、謝りながらなんとか前へと進む。

「…………勇気、どこ行……?」

 けど、振り返ったら、もう一瞬で人混みに紛れてしまって、勇気の姿が見つからない。
 もうはぐれてしまったんだろうか。どうしよう、勇気、携帯出てくれるかな。ライン、教えてもらえてないからメールでもいいかな。慌てて目を凝らしていると、後ろから首の後ろをひっつかまれた。

「ぅわっ……」
「何してんの、ノロマ」
「……勇気……」

 そのまま引っ張られ、人の合間を縫って空いたスペースまで連れて行かれた。

「俺、一人で見たいから」
「えっ」
「二時半時くらいにここに集合でいい?」
「う、うん……」
「じゃあ後で」
「…………」

 僕が頷くと、そのまま勇気は手を振って、すぐに人混みに紛れてしまった。一人残された僕は、そのままぽつんと立ち尽くす。
 ……別に、僕と一緒に買い物に行きたかったわけじゃなくて、たまたま目的地が一緒だったってだけだったんだな、やっぱ。小さく息を吐くと、僕は案内板へと足を進めた。
 初めて来る所だし、どこに何があるかもさっぱりわからない。元々僕は目的があってここに来た訳じゃないし、あえて言うなら、美味しいものが食べられるってニュースでやってたから気になっただけだ。
 勇気は服とか見に行ったのかもしれないけど、僕は、そういうの、よくわからないし。自分でも冴えないと思う私服を見て俯いた。
 一階にあるらしいフードコートに目標を定めると、僕はその方角へと歩きだす。そういえば、漫画に夢中で、お昼ご飯も食べてなかった。
 一人で食べるのは恥ずかしいけど、でも、一人で食べている人がいない訳じゃない。それに、ここに僕を知っている人もいない。そう考えれば、少しは気が楽になる。
 ぐう、と鳴り出したお腹を押さえて、フードコートへと向かった。





「いらっしゃいませ! ご注文は何になさいますか?」
「あ、あの……この、き、季節…………のクリームパスタ……で」
「? 申し訳ございません、栗とナッツのクリームカスターでよろしいですか?」
「あっ、いや、あの………………じゃ、じゃあそれで……おね、がいします…………」
「かしこまりました! このブザーを持ってお待ちくださいませ!」
「……はい……」

 僕の声がぼそぼそとしてて聞き取りにくかったせいで、違うものを頼むことになってしまった。
 もうちょっとハキハキと喋れたらいいんだけど、普段、女の子と喋ったりする機会がないせいか、顔が熱くなって、見られたくなかった。早く終わらせて離れたかった。
 あの店員さん、男のくせにこんな女みたいなもん一人で頼んでとか思ってたりしないだろうか。共学校なのに、こんなに免疫がないのは、自分でもどうかと思う。
 違うんだ、僕は本当はクリームパスタにしようと思ってて、でも、そこではっきり違います、とも言えず、結局甘いものを頼んでしまった。
 色んな意味で恥ずかしくて、顔に熱が集まってくる。
 やばい、今はお面で顔を隠すこともできない。僕は早々にお金を支払うと、ブザーを受け取って、なるべく隅の方へと腰掛けた。
 お昼時はすぎているけど、まだ結構な人がフードコートにいた。なんでも、有名店が何店舗か出店しているらしく、そこは結構な行列ができている。
 ……勇気は、今頃何してるんだろう。 

 一人ぽつんとフードコートの片隅に腰掛けてブザーが鳴るのを待っていると、ラインが来ていたことに気がついた。
 誰からだろう、と思っても、僕にラインを送ってくる人なんて、化野くらいしかいない。画面を開くと、案の定化野からラインが来ていた。
 【やっと補習終わった〜、疲れたよー!
 正義ちゃん今何してる?
 もし空いてたら遊びにいこうよ!】
 というラインだ。
 もう少し早ければ、一緒に遊びに行けたかもしれないけど、生憎、今は勇気と一緒に出かけている最中だ。勇気は化野のことをあまり良く思っていない様だし、申し訳ないけど、ここは断ろう。
 【ごめん、今弟と出かけてるから遊べない】
 そう送ると、すぐに既読マークがついて、泣いている狸のスタンプが送られてきた。
 僕は謝っている狐のスタンプを送っておく。
 すると、タイミング良くブザーが鳴ったので、僕はカウンターへ頼んでいた料理を取りに行った。

「お待たせいたしました!」
「………………」

 小さく会釈して受け取ると、また元の席に戻る。
 本当はお腹が空いていたから、お腹にたまる物にしようと思っていたけど、これも美味しそうだ。
 栗とナッツのクリームカスターは、パンケーキらしく、パンの上に栗とかクルミとかが、カスタードとアイスクリームと一緒に乗せられていた。美味しそうだ。口に放り込むと、柔らかな甘みが広がる。別に、甘いものは好きでも嫌いでもないけど、これは美味しい。勇気は僕より甘い物が好きだから、こういうの好きかもしれない。
 一人無言で食べていると、近くに僕と同じくらいの年の男子集団が近くに腰掛けた。
 さっきの行列の店から買ってきたのか、手にはロゴがついた紙袋が握られている。

「あ〜〜、やっべ、人多くね!?」
「オープンしてすぐだからじゃん? そーいや佐々木、あとでジャケット買うんだろ、さっきのにすんの?」
「あー、でも迷っててさあ、大志からライン返ってきた? 来るんだったら決めて貰おうと思って」
「え? マジで……、大志って服似合ってるけどあいつのセンスって独特だぞ」
「大志だから着こなせるみたいな服着てるよな」
「あ〜、そっかあ……、じゃあやっぱあっちにしよっかなあ。……あ、ライン来てた、もうこっちくるってー」
「学校から近いもんなここ」
「なー、学校帰りに寄れるのよくね?」
「………………」

 近くでこっそりと聞き耳を立てていた僕は、一瞬で食べていたパンケーキの味が飛んだ。体が固まって、顔から汗が吹き出した。
 隣に座ったのは、化野とよく一緒にいるクラスメイト達だったからだ。中には西園の顔もある。
 や、やばい、休日に一人でパンケーキ食べてるぼっち野郎なんて知られたら、絶対にバカにされる。ただでさえ痛々しい奴って認識なのにさらに痛い奴に見られてしまう。
 今は赤いというよりも、青くなっているかもしれない。
 どうしよう、と思ったけど、今の僕はお面をつけていない。佐々木達は僕の素顔なんて知らないだろうし、制服も着ていない。このまま黙っていたら、多分気づかれないだろう、……と思う。
 でも、化野を待ってるみたいだし、化野は僕の顔を知っている。今ここにいること、バレたら怒られる。何故かそんな気がして、僕は手に力を込めた。
 化野は、僕の顔とか声が、ほかの人に見られるのを嫌がっているらしく、前に西園と少し話したというのを知った時、なんというか、怖かった。このまま食われるんじゃ、と思ったくらいだ。
 早く食べてこの場を離れようと、少し急ぎ気味にフォークとナイフを進めた。

「つーかさあ、大志のアレっていつ直んの?」
「アレって?」
「決まってるだろー、小波くんだって」
「!」

 ごくん、と噛み砕く前に飲み込んだパンケーキを流し込むように水を煽る。ちらりと横目で佐々木達が座っている席を見ると、佐々木はむくれた表情でテーブルを叩く。

「大志の奴、さっきもラインで正義ちゃんと遊べるなら行かなーい、とか言ってんだぞ? ほんっと腹立つ小波! あんっな無口で暗くてつまんねー奴の何がいんだよ大志は」
「やーめとけ、聞かれたら大志怒るぞ」
「だってー、井上ぇ、大志の奴俺らと小波比べたら小波取んだよ? おもっしくねー。にっしーはそう思わん? 大志って昔からああなの? 幼なじみなんだろお前ら」
「昔からあんな感じ、あとそういうの大志の前でマジで言うなよ。知らんぞ俺。つーか俺は小波のこと、そんな悪い奴だと思ってないし」

 やっぱり、クラスでもよく思われていないらしい。知ってたけどね。
 いや、他の人は空気程度に思っているのかもしれないけど、化野と仲のいい奴らは、僕ごときが化野と仲良くしているのが気に食わないんだろう。
 実際、自分でも釣りあってないと思う。化野に比べたら、僕なんておもしろくも何ともないし、僕だったら、僕みたいな奴と友達になりたいと思わない。
 でも、西園が庇ってくれたのは嬉しかった。それに対して、不満げに佐々木が言う。

「えー? にっしーまでそういうこと言っちゃう?」
「あいつ普通に真面目でまともだもん、逆に大志に気に入られてて不憫じゃね」
「そっかー?」
「つーか、まともな奴は学校にお面つけてこねーから!」
「ギャハハ! 正論すぎ!」
「まー確かにそれは……あっ、やべ」

 確かに正論だと思いながら聞いていると、西園が買ってつついていたらしいご飯のフォークを落としたらしい。
 かつん、と音を立ててフォークが僕の足下まで転がってきた。

「あー、すんません」
「…………っ!」

 西園が僕の近くまでやってきたので、僕は慌ててフォークを拾い、顔を背けながら西園に手渡した。
 だ、大丈夫、だって向こうは僕の顔を知らない。
 学校でお面を外したことなんて、それこそ化野の前くらいだ。それにお互い私服だし。気づかれることはない、はずだ。でも、こんな所に一人でパンケーキ食べてるとか、ばれたら恥ずかしいな。じわじわと顔が赤くなってくる。
 目を見て話すと、さらに顔が赤くなりそうだから、目線を外していると、西園からの視線を感じて、僕は顔を上げた。
 ……な、なに?

「…………?」
「……? あんた、なんか前……」
「おーい、にっしーなにしてんの!」
「あ、今行くー。……どうも」
「…………」

 西園は腑に落ちない顔をしていたけど、僕としては助かった。軽く会釈して、すぐに残っていたパンケーキを口の中に詰め込んだ。口の中が甘くて仕方がない。水で一気に流し込むと、トレイの上にすべて乗せて、席を立つ。早いところここを離れよう。
 離れたら、勇気を探しに行こう。勇気は一人で見たいのかもしれないけど、せっかく来たんだし、何か欲しい物があったら、買ってあげよう。
 そう思って佐々木達の横をすり抜けると、突然、佐々木が声を上げた。

「あっ、大志ー! ようやく来たかお前!」
「補習おつかれー」
「…………!」

 その発言に僕はびくりと固まる。後ろから、化野の明るい声が飛んだ。

「はー、マジ疲れたー! あっ、なんでお前らだけ私服なの! 俺の服はぁ!?」
「ギャハハ、大志くんは補習帰りですからー!」
「再々々補習ってお前だけだよ? ばーか!」
「てか大志聞いて、俺今服買おうか悩んでんだけどさあ、大志にも見て欲しいんだけど」
「お前結局大志に聞くんかよ!」
「大志はなんか買ってくー?」

 後ろで、聞き馴染んだやり取りが交わされている。化野が現れた途端、雰囲気がわっと盛り上がってる。やっぱり、化野は人気者だ。
 幸い、僕は後ろ姿を見せているだけだし、化野に素顔も見られていない。……大丈夫、バレてない。
 別に、ただ素顔で買い物に来ているだけなのに、どうしてこんなにビクビクしなきゃいけないんだろう。
 化野に嘘をついてる訳でもない。ただ居合わせただけなのに。僕は勇気と二人で買い物に来ているし、勇気とは今一旦別れてるだけで、帰りは一緒だ。
 でも、どうしてか、化野に今の自分を見られちゃいけない様な気がして、僕はそのまま足早に歩を進めると、トレイを店に戻して、すぐに人混みの中へと紛れた。
 できるだけ早く離れないと。
 そんな気がして、ドキドキしながら早足で人混みの間を縫っていく。なんで、こんな風に考えちゃうんだろう。化野は僕の唯一の友達のはずなのに。
 今日だって、遊びに誘ってくれたのに。
 後ろめたいことだって、別にないはずなのに、なんで。

 逃げたい、とか。

「どこ行くの?」
「…………っ!」

 瞬間、後ろから腕を掴まれて、僕は足を止めた。振り返ると、制服姿の化野が笑っていた。
 僕は青ざめて、何故か言い訳めいたことを口走る。なんでか、言わなきゃダメだと思ってしまった。

「…………に、西園、たちは……」
「え? 別に? 用事できたって言って抜けてきたから、まだフードコートにいるんじゃない?」
「…………用事、て……」

 今来たばっかりじゃないか。それをどうしてそんなすぐに抜け出すことができるんだ。僕だったら絶対に言えない。それができるのは、やっぱり化野だからだ。
 化野は、クラスの王様みたいなものだから。
 そもそも、用事ってなんだ、僕を掴まえること? そんなの用事じゃない。
 ぼそぼそと小さく喋ると、化野は僕の手を引っ張って歩き出す。僕はそれに逆らうこともできず、化野に引っ張られる様にしてモール内を歩いていく。
 どこに行くの、とか、どうしてこっちに来たの、とか、聞きたいことはいろいろあったはずなのに、捕まれた腕がやけに冷たく感じて、僕は化野が怒っているんじゃないかと思うと、なにも言えなかった。
 そもそも、化野が怒っていなくても、なにも言えないのかもしれないけど。

「こっちこっち」
「…………あ、化野、ここ……」
「大丈夫、どうせ誰も人なんて通らないよ」

 ぐいぐいと引っ張られて化野が連れてきた場所は、スタッフオンリーと書かれた非常階段みたいな所だった。てっきり鍵がかかっているかと思ったけど、意外にも鍵はかけられておらず、薄明かりのついた、肌寒い廊下に押し込められる。
 倉庫みたいな扱いなのか、少し肌寒い。

「な、なんでこんな所…………」
「正義ちゃんさあ、俺に嘘ついた?」
「…………」
「弟くんと二人で出かけてるとか嘘? ほんとはあいつらと一緒にいたの?」
「………………」

 違う、僕はふるふると首を横に振る。

「じゃあ弟くんは? つーかさっきなんですぐ離れたの」
「…………そ、れは」

 ドキドキと、心臓が早鐘を打ち始める。なんで、こんなに焦っているんだろう。心臓の音が大きくてうるさい。
 別に、本当のことを言えばいいだけなのに。僕は、嘘なんて一つもついていないんだから。
 佐々木達と会ったのは偶然だし、そもそも向こうは僕だってことすら気づいていない。それに、勇気だって今一緒にいないだけだ。

「……たまたま、近くに座ってただけ……だし、待ち合わせしてたみたいだから、邪魔、かと……。勇気は、一人で見に行っちゃったから…………」
「ふーん、じゃあ今正義ちゃん一人なんだ?」
「…………」

 小さく頷くと、化野の手が、僕の顎を掬った。
 素顔のまま、化野の視線がかち合うと、僕はなんだかぞわりとした悪寒を覚え、目線を下にずらした。
 すると、化野は通学鞄に入っていたらしいお面を、顔につける。今日のお面は、能とかに使う能面だ。おかめのお面。表情のないそのお面が、今はやたら不気味に思えた。
 一気に化野の顔も見えなくなって、僕は後ずさる。けど、腕を掴まれて、近くへと抱き寄せられた。

「顔、見られた? あいつらに」
「…………み、見られてない」
「ほんとに? あいつらと喋ってない?」
「…………」

 小さく頷く。
 嘘をついた、かもしれない。確かに喋ってないけど、西園に、顔は見られた。
 でも、向こうは僕だなんて気づいてないだろうし、そもそも気づいた所で西園も気にしないだろう。
 大部分の人は僕に興味なんてないし、僕だって、別に死んでも素顔を隠したい訳じゃない。
 今更取ることもできないからつけて通ってるけど、きっかけがあれば、素顔で生活してもいいと思っている。それが出来ないのは、ひとえにこの赤面症を隠したいからというのと、化野が言うからだ。
 顔、見せるなって。
 正直化野がどうして僕にそんなこと言うのかわからないけど、それをしてしまうと、化野が怒る気がして、できない。
 化野の顔が近づいてくる。能面の目から覗く瞳は、相変わらず何を考えているかわからない。
 ぎゅ、と目を瞑ると、口元に柔らかい物が当たった。

「…………っ!?」

 壁を背に、化野が僕の体を押しつけて、能面をずらして口をつけてきた。べろ、と化野の舌が口の中に入ってくる。僕が驚いて口を開けると、さらに奥に入ってきた。角度を変えて、何度も口づけられる。
 ……これをしたこと、ないわけじゃないけど、未だに慣れない。他人の体温が自分の中に入ってくる感覚。柔らかい舌が、奇妙な生き物みたいに思えてくる。

「……っ、……っ」

 化野の顔が近い。能面で隠れてはいるけど、近くで見ると、本当に整った顔立ちをしている。女の子が騒ぐのだってわかる。キスしていると、化野の匂いがした。香水の匂いなのか、女の子みたいに甘い匂いじゃない、くらくらするような匂いだ。口の中、熱い、顔も。

「……なんか甘いね、さっき何食べてたの?」
「……っ」
「おいし」
「……っは……あ、……だし、のっ……」
「ん、あー、ごめん」

 僕が化野の胸を押すと、気がついたかのように、化野が離れた。息があがって、壁に背中を預けて体を支えた。顔が熱い、今、きっと真っ赤になっている。すぐこんなに赤くなるの、本当に恥ずかしい。見ないでほしい。
 顔を手で隠していると、化野が僕の鞄を勝手に漁っていた。

「はい、正義ちゃん」
「…………」

 僕の鞄から狐面を取り出すと、そのまま僕の顔につけてくれた。顔が隠れたことで、僕は少しだけ息をつく。
 外でつけることなんてないと思っていたけど、持ってきていてよかった。別に、顔が赤いのは変わらないけど、これで見られなくてすむ。
 こんなことを考えている時点で、学校で狐面を外して生活するのなんて、無理なのかもしれない。
 ほっと狐面を触っていると、化野が能面をずらし、素顔を晒した。化野は、僕を見て笑っている。なんだか、ギラギラした、獣を思わせる様な笑みで、僕は獲物に睨まれた小動物みたいに縮こまった。

「…………っ?」
「正義ちゃん、私服似合ってるね。正義ちゃんって感じの服」
「………………」

 僕は首を横に振った。だって、こんなの、よくわからないから適当に買ってるだけだ。無地の、なんの変哲もないポロシャツにジーンズ。多分似たような服を着た奴なんて、ちょっと探せばたくさん見つかる。
 だけど、化野はそれをじろじろと見て、かと思えば僕のポロシャツを突然捲り上げてきた。

「…………!」
「この間の痕、ちょっと残っちゃったね」
「…………っ」

 前に、化野の家でやったアレの痕が、未だに体に残っている。化野が僕の胸の下辺りを、人差し指でなぞると、体がびくついた。
 アレも、本当は、少し苦手で、やっていると、こんなことしていいんだろうかという気になってくる。この場所が寒いからか、化野の指が冷たいからか、僕の体が熱いからか、冷えた指でなぞられて、肌が粟立つ。そのまま肌を舐められて、僕は思わず声を上げた。

「あっ、あだっ、しの」
「んー?」
「こ、こういうの……その、もう……」

 やめた方がいいんじゃないか、と言おうとしたけど、僕はその言葉を最後まで言うことが出来なかった。
 僕を見上げた化野の目が、冷たく、それでいて肉食獣みたいに、ギラついていたから。僕は言葉を詰まらせた。
 化野は笑いながら僕に言う。

「もうやだ? こういうの。やめたい? 正義ちゃんが言うならそれでもいいよ、俺も、もうしないから」
「…………っ」
「嫌なことさせたいわけじゃないもんね」

 なんだろう、やめてもいいって、言ってるはずなのに、どうしてか、僕はそれに頷くことが出来なかった。頷いたら駄目な気がした。頷いたら、化野が離れていく、それもあるけど、それよりももっと、悪いことになる様な気がして、僕は小さく首を横に振った。

「い、嫌……じゃ、ない……」
「ほんと?」
「…………」

 そして、今度は首を縦に振る。
 嫌じゃない、所もある。気持ちいいって、思うこともあるから。嫌じゃない、嫌じゃないんだ。自分に言い聞かせるようにすると、化野は嬉しそうに笑いながら、僕の服を脱がせようとしてきたので、それにストップをかけて首を振った。

「…………! …………!」
「ん? 嫌じゃないんでしょ?」
「み、店……だから」
「家ならいい?」
「…………」

 僕は小さく頷く。家なら、誰かに見られることもないから、まだいい。すると、化野はにーっと口角を上げて笑いながら、そうだよね、と僕の服を直してくれた。

「ここでやったら、風邪引いちゃうもんね」
「…………」

 本当は、それよりもっと重要なことがあるんじゃないかという気がしたけど、これ以上言うのもどうかと思って、ただ頷くだけにしておいた。

「それじゃ、帰ろう正義ちゃん! 俺の家にいこー」
「……ご、ごめん、勇気、と来てるから、待ち合わせ場所いかないと……」
「ん? ラインでもしとけばぁ?」
「ライン、知らない……教えてもらえなくて……」
「…………うわっ」

 うわって言われた。でも、本当のことだから仕方ない。
 そう言うと、化野はむくれた顔になり、じゃあ俺もついていく、と言い出した。
 勇気は化野のこと嫌ってるっぽいから、出来れば来ないで欲しいんだけど、それを今言うと、もう一度さっきのことをされそうだ。僕は待ち合わせが二時半だから、それまでなら遊べる、と言うと、化野は顔を明るくした。

「ほんと? じゃー、俺新しく服買おうと思っててさあ、正義ちゃんに選んでもらっていい? あっ、正義ちゃんの服は俺が選ぶ!」
「……佐々木達は…………」
「ん? あーそっか、あいつらも来てるんだもんなー、俺と一緒にいたら正義ちゃんだってバレちゃうか。よし、じゃあそのお面被ったまま遊ぼう!」
「! む、無理……」
「なんで?」
「…………」

 なんでって、こんな大きなショッピングモールでお面被って買い物してたら、完全にただの不審者だからだ。
 子供には後ろ指さされて、カップルには嘲笑の笑みを向けられて、店のスタッフからは困惑の表情で見られる。そうに決まってる。
 僕が固まっていると、化野は気にせず、狐面をつけたままの僕の手を引っ張っていた。

「ま、まっ……」
「じゃー行こう正義ちゃん! ああ、それとも近くにカラオケあるから、二時までそっちにいく?」
「…………」

 蛇に睨まれた蛙の様な気分で、僕は緩く首を横に振った。この流れでカラオケなんて行ったら、なにをするかなんてわかりきってる。僕にマラカスを降り続けてほしいわけじゃないだろうし。

「だーいじょうぶ! 他人の目線なんてどーでもいいって!」
「…………」

 それが出来るのは、きっと化野だからだ。


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