息は続かない

 中学の時の話、僕は水泳部に所属していた。
 それは、もやしみたいに弱そうな体を鍛えたかったとか、泳ぐのだけは他のスポーツの中でも比較的得意だった、というのもあるけど、それよりも肌を焼いて、この赤面症を隠したかったのだ。
 肌が焼けて黒くなれば、赤いのも多少は隠せるんじゃないかって。
 中学の頃はもちろん狐のお面なんてつけていなかったから、すぐに赤くなるのがばれて、よくからかわれた。小波はゆでだこ、なんて笑われた。

 女子と話すと必ずと言っていいほど赤くなるので、周りの男子にからかわれ、そのうち僕と話すとネタにされると、女子が近寄ってこなくなった。
 というか、女子だけに関わらず、人と話して焦ったりすると、すぐ赤くなるので、やがて僕はあまり喋りたくなくなった。
 水泳は、水の中にいれば、顔色なんて気にしている余裕はないし、ゴーグルで隠せるし、何より水の中は気持ちよかった。
 塩素の匂いと、じりじりと照りつける太陽の日差し。暑さも、冷たい水の中に入れば、気にならなくなる。
 あまり泳ぐのが早い方ではなく、レギュラーの皆の応援ばかりしていたけど、水泳部には特別厳しい人もいなくて、僕の顔色をからかう人も少なかったので、居心地がよかった。
 そんな中、練習試合で他校へ行くことがあった。

 どこの中学校だったか、今となっては覚えていないけど、そんなに強い学校ではなかったと思う。そもそも、僕が通っていた中学自体、水泳部は弱小だったので、その練習試合も交流が目的とされていた。
 僕の学校は屋外プールだったけど、その学校は屋内プールで、焼けるような太陽の日差しもなく、プールに浮かんで死んでいる虫もなく、綺麗に管理されていて、今思い出してみると、結構お金持ちの学校だったのかもしれない。
 準備運動を終え、練習試合を終え、最後に交流時間が設けられた。試合は、残念ながら僕たちの負けだったけど、いい思い出にはなったと思う。
 広いプールなので、それなりに余裕がある。各自プールの中に入っていると、一人の少年に声をかけられた。

「ねーねー」
「……はい?」
「綺麗だね」
「…………?」

 振り向くと、そこにはそれなりに日焼けした、にっこりと笑う可愛らしい少年がいた。整った顔立ちで、僕と同じくらいの身長の少年だ。見たことがないので、この学校の生徒なんだろう。ぷかぷかと水に浮きながら、僕の肩を叩いてきた。

「一年? 今日西中から来た奴? ここのプール、広いだろー」
「あ……」
「さっき試合出てた?」
「えと……」
「あ、補欠?」

 気さくに話しかけてくれたのはいいものの、なんて言っていいのかわからず、僕はただ頷いた。人と話すのは苦手だ。すぐに赤くなるから。
 初対面の人はなおさら。この人も、僕のことを笑っているかも。
 ちらりと視線を上げると、黒い肌が目につく。
 残念ながら、僕は太陽の日差しを受けても黒くはならず、赤くなるだけの体質なので、ここまで黒くはならなかった。この学校は屋内プールなのに、ここまで焼けてるってことは、普段から外で遊んでいるのかもしれない。
 ぎゅ、と片手でもう片方の自分の腕の肘を掴む。僕は、学校のプール以外で外で遊ぶことはないので、羨ましかった。その肌も、気さくに話しかけてこれる性格も、外で遊ぶような友達がいることも。
 俯いていると、少年が僕の腕を掴んできた。

「!?」
「うわー、赤っ、これ痛くない?」
「あ、え……う、あ」
「え?」
「な、なんで、も……」
「てかさー、綺麗だよね」
「……っ?」

 僕がごにょごにょと口の中で呟くのも気にせず、少年は続けた。さっきから、綺麗、というのは、何の話なんだろう。このプールのことだろうか。確かに、僕の学校のプールに比べれば綺麗だ。広いし、綺麗に掃除されているし。
 僕が小さく頷くと、少年は歯を見せて笑った。

「なあ、潜り対決しない? 何秒潜れるかやろうぜ、俺、結構得意なの」
「あ……」

 まさか、他校の人間に、こんなに親切に話しかけられるとは思っていなかった。碌に返事もせず、もしかしたら、変な奴、なんて思われているかもしれない。恥ずかしくて赤くなっているだろうけど、嬉しくて、僕はこくこくと頷いた。

「じゃ、俺がせーのって言ったら潜ろう」

 ゴーグルを目に装着すると、少年は手を挙げ、せーの、という掛け声と共に、水の中へと潜る。
 僕はすでにゴーグルを装着していたので、息を大きく吸い込み、慌てて水の中へと潜った。
 水中で、青というか水色というか、透明な世界の中、少年が浮力に逆らうように沈みながら息を止めている。ばしゃりと水の中に潜った反動で、空気の粒が上に行くのが見えた。
 少年の姿は、ゴーグルをつけているので、その姿ははっきりと確認できる。僕も、息を止めながら、浮いてしまわない様に、水の中に留まった。
 10秒、20秒……。途中、少年が、僕へと手を伸ばしてきた。地上とは重力の違う水中では、少し動いただけで浮いてしまう。僕が動かぬようじっとしていると、彼掌が肩から脇、腰にかけて、するりと撫でてきた。

「!? っ……」

 驚いて息を吐いてしまいそうになったけど、これは、少年の作戦なのかもしれない。ここで息を吐いてしまったら負けだし、ドキドキして呼吸が乱れても負けになる。
 ぎゅ、と口元を両手で覆い、浮かない様にしていると、少年は悪戯そうに笑った。それから今度は僕に近づいてきた。
 今度はなんだ? 僕だって何か仕掛け……

「……っ! ぷはっ……!!」

 けれど、すぐにぼこぼこと泡を吐きながら、僕は水中から浮上した。少しだけ鼻の中に水が入って、ツンとしたものがせりあがってくる。咳をしながら心臓を落ち着かせていると、程なくして少年も浮上してきた。

「けほっ……ごほっ……」
「イエ〜、俺の勝ち〜」
「ず、ずるい……」
「えー?」

 僕は口の中に入ってしまった水を吐きながら、恨めしそうに呟く。あんなの、驚くに決まっている。少年の顔が、驚くほど近くに来たのだ。もしかしたら、唇が触れるんじゃないだろうかってくらい。僕は驚いて口の中に含んでいた空気を漏らし、息が続かなくなってしまった。
 あれがなければ、勝っていたかもしれない。水泳自体は早くはないけど、息は結構続くほうなのに。

「なあ、名前は?」
「え、と……こ、小波……」
「ゲーム?」
「ちが……」
「冗談だって、俺はね――」
「たいしー! 集合だってー!」

 その時、向こうの学校の生徒と思われる少年が、目の前の少年のことを呼んだ。少年は振り返り、そちらへと走っていく。

「わかったセイ、ちょっと待っててー!」

 少年は、僕へ振り返ると、にっこりとほほ笑んだ。

「また学校来てよ、いつでも遊ぼうぜ! 俺、小波くんのこと気に入っちゃった!」
「あ、ありが……」

 ありがとう、って言えばいいんだろうか? 他校での友達ができて嬉しい反面、素直に言えず、ごにょごにょと口の中で呟いていると、すぐに少年は向こうの学校の教師の方へと泳いで行ってしまった。

「小波、こっちも集合ー!」
「あ、う、うん……!」

 僕も、同じ水泳部の友人に呼ばれたので、別の方向へと泳ぎだす。
 潜りあい対決は、今回は負けてしまったけど、次会うことがあれば、今度は勝ちたいな、なんて、思ったりした。


***


 という、過去の記憶をぼんやり掘り返しながら、やっぱり次にあっても負けていたかもしれないと、最近思うようになった。
 あの後、僕の通っていた中学の水泳部は、新入部員が入らず、水泳部自体なくなってしまったので、練習試合に行くこともなく、結局その後少年に会うことはなかった。
 僕一人で彼の学校に遊びに行くような勇気もなく、また、向こうが忘れていたらどうしようと怖くて行けなかった。
 それに、僕は自分で思っていたよりも、息が続かない方なのかもしれない。

「んっ……ふ……っ、……っ」
「正義ちゃーん、また息上がってる」
「っ…………」

 化野が、目の前で笑った。狐面を被っているのは僕なのに、まるで狐みたいに目を細めて笑っている。
 べろりと赤い舌が僕の唇を舐め、覆いかぶさってきた。唇を抉じ開け、舌が、僕の口の中へと侵入してくる。
 かつてあの少年とした、水の中での潜りあい対決ではないけれど、化野が提案してきたのは、それに近く、けれどそれよりももっと淫猥で、到底敵いそうもないものだった。
 キスをして、先に唇を離した方が負け、というもの。
 鼻で息をすればいいのに、唇が重なる度に硬直して、僕は息を止めてしまうのだ。負けるたびに、罰ゲームと称してもう一度対戦させられる。これで、もう何回目だろう。
 僕の狐面を、鼻の上くらいまでずらして、何度も化野が唇を重ねてくる。

「ん、……っ…………」

 くちゅ、と濡れた音がして、口の中を嬲られると、すぐに息が続かなくなり、僕は口の中に入り込んだ化野の舌を、自分の舌で押し返し、彼の肩を叩いた。
 化野は笑いながら離れ、僕の唇をなぞる。

「また正義ちゃんの負け」
「…………」

 本当は、もっと長い間息は続く。続くのに、キスされると、何をどうしればいいのか、わけがわからなくなって、心臓が早鐘を打ち、昔の半分も息が続かない。肺活量は割とあると思っていたのに、毎度僕が負けてしまう。
 化野は僕の太ももあたりに座り込むと、狐面を元の場所に戻してくれた。よかった、このゲームも終わりらしい。
 僕がほっと胸を撫で下ろすと、化野の手は、お面から、首元へと延びてきた。

「そろそろキスゲームも飽きちゃったし、別のゲームしよっか」

 化野が、ベッドの上に転がる僕の詰襟のボタンを外した。一つ、二つと外され、下に来ていたシャツが露わになり、それも無言で外していく。
 抵抗すればいいんだろうけど、なんて言えばいいのかわからない。やめて、といえば、きっと化野はどうしてと聞いてくる。
 僕が、嫌だからと答えれば、化野はやめてくれるかもしれない。でも、化野はきっと言うだろう。嫌なら、もうやらないし、話さないよって。実際に、前に言われたことがある。その時は、ドキドキなんてものじゃない。心臓が止まるかと思った。
 それが、僕は怖いんだ。僕は、化野に見捨てられたくないのかもしれない。
 ぎゅ、と口を横に結ぶと、学ランとシャツの前を肌蹴させ、着ていたタンクトップをたくし上げられた。
 露わになった僕の肌を人差し指でなぞりながら、化野が笑う。

「やっぱ、綺麗」




終わり
  


- 228 -
PREV | BACK | NEXT

×
「#切ない」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -