殴らせてください


 
 なんでもするから殴らせてくれ、と最初に言われたのはいつだっただろう。
 中学の終わりくらいだった気がする。俺らは二人、同じ高校に入学が決まっていて、来年もよろしくな、なんて、そんなことを言っていた。竜也とは家が隣同士で、昔から仲がよかった。なにをするにも、どこに行くのも一緒で、何でも話せる親友だと思っていた。
 だから、それを言われたとき、俺は一瞬頭が真っ白になった。

 親友だと思っていたのは俺だけで、実はそんなに嫌われていたのかって、正直ショックだったよ。それならそうと、早く言ってくれればよかったのに。
 でも、竜也は、そうじゃないと首を振った。
 俺のことは嫌いじゃない、むしろ好きで仕方ないと、でも殴りたいんだと、涙ながらにそう語った。
 そんなこと言われても、よくわからない。
 それはつまり嫌いってことじゃないんだろうか? 嫌いだから殴りたいんだろう? って。
 でも、それには首を振るばかりで、違う、そうじゃないと否定する。好きだから、殴りたいのだと答えるばかりだ。
 そのうち俺は親友だと思っていた奴に嫌われていたと悲しくなって、殴るのもなんでも好きにすればいいと返した。その代わり俺も殴り返すけど、と。

 すると、竜也は俺を平手で叩いた。

 風を切る音と、水に打ちつけるような音が響いて、俺は呆然とした。赤くなってきた頬がだんだんと熱を帯びていく。俺は悔しくて悔しくて、竜也にされたように、竜也を叩き返した。俺はグーで。
 しかし竜也は、痛がるでもなく、怒るでもなく、嬉しそうに、俺を見ていた。

 ……そういえば、最初は、平手だったなと今になって思い出す。あの頃はまだ優しかった。
 優しかったと感じてしまうのがすでにおかしいんだけど。
 ひりひりと痛む頬を、緊張で冷たくなった自分の手で冷やすと、竜也が俺を抱きしめてきた。

「ごめん、ごめんな雪教、俺、変態なんだ。雪教がこんな風に傷つく姿見て興奮してる。ごめん」
「…………」

 なんていうか、普通に気持ち悪かった。

 それまでの竜也のイメージというか、俺の中の親友が死んでいく気がした。というより、死んだ。
 かっこよくてスマートで、なんでもそつなくこなす竜也は、その瞬間死んだ。竜也なんて人間は、いなかった。
 アニメや漫画じゃないんだから、他人の性癖を知ってもナチュラルに接してくれるいい奴なんて、そうそういねえよ。少なくとも、俺はそんな出来た人間じゃない。
 今度はそういう優しい親友を作れればいい、もう俺には関わらないでくれ。なんか、そんなことを言った気がする。
 その後、気絶するまで殴られた。


**


 確か、それが今からちょうど一年位前の話だ。
 そして、現在の俺には、痣が耐えない。顔も、腕も、腹も足も、全体的に痛々しい。
 結論から言うと、逃げることに失敗したのだ。警察にも親にも言えない。何故かと言うと、世界そのものが消失したからだ。警察も、親もいない。無秩序な世界に変化した。

 今から一年前、巨大な隕石が地球に衝突した。それは奇しくも竜也に変態性癖をカミングアウトされた日で、殴られて気絶して、目を開けると一面が更地になっていた。
 隕石のせいで、地球の半分以上の生物が死滅した。幸いというか不幸にも無事だった俺は、竜也に保護され、今は地下で暮らしている。大気汚染が進み、地上では暮らしていけなくなったからだという。詳しくはよく知らないんだ。
 竜也に殴られて、殴られて、殴られて。
 目を開けると状況が変化しているから。
 しかし、深い穴倉みたいな所で暮らしていると、段々と精神が麻痺していく。
 果たして、俺と竜也以外の人間は、生きているのだろうか。もしかしたら、もうこの地球上に残っているのは、俺と竜也の二人だけなんじゃないだろうか?
 例え生きていたとしても、俺は会ったことがないし、今後会えない様な気もする。竜也が、ここなら安全だと言って、出してくれない。逃げようとしても、その度にまたぼっこぼこに殴られるから、その内俺は逃げるのをやめた。

 そして正直、俺は竜也が本当に人間なのか、疑っている。

 最初の頃は、俺も竜也を殴り返した。殴られるたびに、何度も何度も。
 けれど、竜也の傷は、翌日には治っていたし、当たり前の様な顔をして俺に触れてきた。包丁で刺したこともある。でも、生きていた。もしかしたら、竜也は人間じゃないのかもしれない。あ〜、なんか考えてたらくらくらしてきた。頭の中をピンクの兎が走り回り、大きな杉の木にぶつかって、成っていた木の実が弾けて真っ赤になる。あれ? ……俺、何考えてたんだっけ。
 最近、頭が混乱するんだよな。よくわからない物が見えたりする。
 何を考えていたんだっけ、そうだ、竜也だ。
 あいつが、竜也が、殴る度に嬉しそうに笑うから、気持ち悪くなって、結局俺は竜也を殴ることをやめた。意味ないしな。
 竜也は俺を殴ることはやめなかったけど。

 寝床と食料だけはどこからか確保してくる。竜也は一体何者なんだろう。最初は、そんなことを考えていたけど、今はもうどうでもよくなっていた。
 早く殺してほしい。
 最近考えるのはそればかりだ。ほら、だって天井に白い蜘蛛が這いずりまわってるだろ。黒い糸垂らして俺を捕えようと考えてるんだ。ああやだやだ、気持ち悪い。
 いい加減にしてくれよ。

「ただいま、雪教」

 そんなことを考えている間に、竜也が帰ってきた。俺はだるい手足に力を入れて、体を起こす。ばき、と音がした気がする。いや、幻聴か? 幻覚と幻聴がやまないからな。

「い、ぎ……」

 身体が痛い、あちこちが悲鳴を上げている。もう殺してくれと全身が叫んでいる。だけど死なない。死なないんだよ。
 たまに、致命傷だろって傷をつけられることがあっても、何故か死なない。腹を裂かれ、内臓取り出してその内臓口に突っ込まれても、痛みは襲ってくるが俺の体は死ななかった。
 もう、俺も人間じゃないのかもしれない。俺って、なんだっけ? 名前は、雪教で合ってたっけ?
 小学校はどこの学校に通ってたっけ。あいつと一緒に中学の帰り寄った駄菓子屋の名前は? 高校は、どこに行くって言ってたっけ。すっかり遠い過去のことみたいだ。そもそも、それすら俺の妄想で、本当はそんな事実はなかったのかもしれない。三角定規が俺の心臓を貫こうと物陰から狙っている。その後ろは頭から角の生えた猫が爪を研いでいる。はははは、なんだあれ可愛いな。

 俺はすっかり濁った眼で、竜也を見た。

「……おかえり」

 そう答えると、竜也は幸せそうに俺を見る。本当に、嬉しそうに。
 理解できなかった。この状況も、今の世界も、何より竜也自身が。気持ち悪くて仕方ない。殺してくれ、殺してくれ。しかしそれだけは声に出せないのだ。

「傷、また治ってきたね」
「そうだな、治ったな、お前もな。すごくよかったよ、蝶々みたいで」
「うん、殴っていい?」
「やめろ、痛いから。ほら、上が危ないだろ」
「ごめんね」

 衝撃。
 腹に竜也の膝が入る。胃からせり上がってきた内容物を吐くと、上から興奮した吐息が聞こえてきた。はぁはぁと、俺の耳から蛆虫が這って行くような怖気が走る。
 ああ、気持ち悪い。もうやめてくれ、殺してくれ。指を一本一本丁寧に折られていく。激痛が走るけど、そろそろ何も感じなくなってきた。だから、次はあれだな。

「ごめんな雪教、ごめん」
「あっ、あ」

 竜也の手が、俺の服を脱がす。そもそも、服、着てたっけ? 忘れた。もう全部忘れた。
 俺には何もない。こいつは誰だ。なんで死なない。俺はどこだ。赤い蝙蝠が爪立ててカーテンが燃えている。星が舞う中、隕石がまた降ってくる。なんだこれ。なんだこれは、俺はなんで、こんな。

「好きだよ、ごめん。ごめんね」

 懺悔の言葉を吐きながら、竜也が俺の口に自分の口を押し当ててきた。やめろよ、そんなことしたら、俺の口に酸素が入らないだろうが。まあ、いらないか、そんなもの。だってなくても死なないもんな。やたらおかしくなってけらけら笑うと、竜也も笑った。
 気持ちいい、とか言いながら。何を言ってるのか全然わからないけど、お前は早く死んだ方がいいと思うよ。




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