「君、自分の腕折るの好きなの?流行ってるの?」と医師から聞かれたので、俺は迷わず「違います」と答えた。そんな筈ないだろう、どんなマゾヒストだ俺は。否定したにも関わらず、疑わしい視線で見られたので、そんなにマゾっぽいのだろうかと悩みが一つ増えた。

「右腕、大分治っててよかったねぇ樹」
「次は左腕なんだろ? 利き手よりは不便じゃないな」
「お前ら……」

 病室のベッドに寝転がりながら、右側に座る林と森に向かって、出来る限りの恨みを込めた視線をぶつけた。二人とも意に介さず飄々としているのが癇に障る。現在俺は、再び階段から転げ落ちて、今度は左腕を骨折したので病院に入院中だ。医師と看護士は、俺のことをマゾヒストを見る目で見ていた。泣きたい。病院独自の臭いが漂う中で、小さく肩を落とす。

「言っておくけど、今度は俺のせいじゃないぞ、樹が勝手に逃げて勝手に落ちたんだからな」

 そんな俺を見て、森が先手を打つように言った。確かに、今回の森は何もしていない。逃げてもいないし、逆に俺が逃げたくらいだ。でもな、なんでお前そんなに嬉しそうな顔しているんだよ。お前、実は俺が怪我するのを喜んでるんじゃないの? そう問いかけたくなる程笑顔だった。

「でも安心しろよ樹、俺はいい人だからな、お前の看病はしてやるって!」
 力強く背中を叩かれ、少し咳き込む。
「……そりゃどうも」
「なーに、俺と樹クンの仲じゃない」

 どんな仲だ、と言おうとしたところで、林がニヤニヤ笑いながら俺を見ていることに気づく。目に痛いそのファッションはあからさまに病院には不釣合いだったが、まるでいるのが当然のように、その場に馴染んでいた。林流星、こいつには色々と聞きたい事がある。俺はべたべたくっついてくる森を引っぺがすと、小銭を手渡し、懇願するように言った。

「森、お前にしか出来ない頼みがある。ちょっと近くのコンビニでジュース買ってきて」
「パシリだろそれ。っつか、院内に自動販売機あるじゃん。ここにポカリも置いてあるしー」
「俺どうしても百パーセントオレンジジュースが飲みたいんだ。飲まなかったら死んじゃう。お願い森クン買ってきて」
「……買って来たら何してくれるの?」

 交換条件ってお前。さっき看病してくれるとか言っていたのは嘘だったのか。まぁパシリは看病の中に入らないかもしれないけど。

「……逆に何してほしいんだよ」
「言っていい? 言っていい? やー、照れちゃうなあ」
「あ、やっぱり買ってこなくていいわ。その代わりもう帰れ」

 クネクネと気色悪い動きをする森が鬱陶しかったので、そう言い放つと、奴は焦ったように、少し口を尖らせながらも小銭を受け取った。

「わかったって、買ってくるって。林に何かされたらすぐ言えよ」

 最後にちらりと林を一瞥すると、森は病室を出て行った。此処は大部屋ではあるものの、カーテンで区切られているので、この空間には俺と林しか居ない。
 正直な話、林と二人で話すのは苦手以外の何者でもなかったが、今はそんな甘いこと言っていられない。前までは右腕にあったギプスが左腕に移動しており、ほぼ治ったとはいえ、完治していない右腕で、痛む左腕を押さえた。どちらにせよ、片腕が使えないのって超不便。

「聞きたいことが、あるん、ですけど」
「今更だけど別にタメ口でいいのに。あの時はタメ口だっただろ」

 このタイミングでそれかよ。本当今更だしな。しかし、今の発言で、あの時の事は夢じゃないという確証が持てた。あの時とは、扉が叩かれた時のことだ。もしかしたら勘違いだったのかもしれない、とか、妄想じみたことを思ったりもしたが、林がこう言うのだから、やはり扉は閉まっていたのだ。俺はタメ口でいいとは言われたものの、あまり知らない奴と話すのは得意ではないので、結局敬語を貫いた。

「結局、林くんは何がしたかったんですか」
「んー? だから、あんたにくっついてた奴、はがしてやったんだろ」

 くっついてた奴、と林は言うけど、俺にはそんなもの見えないし、もしかしたら最初から林の狂言だったのではないかとすら思う。だけど、林にそんなことを言うメリットなんてない。黙ってしまった俺に対して、林はポケットから何かを取り出した。それは良く見る茶封筒で、中には数枚の写真が入っているようだ。

「あんたはさ、自分に何がついてたのかと、どうしてあの時扉が叩かれていたのに、中に何もいなかったのかが知りたいんだろ?」
「ま、まぁ……」

 有体に言えばそんな感じだ。しかし、本当は、知りたくない。知ってしまったら、また怖い思いをするんじゃないかという心配から、このまま何も言わずに帰れと言ってしまいたくもある。だけど、知らなかったら知らなかったで、また無駄に悩むことになるのだろう、俺の性格上、良くわからないことで悩むのは癖なのだ。

「結論から言うと、あんたにくっついてた奴は、離れたよ」
「あ、そうなんです、か」

 その言葉に、ほっと胸を撫で下ろした。よかった、何がくっついていたのかは知らないけれど、とりあえず、今の俺の体は安泰だ。そう安心したのも束の間、林は更に言葉を続ける。

「あんたからはね」
「……どういう意味ですか」
「じゃんっ」

 という言葉と共に、林は茶封筒に入っていた写真を広げた。ごつい兎の形をしたリングが嵌めてある人差し指で、写真を示す。暗い中、僅かに映るコンクリートの壁や、割れた窓。これはもしかして、あの廃ビルの中の写真か?

「これ……」
「安心しなよ、あんたからは離れた。ただ、あっちにくっついただけ」

 そこで、一枚の写真に目が留まった。それと同時に、息を小さく吸い込む。頭を強く打たれた気分だ。

「林、くん。これ」
「あ、そうだ。出来れば流星って名前で呼んで欲しいだよね。俺流星って名前好きなんだ。ほら、流れ星とかなんか格好いいじゃん? でもあんたが樹だから、林って苗字とも相性いいか、あははは」
「林くん!」
「何? 病室では静かにしたほうがいいんじゃない。他の患者さんの迷惑になるだろ」

 だからどうしてそう変なところで常識的なんだ。俺は無性に苛々して、散らばっている写真の内の一枚を、彼の顔の前に突きつけた。

「これ、何……」
「何って、写真だよ。あんたにはそれが絵に見えるの?」
「そういうことを言ってるんじゃねえよ! なんだこれ!」

 突きつけた写真に写っているのは、森と、その森に向かって伸びる無数の手だった。白くぼやけてはいるが、それは確かに人間の手だった。幼いものから、年老いたものまで、すべて森に向かって伸びている。巻きついていると言っても過言ではない。他の写真には何も映っていないのに、この一枚だけはくっきりと映っていた。病室の中は暖かいというのに、鳥肌が止まらない。
 林がつまらなそうに鼻を鳴らす。

「そりゃ、面白半分で写真なんて撮ったら怒るでしょ。よかったね、あんたからは離れたよ」
「よかったって……」
「俺、あんたのこと面白いから結構好き。タメ口になったねえ。怒るとタメ口になるのかな」

 よしよしと、小さい子をあやす様に頭を撫でられたので、その手を振り払う。この期に及んで、どうしてこうも軽いんだ。この写真を見て笑っている林の態度が信じられなかった。

「結局、あそこは……あの子供は……なんなんだよ」
「知らないよ、あんたは俺がなんでも知ってるすごい人だとでも思ってるの?」
「じゃあ、なんで俺からはがすとか……」
「はがしたじゃない。他人に移しただけだけどね。あそこは色々と集まりやすい土地なんだよ。あの子供だって、元々あそこにいた奴らの一人だろ。関わらなければよかったのに、馬鹿だな」

 そうだ、最初からあんな所、行くんじゃなかった。だけど、そんなこと言っても今更もう遅い。俺はもうあの場所に行って、関わってしまったのだから。後悔渦巻く俺に対して、林は口笛なんて吹いている。

「森はどうなるんだよ」
「さぁ? 沢山ついちゃってるから、前の樹くんみたいになるかもね」
「なんとかならないのか」
「また樹くんに移す? そしたら今度は怪我じゃ済まないかもしれないけど!」

 言いながら、ケラケラと林は笑った。……もういい、こんな奴に頼ってもどうしようもない。俺は森が戻ってきたら即お払いを進めようと心の中で決意した。そもそも、最初の段階でお払いしておけばよかったんだ。こんな胡散臭い奴に頼らずに。

「人のこと心配する前に、森くんとはさっさと縁切っちゃえばいいのに」
「お前にそんなこと指図されたくない。森は友達だって言っただろ」
「友達ね……まぁ、あんたがそれならそれでいいよ」

 含みのある言い方をして、林は立ち上がった。どうやら帰るらしい。近くにあった鞄を持つと、そのまま帰ると思いきや、俺の耳元に顔を寄せてくる。

「な、何……」
「気をつけてね、疫病神くんに」
「はっ……?」
「俺、あんたのこと結構気に入ってるからさ。暇なときは助けてあげる」
「何が言いたいんだよ」
「せいぜい死なないようにしてねってこと。ばいばーい」

 言うだけ言って、去っていく。毎度毎度、何が言いたいのか解らない男だ。林が出て行くと同時に、森が戻ってきた。出て行く林を、何処か冷めた目で見つめていたが、俺に視線を戻すときは、いつもの顔に戻っていた。

「森?」
「ただいまー樹」
「ああ、お帰り……」
「ほい、オレンジジュース。何話してたの?」
「いや、大したことじゃ……お前に幽霊がついてるって話」

 濁そうとした言葉を途中で打ち消して、真実を告げた。どうせ隠した所で、執拗に詰問されるだけなのだから、最初から素直に話した方がいいだろう。森はその言葉を聞くと、馬鹿にしたように笑った。

「マジで? 俺に幽霊ついてるの? やばいなー」
「お前、本当にやばいと思ってるの?」
「思ってる思ってる。何? 心配してくれてんの?樹」

 嬉しそうに言う森に対して、俺は言葉を詰まらせた。あの写真を見ればそりゃ心配もするが、素直に言うのもなんか癪だ。すると森は俺の返答など期待していなかったかのように、話題を変える。

「そういえば樹、その腕いつ治るの?」
「これ? 先生が言うには、前よりは時間が掛かるみたいだから……一ヶ月くらいかな。なんで?」
「いや? 聞いてみただけ」

 答える森は笑顔だ。いつもと同じ笑顔なのに、どこか違和感を感じるのは、どうしてだろう。

「……そういえばお前、最近合コンとかしないのな」
「まぁね、樹クンの看病に忙しいから。俺樹の看病するの好きなんだよ。無防備な樹を好きに出来るから」
「変な言い方するな。あーあ、俺は女の子に看病されたいよ」
「俺がいるじゃないですかー」
「はいはい」

 再び抱きついてくる森、その行動が、あまりにもいつも通りすぎて、俺は森の呟きを聞き逃した。

「……次はどうやって怪我させようかな……」
「何か言ったか?」
「何でもないよ、樹」

 笑顔で答える森に対して、俺はいつお祓いを進めようか考える。こいつも、沢山怪我する前になんとかしてやらないとな。林の言っていたことなんて気にしないで置こう。林檎の皮を剥く森を見ていると、どこかで子供の「あーあ」と、笑う声が聞こえた気がした。


- 306 -
PREV | BACK | NEXT

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -