渦見家E



 暗闇の中で、子供が泣いてる。膝を抱えて、じっとうずくまって、泣いている。
 なんで、泣いてるんだろう。誰かにいじ められたのか、それとも、悲しいことでもあったのだろうか。俺はその子に話しかけたいのに、動くことが出来ずにいた。沼の中にはまってしまったかの様に、 身動きがとれない。それどころか、ずぶずぶと足が引っ張られていく。ああ、早くここから逃げ出さないと。でも、泣いている子供が気になった。

「……なんで、泣いてるんだ?」

 沈む瞬間、後ろから声をかけると、子供は振り返り、こう言った。

「泣いてないよ。泣いてるのは……」







「っ……!」

 目を開けるとまず、酷い頭痛が俺を襲った。
 次いで襲ってきたのは、猛烈な吐き気と、だるさ、そして全身に走る痛み。無意識の内に口元を押さえる。気持ち悪い、吐きそうだ。それに、痛い。体の節々が悲鳴を上げていて、特に、腰が酷かった。金槌で腰を殴られているような鈍痛が、下半身に響いていた。
 ゆっくりと顔を横に倒すと、いつもの監禁部屋だった。相変わらず、何もない部屋。ここに閉じこめられて、何日目だ? 5? 6? いや、もっとか?

「……う……」

 目を閉じて、額に手を当てた。熱い。それに、なんだか、すごく嫌な夢を見ていたような気がする。記憶が混濁しているけれど、とりあえず、今の気分は最悪だ。かけられていた布団をはぎ取り、少しずつ上体を起こした。ズキズキと痛む頭を押さえながら、辺りを見回す。
 当然だけど、誰もいない。けれど、近くに水の入ったペットボトルが置いてあった。喉は乾いていたが、なぜか手を伸ばす気にはなれなかった。一先ず、トイレに行きたい。吐きそうだ。俺は外にいる坊主に声をかけるべく立ち上がった。いや、立ち上がろうとした。

「いっ……!?」

  けれど、膝に力が入らなくて、その場にぶっ倒れた。ああくそ、体が痛い。腰も痛い。とにかく気持ち悪い、吐きそうだ。内蔵に手を突っ込まれてひっかき回さ れた様な気分だ。胃がむかむかして、歪む視界の中で、口を押さえていると、目の前の戸が開いた。現れたのは、もう見飽きた顔だ。

「良介くーん、ご飯持ってきたでー」
「う」
「あ、起きとった? おは―――」
「うぇえええぇぇぇぇぇ」

 吐いた。
  胃の腑からこみ上げてきたそれを、俺はそのまま布団の上にぶちまけた。吐いたと言っても、すでに吐く物はなく、胃の中はからっぽだったので、半透明のよう な、茶褐色の混濁した胃液が出てきただけだ。吐斜物が音を立てて布団の上に広がり、吐いた瞬間、頭がカッと熱くなる。気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い。 吐いても吐き気が収まらない。生理的な反射だろうか、胃液と一緒に、涙がぼろぼろとこぼれた。

「あーあー、大丈夫かいな」
「う、うぇっ……ゲホッ……う……」

 灯が背中を擦るけれど、正直触らないで欲しかった。目だけを動かして灯を見ると、なんて事ないような顔をして笑っている。それから、汚れてしまった俺の布団と服を見て、部屋の外に控えていた白装束を呼んだ。

「顔赤いで、熱あるんやない?」
「…………さわ、んな」
「ああ、やっぱり、熱あるで。後で医者呼ばなあかんなあ。あ、君この布団片づけてくれはる? あと服持ってきて」

  灯が控えていた白装束に指示すると、そいつは頷いてどこかに行ってしまった。新しい布団と服を取りに行ったのかもしれない。今あいつについていけばここか ら出られるだろうか。頭が酷く痛む。確かに熱はあるらしい。灯が、ぼんやりしている俺の顔を持ち上げ、飯と一緒に持ってきていたおしぼりで、吐斜物で汚れ た口元を拭った。

「あーあ、口の周りこんな汚して」
「…………」
「今日のご飯は、おかゆやでー、良介くん、昨日から何も食べてへんから」
「…………」
「ご飯食べたら、薬飲んで、ゆっくり寝とき。風邪ひいた時は、それが一番ええよ」
「…………薬」
「そう、一応後で診察するけど、ああ、服、汚れてもうたんやっけ、着替えなあかんか、ほら、脱いで――」
「っ!」

 襟に手がかけられた瞬間、俺は反射的にその手を振り払った。灯はきょとんとした顔で振り払われた自分の手を見ている。
 頭が、痛い。灯の顔を見ていると、思い出したくもない事を思い出しそうになる。俺、昨日、飯、食べてなかったっけ? なんでだ、一応ここに来てからは三食いつも食べてたのに。なんで、食べてなかったんだっけ。
  ガンガンと鳴り響く警鐘に、俺は頭を抱えた。脳内にフラッシュバックする映像。俺の上で、灯が笑っている。掴まれる足に、入り込んでくる熱。布団の上に組 み敷かれて、それで。伸びてくる手が、振り払えなかった、甘い匂いがして、いや、いやだ。思い出したくない。肉のぶつかる音、汗、精液。断片的な記憶がぐ ちゃぐちゃと混ざりあい、俺の中で渦巻いていく。瞬間、唐突に肩を掴まれて、灯と目が合った。灯はにっこりと笑っている。

「……振り払うことないやん、良介くん」
「――っひ」

 灯の手が、俺の頬に伸びてきた。俺は無意識の内に後ずさる。けれど、掴まれた肩のせいでそれは叶わなかった。そうでなくても、体が痛くて、うまく動かない。

「何、怯えてはるん? 昨日みたいに素直な方がかわええよ」
「き、のう」
「そう、昨日。覚えとるやろ」

 昨日。いやだ、昨日のことなんて覚えてない。思い出したくもない。断片的な記憶の欠片が浮かんでくるのを否定する。しかし、灯を見ていると、嫌でも記憶が蘇ってきた。声が、匂いが、体温が、嬌声が、いやだ。嫌だ!

「僕の下であんあんないとる良介くん、ほんま可愛かったなぁ」
「っ……!」

  やめろ、やめてくれ。思い出したくない、そんなこと、してない、したくなかった。俺は力なく首を横に振った。頭がどうかしてたんだ。あんなの、正気じゃな い。けど、熱に浮かされたような酩酊とした気分の中で、俺は何を言った。何をした、何を、された。フラッシュバックする記憶を消し去りたい。肌と肌が合わ さる瞬間を思い出して、再び吐き気がこみ上げてきた。

「う、う……」
「お尻に突っ込まれるの気持ちいい言うて喜んではったやん。ああ、写真あるで。見る?」
「っや、やめろ!」
「冗談やて、今は持ってへんよ」

 クスクスと楽しそうに笑う灯を睨みつけるが、まるで堪えていないようだった。それどころか楽しくて堪らないという風にすら見える。こいつは、いつもそうだ、人が苦しむところを見て、笑っている。
 写真、今は持ってないということは、違うとこにはあるってことかよ。ぐっと唇を噛みしめると、体が震えた。怒りか、恐怖かはわからない。たぶん、その両方だ。灯はそんな俺を見て微笑むと、再び俺の襟に手をかけた。

「まあ、昨日はやりすぎたわ。かんにんな、良介くんがあまりにも淫乱やったもんやから」
「っ……!」
「とりあえず着替えよ、服来たし」
「さ、さわんな! 自分で着替える!」
「あ、そ」

 いつの間にか現れた白装束が持ってきていた新しい着物を奪い取ると、灯の手を振り払い距離を取った。正直、同じ空間にいるのも嫌だ。話したくもない。

「ほな良介くん、布団の上からどいてくれはる? それ片づけて新しいの敷かなあかんねん」
「……わかってるよ……。 ……! っい、ぎ」
「あーあー、言わんこっちゃない」

 体を立たせようとした瞬間、再び下半身に痛みが走り、その場に倒れ込んだ。そもそも、コンディションが最悪なんだ。今の俺の体で無事なところを探す方が難しいくらい。固まってしまった俺の体を無理矢理抱えて、灯が俺を布団の上からどかした。

「さ、触んなっつってんだろ」
「なんやそれ、傷つくわあ。あ、ほな君この布団片づけて、そう、新しい布団はそっち敷いて」

 てきぱきと指示し、あっと言う間に布団は新しいものに変えられた。

「いいから君は僕に任せといたらええねん。それ着とんの嫌やろ? はよ脱げ」
「うわっ」

 有無を言わさずはぎ取ると、灯は俺に新しい浴衣を着せた。といっても、模様自体は変わらない。白い布地に赤い渦模様。これしかないんだろうか。汚れた布団と衣服を回収すると、再び白装束は部屋を出て行ってしまった。こいつと二人きりにするの、やめてほしい。
 灯が、俺の帯を締める。締め終えると、俺はその手を掴んで、灯を見据えた。

「…………」
「何やの、さっきから。ああ、恥ずかしいん? 昨日あんだけ見られてはるんやから、もうええやん」
「お前」
「ん?」
「……何がしたいんだよ」

 切実に、聞きたかった。
  わからない。こいつがしたいこと、ぜんぜんわからない。最初から、此処に連れてこられた目的もわからなかったけど、今は更にわからない。あんなことをし て、一体俺に何がしたいんだ。あんなことになるなら、殴られた方がまだマシだった、一体、どうすれば解放してくれるんだ。
 けれど灯は答えずに、机の上に置いてあったお粥用の蓮華へと手を伸ばした。小さな土鍋の蓋を開けると、仄かな湯気が香る。中には梅干しが入っている様な、シンプルなお粥だ。付け合わせに漬け物が置いてあった。

「まあ、とりあえず食べて薬飲んだ方がええよ。君、声もひどいし」

 酷くしたのはどこのどいつだ。確かに、自分でもわかるくらい声はかすれていて、明らかに喉を痛めている。けど、その原因を追究したくなくて、俺は目を背けた。

「はーい、あーん。良介くんの為や、特別に僕が食べさせたるよ」
「……いらねえよ」
「食わんと薬飲まれへんやん」
「薬も、飲まない。お前からもらったもんは、もう口にしたくない」

  そう言って、そっぽを向いた。実際、薬のせいだと思う。あの変なお香も、原因の一つだとは思うけど、その後口に入れられた薬を飲んでから、明らかに体がお かしくなった。思考能力は著しく低下し、自分でも何を言っているのか、わからなくなった。媚薬のようなものだったんじゃないかと思う。
 そんな、危ない薬を飲ませるような奴だ。もう出されたものを口になんてしたくない。すると、灯が眉を潜めて困ったような声を上げた。


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