そして夜、草木も眠る丑三つ時、とまではいかない夜の九時、俺たちは再びあの廃ビルの前に集まった。夜に見る廃墟っていうのは、どうしてこうも不気味なのだろう。というか、大人しく大学休んで明日の昼とかに行けばよかったのではないだろうか、そんな常識的な考えが俺の頭を過ぎった。しかしそれも今更、いや、もう遅い気もする。
 すでにメンバーは全員集まっていたからだ。前回と違うのは、桜井さんや他の奴らがいなくて、変わりに林というあまり面識のない男が増えたことくらいだ。相変わらず廃ビルは鬱蒼とした草木に囲まれていて、切り取られたような空間には、どこか不気味な空気が漂っている。珍しく待ち合わせに遅刻しなかった森と、一体いつから来ていたのか、ビルの前でシャボン玉吹かしていた林と合流して、俺たちはビルの中へと入っていった。ちなみに案の定扉は閉まっていたので、二階の窓から侵入。これで不二度目の法侵入だ。通報されないようにしよう。
 懐中電灯を照らしながら、朽ち始めている通路を進んでいくと、森が今更の質問をしてきた。

「ところで、何しに来たの?っつか、何するの?」

 しかしその質問は俺がしたいくらいだ。何しに来たんだろうな、本当に。林は俺の後ろに張り付いている何かを取り除くとは言っていたけれど、実際に何をするのかは、皆目検討もつかなかった。そもそも俺は林という人間を知らなさ過ぎる。実は林が超有名な陰陽師で、呪文を唱えて『ついている』という何かを払い、「成仏完了!」とか言い始めたら面白いと思うけど、現実はきっとそんなに愉快じゃないだろう。

「なあ樹ー」

 左手を小さく揺さぶってくる森に、なんと答えればいいのかわからず、そ知らぬ顔をしている林に振った。

「林くんに聞いてくれよ……」
「やっぱり駄菓子は持ってくるんだったかな、忘れてたよ」

 しかし林は林でまともに取り合わない。忘れていたけどこいつ、人の話とか基本的に聞かない男だった。その言葉に不服そうに舌打ちすると、森は突然、俺の手に自らの手を絡めてきた。

「え、なに?」
「いやあ、俺怖がりだからー、手繋ごうと思って。えへ」
「正気か」

 いくら怖がりと言っても、こんな暗闇の中、どうして男同士で手を繋がなければいけないのだ、えへ、とか言うな。大体お前実は全然怖がりじゃないだろ、怖がりならまず肝試しとか企画しないしな!更に言えば、今日はポケットにデジカメとか入れているのが見える。お前、それで何を撮る気だ。

「離せ気色悪い」
 手を振ったが、離れない。
「ひどーい樹クン、俺の愛を」
「お前の愛はいらん。女の子がいい」

 恋人同士でもあるまいし、この光景は寒すぎる。それに、恋人と言えば、俺の心の中の恋人候補、桜井さんはどうなったんだ、この間は結局足を捻挫して教えて貰えなかったのだから、今この場で、彼女の好きなタイプとか聞けば少しは和んだり……。

「あー、ちなみちゃんなら彼氏いるよ、年上の医大生」
「えっ」

 しかし現実はそこまで甘くなかった。甘くないというよりもむしろハードだ。厳しいですね、本当に。俺の人生イージーモードでやり直したい。夢や理想をばっさり断ち切られた気分だった。お前、この間情報教えてやろうかとか言ってたくせに、彼氏がいるなら一番最初にその情報を教えろよ。いけるかも? とか思っていたおれが果てしなく惨めじゃないか。がっくりと肩を落として、呟く。

「マジかよ……俺もう帰る……」

 そんな情報、今この場で聞きたくなかった。ただでさえ低いテンションが更に急降下していくよ。肩に何かのしかかっているような重さを感じで、俺はため息を吐いた。別に付き合えるとかは思っていなかったけど、そういう現実は知りたくなかった。

「ま、ま、俺がいるじゃないの!」
 落ち込んでいる俺の肩を、愉快そうに森が叩く。お前、なんか俺の不幸を楽しんでないか。
「お前がいたところでどうにもならねえよ」
「ははっ、疫病神くん振られちゃったね」

 会話を聞いていたのか、前を進んでいた林が薄く笑った。その笑みに舌打ちして、俺の手を握っている森の力が強くなる。

「ああ林、まだいたの?」
「そりゃいるさ。あんたの目は節穴か?」
「俺の目が無意識に視界に入れるの拒否してたんだと思うよー」
「そりゃ高性能だな」

 どうしてこいつらこんなに仲悪いんだろう。何かあったのか、と聞いてみたいけど、聞けるような雰囲気ではなかった。一方的に森が嫌っていて、林はそれを面白がっているようにも見える。
 そんな気まずい空気を保ちながら、俺たちは例の部屋の前まで辿りついた。懐中電灯で、扉のノブを照らし、林が開く。軋んだ音を立てて開かれた扉に対して、咄嗟に目を背けたが、「何もいねえじゃん」と言った森の声が聞こえたので、恐る恐る瞼を開いた。

「……森、珍しく逃げないな」

 どくどくと逸る心臓を抑えながら、わざと茶化すように言う。確かに、部屋の奥には誰も居ない。生憎今夜は月が出ていないので、前に来たよりも大分薄暗いけれど、懐中電灯に照らされた窓には、割れたガラスがあるだけで、少年なんて立っていなかった。

「だから逃げないってば。手、握ってるだろー?」
「ああ、うん、そういえば握ってるな」
「……樹ってば震えてるし、もしかして怖い?怖がり?」

 笑いを堪えるように、空いている片手で写真を撮りながら森が言った。こ、こいつ……。誰の所為でこんな怯える破目になったと思っているんだ。何写真撮ってるんだよ罰あたりが!腹が立ったので繋がれていた手を無理やり外した。この笑顔男も一回くらい祟られて大泣きすればいいのに。そんな思いを込めて、窓に近付く森を見た。
 森は以前来た時はやばそうだったから、という身も蓋もない理由で逃げたくせに、今は平気そうな顔で、窓の近くを見て周っていた。時折写真を撮りながら「別に大したことないんじゃない?」とか言ってる。悪かったな、超びびってて。お前だって前は怖かったとか言ってたくせに。すると、未だ入り口付近にいた俺の肩を、林が小さく叩いた。振り向くと、唇に人差し指を当てられる。何だよ?黙れって?
 そのまま空いた手を引っ張られ、部屋の外まで連れ出された。中では、まだ森が部屋を見ているのに。

「林くん? 何……」
 しかし発言しかけた途中で、林が部屋の扉を閉めた。何処までも人の話を聞かない奴だ。
「ちょっ!」

 大きな音を立てて閉じられる扉に、心臓が飛び上がる。中にはまだ森がいるはずだ。しかし、無情にも扉は閉まり、林が外から抑える。

「は、林くん!」
「何?」
「何って……」

 お前が何をしているんだと聞きたい。人一人こんな中に閉じ込めるのは洒落にならない。森が逃げたのも洒落にならなかったが、閉じ込めるのは更に酷い。心霊スポットに閉じ込めるとか、いじめだろ。

「なんで閉じ込めるんだよ、開けなくちゃ!」
「だぁめ」

 左腕を掴まれた。閉じた部屋の奥からはどんどんと叩く音がしている。扉が厚いせいで少々聞き取り辛いが、叫ぶ声も響いていた。いくらなんでもこれは非道だ。

「離せっ、やりすぎだろ!」
「あんたも似たようなことされたんじゃなかったの?」
「確かにされたけど、でもそれとこれとは話が別だ! お前ら仲悪いのかなんなのか知らないけどな、可哀相だろ!」

 どんどん、どんどん!と叩かれる音は一層酷くなっていく。そりゃあ、前回あんな怖い思いをしたところに閉じ込められたら必死にもなる。森も余裕ぶってはいたが、流石にこんなところに一人閉じ込められるとなったら話が別だろうし、俺だって扉を叩く。なのに、林はニヤニヤ笑ったままその場を動こうとしなかった。幽霊よりもこいつの方がよっぽど怖い。
 どんどんどんどんどんどどんどんどん! 静かな林とは反対に、叩かれる音は更に強くなっていく。

「どけ!」
「……気づかないの? あんた」
 どんどんどんどんどんどんどんどんどん!
「何が!」
「扉叩く音」
 どんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどん!
「それがなんだよ、必死で叩いてるってだけだろ!」
「そうだね、でも、いくらなんでも多すぎるだろ」
「え……」
 どんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどんどん!
「一人だけで、ここまで叩けるもんかなあ?」
 打ち付ける雨のような、激しい音の中で、林が笑う。
「っ……!」
 言われて気づいた。閉じ込めた時から、ひっきりなしに叩かれている扉の音が、段々増えている。一人だけなら、扉を叩く音なんてそこまで変わらないはずなのに。扉の奥からは、未だ音が続いている。その音にかき消されて、森の声は聞こえなくなっていた。ただひたすら、叩く音から引っかく音、殴る音まで、扉の一点ではなく、一面から響いていた。
 そのことに気づいた瞬間、ぞっとした。……この向こうには、一体何がいるんだ?誰がいるんだ。
入ったときには、確かに誰もいなかったし、誰かが隠れるようなスペースもなかったはずなのに。ごくりと唾を飲み込んで、林に向き直る。震える体を無理やり抑えた。

「で、でも、なら、尚更早く開けてやらないと、中には森がいるんだし……」
「疫病神なんだろ? なら閉じ込めててもいいんじゃないの」

 その発言に、流石に俺は眉を顰める。いい加減にしろ。

「森は友達だよ、軽いし、人を置いて逃げるし、たまに辛らつなこととか言ってくるけど、それでも俺にとっては友達なの!」

 国語辞書が記す限り、相手の為に何かしてあげたいと思うまごころが、友情としての条件らしい。友達になるのに、そんな条件は関係ないかもしれないが、仮に条件があるとしたら、俺は今森を助けてやりたいと思っているし、森の為に扉を開けたいと思っている。まごころは存在するさ。だから、あいつと俺は友達だ。

「ふうん……」

 すると、林は面白くなさそうな顔をして、抑えていた扉の手を離した。
 勢い良く開かれる扉に、俺は一体何が飛び出してくるのかと緊張したが、予想に反して、扉の前には誰も立っていなかった。暗く曇った雲が覗く窓の近くで、デジタルカメラを構えているだけだ。

「森っ!」
「うおわっ、びっくりした。どうしたんだよ樹」
「いや、どうしたって……」

 お前、さっきまで必死で扉叩いていたじゃないか、そう言ってやりたかったが、森が余りにも不思議そうな顔をしていたので、俺は言葉を詰まらせる。

「お前、平気なのか?」
「え、平気って何が?」
「さっきまで扉ドンドン叩いてただろ!閉められて出して欲しかったんだろ?」

 そう言ってやると、森は心底不思議そうな顔をした。

「叩いてないけど? ていうか扉閉まってた?気づかなかったけど」
「え……」
「俺、中で写真撮ってたし」
「…………」

 森の顔は、本当に俺が突然何を言っているのか解らないという顔だったが、こっちの方が何を言っているのか解らなかった。いや、だって、扉閉めただろ?お前、中から何か叫んでいたじゃないか。森じゃないとしたら、あの声は、音は、なんだったんだよ。
 説明を仰ぐように林へ目を向けると、奴の目線は、何もない宙を追っていた。口元はうっすらと微笑んでいる。

「樹?」

 森が心配そうに俺の頭に手を乗せてきたが、俺はそれから逃げるように後ずさった。もう嫌だ、こんな所に一秒だって居たくない。そもそも最初から来るべきじゃなかったんだ。どうして俺はこんな所に来てしまったのだろう。窓から風が入ってきて、ばたばたと服がはためいた。森が近付いてくるが、俺は一定の距離を保っていた。林は相変わらず何も言わず、ただ突っ立っているだけ。こんな奴の口車に乗せられて、ここまで来てしまったけど、そもそもこいつ何もしていないじゃないか。
 俺は本当に何しにきたんだ。なんで来てしまったんだ。

「樹、どうしたんだよ」
 森がどんどん近付いてくる。だけどそれすらもなんだか怖くて、俺は背中を見せた。
「……もう帰る」
「帰るって……ちょ、おい! 樹! 待てって!」

 返事を聞かずに、その部屋を飛び出した。後ろから森の呼び止める声が聞こえたけれど、気にせずに走った。壁に手をつきながら、転ばないように走る。前の時と状況がデジャヴュした。あの時も、こんな暗闇の中走ったな、そういえば。前はどうしてあんなに必死だったんだっけ? 近寄りたくなかったんだよな、あれに。あれってなんだ? そうだ、確か男の子がいたんだ。窓のところに男の子がいて、その子供が

「ねぇ」
「っ!」

 そこまで考えたところで、暗闇の中から声がした。ぎくりと体が強張り、駆けていた足が止まった。何かいる。すぐ、俺のすぐ後ろに、何かが。来ていた服の端が引っ張られた。
 首元に、冷たい何かがくっついて、全身に鳥肌が立つ。

「ねえ、どこいくの?」

 振り向いたら駄目だ。絶対に振り向いたらいけない。俺の中の全細胞と本能が警告した。このまま、逃げよう。走り出そうとした瞬間、頭に何かがぶつかった。喉が鳴る。眼前には、目のない男の子が笑って立っていたからだ。

「ひっ、う、うわあぁぁぁあああ!」

 いつか見たときと同じ、空洞の目。手が伸びてきた。嫌だ、触るな。俺に触るな! げらげら笑う声を聞きながら、足を戻した。逃げなくちゃ、早く、逃げなくちゃ。追ってくる手から逃げようとした瞬間、足が滑り、体が宙に浮いた。暗闇の中に身を躍らせて、俺は落ちていった。
 薄れ行く意識の中で「あーあ」という、子供の声が聞こえた気がする。



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