消失



「渦見、大学辞めたんだって」

 と、飯倉が告げたのは、俺が退院し、大学に来てすぐのことだった。結果的に俺の怪我はやはり大し たことなかったらしく、思っていたよりも早く退院できた。打った頭の方も異常はなく、あんな事故にあったにも関わらず数カ所の打撲と切り傷だけで済んだの は奇跡らしい。保険やら何やらの手続きは全部親父がやってくれたし、いつまでも休んでいるわけにいかないので、数日ぶりに大学に来たら、待っていたのはこ の言葉だ。

「ふーん……」
「あれ、やっぱ知ってたの笠原? お前ら仲よかったもんな」
「いや、知らねえけど、そんな気はしてた」

 別に、悲しいとか、そういうわけではない。でも、少しだけ、ショックは受けていた、のかもしれない。

「連絡、とれねえし」

 あれから、渦見は一度も俺の見舞いにくることはなかった。あんなことして帰ってった手前、来づらいのかもと思っていたけど、そんなこと考えるくらいなら元からしないだろうし、そういうことを気にするような奴とも思えない。
 退院してから部屋に帰ると、渦見がいた痕跡は一つ残らずなくなっていた。まるで今まで一度も来たことなんてなかったかのように。
  あいつが勝手に持ってきて、勝手に置いていった食器とか、布団とか、そう言うのが全部無くなってた。まあ、よく考えたらそんなもんがある方がおかしいんだ けど、一つ残らずなくなっていた。携帯に電話をしても、そんな番号は使われていないという、機会音声が返ってくる。メールをしても、エラーで送れない。つ まり、音信不通。
 もしかしたら、大学には来ているかも知れないと思ったけど、やはり、そんなことはないようだった。つまり、渦見は自分の意志で姿を消したんだろう。そうでなければ、事件に巻き込まれたか、どっちかだ。

「なんだ、笠原も知らないんだ?」
「んー、まあ……」
「へー、じゃあなんかあったのかね。いきなり辞めたって聞いて俺びっくりしたんだけど」
「さあ、あいつが考えてることなんて、俺にはわかんね」
「お前ら仲良かったのに?」
「よくねーよ」

 いや、良かったのか?
 違う。単純に、あいつに友達と呼べる存在がなかっただけだ。俺が、渦見を見かける時は大抵一人だった。俺と一緒にいるとき、渦見に近寄ってくる奴はいたか?
 女の子が、渦見に話しかけていたような気もするけど、何度も話しかけてくる子はいなかったな。じゃあ男は? それはもっと少ない。
 宇都宮は、友達と言うよりも信者って表現の方が合っているし。変な奴だったから、近寄り難かったってのもあるんだろう。渦見って友達少なかったんだな。

「笠原は、今渦見が何してるかとか、知らないの?」
「さあ、知らねー……」
「知らねー、じゃないよ笠原君!!」
「うわっ」

 噂をすれば、どこから現れたのか、宇都宮が目の前に立っていた。どこからか走ってきたのか、肩で息をしながら俺を睨みつけてくる。大学内とはいえ、構内だって結構広いのに、どっから来たんだこいつは。

「な、なんだよ」
「何だよじゃない! 渦見くん、何処行っちゃったの!?」
「俺が知るか」
「なーんーだーよー!! 隠さないで教えてよ! 神のいない生活なんて耐えられない!」
「だ、だから知らないって! ちょ、飯倉、助けろ!」
「じゃあ俺次の講義あるから。またな笠原ー」
「オイッ!」

 俺の必死な呼びかけを無視して、飯倉は行ってしまった。そうだ、あいつはああいう奴だ。やっかい事には関わらないタイプ。だから、渦見にだって関わりは持たなかったし、話すこともなかった。けど、野次馬だから、後で何が合ったかとかは聞いてくるんだろうな。
 宇都宮はその言動から察するにやっかい事そのものみたいな男だけど、渦見とのあの一件以来、ちょっとアレなやつとして見られているから、話題には事欠かないし。俺は肩を掴んで揺さぶってくる宇都宮を剥がし、額にチョップを決めた。

「あいたっ!」
「いい加減離せ」

 宇都宮は涙目になりながら、しぶしぶ離すと、俺の隣に腰掛けた。ええー、隣に座るの……。
 横目で宇都宮をみると、分かりやすく意気消沈していた。こいつが渦見に傾倒してるのは知っているけど、いくらなんでも落ち込みすぎだろ。俺はやっかい事に巻き込まれたような気分で、宇都宮に声をかけた。

「なあ、宇都宮」
「はあ……渦見くんが、僕の知らないところに行ってしまうなんて……」
「前から渦見渦見って……お前は渦見のなんなんだ……、何、もしかして男が好きだったりすんの?」
「違うよ! 僕の渦見くんに対する気持ちをそんな俗物的な言葉で片づけないでくれ! 前にも言ったけど、僕の渦見くんに対する気持ちは尊敬、いわゆるリスペクトなんだよ!」
「そうだっけ」
「僕にとって渦見くんはこう……神っていうか、崇める対象っていうか……ほら、やっぱり僕らみたいな凡人とはオーラが違うじゃない」
「はぁ……」

 こいつはなんだか会う度に頭おかしい感じのことしか言わないな。宗教にはまりやすいタイプだ。無言で呆れた視線を送ると、宇都宮は携帯を操作してなにやら呟いていた。

「やっぱり神の行方がわからない……なう……」
「何やってんのお前」
「ツイッター」
「やめたんじゃねーのかよ」
「もう前ほどはまらないし、セーブしてるから大丈夫だよ。それにほら、またやってたら、う、渦見くんが僕を止めに殴ってくれるかもしれないだろ……? ふふ」
「……ソウダネ」
「なんで距離を取るんだよ!」

 いやだって。やっぱりこいつホモなんじゃないだろうか。頬染めながら言うセリフじゃない。だいたい、渦見が宇都宮を止めたアレも、あいつの気まぐれだったような気がしないでもない。
 とはいえ、そんなに夢中になれるものなのかという興味も少しはあった。俺に趣味というものがないからかもしれない。

「……なあ、それ楽しいの?」
「なんだよ笠原くん、君、前に勧めてもやらなかったでしょ」
「いやだって、お前の言う言葉全部よくわかんねーし」
「じゃあLINEにする? こっちの方がリアルで知ってる人とも……あ! もしかしたら渦見くんもやってるかも! 笠原くんアドレスとか知ってるんだよね!? 今すぐ携帯出して!」
「え、あ、知ってるけど、でも」
「やったーー! これで渦見くんに会えるかもしれないぞ! フェイスブックとか必死に探したけど見つからなかったんだよね! あ、笠原くん未だにガラケーなんだ。今時パソコンも扱えない笠原君らしいね! ねえねえ、今すぐアプリ登録して……あ」

  なんか腹が立ったので、無言で携帯を取り上げた。宇都宮が言ってることの意味は相変わらず訳がわからなかったけど、なんとなく馬鹿にされている気はした。 どうせ俺はパソコンも持ってなければ男のくせに機械に弱い機械オンチだよ。不満げにむくれる宇都宮から視線を逸らし、携帯をポケットへ閉まった。

「ちょっとー、なにすんの」
「うっせ! それに、渦見のアドレスはもう送信不能になってるし、あいつそういうのやんねーよ、多分」
「なーんだあ……」

 俺の答えに、あからさまに肩を落とした。それから再び、深いため息を吐く。
 そのまま、しばしの沈黙が流れた。青い空を、飛行機雲が流れていく。

「なあ、宇都宮。渦見って、いつ大学辞めたの?」
「え、笠原くんそんなことも知らないの? ああ、入院してたもんね……」
「おー」
「怪我、大丈夫?」
「今更か」
「ごめんごめん、でもまあ、そうだね。多分、笠原くんが入院してからすぐだと思うよ……、渦見くんが大学に来なくなったの」

 宇都宮は携帯を操作して、俺に画面を見せてきた。画面の中には、明らかに隠し撮りと思われる渦見が写っていた。珍しく講義を受けているというか、ぼーっとして座っているような、渦見の写真。右端には一週間程前の日付がついている。

「ほら、これいつもの『今日の渦見くん』の写真なんだけどね」
「いつものってなんだよ……お前いつもこんなことやってたのかよ……」
「うるさいな、いいだろ、趣味なんだから」

 ぜんぜんよくないし、犯罪な気もするが、今更そんなこと言っても仕方ないか。俺はおとなしく口を噤んだ。

「これが、僕が撮った渦見くんの最後の写真だよ。これ以降は大学に来てないね」
「フーン……」
「でも、そっか。笠原君も、渦見くんがどこ行ったのか知らないんだ……」
「…………」
「はあ、渦見くん、もう二度と会えないのかな」

 しょんぼりとうなだれる宇都宮を見て、俺は考える。たとえば、渦見が何処に行ったのか。
 けど、俺は渦見のことを何も知らない。あいつが何処に住んでいるのかさえ知らない。何処に行ったか、なんて、検討もつかない。

 だから、もしかしたら
 本当にもう二度と会うこともないのかもしれない。


***


 アパートに帰ると、ヒナタ君が、アパート前のアスファルトに、チョークで落書きしていた。相変わらず絵を描くのが好きな子で、いつも絵を描いている気がする。
 俺が前を通り過ぎると、ヒナタくんが顔を上げた。

「お兄さん、こんにちは」
「え、ああ、こんにちは。また絵描いてるの?」
「うん!」
「そっか、車に気をつけてね」

 先日交通事故にあった俺が言えた義理でもないけど、アパート前とはいえ、車だって通るから、小さい子は気をつけた方がいい。だからこれは至極まっとうな意見だと思ったのだけど、ヒナタくんが不思議そうな目で俺を見つめていた。俺は、何か変なことを言っただろうか。

「何? どうしたの」
「お兄さん、黒いのいなくなったね」
「ん?」

 黒いのってなんだ。なんか、ヒナタくんの視線が俺の後ろの方に注がれている気がする。一応振り返ってみるが、何もない。もう一度視線を戻すと、いつの間にか俺の真下まで近づいてきていた。

「うわっ」
「ねえ、虫取り網のお兄さんは?」
「あー、あいつは……引っ越した……いや、なんつーか」
「よかった!」
「えっ?」

 なんて言おうか考えあぐねていると、ヒナタくんがにっこり笑う。

「お兄さんの黒いの、虫取り網のお兄さんが持ってってくれたんだね!」
「え? あ、うん……そう、だね」

 曖昧に微笑んでいると、やがてヒナタくんはお母さんに呼ばれて、部屋に戻っていった。結局黒いのって、なんだったんだろう。
 しかし、考えると同時に、俺には心当たりが一つだけあった。

「…………ただいま」

 部屋に帰っても、返事はない。当然だ。俺は一人暮らしなんだから。けど、前は勝手にテレビがついたり、扉が勝手にしまったり、置いてあるものが落ちたり、位置がいつの間にか変わっていたりした。空き巣を疑ったこともあるけど、そもそも俺の部屋に盗るものなんて何もない。
  そんな妙な現象がずっとあったことは確かだった。しかし、渦見がいなくなってから、それがぱったりと途絶えたのだ。風呂に入っていても、視線を感じること は無くなったし、壁から妙な声が聞こえることもない。二回の窓から人の顔が覗いていたり、夜中首を絞められることもなくなった。そうそう、人が死ぬような 所も、最近は遭遇しない。全部、渦見がいなくなってからだ。
 まるで、渦見が全部持ってったみたいに。
 
「…………」

 部屋の四隅の盛り塩は、以前は一晩で溶けていたのに、今ではカチカチに固まっている。
 つん、と指でつついてみた。別に、なんともならない。誰の声も聞こえない。怪奇現象なんて、起こらない。当たり前だ、これが普通なんだから。今までが、おかしかっただけだ。渦見曰く、俺の部屋は馬鹿が住む部屋だったけど、今は普通の部屋だ。

「……渦見」

 ぽつり、と声に出してみた。
 当然ながら、間の抜けた、いつもの声が返ってくることはなかった。

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