暗転



 最近、とても肩が重い。
 以前から重みは感じていたけれど、ここ最近は特に酷い。まるで肩に誰かが乗っかっているようで、あまり夜も眠れていない。
  渦見に相談してみても、曖昧に濁すばかりで、これと言った助言は貰えなかった。いつもみたいに「憑かれてるからだよ」とすら言わない。いや、正確には、つ かれているとは言われた。けれどそれは「疲れている」方の意で、眠れてないようなら、少し布団に入って横になった方がいいと言っていた。
 渦見にしては珍しくまともな意見だけど、そんなまともな渦見は珍しすぎて、若干気持ち悪い。

「……お前さあ、最近何かあったの?」
「何がー?」
「いや、なんか、前にも増して、うちに入り浸ってるだろ」
「んー……」

 ごろんと畳に寝転がりながら、渦見は胡乱気に返事した。
 先日、俺の肩が重いと告げた次の日くらいから、渦見は以前より俺の部屋に居着くようになり、今日も今日とて、自分の夕飯だけ持参して俺の部屋で食っていた。
 今は部屋に唯一置いてある雑誌を眺めているようだけど、中身なんて全然見てないであろうことは、こいつの性格上わかっている。一体、何考えてんだ? 渦見の思考なんていつも読めないけれど、それでも最近の渦見は少しおかしいような気がして、じっと睨んだ。
 すると俺の視線に気がついたのか、雑誌を投げ捨て、こちらへと視線を寄越す。

「笠原も俺と一緒にいれて嬉しいでしょ?」

 いいながら、茶化すように笑う。なんだ、いつもの渦見か。

「アホか」
「あひゃひゃっ、ひーどーいー」
「うわっ、来んな危ねっ」

 渦見がごろごろと寝転がったまま俺の方へ転がってきたので、足を取られてその場に転倒した。渦見を下敷きにして、大きな音が室内に響く。こんな狭いアパートで何てことしやがる。

「……あぶねえな!」
「ごめーんね」
「ったく……隣とか下の階に響くんだよ……」

 文句を言いながら起き上がろうとした所で、腕を掴まれた。相変わらず体温の低い手だ。しかしそれよりも気になるのは、渦見の顔が、やけに近いこと。何を考えているのかわからない瞳が、じっと俺を見る。

「……何だよ」
「笠原さあ、最近、眠れてる?」
「……何で」

 肩が重いことは言ったけど、眠れていないことまでは、言ってなかったのに、どうしてバレたんだ。そんなにひどい顔でもしているんだろうか。俺がそのまま黙っていると、渦見は続けた。

「疲れてるっぽいから」
「……どっちのつかれてる?」
「あひゃっ」

 疲れている、憑かれている、さてどっち?
 そもそも、憑かれているという選択肢が入る日常がすでにおかしいのだけれど。正直、その言葉にも慣れてしまった。
 ただ、今渦見が指しているのはおそらく疲労の方だろう。俺の頬を撫でながら、あまり瞬きのしない瞳が俺を射抜く。

「寝れてないんだ?」
「寝てるよ」
「講義中とか? 駄目だろそれぇ」
「…………」
「あのね、笠原さー……」
「何だよ」
「……ん、んん、やっぱりいい。なんでもない」
「何だよ、言えよ」
「何でもない」
「気になるだろ、言え」
「やだ」
「言え」
「やだ」

 渦見の両頬を手で挟んで、綺麗な顔を不細工にしてみた。しかし、言うもんかとばかりに口を閉ざしている。こいつめ、抵抗しやがって。
 そうして曖昧に言葉を濁した挙げ句、もう話はないとばかりに、渦見は再び雑誌へと戻ってしまった。俺のこのやり場のない感情はどこに向ければいいんだ。
黙り込んでしまった渦見は、そうなるともう何もしゃべらない。俺は諦めて、テレビをつけた。男は出てこなかった。

 ああ、それにしても、肩が重い。このままつぶれてしまいそうだ。

 その日の夜、俺は夢を見た。
 久々に眠れたと思ったら、これだ。全くやりきれない。慣れたとはいえ、愉快なもんじゃない。

 体が動かせなくなって、耳鳴りがする、いつもの金縛り。妙に寒くて、鳥肌が立つ。だけど、こんなの我慢すればいいんだ、時間が過ぎれば動くようになるんだから。
 目をあけた。胸の上に、女が立っている。げらげら笑いながら、俺を見下ろしていた。耳元では、いつかの男が俺の耳に「シネ」と呟いていて、耳を塞ぎたかった、目を閉じたかった。でも、出来ない。
 テレビの電源がオンオフを繰り返して、赤ん坊の泣き声がした。こんなの全部幻、嘘、気のせい。気にするな、気にしてしまうと狂ってしまいそうになる。早く覚めろ、消えろ。全部いなくなれ。

 女の腕が俺の首に伸びてきた。ああ、また絞められる。ぎゅっと目を瞑った。

「やめろ」

 そこで、目が覚めた。





 翌日、目を覚ますと、隣に渦見がいた。

「うおっ」
「おはよ〜」
「お、おはよ」

 そう言えば昨日泊まったんだっけ。けど、目が覚めてるならさっさと起きればいいのに。じっと目を開けてこっちを見てるもんだから驚いてしまった。猫かお前は視線を逸らせよ。
 そういえば最近、渦見は俺の部屋に泊まることが多くなった。渦見が実家から帰ってきて以来だろうか。だから、布団をもう一枚買わせたのにも関わらず、人の布団に潜り込んでくる。やめてほしい。

「お前、向こうの布団いけよ」
「笠原あ」
「ん?」
「眠れた?」
「……またそれか」

 どうして、渦見がこんなにも俺の睡眠に関して食い下がってくるのかわからない。眠れないのはともかく、変なのに憑かれやすいのは今に始まったことじゃないのに。そもそも、それを指摘したのは渦見、お前が最初だろうが。

「眠れてない?」
「いいだろ別に」

 俺は布団から這い出ると、カーテンを開けた。眩しい朝日が窓から差し込んでくる、なんてことは残念ながらなかった。生憎、今日の天気は雨らしい。ざあざあと打ち付けるような強い雨の音がする。

「あーあ、雨だよ。テンション下がるな」
「笠原今日大学いくの?」
「行くよ、お前は」
「俺はいい。寝てる」

  いや、行けよ……。大学生なのに、渦見がしているのは寝てるか大学で遊んでいるかのどちらかに思える。まあこいつ実家が金持ちっぽいし、バイトとかする必 要ないだろうけど。サークルにも入ってないし、普段俺の所に入り浸ってるからな。就活とかどうすんだろ。まあ俺が気にしても仕方ないか。

「笠原も一緒に寝ようよ」
「アホか、俺は大学行くっての」
「えー」
「えーじゃねえし、むしろお前も行け」
「雨きらい」

 そう言って布団の中に潜り込んでしまった。駄目だこりゃ。俺はもう無視して大学へ行く準備を始める。

「おい渦見、俺もう行くから、鍵預けとくぞ。帰る時はポストに入れてけ」
「はーい」

  ひらひらと、渦見は布団の中から手を出して振った。俺は朝飯は適当に作って食べると、着替えて顔洗って、必要なもん鞄に詰め込む。今日の講義の内容を手帳 で確認。傘を持って玄関まで行くと、渦見が布団の中から顔を出した。その光景が、いつかの女と重なって、俺は目を逸らす。

「笠原ー」
「……何だよ」
「気を付けてね」
「…………は?」
「ひひっ……、いってらっしゃい」

 そう言って、また布団へと潜り込んでしまった。もう話しかけても出てこなかったので、俺は釈然としないまま部屋を出る。外は酷い雨で、俺は持っていたぼろい折り畳み傘を広げた。うっかり骨が折れてしまいそうな安い傘、風がそんなに強くない事だけが、唯一の救いだ。
 バス停までの道を歩いていくと、雨の音だけが色濃く耳に響く。気のせいか、人通りも少ないように思えた。
 跳ねる水滴にスニーカーを汚しながら、ようやく横断歩道まで辿り着くと、車が忙しなく通っている。やはり雨だからみんな車移動なんだろうな。
 俺も車欲しいけど、そもそも免許持ってないし、免許取る金もない。

「…………」

  ぼんやり横断歩道で突っ立っていると、隣に誰かが並んだ。傘のせいで、どんな奴かは見えないけど、そもそも見る必要もない。信号は未だに赤いままだ。車が 水しぶきを上げる音とエンジン音が目の前で行き交う。携帯を開けて見ると、バスが来るまであと少し。早く変わってくれないだろうか。
 いつまでたっても変わらない信号に多少苛つきながら携帯を開閉していると、隣にいた奴が歩を進めた。

「ちょ」

 信号はまだ赤だ。おまけに、車通りがないならまだしも、今がんがん道路を走っている。そのまま進んだら危ないなんてもんじゃない。重症確実、最悪死ぬ。雨で視界も悪いだろうし、俺は慌ててそいつの肩を掴んだ。

「おいあんた! 危なっ……!」

 しかし、掴まなければよかったと後悔した。関わらなければよかった、見なければ、知らなければ。
 だけど、今さら思っても遅い。ぐるり、と振り返ったそいつは。

「ひっ……!」

 そいつは、顔がなかった。何て言えばいいんだろう。
 顔面がまっ黒く変色していて、まるで顔にブラックホールでもついているみたいだ。そいつは、振り返ると、そのまま俺の腕をつかんだ。

「わっ、は、離せっ……!」

 慌てて振り払ったけれど、引っ張られた体は、すでに道路へと若干はみ出ていた。あ、危ねえ……あと少しで飛び出すところだった。

「このっ……! あ……?」

 いつの間にか今目の前にいたそいつは消えていた。とにかく、俺は慌てて歩道へ戻る。渦見の言葉が、頭の中で蘇った。
 気を付けてって、こういうことだったのか? いや、そもそもなんであいつがこんな事態になるってわかるんだ。偶然、偶然。しかし偶然で片づけるにしても勘弁してほしい展開だ。震える体を抑えながら歩道に戻り、何とか立ち上がる。
 もうすでに雨でびしょ濡れになった膝に力を入れて立ち上がると、その瞬間、背中に軽い衝撃が走った。

「え」

 背後で誰かの笑い声がして、でも振り返る暇も、そんなのもう考えてる暇すらなくて、ただ、目の前に、車が、迫ってくる、運転手が驚いた顔で俺を見て、逃げなくちゃ、立って、体動かない、近い、やばい、あ。


 俺、これ死ぬわ。

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病院


「良介」

 目を開けると、ぼやけた視界の中にうっすらと白い天井が見えた。頭が妙にぼうっとしている。……あれ? どこだっけ、ここ?
  次いで聞こえてきたのは、聞き馴染んだ声。でも、最近はあんま聞いてなかったな。懐かしさすら感じるその声は、確かに俺の父親のものだった。ばたばたとい う音が近づいてくる。後ろから駆けつけた看護師と医者が顔を出してくるのが見えたので、ゆっくりと顔を動かした。腕になんか刺さってる。点滴?
 ……何で? 俺、大学に行く途中だったはずなのに。

「良介、大丈夫か? 声、聞こえてるか?」
「……親父……」

 目の前で手を左右に振る父親は、少し見ない間に老けた気がする。小さく頷くと、親父は少しだけ安心したように、胸をなで下ろした。看護師が、何か話しかけてくる。俺はぼんやりとそれを聞いていた。なんだか、頭がくらくらする。

「笠原さん、大丈夫ですか? 意識、はっきりしていますか?」
「……あの、俺……」
「ん?」
「なんで、ここにいるんでしょうか」

 病院、だよな。視界に映る白と、消毒薬の臭い。隣で、看護師や医者や研修医っぽい人が何やら機械で色々計っている。俺は話しかけてきた医者にふらつきながら起き上がり訪ねた。隣にいた親父が、少し困ったような顔をして答える。

「覚えてないのか?」
「大学行く途中だった……雨降ってた」
「その途中、お前、車に轢かれたんだよ」

  重い溜息とともに帰ってきた返答に俺は目を瞬かせる。轢かれた? 車に? ああ、でも雨が降っていたしなあ。水で滑ったんだっけ? 確か信号のところで転 んで……いや、違う。俺は自分で滑って転んだわけじゃないし、ましてや自ら道路に飛び込むような自殺願望もない。段々と思い出してくる。光る車のライト、 雨の音。クラクション、飛んでいく傘。目の前にいた、あいつ。
 そうだ、俺は、あいつに、引っ張られたんだ。

「あの……俺の周りに、誰かいませんでしたか? 俺、顔に穴が開いてたっていうか、黒くて空洞な、変な奴に引っ張られたんですけど……」

 口を開くと、医者はにこりと笑った。優しい、安心できるような笑みだった。

「まだ起きたばかりで記憶が混乱しているようですね」
「いや、そうじゃなくて……いたでしょう? 顔がなかったんですよ。俺、そいつが赤信号を進もうとしていたところを止めようとして」
「先生、良介は大丈夫なんでしょうか?」
「怪我自体はそこまで大したことはないので、問題ないでしょう。ただ、頭を強く打っているみたいなので、検査が必要ですね。2、3日入院して、それからは自宅療養になるでしょうが、まずは様子見ですね」

  先生が、俺を無視して父親と話をする。確かに、起き抜けにそんな顔がない奴の話をされても、頭がおかしくなってると思われても仕方がないかもしれない。で も、俺は確かに見たし、確実に腕を捕まれたんだ。今でも、感触がリアルに残っている。そっと、患者服の袖をめくってみた。
 掴まれたような痕は、残っていない。じゃあ、あいつはなんだったんだ?
 しかし、それを考える前に、一度異常がないかもう一度調べることになってしまった。看護師が何か記入しながら説明してきた。父親が、心配そうな顔で俺を見ている。いくらなんでも、ここにきてまで心配させるわけにもいかない。安心させるように、俺は笑った。

「……大丈夫だって、つーか仕事は? 今の時期急がしいんじゃないの?」
「それどころじゃない。父さん、仕事、しばらく休んでここにいるからな」
「2、3日だっつってたじゃん。大丈夫だよ」
「子供がそんなこと心配するんじゃない」

 真剣な表情をする父親に、それ以上何も言うことができず、俺は口を噤んだ。頭に乗せられた手が、温かい。
 ああ……死んでなくて、よかった。あの時、終わったって思ったもんな。

「それじゃあ笠原さん、こちらへどうぞ」




  検査を終えると、再び病室に戻ってきた。結果はまだでてないが、とりあえず奇跡的に外傷はあまりなく、ついていた傷自体もすぐに治るという。あとはぶつけ た頭に異常がなければ退院できるとのことだった。聞いた話によると、俺はトラックで轢かれ、救急車で運ばれてから二日程昏睡状態だったらしい。
 検査を終えると親父が、安心したように息を吐いていた。

「もぉ〜〜、びっくりしたぞ本当……会社にいたら突然病院から電話かかってきて……」
「ごめんって」

 恨めしげな顔をするので、俺は笑ってかわす。実際、本当に驚いたんだろう。一人息子が突然トラックに轢かれたなんて言われたら、そりゃ驚くよな。結構遠くの方に住んでいるにも関わらず、すぐに飛んできたということだし。
 心配かけさせておまけに金も使わせて申し訳ない。ああ、そういえば入院費どうしよう、今月バイト厳しいなあ。悶々と考えていると、親父が少し憤慨したような顔で続ける。

「トラックの運転手の人も、後で謝りにくるって言ってたぞ、最初は変なこと言ってたのになあ」
「変なこと?」
「ああ、横断歩道には、誰もいなかったはずなのにお前が、突然現れたって」
「はぁ?」
「責任逃れかと怒ったけどな。でも、とにかく無事でよかった……」

 がしがしと頭をなでられた。
 突然現れた? 確かに視界は悪かったけど、立っているのくらいは見えたはずなのに。でも、そういえば、俺もトラックにぜんぜん気づかなかったような……。自分では自覚がないけど、もしかしたら、本当に記憶が混乱しているのかもしれない。

「じゃあ、父さんお前の入院の手続きとか、やらなくちゃいけないことがあるから、ちょっと出てくるな。安静にしてろ。渦見くんにもちゃんとお礼を言っておけよ」
「……渦見? なんで?」
「お前の友達なんだろ? 救急車呼んでくれたのはその子なんだから」
「え……」

 それから、俺が呼び止める前に、親父は出ていってしまった。伸ばした手はやり場をなくし、俺はそっと手を握った。病室がしんと静まり返る。
 渦見? そういえば、あいつ今何してんだろう。まさかまだ俺の部屋にいないだろうな。いや、その前に、あいつが救急車を呼んだって?

「……無理だろ」

  それはおかしな話だ。だってあいつは、あの日大学に行かなかった。俺の部屋で、布団にくるまりながら寝ていたはずだ。それなのに、なんで救急車を呼べるん だよ。俺と一緒に大学に行ったわけでもないのに。後ろから付いてきてたとか? まさか、なんの為にそんなことするんだよ。じゃあ、どうやって?
 たとえば、忘れ物を届けにきたとか。いや、でも仮に俺に忘れ物があったとしても、渦見は律儀に届けにきたりしないだろう。

「わっかんねえ……」

 額に手を当てた。髪を掴んで目を瞑る。駄目だ。そもそも日常生活からしてあいつの行動は謎が多すぎるし、何を考えてるのかもわからないんだ。こうなったら最初から聞いた方が早い。後で親父も戻ってくるだろうし、そのときに詳しく聞けばいい。
 なんなら、俺を轢いたっていうトラックの運転手にも、聞いてみよう。俺の近くに、渦見がいたかどうか。近くに、あの変な奴がいたかどうかも。
 あれ、けどトラックの運転手には俺の姿すら見えてなかったんだっけ? どうなってんだ。
 けれど、このまま混乱してても仕方ない。ふと、近くにスポーツ飲料が目に入った。喉も渇いていたし、と手を伸ばす。

「はぁ……」

 飲んでから、ぼんやりと病室を見つめた。改めて観察する。
  俺の病室は、どうやら個室らしい。ベッドが一台入るともう動けるスペースが僅かな広さだが、静かで落ち着く。壁には変な絵がかかっていた。課金制だが、一 応テレビもあるし、退屈はしなさそうだ。窓を見ると、どうやらこの病室は高い位置にあるらしい。空が近く、高めのビルが立ち並んでいる。嫌なことに、また 雨が降っていて、病室の窓を濡らしていた。
 そういやここ、どこなんだろう。大学病院っぽいけど。紙コップに入った水分を補給していると、部屋のことを思い出す。そういえば、俺の部屋の鍵、どうなってんだろう。
 渦見の奴、ちゃんと閉めたかな、まあ開いてても盗られるようなもんはおいてないぼろアパートだから、最悪なことにはならないと思うけど。
 水分を補給して、ベッドに横になると、なんだか眠くなってきた。あんなに眠ったはずなのに、まだ眠くなるなんて、人間の体って不思議だよな。そういえば、事故に遭うまでは、あんまり眠れていなかったんだっけ。
 カチカチと、時計の秒針音が部屋に響く。その音を聞いていると、なんだか子守歌でも聴いているかのように、俺は安心しきって瞼を閉じた。聞きたいことや、知りたいことが沢山ある。
 でも、親父はまだ戻ってこないし、目を覚ましたら聞いてみよう。だから、少しだけ…………。


………………

………………


 女が、俺の上に乗っている。腹の上に、跨っている。
 …… ああ、またか。もういい加減慣れたよ。色っぽい意味で乗っているわけじゃないっていうのが悲しいけど。ただ、やっぱりいやなものは嫌だ。俺が何したってん だよ。腹の上で、髪の間から見える光のない目が、俺を見下ろしていた。赤い唇が、にやにやと笑っている。ちくしょう、笑ってんじゃねえよ。こっちは笑えね え状況だよ。
 ……いや、駄目だ、信じるな。これは幻だと思え。こんな女はいない。俺は夢を見ているだけなんだ。この女は現実には存在しない。け れど、真っ白な手が、俺の首に伸びてきて、長い髪が顔にかかる。髪が顔にかかってくすぐったい。ぐ、と力を込められると、息苦しくなり、俺は目を細めた。 夢でも、苦しくなるってあるんだろうか。痛覚って、あるんだっけ。秒針の音は、相変わらず聞こえてくるし、女は笑っている。にやにやと、嫌な笑みだけを浮 かべている。また、力が込められた。苦しい、いやだ、離してくれ。
 なんでこんなことする、 こいつは、俺を殺したいのだろうか。俺に何の恨みがあるんだろう。払いのけたいのに、体は動かない。時でも止まったかのように、指一本動かないんだ。
 卑怯だろ、そっちばっかり攻撃できるなんてずるい。せめて俺も渦見みたいに、撃退方法があればいいのに。
 …… 渦見みたいに? いや、あいつがいると、確かにそういう類の現象に合いにくいけど、あいつが撃退しているのかどうかなんて知らない。霊感は強いらしいけ ど、普段どうやってるかんて、知ったことじゃない。なら、どうして、俺はそう思ったんだろう。あいつが撃退してるなんて。

「……ヤ……ウ、ヤ……」

 ああ、息苦しい。女の顔が、俺に近づいてきた。はぁはぁと、興奮したような息が顔にかかる、気持ち悪い。それと同時に 何か呟いている。あの男みたいに死ねとでも言うつもりか? ワンパターンなやつめ。
 しかし、こぼれ落ちてきた言葉は、俺の想像とは違ったものだった。

「終夜」

 えっ。



「っ……!」

  勢いよく起きあがった。背中が汗でびっしょりと濡れている。慌てて周りを見回してみるが、女の姿はない。この病室にいるのは、俺一人だけ。俺は自分の手を 見つめた。開いて、閉じて、また開く。……動く。 体は、ちゃんと動かせるようだ。なんだ、やっぱり夢だったのか。……………………。
 ……夢か? 本当に?

「……あつい……」

  布団を掛けすぎていたのか。それとも、違う汗だろうか、流れてきた汗を手で拭った。近くに鏡があったので、映してみると、首もとにしっかり手の痕が付いて いる。誰かに絞められたような手の跡、赤い、跡。ああ、なんだ、やっぱり夢じゃないのか。僅かな希望を打ち砕かれたような気分で、俺は再び辺りを見回し た。

「……親父……?」

 まだ、戻ってきてないのだろうか。手続きが終わったら、戻ってくると言っていた筈なのに。病室の外は、うっすらと日が落ちてきていた。すると、近くのテレビに、メモ紙が貼ってあることに気づく。

『眠っていたから、父さんは帰ります。近くのホテルに泊まっているので、また明日の朝来ます。
 安静にして、早く治しなさい  父より』

「……なんだ……」

 どうやら、帰ってしまったらしい。聞きたい話もあったのに。けど、この首の跡を見たら何か騒ぐかもしれないから、逆によかったのかもしれない。入院したはずなのに、気づけば絞殺されかけたような赤い跡が首にあるなんて、笑えない。
 俺は、近くにあったスポーツ飲料に再び手をかける。あんなことがあっては、流石にまた寝ようという気にはならなかった。消灯が何時なのか知らないが、これからどうしよう。そういえば、大学の課題、まだやってなかった。
 でも、資料も道具もないしなあ、飯倉に連絡したら持ってきてくれたりしないだろうか。
 考えていると、部屋の扉がノックされた。

「? はい?」

 誰だろう。看護師さんか、先生か? そう思うと、扉が開いた。現れたのは、先生でも、病院関係の人でもない。

「やほー笠原」
「……渦見」

 へらへらと手を挙げて現れたのは、渦見だった。外の雨にでも打たれたのだろうか、髪や服が少し濡れている。病院には不釣り合いな明るい色の髪。俺が何か言う前に近づいてくると、渦見は持っていた荷物を俺のベッドの上に置いて、近くの椅子に腰を下ろした。

「お前、なんでここに」
「ん? お見舞い、はい」
「え、あ、ああ……」

 渡された紙袋の中には、大学の課題と筆記用具、部屋にあった着替え、それから部屋の鍵も入っていた。これから必要だと思っていたものばかりだ。渦見らしからぬ親切な行いに、俺は目を丸くする。

「ついてないね。車にひかれるなんて。だから雨の日って嫌いだよー」
「お前、何企んでんだ?」
「何が?」
「こんなに気がきくなんて渦見らしくないだろ」
「あっひゃっひゃ、失礼すぎだろ笠原!」

 笑いながら、ばしばしと背中を叩いてきた。その力が思っていたより強くて、俺はせき込んだ。

「だいじょーぶ?」
「大丈夫じゃない! お前力強えよ!」
「そう? 笠原が弱いんじゃない?」
「喧嘩売ってんのか」
「まさかあ」

 渦見は、相変わらずへらへらと笑っている。けど、ここで渦見が訪ねて来てくれたのはラッキーだったかもしれない。聞きたいことが色々とあったんだ。どうせもう寝ることもできないし、願ったりかなったりだ。話し相手にちょうどいい。

「なあ、渦見」
「ん?」
「親父から聞いたんだけど、救急車呼んでくれたのってお前なんだって?」
「そだよ」
「でもさ、お前、俺の部屋で寝てただろ。なんで救急車呼べたんだ?」
「…………」
「渦見?」

 しかし渦見は俺の問いに答えることなく、ある一点を凝視している。なんだ? どこを見ているんだ?
 目線を追うと、それは俺の首元で止まっていた。思わず、首に手を当てて隠す。さっきまで笑っていたくせに、やけに無表情なところが、気にかかった。

「……笠原さあ」
「な、なんだよ」
「首、見せて」
「やだよ、なんなんだお前は。いいから答えろって。お前」
「見せて」
「うわっ!?」

  手を掴まれて、無理矢理首に当てていた手を外された。渦見の言葉を肯定するわけじゃないけど、確かに俺は渦見よりも弱いのかもしれない。けど、渦見だって そんな強そうには見えないのに、実は鍛えているのか。それとも俺が単純に力弱いのか、いや、そんなことはないはず……。
 バランスを失った俺は、そのままベッドに倒れ込んだ。下が布団なので、痛いことはないけど、仮にも病人相手になんてことをするんだ。
 渦見が、俺の両腕を押さえて、じっと首もとを見つめる。なんとなく、顔を直視するのが嫌で、俺は目を逸らした。別に、罰が悪くなる必要なんてないのに、どうして俺が気にしないといけないんだろう。
 首に残っているのは、絞められた跡だ。あの女につけられた跡。それを見られるのが、どうしてか俺は嫌だった。

「……笠原って馬鹿だよね」
「あ?」

 しばらくの沈黙の後に、告げられた言葉はそれだ。カチンとくる。どういう意味だそれは。おもむろに渦見の手が、俺の首に触れた。予想外の冷たさにぞわりと、鳥肌が立つ。それをみて渦見が口元をにやけさせた。

「怖い? ひひっ」
「……うるせえし」
「首って、急所だからねえ、無防備に触られたら、そりゃやでしょー」
「わかってんなら手離せ」
「その首をさあ、馬鹿みたいに絞められて、触られて、つけられて…………はぁ〜」
「なんだそのため息は」

 なんだかわからないが、渦見はひどく呆れたような顔で俺を見ていた。馬鹿にするような顔とも違う、何かを考えているような、そんな顔。といっても、こいつの考えがわかるなんてことはないので、俺の勘違いかもしれないけど。
 しばらくすると拘束されていた手が外され、首元にあった手も離れていく。俺はようやく解放され、むくりと起きあがった。自らの首に手を当てると、渦見が俺を見ている。まるで、あの女みたいに、じっと見つめている。その視線が、妙に怖かった。

「? 何だよ……」
「あーあ……」
「だからなんだって」
「……こんなはずじゃなかったんだけどなあ」
「は?」
「……でもまあしょうがないかー、あーあーあ……馬鹿か」
「何の話だ、つーか馬鹿って俺の事か」

 こいつは、本当に何を考えているかわからない。大学に入って、知り合ってから結構な時間一緒にいると思うけど、趣味や嗜好はなんとなくわかっても、行動や思考は理解できないままだ。変人といってしまえばそれまでだけど、他に何か隠してることでもあるんじゃないだろうか。
 渦見は、しばらく一人で何かを呟いていると、急に俺に向き直り、俺に向かって手を伸ばしてきた。

「……今度はなん……」

 だ、という言葉は続かなかった。渦見の口が、俺の口に重なってる。頭を引き寄せられたかと思ったら、こうだ。
 渦見の目が、顔が、近い。近すぎる。目ぇでかっ、色白っ、こいつ顔だけは本当に綺麗だよな……ていうか、えっ? なにこれ?
 …………? …………。…………!?

「……っ!?」
「おっと」

  一瞬硬直してしまったが、我に返った俺は渦見めがけて拳を振りかぶった。しかし、渦見はそれをなんなく避ける。避けた後、にやにや笑いながら俺を見てい た。いや、ちょっと待て。今こいつ俺に何した? キス? なんで!? いつもの冗談だろうが、万が一ということもある。壁を背に、笑っている渦見に引きな がら問いかける。

「お、お前……何、ホモ? なんで今キスした」
「あっひゃっひゃ、笠原顔ちょー赤い! 何、初めてだった?」
「うっせーわ! いいから答えろ! つーかもうお前本当に意味わかんねえ!」

 ドン引きしている俺に対して、渦見は立ち上がった。それから、にんまりと笑い、自分の唇に手を当てる。可愛い女の子なら様になるかもしれないその仕草も、男がすると笑えない。
 けれど、次いで紡がれた言葉は、俺の予想外だった。

「お別れのチュー?」
「はあ?」
「俺さあ、実家帰るから、大学やめるんだよねえ」
「は? いや、ちょっと待てよ。なんでそうなんの? つーか聞いてねーし。なんで帰るんだよ」
「あひゃっ」

 しかし渦見は、その問いには答えず、俺の頭をポンと叩いた。

「笠原は本当に馬鹿だなあー」
「なんだよ、お前に言われるほど馬鹿じゃねーし!」
「馬鹿だよ、あんな部屋に住んでるし」
「俺の部屋の悪口言うなよ!」
「あんな目にあっても大丈夫だし」
「いや、好きであってるわけじゃねーから!」
「それに、俺と一緒にいるから馬鹿」
「はぁ……?」
「ごめんね」
「……なにが」
「でもまー、楽しかったから。ありがとね、ばいばーい」
「おい! 渦見!」

 呼び止めても、渦見は止まらなかった。そのまま、病室を出ていく。

「まっ……!」

 瞬間、伸ばした手の点滴の針が外れたらしい。腕がちくりと痛み、外れたところから血が流れた。

「痛っ……!」

 俺は慌ててナースコールを押す。その時俺は、いつもの冗談だと思っていた。あのキスも、行動も、すべて気まぐれないたずらで、またすぐにあのおちゃらけた顔を出してくるものだと思っていた。
 ナースコールによって看護師さんはすぐに駆けつけてきて、血は止まった。けれど、渦見がその後病院に顔を出すことはなかった。

 そして、その日から、渦見終夜は俺の前から姿を消した。


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