林の中


 子供の頃、奇妙な体験をしたことがある。

 あれは小学ニ年生くらいの時のことだった。その頃にはすでに父親しかいなくて、俺は親父の仕事の都合で、こっちに引っ越してきた。
 学校も、一学期終わりの時期に差し掛かっていたし、そんな中途半端な時期に転入するならば二学期を待とう、という親父の提案の下、俺は家で暇を持て余していた。
 家の手伝い等もあったけど、小学生に出来ることなんてたかが知れている。
 主に茶碗洗いや洗濯とかで、そんなもの、慣れていたからすぐにやり終えてしまった。すると一人で家に篭っているのは退屈なので、毎日外へと遊びに出かけていた。友達なんていないから、無論一人で。


 それはある夏のこと。

 その日はとても暑くて、親父に買ってもらった青色のキャップを被って、俺は虫捕りに出かけたのだ。
 近所にちょっと大きめの公園があって、その近くには林もあり、虫捕りには最適だった。実際そんなに虫が好きだったわけじゃないけど、何せ友達もいなければゲームもない生活だ。公園で一人遊びするくらいでしか暇が潰せなかった。

 平日だったせいか、公園に同年代の子はおろか、誰もいなかった。俺は虫捕り網で、木にしがみついている蝉を捕ろうと奮闘していたが、中々捕らえることは出来ずにいた。何せ小学二年生、身長も足りなければ、根性も足りない。
 結局俺は蝉を早々に諦めて、林の奥に進む。冒険家のつもりだったのかもしれない。
 適当に自作した歌を口ずさみながら、茂みの奥へと入ろうとした。

「ねぇ」
「……ん?」

 しかし、そこで背後から声をかけられた。
 振り返ると、見知らぬ少年が立っている。俺と同じく虫捕り網を持って、ニコニコと楽しそうに笑っていた。
 記憶によると、確か夏らしく短パンをはいていたような気がする。顔は今ではよく思い出せない。

 その時の俺は同年代の子に会えた嬉しさと、その子も虫捕りをしていたのだという仲間意識で、わくわくしながら近付いた。
 すると少年も同様に近付きながら話しかけてきた。

「そこで何してるの? この辺の子?」
「そうだよ、おれ、最近ここにひっこししてきたの」
「ふぅん、ここに一人でいるからへんだと思った」
「……なんで?」
「だって、ここはおばけが出るから近付いちゃいけませんって有名なばしょだもん」

 その子がニヤニヤと笑う。俺はその頃、お化けを信じているわけではなかったけれど、怖いものだという認識はしていたので、少しだけ怯んだ。
 しかし、馬鹿にされるのは嫌で、内心ではビビリながらも平気なふりをする。見栄ってやつだろう、負けず嫌いだったのかもしれない。天気もよかったし、強気で発言した。

「ふぅーん」
「あれ? 怖くないの?」
「べっつに!」
「そっかあ、ねぇ、今一人? なら一緒に遊ぼうよ」
「!」

 その頃、俺は越してきたばかりで友達なんていなかった。学校にまだ転入もしていないので、平日も大抵一人ぼっち。だから俺は誘われたことが嬉しくて、何度も頷いた。

「う、うん、遊ぶ!」
「何して遊ぶ?」
「虫とりきょうそうしよう!」
「いーよ、じゃあ、もっとあっちの方行こうよ」

 そう言って、その少年は林の奥を指差した。ちょっと怖いという気持ちもあったけれど、昼間で明るかったし、何より誰かと遊べるということが嬉しくて、俺はそのまま少年についていった。
 林の中は草が伸び放題で鬱蒼としており、己の背丈の半分くらいある草の中をかき分けるように進んでいった。
 傍目からは小さく見えた林でも、こうやって実際に歩くと広く感じるものだ。しかし誰かと話しながらだと不思議と歩く時間は短く感じられ、俺はその少年に手を引かれる様に奥へ奥へと進んでいった。

「そういえば、君なんていうの? おれね、かさはらりょうすけっていうの」
「この林はね、普段はひとがちかづかないんだ。どうしてか知ってる?」

 大分中まで進んだところで、俺は少年の名前を聞いたが、少年はそんな俺の問いかけを無視した。相変わらず持っている虫捕り網をくるくると回しながら、聞いてもいないことを話し始める。
 俺は無視されたことにちょっとむっとしながら答えた。

「知らないよ、おれ、ここに来たばっかりだもん」
「そうだったね、あのね、ここはお化けが出るんだよ」
「……あっそ」
「こわくないの?」
「こ、こわくないよ!」

 強がる俺を嘲笑うように、少年は笑った。ふと、気がつくと、さっきまで煩いくらいに鳴いていた蝉の声が聞こえなくなっていた。
 日差しは相変わらず強くて、でも林の中のせいか、木に遮られて、光があまり入ってこない。俺は、そのことになんだかひどく怯えた。
 少年が、大きな木の下でにやりと笑う。

「ほんとうに、こわくないの?」
「う、うん……」
「へぇ、じゃあちょっとこっちきてよ」
「な、なんだよ」

 俺の手を握った少年が歩き出した。その手は驚くほどに冷たくて、俺は思わず振り払いそうになった。

「っ……」
「むかしね、ここで死んじゃったこがいるんだ」
「しん……?」
「そう、あのね、ゆうかいはんにころされちゃったの」
「そ、そのおばけがでるの……?」

 ちょっとだけ引きながら聞くと、その子はからかうように俺を笑った。

「あれ? 怖くないんじゃなかったの?」
「こっ、こわくない!」
「ほんとうに?」
「ほんと!」
「…………ほんとうにぃい〜?」
「っ…………」

 にぃっと笑った少年の存在が、だんだん怖くなってきて、俺は後ろへと下がった。しかし手は相変わらず繋がれたままなので、そこまで遠くに離れることは出来ない。ぶん、と繋がれた腕を振った。けれども、その手はしっかり握られていて、離れなかった。

「な、なんだよ、はなしてよ」
「その子はね、泣いても泣いても誰もたすけにきてもらえなかったんだよ、かわいそうだよね」
「かわいそう、だけど……」
「そう。だったら……」
「ひっ」

 顔を上げた瞬間、その子の目がぼたりと下に落ちた。握られていたはずの手から白いぷつぷつが沸いて、蠢いている。掴んでいたその子の手が、ぐちゃりと嫌な音を立てた。

「だったらさぁ……、僕といっしょに来てくれるよね? こわくないんだろ!」
「ひ、いっ」
「いっしょにきてくれるよぉねぇぇぇえ?」
「やっ……や、やだ!」

 ハウリングするように響いた声。瞬間、俺は反射的に手を思い切り振り払って逃げ出した。

「やだ! いやだ! 誰か、た、助けて……!」

 後ろを振り向くこともせず、一心不乱に草むらの中を駆けていく、転びそうになり、何度も何度も葉っぱで手や足を切ったが、構わなかった。俺は、兎に角逃げようと必死だった。

(あの子がおばけだったんだ!)

 後ろを振り向いたらいけない! そう思って走り続けた。歩いていたときは楽しかったはずなのに、逃げている時は、随分公園までの道のりが遠く感じた。苦しい、早く、誰か。そんな感情が綯交ぜになりながらも、俺はひたすら走った。
 喉が破けるんじゃないかと思うくらいゼイゼイと肩で息をして、ようやく公園のベンチが見えたところで、ほっと胸を撫で下ろした。
 助かった。ここまでは流石に追ってこないだろう。

 そこでようやく後ろを振り向く、……誰もいない。逃げ切ったのだ。
 俺は半泣きになりながら、その公園のベンチにへたり込んだ。今更だけど腰が抜け、足ががくがくと震えている。蝉の鳴き声や、暖かい日差しがこの上なくうれしかった。

「ひっく……ひっく……」

 着ている服で顔を拭うと、ようやく少し落ち着いてきた。だけど、滲んだ涙だけは止めきれず、俺は着ていた服で涙を拭った。

「ぐすっ……」

 公園に人がいないのは、お化けが出るからなんだ。
 これからはもう、この公園に近付かないようにしよう、絶対に簡単に誰かについていかないようにしなくちゃ、とその時初めて変質者についていったらいけないという怖さを学んだ。相手は変質者ではなかったけれど。

「ひっく……うっ……」

 こんなところにこれ以上いたくないと思うものの、体が思うように動かない。
 最初は緊張のせいだと思っていた俺も、段々と足が動かせないということに気づいた。

「あ、れ?」

 何かに掴まれている? 両足の自由がきかない。どくどくと逸る心臓を抑えながら、足の方へ目を移すと、子供の手が足を掴んでいた。

(あの子だ! おれを追ってきたんだ!)

 一気に心臓が固まった気分だ。もう限界だった、俺は涙腺の限界点を超え、泣き叫ぶ。

「うわああああああん! やだ!」
「ばぁっー!!」
「うっ、うわぁああああん! やだ! やだ! はなせー!」
「あひゃひゃ、こんなところにひとがいるとかチョーめずらしー、なにしてるの?」
「やめろ! おれはくってもおいしくない! はなせ! はなっ……!」
「ん? もーはなしたよ?」

 しかし、目の前にいたのはさっきの少年ではなかった、目は腐って落ちていないし、手に白いプツプツも沸いてない、普通の少年だった。夏にはそぐわないくらい色素の薄い子だったけれど幽霊には見えない。
 しかしベンチの下から顔を出している時点で既に怪しさ最高潮だっし、その点で言えば、さっきの少年よりも怪しいかもしれない。

 その少年は俺が座っていたベンチの下から這い出てくると、持っていた虫捕り網を振り回した。その姿に俺の体は強張る。

(この子もおばけだ……)

 さっきの教訓を生かして、俺は持っていた虫捕り網を剣のように構えて距離を取ったが、その子はあまり気にしてないようだった。

「ねー、いっしょにあそぼーよ、おれ今ひまだから」
「や、やだ! ばか!」
「えー、けちー」
「けちじゃない! おばけ!」
「おばけぇ?」

 俺の言葉に、その少年は首を傾げた。しかし一瞬の後、すぐに何かを理解したように笑い始めた。

「あぁあ〜、なるほど、あっひゃっひゃ!」
「なにわらってんだよ!」
「なんでもないよー、えいっ」
「うわっ!?」
「つーかまえた」
「なにすんだよ!」

 少年は、持っていた虫捕り網で俺の頭を捕らえてきた。少し大きめの網だったせいか、俺の顔はすっぽりと網の中に入ってしまう。
 外そうと躍起になっている俺に対して、少年は楽しそうに笑うだけだった。

「おまえおもしろいね」
「おもしろくない!」
「坊ちゃん!」

 その時、後ろから声が響いた。走ってきたのは、……どんな感じだったかな、確かおばちゃんと中学生くらいの女の子だったような。

「こんなところにいらっしゃったのですか」
「うん、あそんでたの」
「いけません、戻りましょう」
「そうよ、早く帰りましょう、貴方はここにちゃいけないの」
「……はーい」

 そこで、初めて俺はその少年がお化けではないと認識した。大人と一緒にいるということは、大丈夫なんだろう、という、よくわからない理論が俺の中で展開されたためだ。
 そうなると、少し惜しいことをした気もする。せっかく同年代の子と遊べるチャンスだったかもしれないのに。
 何を言おうか戸惑っていると、その子が振り向いた。

「じゃーね、ばいばい」
「……う……」
「きをつけてね」
「な、なにが?」
「なーんでもない! あひゃっ」

 そんなことを言いながら、その子は近くにいた大人に連れられて、どこかへ行ってしまった。そして、俺がその言葉にどういう意味が含まれているのか、知ることになるのは、もう大人になってからの話だった。





「思い返してみると、あれがきっかけで、ちょくちょく変な体験するようになったんだよなあ……」
「何の話? 笠原あー」
「……お前ってさ、昔からここに住んでた?」
「ううん、俺昔は京都に住んでた」
「……だよな」

 あの時会った少年、顔はもう思い出せないけど、渦見に似ていた気がする。
 だけれどそれは、虫捕り網というある種あいつのトレードマークのような存在がそういう気分にさせるのであって、実際は違うのだろう。渦見は京都に住んでいたという、なら、俺と会うことはないだろう。俺は京都に行ったことすらない。

「笠原、ご飯食べよう」
「なんでナチュラルに俺の家で飯食うかなお前は」

 しかし、なんにせよ昔の話だ。
 あの時あの少年の言った気を付けてねという言葉が、頭なの中にずっと残っていたけれど、今さらもう遅い気がした。


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