キヌさん




「とりあえず明日俺が知り合いの人呼んであげるから、今日のところは俺のとこきなよぉ」

 引っ張られるように住んでいた部屋を離れて、渦見に言われるがままのこのこついて行った。泊まる所はなかったし、飯倉の家にだって、いくらなんでもまた世話にはなれない。しかし、渦見の住む家とやらを見た瞬間、俺は自分の浅はかな行動を後悔した。

「…………」
「笠原ぁ、何ぼんやりしてんの?」

  しばらくなんらかの事情で大学を離れた渦見だったが、その間に、俺の部屋は人が住めるようなところではなくなってしまった。自分で言ってて意味わかんねー けど、実際今自分の部屋に帰って無事でいれる気がしないのだ。あそこにいると寒気がするし、他の部屋の住人が心配なくらいだ。
 どうやら渦見はそこにいるだけで”何か”を寄せ付けない効果があるらしい。ゴキブリにバルサン、幽霊に渦見だ。すっかりおかしくなてしまった俺の部屋を離れ、今、俺と渦見は、渦見家の前にいる。

「……お前って金持ちだったんだな」
「あひゃっ、そーでもないよー」
「嘘つけ、厭味か!?」

 目の前にある家が金持ちの家じゃなければ、俺の住む所は一体なんだってんだ。馬小屋か。
 古い老舗旅館のような雰囲気を纏った木造建築。やたらと横に広く、端の方が見えない。歴史ある旧家という感じで、どう見ても金持ちの家だった。これで金持ちじゃなければ、日本人は皆貧民になる。
 門の前では着物姿の婆さんが、ステレオタイプの箒を持って掃除していた。彼女は、俺たちの姿に気づくと、動かしていた箒を止める。それから少し驚いたように目を見開き、近寄ってきた。呆気に取られる俺を他所に、渦見は俺の手を引いて彼女の方へと歩いていく。

「こっちこっち」
「あんれまあ、終夜坊ちゃん、お帰りですか?」
「うん、キヌさん、ただいまー」

 ぼ、坊ちゃん!? お前坊ちゃんって呼ばれてんの!?  驚愕を抑えて、キヌさんと呼ばれた老婆を見た。彼女は、皺くちゃの顔をにっこりさせて、頭を下げる。俺も釣られるように頭を下げた。
 しかし、キヌさんは俺の方をじろじろと見ると、なんだか不審気な目線を渦見へと投げかけた。何? 俺の顔になんかついてる?
 視線にそわそわしていると、キヌさんも失礼だと感じたのか、隣にいる渦見へと問いかけた。

「そちらのお方は?」
「笠原だよー、いつも俺がいってるやつ」
「ああ! 貴方が笠原様ですか、終夜坊ちゃんがお世話になっております」
「あ、いえ、その……どうも」

 確かに世話してるけど、今は逆にされてるし、どういえばいいものか。
 しかし坊ちゃんて。日本で坊ちゃんなんて呼ばれていいのは夏目漱石の主人公だけだと思ってたけど。ていうかこいつ坊ちゃんてキャラじゃねーだろどう考えても。普通ぼっちゃんはこんな変な笑い方しないし、いい年こいて虫捕り網を振り回さない。
 キヌさんは穏やかに笑うだけで、それ以上何も言おうとはしなかった。
 俺は居心地が悪くなり、このまま帰りたかったけれど、あの部屋には帰れないことを思い出す。八方ふさがりだ。

「坊ちゃんがお友達を連れてくるのは初めてのことですので、キヌは嬉しゅうございます」
「あひゃひゃ、夕飯まだ食ってないからよろしくねー」
「ええ、ええ、腕によりをかけて作らせていただきますとも」
「だってさ笠原、よかったねえー、キヌさん料理得意なんだよ!」
「あ、ああ、ええと、お世話になります」
「こちらこそ、終夜坊ちゃんと仲良くしてあげて下さいまし……」
「はぁ」

 深々とお礼をされて困ってしまったのは、普段俺がこいつのことを割と邪険に扱っているせいか、あるいは、見ず知らずの人間に頭を下げられてしまったやりづらさか、そんな綯い交ぜになった気持ちを無視するように、渦見は屋敷の中へと俺を誘った。





  家の中は綺麗に掃除されてはいるものの、やはり古い建物らしく、縁側を歩くと床板が軋んだ。良く見ると柱やら壁やら天井にはあちこちに傷がある。まるで何 かに引っかかれた跡のようだ。猫でも飼っているのだろうか。庭の方には大きな池があり、鹿威しがカコンと優雅な音を奏でていた。こっからは良く見えないけ れど、多分鯉とかが泳いでいるんだろう。ぼんやりと口を開けながら見ていると、しばらく歩いたところで、渦見が止まった。どうでもいいけど広すぎ。ここ何 処だよ。一人で歩いたら確実に迷子になるな渦見家。

「此処が笠原の部屋ー、客間だけどね」

 開けられた先にはある意味予想通り、広い空間がが広がっている。

「へー、和室だな」
「うちは和室しかないよ」
「まあそうだろうな……和室だからな……」
「笠原、意味不明ー、なんか緊張してる? あひゃひゃ」
「う、うるせー」

  こんないかにも金持ってそうな家に来たこと無いんだから、緊張するのは当たり前だ。俺はわかり易く目線を合わせてくる渦見から視線を逸らすと、案内された 部屋の中に足を踏み入れた。俺も部屋は和室で畳の部屋だけど、この部屋は格が違った。うん、広さとか。レベルとか。俺が住んでるところの三倍はある……い や、四倍? 此処まで来ると本当に俺の部屋が犬小屋のように思えてくる。

「お邪魔しまーす……」

 畳独特の臭いが鼻腔を突く。渦見は窓の障子を開けると、押入れの奥にある荷物を片付けていた。
 高そうな掛け軸やら置物やらに、俺は壊してしまわないか心配だ。心配っていうか不安だ。壊したら弁償とか出来ねーよ。今のうちに片付けといた方がいいんじゃないか? そういえばこういう家って掛け軸の裏は隠し通路になってそうだよな、もしなってたらどうしよう……

「かーさはらー」
「ってうぉお!?」

 きょろきょろと部屋の中を見渡していると、いつの間にやら渦見が目の前で、しかも俺の服に鼻をこすりつけていた。何!?

「ちょ、な、何!? 何してんの!?」
「ん、んー」

 服に鼻をこすりつける渦見を突き放すと、少しよろけた後、俺を見て歪に笑った。

「今の笠原はぁ、いい匂いがするね」
「は? 何言ってんのお前気持ち悪いな。変な奴みたいだぞ」

 訂正だ。こいつは元から変だった。しかし戸惑う俺を他所に、さっさと渦見は離れると、ポケットから携帯を取り出した。
 え、終わり? 今の行動の解説はなしかよ。

「じゃあ俺、ちょっと電話してくるから、笠原は此処で待っててねー」
「あ? いや、電話って何処に? ていうか此処からかければいいんじゃねーの」
「知り合い、ここじゃちょっと電波繋がりにくいのさー」
「あ、っそ……」
「笠原、部屋から出ちゃ駄目だよ。誰か来ても、扉を叩かれても、呼ばれても、俺が来るまで扉を開けちゃ駄目だからねぇ」
「何でだよ、お前の家はスラム街か」
「まあ似たようなもん」

 マジかよ、また不安が押し寄せてきた。

「じゃあ、絶対に開けちゃだめだよ」
「……やけに念押しするな。なんかあるの?」
「なーんでも、ひひっ」

 不気味に笑うと、渦見は部屋から出ていった。後に残された俺は、一人その場に座り込む。
 全く意味がわからないのはいつものことだけど、やっぱり渦見という人間がわからない。そもそも俺とあいつって何なんだ。友達か。 友達にしては、あいつのことを知らな過ぎる。知ってるのって名前くらいなもんだしな。

 そこで、俺は改めて部屋の中を見回した。客間だと言っていたけれど、そもそも、一般家庭にこんなデカくて立派な客間なんてないだろう。飯倉の家だってなかったし。渦見は一体どういう家の人間なんだ?普通の中流家庭じゃなく、もっと上流階級のように感じる。
 坊ちゃんって言われているからには、どっかの跡取りとか?
 床の間に飾ってある重厚感溢れる鎧人形を繁々と眺めていると、部屋の扉がノックされた。

「笠原様、いらっしゃいますか? キヌでございます、お召し物の替えをお持ちいたしました」
「あ、はい……」

 キヌさんか。わざわざ着替えを持ってきてくれる人なんてマメな人だな。そういえば俺、また着替え持ってきてなかったっけ。飯倉に借りてるのも洗濯終わってないのに。
 そういえばあの人もなんなんだろうな。使用人? まあでかい家だし、使用人の一人や二人や十人いるだろう。
 俺は立ち上がり、扉へと手をかける。しかし、そこで渦見の言葉が頭の中を過ぎった。

『俺が来るまで、扉を開けちゃ駄目だよ』

 ……いや、でも、この家の人だし。

「……笠原様? どうかなさいましたか?」
「あ、いえ……」

  扉の奥から聞こえてくるのは、間違いなくキヌさんの声だ。さっき聞いたばかりだから自信の程は薄いけれど、しわがれた女性の声は、先刻聞いたばかりのもの の筈だ。開けて、服を受け取ればいい。だけど、俺の手は扉を開けることを躊躇った。頭のどこかで、やめろ、と危険信号が発せられているように、戸に手をか けたまま固まった。
 戸の奥では、依然トントンというノック音が響いている。

「……笠原様、開けてくださいまし。何かございましたか?」
「…………」

 ごくりと、喉が鳴った。自分でも、どうして開けないのかわからない。なんだろう、妙な違和感を感じるんだ。その違和感が何かはわからないけど。
 しかし、そもそもどうして、キヌさんは"自ら"入って来ないんだろう。「失礼します」ととでも言って、さっさと入ってくればいいものを、何故ずっと部屋の前で待っているだけなんだ?
 渦見家特有の慣わしでもあるのだろうか。

「笠原さま、開けてください」
「…………」

 トントン、トントン、トントン、トントン、変わらないリズムで叩かれる扉が、段々不気味に思えてきた。いや、不気味じゃない。この向こうに居るのはさっきのキヌさんだ。間違いない。だけどどうして俺の腕は動かない?

『開けちゃ駄目だよ』

 渦見の声が頭の中で木霊する。開けるな、開けろ、いや、開けるな。相反する二つの声が、俺の中で反響する。

「笠原様、笠原様、どうなさったのですか? 開けてください、早く、早く」

 トントントントントントントン。
 ノックも、何回か叩けば十分だろう、なんだてそんなにずっと叩きつ続けるんだ。
 そこで、俺は一つの妙案を思いついた。彼女が本当にキヌさんかどうか、聞いてみればいいのだ。

「……あ、あのキヌさん、一つ質問いいですか?」
「なんでございましょう」
「渦見がいつも持ってる"アレ"、どこ行ったかわかります?」
「……アレ、とは、なんでございましょう?」
「それは……わかるでしょう?」

  渦見の実家なら、いつも振り回してたあれの行方、知らないにしても存在くらいはわかっているはずだ。大学の連中ですら、皆知っているんだ、渦見のトレード マークの、虫取り網を。あいつは、壊してしまったと言っていたけど、家の人なら、どういういきさつで壊してしまったのか、知っていても不思議じゃない。
 しかし、返答はなかった。

 生唾を飲み込むと、静寂が部屋の中を襲う。ノック音も止み、俺を呼ぶ声も止まった。

「……キヌさん?」

 返事はない。
 本物で、扉を開けもせず不躾な質問をしてきたとかで怒ったんだろうか。しかし、仮にも客人に、あの上品そうな婆さんがそんなことするとは考えにくい。
 この静かな耐え切れず、もう一度声をあげた。

「…………あの」

 ドン!

「っ!」

 反射的に手を引っ込める。返って来たのは、先刻の暢気なノックの音ではなく、何かに体当たりするような、大きな音だった。

 ドン! ドン! ドン!

「あの、キヌ、さん?」

 なんて、言ってる場合じゃない。本当は、もう気づいているはずだ。この扉の向こうにいるのはキヌさんじゃない。他の何かだって。何って、そんなの俺が一番知りたい。俺はすぐに戸から離れ、部屋の奥へと逃げた。
 激しく打ち付けられる音、戸の方が先に壊れてしまうのではないかと思ったけれど、意外にもぴったりと閉じたままで、破られるような気配はない。

「っ……!」
「開けて……開けて……開けてよぉおおお〜〜……」

 聞こえてきたのは、キヌさんじゃない。先刻の老婆のような声ではなく、甲高い女の声だった。

「ねえ……笠原……かさはら……カサハラ……かさはら……」
「ひっ……」

 俺の名前が連呼される、続けて、叫ぶような、甲高い女の笑い声。打ち付けられていた音は、気が付けばがりがりと引っかくような音に変わっていた。執拗に引っかく音が戸の奥で続く。俺は耳を塞いだ。

「なんだよ、これっ……!」
「開けて……開けて開けて開けて……」
 
  ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ ガリガリガリガリ

 叩くような、ひっかくような音の連鎖、俺は耳を塞ぎ、目を瞑って叫んだ。

「やめろ―――!!」


 そこから先は、覚えていない。





 どのくらい時間が経っただろう。
 気づけば扉の音は消えていた。代わりに目の前には渦見がいた。俺は一瞬安堵の息を吐いたが、また違う奴だったらどうしようという、疑念が襲い、体が強張った。
 しかし、俺に触れてきた手が生身のものだったので、恐る恐る声を絞り出す。

「……うず、み?」
「ん、ただいま、笠原」

 その言葉に、にへらと笑う。いつもの笑顔だ。俺は全身の力が抜けたように、その場にへたり込んだ。どっと汗が伝う体を支えるように、床へ手をついた。

「お前……遅い……」
「うん、ごめんね」
「あと、怖ぇよ……お前の家幽霊屋敷じゃね……?」
「そうでもないけど……笠原はちょっと呼びやすいから」
「俺が?」
「でもいいよ、今は。怖かったね」

 よしよしと子供でもあやすように、頭を撫でられた。不覚にも涙腺が緩んだけれど、まるで子供のように扱われてちょっと憮然とする。

「俺は子供か」
「あひゃひゃ、こんなでっかい子供いないでしょー」
「お前だって子供っぽいよ。つーか疲れた……。もう寝たい」
「その前に、ご飯にしよ、腹減ったっしょー」

 その言葉に、忘れかけていた食欲が戻ってきた。ぐうと鳴った腹を見て、渦見が予想していたように笑った。

「キヌさん、料理美味しいから、笠原も沢山食べなよ」
「……本物か?」
「ん?」
「いや……なんでも」

 部屋を出る時、戸を見たけれど、ひっかいた跡もなければ、ぶつかったような跡もない。あれは夢だったのかと思ったけれど、やはりあの声だけは、リアルに耳に残っていた。


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