灯り
渦見が実家の用事でしばらく大学にもうちにも来れないと言ってきた。
大学はともかく、来れないも何も別に俺の部屋に来ることはお前の義務じゃないんだけど、という言葉を飲み込んで「あっそう」と告げた。すると渦見はいつものようにケラケラと笑う。毎度毎度、何がそんなに楽しいのか理解できない。
俺はその姿を普通にどん引きしながら見ていたが、渦見も散々笑うと飽きたらしく、やがてじゃーねと手を振って帰っていった。
「俺がいないからって泣かないでね笠原」
「どこから突っ込めばいいんだよ」
「気休めに塩でも盛っておきな」
「うるせーばーか。バーカバーカ」
と言いつつも、現在俺はスーパーでお徳用の塩を買っているのであった。笑いたきゃ笑え。
今までは調味料はこっそり食堂のものを毎日少しずつがめていたのだが、この間とうとうおばちゃんに見つかってしまった。すごい怖かった。
この年になって反省文とか書かされて涙目になった。
というわけで現在我が家の塩および調味料は底をついてる状態だ。
一介の大学生がなんでこんな塩を求めてるのか不思議に思う人がいるかもしれないが、こっちは割と生活をかけているんだ。効かなくても塩と飯があれば割と生き延びれるしな。そもそも俺が塩を買ってるなんてこと誰も気にとめないから大丈夫だろう。
渦見がいると怖い目にも合うけど、直接的な被害はない。
しかし、渦見がいないとなると、金縛りに合うことがしょっちゅうなので、塩は気休めでもいいからおいておきたい。
御守りみたいなもんだと思う。
「つーかたけぇ……千円てふざけんなよ……どの辺がお得なんだよ」
俺に喧嘩を売ってるとしか思えないその値段に唸りを上げた。
そもそも食塩なんて効くのか?まあ病は気からって言うし、別に天塩でいいか、などと思いつつ手にとって見ていると、その途中飯倉を発見する。
同じ科の飯倉始だ。
スーパーで会うなんて珍しいなと思っていたら隣には彼女を連れていて、軽く呪い殺したくなる。こっちは彼女もいなくておまけに金縛りにあうからとかいうコアな理由で魔除けに塩を買おうと思ってるってのに。なんだこの差は。不平等すぎるぞ神。温厚な俺でもブチ切れるぞ。
「あれ? 笠原?」
すると飯倉がこっちに気づいたらしく、気軽に声をかけてきた。
それどころか、彼女の手を握ってのこのこと近付いてくる。いちゃつきやがって。
「よー笠原ー、何してんの?」
「塩を買ってんだよ塩を!」
「何で切れてんだよ……」
「ねー始ちゃん、誰? 友達?」
「そ、大学の友達ー。あ、笠原これ俺の妹、美幸ってゆーの」
「名探偵かお前は……あ、どうも、笠原です」
「美幸です! よろしくおねがいしまーす!」
美幸ちゃんは元気に声をあげて挨拶してくれた。どうやら隣にいた子は彼女ではなかったらしい。まぁランドセル背負ってたからひょっとしたらそうじゃないかとは思ってたんだけど。
「彼女じゃなかったんだ」
「え、何、お前彼女だと思ってたの!? こいつ小学四年生だよ!?」
「お前がロリコンっていう線も考えて……」
「そんな薄い線考えんなよ! 友達を信じろ笠原!」
必至に言い募る飯倉と、笑いながら否定する俺。兄とその友人の言い合いを、妹である美幸ちゃんはキョトンとした顔で眺めていた。
飯倉兄妹は、夕飯の買出しを頼まれたらしく、もうすでにレジは済んだ様だ。今日の夕飯のことを考えていなかった俺は急に腹が減って、ついでに万能食品である卵をカゴに放り込んだ。
「つーか笠原、渦見は? 今日は一緒じゃねーの?」
「なんか実家に用があるみたいで、しばらく大学も休みだと」
「へー、いつもべったりな渦見がいないから珍しいと思った」
「なんだその認識? 俺と渦見はセットがデフォルトか」
「だってお前らいつも一緒にいるじゃん」
「たまたまだよ」
塩を一個と、あとは適当に野菜を買い物籠に入れると、俺はレジの方へと歩き出す。何故か飯倉も後ろからついてくる。その後ろに美幸ちゃんもくっついてくる。ので、俺たちはRPGのように一列に並んで歩き出した。
途中、飯倉が俺の方をちょいと突付いてくる。
「な、な、笠原ー、なら俺、今日お前んちいっていい?」
「なんで? 別にいーけど」
「普段渦見いるからいけねーけどさー、俺だってたまにはお前と飲み会したいわけ。だってお前合コンとか全然来ないし」
「金ないんだよ」
「貸すぜ、十一で!」
「悪徳高利貸しか」
「十秒一円」
「たけーよ!」
笑いながら、スーパーを出ると、既に日は落ちていた。
いつの間にか飯倉が後から俺の家に酒持参で来るという話になって、とりあえずその場は解散。俺は天塩片手に自分の家に帰った。
古びた鉄製の階段を上り、鍵を開けると、そのまま奥に入ってカーテンを閉める。
部屋の四隅に目を遣ると、お猪口の上に小さく盛り付けられた塩がぽつんと置いてあり、俺はその塩を取り替えた。
効いてんのかわからないけど、むしろ多分聞いてないけど、たまには変えなくちゃね。
それから、飯倉が来る前に銭湯に行っておこう。このアパートは風呂はあるけど、今は壊れている。ずっと入らないわけにも、水道を使うわけにもいかない。
節電を重んじる俺は部屋の電気を消すと、そのまま銭湯に足を進めた。
***
銭湯でのんびりとした時間を過ごし、口笛を口ずさみながら我が家へ戻ってくると、部屋の扉の前で誰かが立っていた。目を凝らす。飯倉だ。
奴はすでに俺の部屋の前で待ちぼうけていたらしく、苛立たしげに扉を叩いている。俺、中にいないのに……。
「飯倉ー」
「……笠原?」
後ろから声をかけると、まるで飯倉は幽霊でも見たような顔をして俺を見た。近寄ってくると、俺を確認するように見つめ、それからバシバシと肩を叩いてきた。ちょ、痛。
「いてーよ、なにすんの」
「なんだー、笠原外にいたのかよ!」
「銭湯行ってたんだ」
「言えっての! 俺携帯に連絡したのに来なくてずっと待ってたんだからな」
「悪い」
どうやらかなり待たせてしまったらしいので謝ると、別にいいよ、と笑った。派手な外見と裏腹に、割といい奴なのだ。
しかし、そこで飯倉はそれにしても、と言葉を続けた。
「それにしても、お前外にいるなんて俺全然知らなかったわ」
「なんでだよ、電気消えてるだろ」
「ついてるじゃん」
「…………あれ?」
本当だ。
俺は確かに消していったはずなのに、何故か扉からは光が漏れている。そういえば飯倉と別れて部屋に入ったときも、すでに灯りがついていたような……いや、考えすぎだ。きっと消し忘れたんだろう。そうに決まってる。
無理やり頭にそう納得させたところで、今度は部屋から大きな音がした。
明らかに俺の部屋の中からだ。
「…………」
「中に誰かいんの笠原……ってまさか彼女!?」
「いや……」
誰もいない。
そう、誰もいないはずなんだ。
当たり前だ、俺は一人暮らしで、唯一毎日遊びに来ていた渦見も、今日はいない。だから、正真正銘この部屋には誰もいないのに、どうして中から音がするん だ? まるで中に誰かがいるみたいじゃないか。扉に手をかける。鍵はかかったままみたいだ。強盗、泥棒の類も考えたが、俺の部屋に盗むようなものなんてな い。
逸る心臓を抑えながら、そっと扉近くの窓を覗いた。
部屋の鍵を開けるよりも、まず中を見てみたほうがいいと判断したためだ。
そして、見て後悔すると共に、俺は自分の判断を褒めた。

「っ…………!」
窓の向こう側、つまり俺の部屋の中からべたりと張り付いていたのは、見たことのない女だった。長い髪で、目はやたらと血走っている。
俺と目が合うと同時にそいつはにんまりと笑った。
「笠原? どうしー」
「行こう」
「え、ここお前の部屋だろ!?」
俺は目を逸らし、飯倉の腕を引っ張ると急いで階段を下りていった。あれはダメだ。
関わっちゃいけない。見るのも、やめた方がいい。早く逃げないと、その言葉だけが頭に響く。
畜生、どうしていつもこうなるんだ。
「飯倉」
「なんだよー、いきなり」
「……悪いけど、お前の家泊めて」
「……いいけど?」
「ありがと」
訝しがる飯倉に礼を言うと、早急に部屋から離れた。同時に、どっと疲れが襲ってくる。
やっぱり天塩じゃダメだったのかな。まあ食塩だしな。
とりあえず、渦見が帰ってくるまで、家に入れないや。
「あー……財布忘れた」
「取ってくれば? 俺待ってるし」
「……無理、悪いけど飯倉、ちょっと金貸して。後で返すから」
「……いいけど……」
飯倉は何かを察してくれたのか、それ以上俺に何か聞いてこようとはしなかった。これから、どうしよう。
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