「何、樹まだ怒ってるの?」

 得意なのか、林檎の皮を包丁でするすると器用に剥きながら、森が笑った。左手で出来ることと言えば限られているので、俺は大人しく本を読んでいる。読みながら、視線だけは移さずに答えた。

「お前はもっと俺に悪かったと思うべきなんだ。Aランチが台無しだ」
「だから、悪かったってー。ほい、ウサギさん。あーん」
「あー……っていや、それは左手で食えるよ」

 口元にウサギさんの形に剥かれた林檎を突きつけられ、口を開けかけたが、折れていない方の手で受け取った。何が悲しくて男同士でこんな恋人みたいな真似をせねばならんのだ。ウサギの耳の部分を引っ張りながら食べていると、森が隣で何か言っていたが、気にせず口に含んだ。瑞々しい果肉が口の中で弾ける。うむ、美味い。
此処は俺の自室で、大学が終わった後、珍しく森は合コンにも行かず俺の所にやって来た。どうやらお世話すると言っていたのは冗談ではなく本気だったらしい。普段は合コンばっかりやっているくせに、天変地異の前触れか?

 右腕の使えない俺に代わって夕飯とかも作ってくれたので、それは正直助かった。俺は一人暮らしで、普段は適当な自炊の為、森の作る夕飯の方がレベルが高いように思えた。イケメンで料理も出来るとかお前全国の負け犬を嘲笑っているのか?

「ていうか樹、Aランチって何? 俺Aランチに何かした?」
「ああ間接的にな、最終的にはお前が逃げたことに繋がるんだけど」
「あはは、樹って本当そういうところ面倒くさいよな、だから友達いないんだよ」

 辛らつな言葉を吐きながら、森も林檎を齧る。うるせえ、ほっとけ。
 そこでふと、俺は昼間の出来事を思い出し、知り合いの多いこの男に問いかけてみた。

「そういやさ森、お前、林流星って奴知ってる?」
「ああ、知ってるよ、なんで?」
「え、知ってんの?」
「うん、何か変な格好してる奴だろ」
「そ、そう。変な格好してる奴」

 よかった。変なのって思っていたのは俺だけじゃなかったんだ。自分に服のセンスが無いのはわかっているので、もしかしたら新手のオシャレかも知れないと、少しだけ思っていた。しかし、割とオシャレ人間タイプな森が変な格好と称したのだから、矢張りあいつの格好は変なのだ。俺の感性はまともだった。
 と、心の中で密かに思っていると、気づけば森の顔が目の前にあった。色素の薄い茶の瞳がじっと俺を見つめていて、少し驚く。距離感近いなおい。

「何?ていうか近い。お前鬱陶しいからちょっと離れろ。二メートルくらい」
「いやあ、樹の口から他の人間の名前が出ることって珍しいなあって思ってさ。何かあった?」

 笑いながら、森が言う。相変わらず距離は変わらないので、仕方なく俺は右手を庇いながら、ずりずりと後退した。しかしそれに連動する様、森もまた四つん這いで進んで来るものだから、距離は一向に変わらない。結局俺は、無意味に壁際に追い詰められる形となった。

「……今日話しかけられたんだよ。半分以上会話は通じなかったけどな」
「へー、何話したの?教えてよ」
「なんで」
「いやいや、だって俺たち仲良しじゃん!」

 心霊スポットに人を置いて逃げるような奴は、仲良しって言わない。

「良くわかんないさ、俺だって」
「わかんない? 何が」
「全体的にだ」
「教えてよ」
「えー……でもなあ」

 話したことと言えば、突然の自己紹介と、あとは足に何かついているだの、子供が見えるだの、冗談とか電波な類の発言だと思って、流してしまいたいものばかりだった。会話って会話もしてないし、むしろ言ってる俺が変なんじゃないかと疑われるレベルだ。
 だが、言い渋った事が癇に障ったらしい。森は面白くなさそうに、眉間に皺を寄せている。こいつがこういう顔をしている時は大抵面倒なことになるのだ。なので、俺は心中やばいな、と思いながら、そっと距離をとった。でも残念なことに後ろは壁。距離は全くとれない。折れてない方の腕が、森に掴まれた。存外強い力だったので、少し驚く。

「何、俺には出来ない話をしたんだ?」
「は? いや……、何を話したのか俺も意味が良くわからないっていうか」
「あーあー、大親友に隠し事するなんて、酷いなぁ樹クンは!」

 大げさに肩を落とす森の姿は、演技めいてはいたが、手の力だけは反比例するように強く、痕が残るのではないかと不安になるくらい、きつく掴まれていた。何を突然怒っているんだろう、この男は。

「……てかお前、俺に友達がいないからって、肝試しに誘うくらいなんだから、別に俺が誰と何話そうが、友達になろうが、どうだっていいだろ。森には関係ないし」

 実際のところ、林と友達になるという選択肢はこの時点でゼロだったが、あまりにも森がしつこいというか、面倒なのでそう言ってやった。大体、他人の会話の内容を知りたがるなよ。
 まあ、こんな事言ったところで、どうせ返ってくるのは笑いながらの俺への反論か、あるいは興味を無くすか、いじけて帰るか、どれかだろうと高を括っていた。
 しかし、返って来たの俺の予想とは違う反応だった。

「何それ」
「は……?」
 森が無表情で言い放つ。
「関係ないって、何」
「いや……」
「樹に友達なんてどうせこれからも出来ないよ、だから俺しかいないんだろ」
 なんて、まるで自分だけが全てのように。
「お前……いくらなんでも俺に対して失礼すぎるだろ。あと、手離せよ、痛い」

 これで左腕まで傷つけられたら俺は何も出来ないじゃないか。両腕負傷って洒落にならない。しかし掴まれた手は離されず、それどころか爪を立てられ、一層鋭い痛みが走った。俺は堪らず悲鳴を上げる。

「いっ……つ!」
「あぁ、ごめん」
「ごめんじゃねえよ!てか、手離せっ」
「林と何話したの?」
「だからなんでもないって!」
「教えてくれよー、樹クーン、気になるじゃない」

 顔は笑っているが、目は全然笑っていなかった。手だって未だに離れない。壁を背にしている俺に対し、森の腕が頭へと伸びてきた。くしゃりと髪を撫でられる。

「高校の時からさ、樹の面倒を見るのは俺の役目だろ?なんていうの、保護者として、友として、悪い男に騙されて無いか、何を話したのか知りたいのよ」
「お前は俺の母親か?余計なお世話だっ」
「えー、樹クンったらひどーい。俺はお前のことが、こんなにも心配で心配でたまらないのに!」

 再び加えられる力と、走る痛みに、目の前の男が普段俺の知る森とまったくの別人に思えて、少し怖くなった。
 視線を合わさないようにして、言葉を吐く。

「っ……う、嘘付けよ。」
「あはは、うんごめん嘘。ただ、樹が俺に隠し事したってのがむかついただけ。ねえ樹、教えてくれるよね」
「……お前さ」
「何話してたの?」

 話を逸らそうとしても、少しの歪みも無く、譲らない。いや、むしろ歪みだらけか。こんな風に聞いてくるのは一般的に考えて異常だと思うけれど、俺友達少ないからよくわからないや。

「教えてくれないとチューしちゃうよー」
「や、やめろ」

 近付く顔に顔を顰める。それとも、森みたいなノリの奴らには、これが普通なのか?だとしたら、俺はそのノリには入れない。どうしてそんな明け透けな関係にならなければいけないのだ。俺だって森に関して知らないことは沢山あるし、特に知りたいとも思わない。何もかも知っている関係だなんて、なんか気持ち悪いだろ。
 ただ、もうこれ以上隠して怒らせるのも嫌だったので、俺は正直に話すことにした。その結果俺が変な奴扱いされるかもしれなかったが、もうそれでも良かった。この妙な空気から抜け出したかった。

「樹?」
「わかった、言う、言うから離れろ」
「あらま、少し残念、でも、最初からそう言えばいいのに、樹クンたらオバカさん」
「今俺の両腕が塞がっていることに感謝しろこの野郎」
「ごめーん」

 相変わらず悪びれている様子が欠片も見られない。蹴り上げてやろうか、と思っていたら、ゆっくり後退していった。やれやれ、漸く離れたか、そう認識すると同時に、安堵の息が漏れた。どうやら、自分で思っていたよりも、俺は緊張していたようだ。

「で、なんだって?林流星は」

「あー、なんていうか、変なことばっかり言ってたから、どう言えばいいかわからないんだよ」
「変なことって、何」
「いや、俺の後ろに子供が見えるだとか、足に気を付けろとかさ……、まあ、あまり関わりたくないタイプの人間だってことはわかった」

 それを言うなら見た目からしてそうだったのだけど、森は聞くだけ聞いて何を思ったのか、つまらなさそうに「ふうん」と小さく呟いた。自分から聞いてきた癖になんだそのリアクションは。どういう話を期待していたんだ。

「な、もういいだろ、俺シャワー浴びるから帰れよ。飯はありがとう」

 だが、そう言った途端、森はぱっと顔を明るくして、まるで先刻までの事など忘れたかのように、立ち上がる。少し怯えていた俺が馬鹿に思えるほど、いつも通りだ。

「えー、髪とか左手だけじゃ洗えないだろ、俺手伝ってやるって!」
「いやいいよ、自分でやるから」
「遠慮するなってー、さっきは樹と林のこと聞いたから、今度は俺と女の子の会話を事細かに教えてやるよ」
「のろけじゃねえか、死ね」
「あ、俺にそんなこと言っていいのかな」
「は?」

 爆発すればいいのにこいつ。とか思っていたら、森がニヤニヤ笑いながら耳元で囁いた。

「桜井ちなみのことなのに」

 その言葉に、俺の体はぎくりと固まった。首だけを捻って森を見遣ると、見透かしたようにニヤニヤ笑っている。俺が桜井ちなみのことを気にしていると見越しての笑みだろう。なんとなく暗い気持ちになりながら口を開くと、思っていた以上に低い声が出た。

「森……お前」
「樹ってああいう清楚系好きだろ? 聞きたくない? 色々とさ」
「う……」
「好きなタイプから生年月日、次に開く合コンに出る予定まで、何が知りたい?」
「………………」

 何も言わずに黙っていると、再び左手を掴まれる。

「じゃ、風呂場行こうぜー、修学旅行みたいでワクワクするな!」

 修学旅行で好きな子の話をするのは布団と相場は決まっているんだよ! まあ俺はしたことなかったけどね! と言おうとしてやめた。じゃあ泊まってくとか言い出したら、また面倒だからだ。諦めにも似た思いで、手を引かれるままに歩き出す。勝手知ったる俺の家と言わんばかりに、森は風呂場へと直行していった。何がそんなに楽しいんだか。
 森って人生楽しそうでいいなあ、とか思っていると、早く来いと手を招かれた。はいはい、今行くよ。脱衣所まで来ると、俺は洗濯バサミに挟まれ、ぶら下がっているビニール袋を手にした。右腕がギプスで固定されているので、三角巾を外し、上着を脱いで、ギプスをサランラップで巻いてからビニールを被せた。水分が入らないようしっかり止められていることを確認すると、次はズボンのベルトに手をかける。だが、左手ではうまくベルトが外せない。苦闘していると、森が笑いながら近付いてきた。

「なんかじたばたしてる樹って仰向けになった虫みたいだな」
「お前実は俺のこと嫌いだろ」
 この男、年中俺に喧嘩を売っている気すらしてきた。
「俺が外してあげるよ、はい、手あげて」
「いいよ、自分でやるよ、虫みたいに」
「樹って本当根に持つよね。冗談だってば、下脱げないと風呂入れないでしょー」
「なんならもう一人で入るし、桜井さんのことだって俺一人で調べあげるさ」
「樹が言うと犯罪みたいで面白いな」

 どういう意味だ。お前がやると別にイケメンだから許されるけど、俺の口を通すとストーカー臭がするとでもいいたいのか。全然面白くねえよ。ふざけんな。流石に頭にきて、左手で腰に掛けられた手を振り払う。

「あっ、かわいくない!」
「うるせっ、だから一人で大丈夫だっ……」

 「て」という言葉を最後まで発することが出来なかった。振り払った瞬間にバランスを崩し、運の悪いことに、風呂場に置いてあった盥に向かって倒れこんでしまったからだ。

「うわっ!」
「樹!」

 森が焦ったように叫ぶ。俺も焦る。当たり前だ、このまま倒れると腕がヤバイ。ギプスを巻いているとはいえ、強くぶつけたら怪我が悪化してしまうだろう。ただでさえ不便なのに、そんなことになって堪るか。結果、俺は無理やり足を後ろに出し、腕を庇うように、バランスが崩れた体を足で支えた。

 支えた足から、ごき、と嫌な音がした気がする。

「いっ………てぇええ!」

 風呂場に、木霊する俺の悲鳴。頭の中で、林流星の言葉が、再生された。

『気をつけたほうがいいぜ、その足』

 ちくしょうめ。


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