男がいる


 俺が渦見と初めて会った時の話だ。
 渦見は俺を知らなかっただろうけど、俺は渦見の存在を元々知っていた。
 極貧大学生で没個性な俺と違い、その端正な容姿と奇抜な言動、そしていつも持っている虫捕り網から、奴は大学構内でも有名な男だったからだ。
 渦見は、虫捕りが大好きな虫男だとか、実は人を殺しているだとか、今年は留年確定だとか、誰もいないところでいつも一人で話しているだとか、人の彼女を 寝取っただとか、本当だか嘘だかわからない、根も葉もない噂が常にいくつも飛び交っているような奴だった。恐らくやっかみや嫉妬も中には混じっていたのだ ろう。容姿だけならば、本当に秀でていたから。しかしそれでも渦見は気にした様子もなく、話しかけられれば話すけれど、基本的には一人でふらふらしてい る、要するに変わり者だった。

 そんな俺が初めて渦見と話したのは、一期も終わりの夏頃の話。

 その日、俺はすこぶる機嫌が悪かった。
 それというのも、大学に行くまでの間、地下鉄で飛び降り事故があったからだ。おまけにそれだけならばまだしも、その現場を思い切り目撃してしまった。本当、死ぬならば人の迷惑にならないところで死ねばいいと思う。
 飛び降りた男、……多分まだ二十代くらいだったんじゃないだろうか、その男は俺の目の前に立っていた奴だった。
 地下鉄が近付いてきたその瞬間、男はこちらを見てにまりと笑うと、そのまま後ろ向きに倒れた。
 ……その後は、朝から不愉快な映像。


 まったく、朝から嫌なものを見てしまった。
 警察から事情を聴かれて、ようやく大学に着いた頃にはもう昼近くになっていた。



「お、笠原、お前来週提出のレポートやった?」

 同じ科の飯倉と遭遇して言われたそのセリフに、俺は適当に言葉を返す。

「来週ならまだ時間があるだろ」
「お前そう言っておきながら前落としたじゃん。っつっても、俺もまだ全然やってないんだけどな」
「と言いつつ、実はやってるんだろ? 裏切り者め」
「あ、バレた? つーか笠原なんか顔青いぜ。どうかした?」
「あ〜、朝からちょっと嫌なもの見ちゃって……」
「また人が死ぬところでも見たのかよ。お前って本当不幸体質だなあ」

 あはは、とまったく笑えないことを言いながら飯倉が笑う。
 そうなのだ。昔から、何故か俺は人の事故現場や死ぬ場面に遭遇することが多い。
 それは偶然であったり、必然かと思わせるようなこともあったりで、そのせいか、俺は若干人の死に慣れている感覚があったんだろう。緩やかな死の瞬間というのを見たことがない。どころか、事故現場に遭遇するといつも、その死んだ奴が傍にいるように感じてしまう。
 気のせいだとは思うのだけど、それが嫌でたまらなかった。

 その時隣で笑っていた飯倉が、ふと、笑みを潜めた。

「あ、渦見だ」
「え?」
「ほら、あそこ。相変わらず虫捕り網振り回してら、いつも何とってんだろうなーあいつ」

 飯倉の視線の先には、確かに渦見終夜が、トレードマークとも言える虫捕り網を振り回して大学内を徘徊していた。
 もうそろそろ講義が始まる時間だというのに、あんな所で何をしているんだろう。もしかしたら、奴は大学にただ遊びに来ているだけなんだろうか。大学生なんて大半は遊びほうけてるもんかもしれないけど、あいつは少し違う気もする。
 ぼけっと見つめていると、渦見は俺たちに気づいたらしく、ずんずんと此方へ近付いてきた。

「うわ、おいおい、笠原、渦見の奴こっち来るぞ、やべー」
「なんで逃げてんの?」
「関わりたくないからだよ、じゃーな」
「あ、おい飯倉……」

 呼び止める間もなく、飯倉はさっさと走って行ってしまった。

「なんだあいつ…………ってうお!」
「やぁー」

 視線を戻せば、目の前に渦見が立っていて、俺は軽く仰け反った。
 奴は整った顔立ちをにへらと崩したかと思えば、キャラメル色のふわりとした猫っ毛を揺らしながら、俺の顔目掛けて虫捕り網を振り下ろしてきた。目の前が網のせいで翳り、モザイクでもかかったように渦見の顔が霞んだ。

「捕まえたーあひゃひゃひゃ」
「…………はぁ?」
「つかれてるねー、君、大量大量」
「何お前……?」

 それが、俺と渦見の出会いだった。

 その時、俺は渦見が言ったつかれてるね、というのは 疲れてるね、だと思っていたのだが、それは間違いだったらしい。渦見は俺に憑かれてるね、と言ったのだ。と後に聞いた。そう言われても、霊感ゼロな俺にはピンと来ない話だったのだけれど。

「君、塩とかさぁ、買ったらいいと思うよ」
「塩……?」
「そうそう、部屋の四隅に盛ってね、ああでも君、部屋はもう手遅れっぽいな」
「いきなり何の話……?」

 何が楽しいのかわからないが、渦見は楽しそうに笑う。

「だって、つかれてるでしょ?」
「まぁちょっと疲れてるけど……」
「あひゃひゃひゃ!」

  訳がわからない。変な奴というよりも、危ない奴。その後すぐに鐘が鳴ったので、俺は奴を放って大学に入っていった。その後どうなったのかは知らないが、と りあえず、俺が走って行った後も、渦見は楽しそうに笑って塩!塩!と叫んでいるのだけは見えた。塩のCMでもやってんのか。噂に違わぬ変人、というか、関 わりたくない類の人間だった。





 その夜、俺は渦見に言われたことなどすっかり忘れて、布団の中で寝入っていた。安いボロアパートなので、風通しもすこぶる良い、夏はまだいいけど、冬は大変だ。
  その時、急に胸の上が重くなり寝苦しくなったので、真夜中にも関わらず、目を覚ました。胸のあたりが苦しい。金縛りだろうか、だけど、金縛りは科学的に証 明されている。あまり詳しくは覚えてないけど、体が眠っているけど脳は起きている、そんな状態らしい。俺は自分に言いわして、落ち着いて眠ろうとした。
しかし、よく見ると俺の上に、知らない男が座っていた。

「っ…………!?」

 じっとりとした、真っ黒い双眸が、俺を見下している。起き上がろうと思ったけれど、やはり体は動かない。
 なんだ、これ。男はのっぺりとした顔で俺の上に正座していた。
 表情は無く、ただじっと俺の方を見てくるのだ。……げ、幻覚だ。これは、夢。金縛り。脳が見せてる嘘の映像。しかし体は拒否しているらしく、一気に寒気が襲ってくる。
 気持ち悪い。怖い。叫びたい。そう思ったが、指一本動かせず、俺は蛇に睨まれた蛙のように、その場に硬直することとなった。どのくらいの間、そうしていただろう。相変わらず男の気味悪い目線だけが、俺を見つめている。
 いっそ寝てしまえれば楽だと思うのに、それすらできないなんて。

『…ね………ね…………ね………ね…』

「…………?」

 ふと、男が小声で何か囁いていることに気づいた。
 ボソボソと、聞き取りにくい声だったが、耳を済ませて聞いていると、段々聞こえるようになってきた。
 男は低い声で、俺にこう囁いていたのだ。



『死ね』



 はっきりと聞こえた瞬間、俺は飛び起きた。

「…………はぁっ……! はぁ……っ……!?」

 汗がすごい。
 背中がびっしょりと濡れている。
 周りを見渡しても男の姿はもうないが、それでもまだ声が聞こえてきそうな気がして、震えがしばらくとまらなかった。がた、と窓が揺れた。……誰もいない。風で、揺れたのだろうか。あるはずのないものを想像して、俺は目を伏せる。
 最後の最後に、男は笑った。
 あの男の、顔は。プラットフォームで、確かに見た。

「………………マジかよ」

 俺の目の前で、自殺した男。


 ***


 翌日、俺は食堂にいる渦見に声をかけた。
 渦見はカレーライスに塩と胡椒を振りかけて食うという悪食な真似をしていたが、俺は気にせず隣に座った。渦見は一瞬だけこっちを見て口元を歪めると、昨日のように笑うのだった。

「相変わらずつかれてる〜」
「…………みたいだな」
「あひゃひゃひゃ!」
「……なぁ、渦見」
「んー?」
「……塩って、きくの?」
「……あひゃっ」

 その問に渦見は答えず、ただ笑いながら傍にあった塩を俺に振りかけてきた。
 これが、多分俺と渦見終夜の最初の出会い。ちなみに、渦見曰く、あの男はまだ俺の部屋にいるらしい。勘弁してくれ。

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