「馬鹿じゃないの? あんた」
「えっ?」

 後ろから話しかけてきた見知らぬ男は、俺の肩を掴んで、唐突にそう言い放った。
 翌日のことだ。利き手が折れているとはいえ、動かせない程の重症でもない。幸い、綺麗に折れてくれたらしく、激しく動かしたり、ぶつけたりしなければ、割と早くくっついてくれるらしい。単位もそうそう落とせないので、ノートは森に任せるものの、講義を聴くため、俺は大学に来ていた。次の講義が始まるまで少し時間がある。丁度昼時だし、食堂で美味いと噂のAランチを食べていると、突然話しかけられたのだ。
 そう、この見知らぬ男に。

「だ、誰?」

 どもりながら答える。もしかして、俺が忘れているだけで、今までに会ったことがあるのだろうか、という考えが一瞬頭を過ぎったが、その考えはすぐに捨てた。男の服装は、黄色と黒のボーダーシャツに青いジーンズ、黒い髪は一房だけ緑に染まっていて、耳と唇の間には銀色のチェーンが繋がれている。どんなセンスだ。どうコメントすればいいのかわからないし、俺が最も近付きたくないと思えるタイプの人間だった。そのくせ顔は中々整っているので、余計怖い。真面目そうに話す姿のせいで、一層服の奇抜さが浮き彫りとなっているように感る。こんな変な格好の奴、一度会ったら忘れないだろうし、かといって俺から話しかける姿も想像できないので、やはりこの変な男とは初対面ということになる。

「あの……」
「肝試しに行ったの? 噂になってる。呪いだってさ。あんた森って奴に唆されたのか? 馬鹿だな。あんな所行くからそんなことになるんだよ。危険なんだ、あそこは。近付く奴なんて馬鹿ばっかりだ。ははは、だからあんたは馬鹿なのか」
 男は俺の話を何も聞いていないようだった。おまけに超失礼だった。会った瞬間からなんだ、人のことを馬鹿馬鹿言いやがって。「誰?」という至極当然な俺の質問をスルーして、男は自分の話を続けている。
 しかも内容がよくわからない。この一瞬で、俺の中のこの男に対する印象が「人の話を聞かない上に、自分の話だけはする変な格好の奴」という嫌なものになってしまった。
 俺は食事のトレイを持ってそっと立ち去ろうとしたが、何故か男は隣に座りだす。か、勘弁してくれ。
そもそも俺は初対面の人間と何か楽しくお喋り出来るほど、社交性に富んでいないのだ。相手が正体不明の奴ならば尚更な。

「あ……あの、すみません、どこかでお会いしましたか?」

 長い試行錯誤の上、俺は丁寧にそう尋ねる。無視してそのまま立ち去ればよかったのかもしれないが、追いかけられたらどうしようと言う恐怖もあった。いや、追いかけられるだけならまだしも、何かがこの変な男の怒りスイッチを押してしまい、急に殴られたりしたら溜まったものじゃない。ネガティブと不安の塊のような考えを脳内で展開させながら、多少びくつきつつ返答を待つ。しかし、返って来たのは俺の質問に対する答えではなかった。

「林、流星」
「は?」
「はやし、りゅうせい。俺の名前。木が二つの林に、流れる星って書いて林流星、ロマンチックだろ?」
「あ……、はい、そうですね」

 というか、他にどう答えればいいんだ。俺だって、山川樹と自然っぽい名前が並んでいて格好いいでしょうとか言えばいいのか。そもそも俺は名前を聞いたのではなく、何処かで会ったかを聞いたのに、どうして突然自己紹介なんだ。自己紹介の流れだったか? 今。しかし、この紹介で解ったことが一つある。
 それは矢張り、俺とこの男は初対面だということだ。林流星なんて名前に聞き覚えはない。

「あんたは?」
「え?」
「名前だよ、名前。一般的に、人の名前を聞く前には自分の名前を名乗るのがマナーだから、名乗ったのに。そっちは言わないんじゃ不公平だろ」
 俺は別に名前を聞いたつもりはなかったのに。
「……山川です」
「下の名前は?」
「樹。樹木の樹って書いて、たつるって読みます」
「へー、樹海の樹でそう読むんだ」

 どうしてネガティブな印象がある単語の方に言い直したんだよ。

「林に樹ってなんかいいね。木が沢山あって」
「はぁ……」

 林流星とやらの真意が読み取れず、俺は密かに顔を顰めた。一刻も早くこの場を離れたかった。

「あの、ところで、俺に何か用ですか」
「年は?」
 聞けよ。でも答えてしまう気弱な俺。
「……十九、です」
「タメじゃん。でもあんた何かガキっぽいね。童顔だからかな」

 そんな変な格好をしている奴には、心底言われたくない台詞だった。子供だってそんなはっちゃけた格好しねえよ。大体この人、さっきから俺の質問に何一つとして答えてくれない。せっかくのAランチも最早冷め切ってしまっている。同年齢ということ、食事を邪魔されたという怒りもあり、俺は少し強めに言ってみた。

「あー、あの、用がないなら失礼します! それじゃ!」

 立ち上がってトレイを手にそそくさと離れた。幸い止められたり、怒られたりすることはなく、林流星はその場に座っているだけだ。
 しかし、足を反対方向に向けた途端、後ろから小さく笑う声が聞こえた。含むような笑い声だった。

「あんたの後ろに小さな男の子が見える」
「は?」

 振り向くと、林流星が笑っていた。にまりと口元を歪ませ、俺の足元を指差した。釣られるように視線が足元に移ったが、その先には何もない。

「その足にさ、くっついてるよ。しがみ付いて、離れないね」
「いや、何も……」
「見えなくてもいるんだよ。そこに」

 林流星は、奇抜な格好の上、人の話を聞かない電波、という結論が俺の中で下された瞬間だった。足には何もくっついていない。指された先には、あまり高いとは言えないカーキ色の古びたズボンがあるだけだ。いい加減にして欲しい。薄いため息を吐きながら俺は口を開こうとした。

「あの」
「早く取ったほうがいいと思うよ」

 しかし、またしても遮られた。もうこいつ俺に喋らせる気ないだろ。

「取るって、何を?」
「心当たりとか、あるんじゃないの?気をつけた方がいいぜ。その足、ふふふ」

 言うだけ言って満足したのか、こっちが黙っていると
「じゃ、頑張ってね」と一言だけ付け加え、満足したように立ち上がり、背を向ける。待てよ、聞きたいこととか言いたいことがこっちには満載だぞ、しかし俺は何も言えず、その背中を見送った。だって知らない人と話すの怖いし。チャリン、とチェーンの揺れる音を響かせながら、林流星は去って行った。

「……なんだったんだ」

結局あいつ、俺の質問には一つも答えなかったな。本当何がしたかったのだろう。あれで何か言いたいこととか、伝えたいことがあったのかもしれないけど、さっぱり要領を得ないし伝わらない。……と思ったが、一つだけ気になる単語があった。

『あんたの後ろに小さな男の子が見える』

 小さな男の子、という言葉に、不覚にも一瞬体が強張ったのが自分でもわかった。あの廃ビルの少年を思い出し、少し気分が悪くなる。あの黒い目、空洞で、嫌な、ああ、本当嫌だ。やだやだ、なんでまた思い出しそうになっているんだ俺は。っていうかもう思い出しちゃってるよ。いや、あれは夢、もうそういう事にしてしまえ。

「足って……まさかな」

 自分に言い聞かせるように呟くと、すっかり冷めてしまったAランチのエビフライをフォークで差した。美味いと評判だったのに、全然美味しくないじゃないか。結局俺は半分以上残してしまった。割と高額だったのに勿体無い。
 こんな気分になるのも、そもそもあの男が原因だ。


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