無視虫



「志村(しむら)は虫に憑かれていないんだな」
「……はぁ?」

 ストローから口を離して、近(こん)が俺に言った。
 購買付近の自販機に置いてある蒟蒻ジュースは、生徒の間でも飲みにくいと不評だ。ゼリーならまだしも、固めの蒟蒻ゼリーがそのまま入っていて、吸い出すのに苦労する。しかし、近はいつも好んでそのジュースを飲んでいた。元々、少し変わった嗜好の男なのだ。カブトムシみたいにストローを咥え、ちゅうちゅうと吸い出している。
 妙な発言をし出した近に対して、俺は眉間に皺を寄せて問いかけた。

「何? 虫って? 近、お前変な本でも読んだか?」
「本? 何で? 俺、本って嫌いなんだよね。読んでると眠くなっちゃって……ふぁあ〜」

 欠伸をしながら近は言うけれど、そもそも本を読んでなくてもいつも眠そうにしているだろう。この万年寝太郎め。
 セットしているのか天然なのかわからない茶色い髪はふわりと柔らかく、言い方を変えればぼさぼさで無造作。
 その髪のせいで、表情は見えづらいが、整っていることはわかる。どっか違う国の血が交じっているせいで、瞳の色が光の角度によっては、緑色に見える。
 身長は縦に長く、俺も背が低い訳ではないけれど、少し見上げる形になるのが、いつも癪だ。
 紙パックのジュースをへこませて飲む姿は、樹液を啜る虫に似ていた。

「で、虫って何」
「んー、無視虫」
「は?」
「俺さあ、他の人たちはみんな無視虫に取り憑かれてると思うのよね」
「ムシムシ? 何それ」

 蒸し無視? むしむし? 聞いたことのない羅列単語に、俺は首を傾げた。なんだそりゃ、新種の虫だろうか。
 すると、近が俺に近づいて、こともあろうに頭突きしてきた。鈍い音がして、目の前で星が回る。い、石頭め……。
 すぐさま額を手で押さえ、俺は近に向かって吠えた。

「い……ってえな! 何すんだ!」
「ほら、取り憑かれてない」
「何が!? お前さ、自分の中ではわかってることでも、他の人じゃわからないこともあるんだからな!?」
「取り憑かれてる人は、俺がこうしても無視するんだよ」
「ああ!?」

 毎度のことながら、近は自分の中で話を完結させて、他人に伝えようとする努力をしない。納得したら、それで終わりだ。そういう奴なんだ。
 しかし、そこで納得されても、こっちはずっと胸にあれはなんだったんだろうという蟠りを抱えることになる。何せ、近は自分から説明しようとしないのだから。
 頭突きされた仕返しに頭を叩き、再度聞きなおす。

「イテッ、志村痛い、何すんの。頭爆発した」
「頭突きされた仕返しに叩いたんだ。爆発してんのは髪型だろ。で、むしむしって何」
「無視虫はー、無視する虫ー、しかとむしー」
「はぁ……?」
「それに取り憑かれると、俺を無視するようになっちゃうんだよ」

 だから、志村は取り憑かれてない。よかったと近は続ける。
 ……なんだ。
 俺が知らないだけで、新種の虫のことかと思ったけれど、どうやらそれは勘違いだったみたいだ。単純に近が作った架空の存在らしい。夢見がちというかなんというか、変な奴だからな。近は昔からこうだった。
 存在しない生物を勝手に生み出す。それがあたかも本当にいるかの様に話すのだ。昔は信じていたりしたけど、今はもう恒例になってしまった。
 実際近はクラスに全く馴染めていないけれど、それは無視されているというよりも、近づきにくい奴だから距離を置かれているという表現の方が正しい。男も女も、変な奴という認識で近を見ている。近は、顔はいいんだけど、感性が独特というか、簡単に言っちゃうと不思議くんだからな。
 何言ってんだかよくわかんねえし。
 俺は、近とは幼馴染なので、こういう言動にも慣れたけど、もし高校からの付き合いなら、きっと近に近づこうと思わなかっただろう。なんか変な奴がいるな、と思って他の人と一緒に遠巻きに見ていたかもしれない。
 実際、未だにこいつが何を言っているのかわからないことがある。

「最初はさ、俺も勘違いかな? って思ったんだけど、最近無視虫がはっきり見える様になってきたのよね」
「へー」
「あ、志村信じてないっしょ。本当だからね。無視虫はー、人の頭に憑くんだよ。こう、がしーって」

 そう言って、近が鞄からノートを取り出した。ついでに筆箱も取り出して、あまり取られていないノートにペンを走らせた。

「お前、ちゃんと授業聞いてノートとれよ」
「志村うるさい。いいから見てね、無視虫はー、まず触角が長くて」
「これ髭じゃねえの」
「あと羽が石みたいなんだよ」
「干し芋くっつけてるのか……?」
「目玉はトンボに似てる」
「あっ、これ目!?」
「そんでもって、口がとげとげなんだよ」
「……きもっ! お前気持ち悪い絵描くなよ!」

 ノートに出来上がった落書きは、なんというか、普通に気持ち悪い虫の様な何かだった。近の空想上の生物でも、こういうのに取り憑かれるのは遠慮したい。夢に出てきそうだ。

「これに取り憑かれると、俺を無視するんだよ、皆」
「へー……、で、俺は取り憑かれてないと」
「うんそう。志村は俺が無視虫に取り憑かれないよう守ってあげてるからね。感謝して」
「ああはいはい、どうもどうも」

 適当に流すと、近が眉間に皺を寄せた。

「……志村信じてないでしょ」
「うん」

 信じるも何も、それは近の空想上の生き物だ。実際には存在しないし、そんなものが頭についていたら、学校中が大騒ぎで、軽くパニックホラーだ。
 近は、自分が単純に近寄りがたい人間だってことに気づいていないんだろう。
 ならば、ここは幼なじみである俺がもう少しクラスに馴染めるよう手助けをするべきだろうか?
 近は顔はいいし、奇妙な言動を覗けば、心配性で、こう見えて動物が好きと言う優しい一面も持っている。そういうギャップに女子は弱いんだろ? 近がモテモテになってしまったら、それはそれで癪だが、こんなシカトされていじめられているみたいな状況よりはマシだ。

「おいこ――……」

 振り返った瞬間、目の前に近の顔があって、思わず仰け反った。しかし近はまったく動じず、そのまま俺の首に手を伸ばしてきた。目の前の緑の瞳に、俺の焦った顔が映っている。

「な、何っ!?」
「志村の首に虫がいた。無視虫」
「まだその設定の話してたのか」
「刺されなくてよかった〜」
「しかも刺す設定ね」
「うん、刺されたら志村が俺を無視するようになっちゃうのよ」
「なんねーよ、腐れ縁だし、今更お前が何言っても引かねえから安心しろ」

 なんだか馬鹿らしくなってきて、息を吐いた。
 こいつを馴染む様にするのは、無理があるかもしれない。案の定、近は顔を明るくして俺に微笑みかけてきた。

「あ、本当? 何言っても驚かない?」
「おー」
「じゃあ、あのね、志村。あそこにデカい雲があるでしょ、あの裏には、神様が隠れているんだよ」
「おー」
「そんで昨日いった音楽室。あそこのピアノの中には、小人が4人住んでる」
「おー」
「でね、俺、志村の事が好きなんだけど、付き合ってくれる?」
「おー…………ん?」
「やったー。じゃあ今日から恋人同士だ」
「おい待て、ちょっと待て」

 待て待て待て、何を言ってるんだ。
 適当に聞いていたけれど、最後の発言に慌てて振り返る。
 クラスに馴染めるようアドバイスでもしようかと思った矢先にこれだ。
 冗談にしては悪質だ。
 馴染めるどころか、これじゃあ変人でホモで、俺までクラスのシカト対象に組み込まれてしまう。何を言ってるんだ、と近に詰め寄ると、近はへらへらと笑いながら俺の手を握った。

「何? 志村、無視虫は今ついてないから大丈夫」
「お前なあ……!」
「無視虫はー、志村にはつけさせないよ」
「……いや……、なんでもないわ……やっぱ……」

 ……アホか、俺は。
 近はこういう奴だって昔から知っているだろう。変な発言はする、急にどっか行ったりする、かと思えば発言した事全部忘れて「何それ?」とか言ってきたりする厄介な男だ。
 だから、この発言だって、いつものことで、きっとすぐに忘れて明日にはコカコーラには妖精が住んでいるとか言い出すんだろう。相手にするだけ無駄だ。
 俺が何も言わずにいると、近が嬉しそうに声を上げる。

「今日は恋人記念にワッフルを食べて帰ろう」
「なんでワッフル?」
「ワッフルは恋人同士しか食べちゃ駄目なんだ。そう決まってる」
「へー」

 これだよ。
 この訳のわからない自分設定。高校生でも大分痛いけど、こいつ大学生とか社会人になった時大丈夫なのかな。幸い、成績はそこまで酷くないけど、幼なじみとしてはやっぱり心配だ。
 近が、俺の手に自分の手を絡めて、握ってくる。校内で男同士で手を握ってる図とか、寒すぎるけど、どうせ近のやることだ。皆「なんだ近か」って目で見るだろう。
 クラスの奴らの俺に対する認識は、近の世話係だし、別にそこまで変には思われないかもしれない。

「ぬへへへへ」
「何笑ってんだ」
「志村と恋人同士になれて嬉しいなあって思うのよね」
「ワーイ僕ちゃんもうれしー」
「ほんと?」
「ほんとほんと」

 ははは、と乾いた笑みを浮かべると、近が幸せそうに笑うので、俺は少しだけ驚いた。……これ、いつもの冗談だよな?
 なんとなくそう問いかけることが出来ず、ためらっていると、同じクラスの女子とすれ違った。何か言われると思ったが、特に何も言われず、また、存在しないかの様に、通り過ぎて行った。
 引きすぎて見ないことにした……ってことはないよな。近だけならいざ知らず、俺にはどうしたの? くらいは聞いてくるかと思ったんだけど。

「ふふふのふー」

 近は相変わらず隣で笑っている。俺はなんとなく話しかけることが出来ず、そのまま歩き出す。
 すると、ふと目の前が翳った。

「あ」
「ん?」

 近の手が、俺の頭に伸びてくる。

「また、ついてる」
「……無視虫か?」
「そう」

 まだその設定の話をするのか。

「……それさ、取れるんなら、他の奴についてるのも、取ればお前シカトされなくなるんじゃね」

 冗談交じりにそう言うと、近は悩みながら声を漏らした。

「うーん、そうかも。でも、いいんだ。志村が俺を無視しないなら。他の人に無視されても、それでいいや」
「ああそ……」

 変な奴、と思ったけど、それは元からだ。目を背けた瞬間、ぷち、と何かが潰れるような音が頭上から聞こえた。
 視線を上げてみたが、そこには近が静かに笑みを浮かべて立っているだけだった。

「……? 何か潰した?」
「うん、虫をね」
「はいはい」

 信じてない、とむくれる近を宥めながら、俺たちは校舎を後にした。だから、それはお前の空想の話だろう。
 明日は、どんな空想を持ち出してくるんだろう。それを考えると、ちょっと不安でもあり、ほんの少しだけ、楽しみでもあった。



 終わり
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