夏の終わり


 射すような日差しから避けるように砂利道を踏みしめた。
 あれだけ煩かった蝉も大分静かになってきたとは言え、やはりまだまだ暑さの残る空気に汗が流れる。俺はティーシャツと素肌の間に風が通るよう襟元をばたつかせたけれど、結果として入ってきたのは生ぬるい風だけで、あまり効果は得られなかった。路の向こう側では陽炎がゆらゆらと揺れている。太陽がじりじりと俺の頭を照りつけた。

「あっちー……」

 俺の住むこの虫鳴村はひどく辺鄙なところで、交通の便も一日にバス一本しかなければ、家から隣の家までの距離が数十メートルもあるという不便な所だ。
 目の前には常に一面の田園畑が広がっていて、網膜に焼きつくような緑が何処に行っても存在する。歩いても歩いても変わることのないその風景に、眩暈を起こしそうになる。小さくため息を吐きながら、緩急の少ない坂道を登る。
 俺はこの空の青と田園の緑しかない景色が嫌いだった。というより、この田舎全部が嫌いだった。あるものといえば自然だけの、こんな所、過疎が進んでとっとと無くなってしまえばいいと思う。

 雲一つない青空の下をひたすら歩き続けると、山の上に俺の住む家が見えた。民家にしては珍しい錣葺きの屋根の上でじぃちゃんが金槌を振るっている。またどこか壊れたんだろうか。だから業者呼べっつってんのに。

「じーちゃーん」
「おー、けぇたー、帰ったんかー」

 傍に駆け寄るり声をかけると、じぃちゃんは鉢巻が巻かれた禿頭を掻きながら、にっかり笑った。髭も大分白くなって年も結構いってるはずなのに、相変わらず元気だな、と思いながら俺は肩にかけていた鞄を縁側の方へ投げる。日の光のせいで色あせた畳の上に、教科書がバラバラと広がり、近くで寝ていた飼い猫が迷惑そうな顔で此方を睨んだ。

「そごにいると危ねーよー」
「平気だぁ、慣れでっがらー」
「つーか、今日村で寄り合いあるんじゃなかったんけー!」

 屋根の上にいるじぃちゃんに向かってそう叫ぶと、思い出したように梯子を降り始めた。どうやら忘れていたようだ。こんな小さな村でも、いや、小さな村だからこそ、半年に一度、寄り合いというものが開かれる。
 主に村の方針や作物の集荷状況の報告、村興しの作戦など。田舎の慣習かなんなのか知らないが、出なければ文字通り村八分にされてしまうこともあるから恐ろしい。
 じぃちゃんは慌てて年代物の車に乗り込むと、馬鹿でかいエンジン音を鳴らす。

「忘れちょった!」
「だろーなー、はよ行かんと間に合わなくなるべ」
「けーた、じぃちゃん寄り合い行っでぐっがらよぉ、留守番頼むわ!」
「あー、いってらっしゃい」
「さっき、よりちゃんちの桜さんがスイカくれたっけ、食ってええぞー」
「おー、後で食うわー」

 その言葉を聞くと、じぃちゃんはそのまま車を発進させた。

 俺はその姿を見送ると、巻き起こされた土煙から逃げるように家の中へと入っていく。家に入ると、外よりかは涼しいが、クーラーなんてもんはないので、そこまで温度の差異はない。 ちなみに扇風機の前は猫が陣取っていて、涼しい顔をして伸びている。俺は言われたとおりスイカを求めて台所の方へ歩き出した。軋む廊下を歩いていると、天井に蜘蛛の巣が作られていた。巣には虫が引っかかっていたので、そのまま放置。害虫駆除にはもってこいだ。
 恐らく盥か何かに入れられて冷やされているだろうスイカを目指し、台所にたどり着くと、台所では、兄がすでにスイカを食っていた。

「…………タツ兄ぃ?」
「うおっ、気配消して入ってこんでよ京汰ー、兄ちゃんびっくりするけぇ」
「んなこと言われても……タツ兄、なんでおるん?」
「自分の家にいて何が悪いんよ、まったくお前は冷たい弟じゃ」

 口の周りにスイカの種をつけ、服には汁を零しながら、威張り腐って兄が言う。大げさに嘆くその姿に、俺は何も言わず隣に腰掛けた。盥から出され、綺麗に切られたスイカはよく冷えていて、近くにあった塩を振り掛け頬張ると、瑞々しい赤い果肉が口の中に広がった。しゃくしゃくと小気味良い感触に、舌の上では熟された甘みが踊る。

「うめぇなあ、桜さんちの西瓜は日本一!」
「うん」
「俺もう半分も食ぅとったが」
「食いすぎじゃ」

 それもそうか、と笑う兄に俺は呆れた目線を送った。久々に会ったっていうのに、ちっとも変わっていない。手に滴ったスイカの汁を舐めていると、どうせだったら縁側で食おうぜ、と誘われたので、不承不承ついていく。
 こんな暑い中、わざわざ縁側で食べなくてもいいのに、と思ったが、行こう行こうと兄がはしゃぐので、はいはいと返事をした。俺は結局兄に甘いんだと思う。







「ここは相変わらずの景色だなあ」

 縁側に座り、近くの柱に背を預けて兄が言う。この縁側から見えるのは、矢張り田園の緑と、奥に広がる森の緑、そしてその上に連なるのは空の青と雲の白だけだ。どこに立っていても変わらない、つまらない風景。しかし兄はこの光景が気に入っていたらしい。

「あそこの森の奥にさあ、双子岩があったじゃろ、俺とお前でよくどっちがその上に登れるがって競争したけえ、思い出す」
「いつの話してんだ」
「お前いつも負けてて、涙目だったじゃろ」
「負けてねえが!」
「そういやお前背ぇ伸びだな、昔はもっとめんこかったんに」

 含み笑いする兄に腹を立てて、そのまま頭をパシンと叩くが、やめる気は無いのか、続けて自分の勇姿をくどいくらいに語りはじめた。俺はもう突っ込むのも面倒くさくて、そのまま話を聞き続けることにした。するとふと、皿に乗っているスイカが残り少ないことに気づき、立ち上がった。
 他の家族の分を残さなければいけないから、台所からサランラップを持ってこようとしたのだが、歩き出す前に、その腕を兄に掴まれた。

「京汰あ、何処いくん?」
「西瓜にラップせんと。いくらなんでも俺らで食べすぎじゃ、じぃちゃんらの分残しとかねーといけん」
「うははっ、そういやお前昔、種飲み込んで腹がらスイカの芽が出るって泣いでだことあったよなあ!」
「だがら泣いてねーよ馬鹿!」

 またもや昔の話を持ち出す兄に苛立って声を張り上げると、兄が笑みを引っ込め、俺の頭の上に手を置いた。

「京汰ぁ」
「な、んだよ……」
「お前、この村、嫌いなん?」
「…………」
「俺は、好きじゃ、でも京汰は?」

 俺はその問いには答えず、残った西瓜の皿を手に取り台所へと向かった。網戸横にある戸棚の奥から黄色いパッケージのサランラップを取り出すと、乱暴に掛けて冷蔵庫へと閉まう。
 窓の奥から、少し風が流れ込んできた。西瓜を食べているうちにいつの間にか日が落ちてきたらしいく、心地よい風が俺の頬を撫でる。

「嫌いじゃ……こんな村」

 風に流れるような声で、俺は小さく、呟いた。



 縁側に戻ると、もうそこに兄の姿は無く、俺はさっきまで兄が掛けていたところに腰を下ろしながら、先刻好きだと言われたその風景を心の中で罵倒した。くそつまらん田舎め、本当はこんなところ、さっさと抜け出してしまいたい。
 二人で登った双子岩、田んぼの奥にあった秘密基地、チャリで駆け抜けた砂利道と、転げ落ちた坂の下、木の上で鳴く珍しい鳥を二人で名づけた。川の魚を取って食ったこともある。泳いで競争して、遊んで、泣いて。楽しかった、あの頃は楽しかったけど、今はもう全然楽しくない。こんな田舎大嫌いだ。

 その時、外からエンジン音が聞こえてきた。出るときと同じく、砂煙が玄関前で舞う。

「けぇたー帰っだぞー」
「おかえり。今回結構早がったんでね」

 じぃちゃんが車から降りて、俺が座る縁側まで寄って来た。

「早川んとこの親父さんが倒れだらしぐでなー、今日は早めに解散だったんだわ」
「へー、そういやさっきタツ兄きちょった」
「お……竜也け?」
「ん」

 頷くと、じぃちゃんは皺くちゃの顔を歪ませて笑う。そうかぁ、タツがなぁ、などと間の抜けた声を出して、サンダルを脱ぎ家の中に入っていった。俺もなんとなく、何も言わず後ろへ続く。
 じぃちゃんは頭につけていた鉢巻を取ると座布団の上に胡坐をかいた。

「今年も帰っで来たんだなぁ」
「うん」
「何か言うとったが?」
「別に……」

 かぶりを振って、居間にある扇風機の前へと寝転がる。涼しいのに、もうそこに飼い猫はいなかった。恐らく此処よりも涼しい場所を見つけたんだろう。猫はそういうの得意だからな。寝転がると、窓の奥には空が見える、窓枠の中で切り取られた景色みたいだ。そのまま視線をずらし、じぃちゃんの方を見た。じぃちゃんは線香に火をつけていて、その視線の先には兄がいる。遺影の中で、兄はいつもの微笑を浮かべていた。
 兄が死んだのは、丁度今くらいの時期だった。氾濫を起こした川で溺れ死んだ。遺体は、見つからなかった。だからだろう、俺は、諦めがつかないんだ。

「タツー、また遊びに来いや」
「……じぃちゃん」
「んー?」
「タツ兄、俺にこの村好いとるがっで、聞いちょった」
「そいで? お前はなんて答えたんじゃ」
「…………なんもだ」

 多分、兄がいれば俺はこの村が好きだっただろう。兄のいるこの村が好きで、兄が好きだというこの村が好きだった。……兄のことが好きだった。
 でも兄はもういないから、俺はこの村が嫌いだ。俺から兄を奪ったこの村が嫌いだ。兄に未だに好かれているこの村が嫌いだ。けれどこの村から出ることは出来なくて、この村に兄がたまに帰ってくると思うと、結局この村を離れることすら出来ない。とうに兄の年齢を追い越した今も、ここに縛られている。
 多分、これからもずっと。

 虫鳴村というだけあって、この時間になると、外の虫がやけに騒いでいる。俺は目を瞑りながらその声を聞いていた。リーリー、コロコロ、ジーワジーワ。茹だるような暑さも、夕方になると大分引いてきて、涼しい風が流れ込んできた。同時に、どこかの家から魚を焼く香ばしい匂いが漂ってきて、腹が鳴る。あんなに西瓜を食べたのに、腹は減るんだな。

「じぃちゃーん……スイカ、冷蔵庫に少し残しとるよ」
「全部食べてよがったんに」
「腹ぁ壊す」
「お前とタツの二人でだ」
「…………」

 ごろんと横を向いて、聞こえ無かったフリをした。そんな俺のことを見抜いて、じぃちゃんは笑う。

 縁側に下げられていた風鈴がチリンと揺れた。

「もうそろそろ夏も終わりだなぁ」
「…………ん」

 赤と橙で染まり始めた空を見て、じぃちゃんが言った。灰色の雲が棚引いていて、青と緑の景色よりも、こっちの方が好みだ。兄は来年も会いに来てくれるだろうか。今じゃ兄と年の差は開く一方だけど、おっさんになっても、じぃちゃんになっても、タツ兄はまた会いに来てくれるかな。会いに来てくれるだろう。だってタツ兄はこの村が好きだったから、俺がこの村を好きって言ってくれるまで、会いに来てくれる。
 だから俺は永遠にこの村が嫌いだ。いっそ村が無くなれば諦めもつくかもしれないが、結局なくなっても、俺は一人この村に踏みとどまっている気がした。
 だって俺は、タツ兄のことが好きだった。
 結局伝えることはできなかったけど、いつか伝えられるまでこの村から出ることはないだろう。

 もう一度、風鈴が風に揺れた。
 虫の鳴く声が聞こえる。
 俺はその音に耳を傾けながら、ゆっくりと目を閉じた。

 夏の終わりの話。

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