DonaDona
【1】
土曜日昼間の池袋は、とにかく人が多い。それが天気の良い午後ともなれば尚更だ。
真っ直ぐ歩くのにも困る人ごみに、サンシャイン60通りの雑踏から頭一つ分浮き出た青年…平和島静雄は溜息を吐いた。
思いがけず早くに仕事が終わったのだが、慣れているとは言え人の多さに辟易する。
平日や夜と違い、休日昼間の池袋は観光客や家族連れが多く、がらっと街の雰囲気が変わるのだ。人ごみに慣れていない人間や池袋の常識を知らない人間が多いと、人の流れが変わる。
池袋の自動喧嘩人形、そう呼ばれる事を好んでいる訳ではない。が、周りに人が来ないと言う事は歩きやすいと言う事だ。だから静雄にとって、ごちゃごちゃした人の流れに乗って歩くのはどちらかと言えば慣れない、苦手な事の一つだ。
暖かい日差しに眠気を誘われて欠伸が出る。
取り合えず煙草でも吸って、この後をどうするか考えよう。そう考えながらポケットを探る。幸いこのまま駅方向へ横断歩道を渡れば、目の前にちょうど喫煙所がある筈だ。
が、指先に触れた触れたパッケージはクシャリと音を立ててあっさりと潰れた。生憎と全部吸い尽くしていたらしい。ちっと舌打ちしながら、コンビニへ寄るしかないかと思案する。正直言って面倒臭い。
ふと、その時に視界に知った顔が見えた。
何とはなしに目で追う。
道路向かいの路肩に止めてあるワゴンに手を振りながら、横断歩道をこちらへと歩いてくる小柄な黒髪の少年。緑と白のジャージの上着を羽織り、ショルダーバックを斜めがけにしている。髪型はまるいおでこが目立つくらいに短く整えられていて、生え際を長めに残す事で平凡なシルエットを出す事に成功している。
先日、セルティ主催で行われた鍋パーティの参加者の一人で、そこから顔見知りになった少年。名前は確か、竜ヶ峰帝人。
高校生なのだが、正直に言えば信じられない感じがする。もう見慣れた来良学園の制服を着ている時でさえそうなのだから、今日の様に普段着ならば尚更。
ふっと前へ向けられた視線がコチラを見た。『自分』を認めた彼の眼が見開かれ、そのまま既知の人間に対する親しさを篭めて微笑を浮かべ、その右手が挨拶の為に軽く上方へと持ち上げられる。
静雄は自分の唇も笑みを浮かべている事に、気付かなかった。
ただ、挨拶を受けたが故にそれに応じるが為に自分も手を振ろうとポケットから手を出す。
視線は彼を捉えたままだった。
その為、彼の背後の動きがおかしい事に気付くのが遅れた。
そして最大の問題は、今日が土曜日で、雑踏の人間は池袋の常識を知らない人間が多かったと言う事だった。
それぞれ違う帽子を目深に被った二人の男が、帝人の背後を歩いているのは見えていた。
が、それは別に大した事はない。どこぞの殺し屋ではないのだ、雑踏で誰が後ろに立とうがそれは仕方が無い。普通は問題になるはずも無い。雑踏であるという事実、ただそれだけの事だ。
だが、そんな男二人が、一人の人間の左右の後方から明らかに同時に距離を詰めているのが見えたとすれば、話は別だ。
点滅する青信号を背に、横断歩道を渡りきった帝人の右手が、挨拶の意思を込めて静雄の方へと振られた。
その細い手首が背後から捕えられる。
ぎょっとした表情で帝人は後ろを振り向く。その身体を左側から来た男が抱え込み、腰に腕を回して持ち上げられる。
目前で繰り広げられる明らかに異常な状況に、静雄は慌てて走りよろうとして人を掻き分けた。突き飛ばして走るには多すぎたし、子供連れの家族も居る。
きゃあっと悲鳴が上がるが、それでも普段よりは手加減している為、動きは鈍い。
距離が遠い。届かない。
これだから休日の池袋はイヤなんだと、今日何回目だか分らない舌打ちをする。
帝人を持ち上げて、走り出した男たちの前に白い大型バンが止まった。
タイミングを合わせたかの様にドアがスムーズに開き、人攫いと、攫われた人間を迎え入れる。
「待ぁてぇぇぇこぉらァっ!」
静雄の吼える声に、周りの動きが止まる。だが雑踏は割れない。人を掻き分けて進む目前で、扉が閉まろうとした。
閉まる直前、小さな声と共に竜ヶ峰の身体が見えた。
「お願いします、コレを…」
声と共に、何かが投げられた。
咄嗟に受け止める、その為に静雄の足が止まった。
車道の信号が黄色になり、閉まる扉の向こうで殴り倒される帝人が見えた。
一気に頭に血が上ったが、次の瞬間には車は走り出して大きく左側へハンドルを切っていた。踏み出した足と突き出した手は空を掴み、頭を巡らして行き先を追いかける。
その瞬間、大きくタイヤの軋る音がして名前が呼ばれた。「静雄乗れ!早く!」
反対車線に居た筈のワゴンが、ドアを開けたまま、こちら側の歩道に横付けしていた。
助手席から門田が、開けたまま入り口からは遊馬崎と狩沢の二人がこちらを見て手招いている。
咄嗟に地面を蹴り、乗り込むと車は発進した。曲がる動きに振り落とされそうになるのを堪えながら慌ててドアを閉める。
「あれだな、多分。追いかけろ!」
「おお、行くぜぇっ!」
渡草の叫びと共にエンジンが吼え、少しだけ遠い位置に見えるバンを追いかけ始める。
「このまま行くとやっぱり左かな、ねぇねぇ!」
「…だとすると面倒なんだがな、首都高上がる前にカタつけたいが。」
「いーやぁ無理でしょ。ちょっとコレは距離あるし。それより首都高乗っちゃってガツンとオカマ掘るのが良いんじゃないっすかねぇ?」
「いやん、ゆまっちヤラシイ!」
「あぁぁあ、お前らふざけてんじゃねぇぞ五月蝿ぇっ!」
ワゴン後部のオタクコンビの掛け合いに、静雄の眉間に静脈が浮かぶ。堪える為に手を握り締めれば、中の物がミシリと軋んだ。
その感触に、手の中の物に目をやる。
ストレートタイプの赤い携帯。錦鯉と言う愛称で呼ばれるソレはAUの少し前の機種で、独特の丸みを帯びたフォルムが特徴的だ。
「…って、え?」
「何ソレ、もしかして帝人君の携帯じゃないっすか…?」
「え、何でソレ静ちゃんが持ってるの…?」
後部座席に落ちた沈黙に、門田が後ろを向く。
「…ちょっとそりゃ、マズイかもな。」
「とにかく曲がりまぁすっ!」
赤信号を無視し、渡草が鋭くハンドルを切る。
案の定、車線を内側寄りに移動して首都高入り口へ向かうバンの後姿が見えた。
「まずはアレに追いつくのが先決だな。」
呻く様にこぼれた門田の言葉に、車内の皆が一様に頷いた。
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