→ ターニング・ポイント 3 ミズキには友達がいない。それでもいいと、思っていた。 道路を往来する車、せわしなく歩いていく人々。町中を駆け巡る話し声、流行りの音楽、機械音、雨風の音。街も学校もこんなにいろんなものでごったがえしているというのに、全てがとても遠いところで起こっている事としか思えなかった。 人は気持ちを理解しあう為に言葉を話すと、先生が授業で言っていた。 それじゃあ私は?自分では人だと思っていても、言葉でコミュニケーションが取れないとわかれば、周りはいつでもミズキを敬遠した。思えば物心がついた時から、ミズキはそれを理解して自分から他人に関わろうとはしなかった。 授業の課題の中でクラスメイトからこちらに関わってくる時はあった。それでもそれはメモに文字を書いての筆談。必要最低限しか語られない拙い文字の羅列。 寂しいと思った事は、多分ない。 世界から自分だけ切り取られている感覚。自分の世界には自分だけしかいない、ひとりっきりの感覚。これがミズキの全てだ。 自分と周りは違うというのが、ミズキにとっての現実だった。 親はそんな自分をどう思っているのか、全力で援助してくれている。身の回りの世話は全部使用人がやってくれる。ミズキは絵を描いてくれるだけでいいよ、と両親はミズキに笑いかけるだけだった。それ以上を求めることは決してなかった。 窮屈だと思った事は、多分ない。 夢の中、静かな山の風景。帽子をかぶったように山のてっぺんを覆い隠す白い雲。木々を降り、ふもとにある美しい湖に立ち込める霧の中から、ミズキを呼ぶような透き通った何かの鳴き声を聞いた。 あの地震の日から数日後。そんな夢を見た朝、ミズキは急に耳が聞こえるようになっていた。小鳥のさえずりが聞こえる。メイドが階段を上ってくる足音が聞こえる。世界中にあふれている音が、自分のすぐそばにあった。みんなの世界から切り取られ、自分ひとりっきりだと思っていたミズキの世界は、決してそんなことはないよと物語ってくれていた。 しかし、ミズキにはそれはとんでもないありがた迷惑であった。 地震が起こり、学校が停電し、不思議な手をした盲目の少年に出会い、不思議な夢を見て。更にこんな事が起こるなんて。 耳が聞こえるようにしてくれなんて、誰がいつ頼んだことだろう? 1限目の授業が始まる前の、廊下を行き来する生徒でごった返した廊下。ロッカーの扉を開けて、ミズキは教科書を取るでもなくただ立ちすくんでいた。目の前には薄暗いロッカーの中身が見える。本と画材だけが詰め込まれたなんとも味気のない事だ。 「なぁなぁ、ノート貸してくれよ。後で返すからさ!」 「みんなで昼ごはん売店行かない?新しいパンが出たんだってー」 「今日の放課後なんだけどさ、どこ行く?」 「今度の日曜日に映画に行こーぜ!観たいのがあってさー」 みんなの声が聞こえる、という事実。 バケツに張った水に黒い墨を落としたように、この世界の常識は、ミズキの心に不純物を落としてかきまぜた。世界から自分を切り取ったミズキを、再び貼り付ける場所なんてどこにもなかった。自分が関わらなかった。人も関わってこなかった。誰が言葉の通じないような人にわざわざ声をかけるというのだろう。ミズキはずっとそれでいいと思っていた。世界には自分ひとりきりだったはずだ。 前方には、先日地震があった時に一緒になってしまった少年がいた。やはり、顔には目を覆い隠すアイバンドをしている。あの時にいた友達であろう3人組はいなかった。やっぱり、ああいう人はひとりであるものなんだろうか。ミズキはぼんやりと少年を眺めて、自身に近しいものを感じていた。 「ヒム、おはよっ」 少年が自分のすぐそばに来た時、横から彼の名前を呼んで女の子が腕を優しく掴んだ。ヒムはそちらの方に顔を向けて「あぁ、メリーおはよう」と返していた。メリーと呼ばれた女の子は、後ろから2人の友人を連れてヒムと一緒に歩き出す。 「早く教室行こーよ!ルナの話だと、今日はね…」 なんだ。彼はひとりなんかじゃなかったんだ。 友達と楽しそうに話をしながら、ヒムはミズキの真横を通りすぎていった。 たくさんの人が生きて、音であふれているこの世界でミズキはひとりきりだった。 ミズキには友達がいない。それでもいいと、思うしかなかった。 |