→ ターニング・ポイント 1





 10秒にも満たない時間、地面が大きくゆっくりと左右に揺れた。天井のスプリンクラーから冷たい水が四方に飛び散る。並んでいた蛍光灯は数度瞬きをしてぷつりと消えた。
 ミズキは廊下の非常ベルが赤く点滅しているのを見つめた。夕方であることと停電によって薄暗くなった視界に不安を感じてすぐ横の部屋に滑り込む。半開きだったドアを閉めないまま、部屋に入って手さぐりで部屋の角に向かった。
 ごつごつした木製の棚に並べられたなんだか大きな物…よく見ると、ホルンやトランペット、クラリネットが並べられているのが見えた。どうやらここは音楽室の楽器置き場のようだ。
 まだ地面が揺れている気がする。なかなかに大きな地震だったから、きっと非常ベルが鳴り響いているのだろう。部屋の中にある非常灯がこちらを誘導するように点滅していた。聾唖であるミズキにとって、耳が聞こえない、しゃべることもできない、そのうえで視界がさえぎられる事は、恐ろしいことだった。
 はやく電気が点いて、何事もなかったかのように帰宅できればいい、その事だけを考えて部屋の隅で小さくなって事が過ぎるのを待った。
 膝に顔を埋めてしばらくじっとしていると、ミズキの右肩に突然何かが触れた。ミズキは驚いて飛び上がり棚に後頭部を打ってひるんだが、開いた脚に気付いて慌ててスカートの裾をおさえる。
 肩に触れた何かはミズキが飛び上がったために引っ込まれた。部屋に、自分以外の誰かがいる。しばらくうずくまっていたあいだに日は沈んでしまったようだ。薄暗い闇の中で目を凝らすと、相手の輪郭がぼんやり見えた。
 自分と同じ年くらいの少年。口元が動いている。自分に何か話しかけてきている。ミズキは自分に人差し指を向け、口と耳を指さす。その後、両手を顔の前で交差させて×のマークを作った。ミズキがずっとやってきた、「私は耳が聞こえません。話せません」のサインだった。
 しかし、少年は口を動かしながら辺りを見回す気配を見せた。棚の影がうまく重なって顔が見えない。少年は、ミズキの床についた手にそろりと触れた。その優しさのこもった手は、ミズキが経験したことないような柔らかい感触だった。この手に触れただけで、少年の人柄や感情がミズキの心に流れてくる感覚に陥った。
 まるで生まれたての雛を包むような優しい手を、思わず手のひらを返して握り返した。少年の影がぴくりと動いて顔が上がるのが見えた。暗がりの中、少年の顔が見える…と思ったその瞬間、部屋の蛍光灯が光を取り戻した。
 白い光が目にささりひるんだが、ミズキは閉じた目をゆっくりと開いて少年を見る。少年の顔を見たミズキは、驚いて小さく息をのんだ。
 少年は、アイマスクの様な黒いバンドを顔に巻いて両目を完全に覆っていた。
 電気が点いたというのに、少年はまだ口を動かしている。彼は目が見えないのか。ミズキは、この少年とどう接していいのかわからず、ただ茫然と少年の手を握り返していた。









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