書いても書いても終わらねぇレポートと格闘してると、がちゃがちゃとノブが音を立てていた。大概、仲のいい連中は、俺の部屋は遠慮なく入ってくるが(いつの間にやら溜まり場になってた)、鍵を破って入ってくるのは一人だけだ。合鍵を渡してるんだから、正確にいえば破ってくるとは言わねぇのかもしれないけど、乱暴にドアを扱う様は破ってくるというのに等しい。廊下をずかずかと、迷いのない足取りで近づいてくる。1Kのアパートじゃ、玄関から部屋までの長さもしれてる。すぐに、三郎の足音が部屋に飛び込んできた。

「うわっ、すっげぇ暑いんですけど。なんでクーラー付けてないんだよ」

開口一番文句を垂れた三郎は、机に齧りついたまま「しかたねぇだろ。バイトの給料日前なんだ」と返した俺の手元をひょいと覗き込んだ。

「汚ねぇ字」
「仕方ねぇだろ。手書きで10枚とかありえねぇ量、書かされてるんだから」

進まないレポートに苛立ち、いつもなら流せる三郎の皮肉めいた言葉に引っ掛かりそうになる。それをぶつける前に、気持ちを切り替えようと立ち上がる。なんか麦茶でも飲もうかと台所に向かった俺の背中に声が追っかけてきた。

「ハチ、ビールな」



一応、居室としている部屋から10歩。ぶん、と小さなモーターが唸る冷蔵庫を開けると、ちょうど手前にビールの缶が2つ転がっていた。レポートの進み具合と残り時間を勘定し、自分も飲むかどうしようか迷っていると、軋むような音が聞こえた。振り返ると、立てつけの悪い窓を開け三郎がベランダに出る所だった。仕方なく両手に缶を持ち、三郎を追って外に行くと、むん、と排気ガスの臭いがべったりと貼りついてきた。生ぬるい風に、信号が変わる電子音や車のエンジン、人の声が混じる。それよりも大きく聞こえるのは、室外機のプロペラが空を切る音だろう。どうやら世間は涼しい部屋にお篭りらしい。

(そういや、今日は熱帯夜になるつってたな)

ビルや電柱の隙間から見える空は、郷愁を呼び起こす色をしていた。夕刻は、一番忙しく一番淋しい時間だ、なんて考えていたら、「さんきゅ」と柔らかい声が耳をくすぐる。手を出した三郎に缶を渡すと、器用に片手でプルトップを開けた。プシュ、と小気味のいい音が響く。あおる喉が大きく上下した。

「ん、」

缶を持った手で口の泡をぬぐい、そのままTシャツで拭いた三郎は幸せそうな顔をしていた。あまりに美味そうに飲むから、つい、俺も缶に手が伸びる。

(あー、レポート終わんねぇだろうな。ま、なんとかなるか)

ひんやりとした缶に口を付けると、ぐだぐだとした考えを滑り落としていく爽快感と、舌にわずかに残る苦味。すごく好き、というわけではなく、ただ何となく飲むことが多いビール。いつか親父みたいに、この苦味に旨味を感じる日がくるのだろうか、と遠い故郷に思いを馳せる。馬鹿みたいに感傷に囚われるのは、この暑さで思考が停止してるからだろうか。

ぼんやりと赤い世界を眺めていると三郎の方からする苦い匂いが鼻に付いた。一缶開けた彼の手には見慣れたものがあった。ポケットの中で押しつぶされていたのか、へしゃげて半分ぐらいの厚みになった箱の底が、三郎の長い指で軽く叩かれると、電信柱みたいな、はっきりとしない灰白が一巻そこから飛び出してきた。三郎は、「ん」とれを俺の方に押すように差し出した。

「あー悪ぃ。煙草止めたんだわ」

ちょっと前から、と付けくわえると、俺を見つめる三郎の目の底が揺れた。

「マジで?」
「あぁ、マジで」

俺の答えに、三郎は苦虫を噛み殺したような表情で箱から顔を出している一本をつまみ上げた。それから、ごそごそポケットを漁り、ジッポーを取り出した。鈍く銀色に光るそれは、時が経てば経つほど三郎に似合うようになっていく。いや、こっちの風格が増してきたつうことなんだろうか。癖なんだろう、フィルターを噛みながら三郎がそこに火を灯すと、口内が痺れるような錯覚を感じた。神経に刻み込まれた快楽っつうのは、簡単には振り払えないらしい。煙草に伸びそうになる指を、かすかな良心で辛うじて自制させる。

「またどんな心境の変化があるんだ?」
「いや、長生きしてぇなっと思って」
「長生きって、」
「最近、食生活もあれだしよ、運動不足だし、それに」

びり、と舌が痺れた。塞がれた唇が苦い。瞼の奥が揺れる。中毒症状みたいだ。

「しようか、ここで」

カラカラと笑う三郎の顔が赤いのはアルコールのせいか、それとも夕焼けのせいか。

「ここで?」
「そう、ここで。隣近所は窓閉め切って、聞こえないだろうし」

普段なら、絶対、人目の付く可能性のあるとこでその行為をすることはねぇんだけど、けど、気がつけば俺は三郎の唇を貪っていた。カラン、と手からビールの缶が落ちる。室外機の音が遠ざかる。熱が体から解き放たれる。落としかけた瞼の向こうに熱を孕んだ夜の闇が迫っていた。

(全部、暑さのせいだ。暑さのせいにしちまおう、)


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