もう一軒行こうよ、という同僚たちの浮かれた声を丁寧に辞して帰路に着いたものの、丁度、時間が時間だったのだろう。一杯引っかけて自分と同じように駅に向かうやつに、逆に二軒目に足を運ぶ集団やこれから飲み会が始まるグループと、三叉路にできた中州は人で溢れかえっていた。

(最悪……)

そこに集まる人に向けての商いも盛んなようで。目の前では大道芸に酔っぱらった大人がまるで子どもに返ったかのように目を輝かせ、背後からはストリートミュージシャンが何かを叫び、少し視線を逸らせば露天商がカップルを相手に安っぽいアクセサリーを売りつけていて、その隣では、己が言葉を画的に綴った色紙が並んでいる。その混沌とした騒々しさに、さっさと駅に向かおう、と足早にその場を立ち去ろうとしたのだが、

(あ……)

2本で2980円と黄色地に赤のポップが目についた。雨風をしのぐカバーすら付いていないラック。その中に雑多と詰め込まれていたのは、DVDだった。帰りにレンタルショップに寄って休日に垂れ流す映画を探すつもりだった俺は、ふ、と足を止めていた。

(もう、ここでいいか)

露天で売っているDVDなんて危ういものだという認識はあったが、正直、全く出るつもりのなかった飲み会に出る羽目になって気力は随分と削がれていて。帰りに、自宅と反対方向にあるレンタルショップまで行く気になれなかった俺は、まぁ暇つぶし程度になるものがあればいいか、と、ふらふらとラックに近寄った。

あまり売る気がないのか、ラックの傍にいた男はちらりと俺を見ると「2本なら2980円だから」とポップに書かれたことと同じ事を口にした。どう返せばいいのか分からず、結局、俺は黙ったままラックを物色することにした。

(ふーん、思ったよりマイナーなやつが多いんだな)

もしかしたら売れ残りとかの処分品を売っているのかもしれないが、こういった販売の仕組みはよく分からない。とりあえず、ラックの中にあるDVDのラインナップに大ヒット作はなく、そこらの酔っぱらいの心を掴むようなものではなかった。他人事ながらこれは売れないだろうな、と感想を持ちつつ、どうせならレンタルショップに置いてないやつがいい、と指でケースの背にあるタイトルを追っていると、

「っ」

胸が潰れた。-------------あの時の、映画のタイトルだったから。もう五年以上も前のことなのに、三郎の笑顔がまるでスクリーンに灼き付いてしまったかのように鮮明に残っていた。



***

夜風が心地よいというよりも若干寒い。結構呑んだのにな、と既に醒めかけている自分に、そっと嗤いを食む。大学の学祭の打ち上げだったのだが、会話を弾ませるどころか紡ぐ気にもなれなかった俺は、誰かと話すのを避けるためにずっと杯を傾けていたのだ。それにも関わらずちっとも酔えなかったな、と、ふわふわとした足取りの集団から少し離れつつも、二次会を断り切れなかった為に仕方なくそこを追いながら、ぼんやりと歩いてしていると、

「眉間に皺」

不意に楽しそうな声が降ってきた。え、と顔を上げればそこには声音と同じように愉快そうに笑った三郎がいた。目をきゅっと細めた三郎に「すげぇつまらねぇ、って顔、ずっとしてたぞ」とからかわれる。

飲み会の、あの騒々しい雰囲気が好きになれなかった。答えるために口を開くことさえ面倒で、知ってるだろ、と俺は目だけで返せば三郎は、さらに口角を上げた。酔ってるのだろう。

「じゃぁ、このまま、ふけちまうか?」
「え?」

次の瞬間、俺の目は鉢屋に吸い寄せられていた。

「このままさ、どっか行かねぇ?」
「っ……何、言ってるんだよ」
「だって、お前、二次会出る気ないんだろ。だったら、いいじゃん」

このままじゃ鉢屋に流されてしまう、と無意識のうちに勘ちゃんや竹谷に助けを求めようと辺りを見回せば、俺の視界の奥で信号が点滅しだした。
少し先にいた集団から「あ、変わっちゃう」「やべぇ、走れ」なんて焦る声が届いて。ほ、っと救われた気持ちで、その場に縫い止められそうになった足を前に出そうとする。

「俺らも急がないと」

信号が変わる、という言葉は、けれども、空気を震わせることはなかった----------------鉢屋の手が、俺の手首をきつく握っていたから。

「っ」

熱い。捕まれた部分が痛い。心臓が煩い。遠ざかっていく勘ちゃんと竹谷の背中。点滅し終えて留まった信号の赤。向こうから駆け込んできた人混み。それが一段落つけば目の前を車の列が走り出す。徐々に速くなっていくスピード。先に歩いている二人は完全に景色に呑み込まれて分からなくなってしまった。

「……どこ、行くんだ?」
「映画」

するり、と手首から降りてきた鉢屋の温もりを、俺は掌で受け止めていた。

***

「何、見るんだ?」
「さぁ」
「さぁって」

最初に聞いておかなかった自分も自分だが、連れてきたにも関わらず何も考えてなかった三郎も三郎だ。今やってるやつでいいだろ、と言われてしまって大概だなと思ったが、チケット売り場を目の前にして断るほどのことでもない、と俺は肯いた。チケットを買うのは三郎に任せ、辺りを見回す。

館内はぼんやりとした温かさが漂っていた。金曜日の夜だというのに人気がほとんどないのは、三郎が連れてきてくれた映画館がいわゆるシネコンではなく単館の映画館だったからだろうか。

閑かだ。映画館なのだから当たり前と言えば、当たり前なのだがあまりにも閑かすぎた。まるで無声映画の中にいるみたいだった。--------------静寂に呑み込まれそうだ。

「ん」
「あ、お金」
「後でいい。もう始まってるってさ」

差し出されたチケットの半券に記されたタイトルクレジットは、全く知らないものだった。



***

「すげぇ不完全燃焼だったな」
「まぁ、仕方ないだろ……けどまぁ、まさか、映写機が止まるなんてな」

すでに暗くなっていた館内のスクリーンに映し出されたのは、いわゆる恋愛物だった。男二人で恋愛物なんて、と多少の気まずさが最初はあったものの、すぐにそれは溶け消えた。美しい外国の景色、それを彩る音楽はとても綺麗で、いつしかその世界に引き込まれていた。

旅先で行きずりのような関係で出逢った二人がいつしか惹かれ合っていくが、やがて別れの時は迫っていて-----------なんてベタな展開だったが、気が付けば、主役の二人の演技に魅せられていて、最後、この二人はどんな選択をするのだろう、と木をも見ながら見ていた。

だが、肝心のラストシーンで、ぶつり、と映像が途絶えてしまったのだ。暗転した当初はそういう効果なのかと思っていたが、どうもそうではないようで。しばらくすると、ぱ、っと館内の電気が灯り、年老いたオーナーが申し訳なさそうに機械の不備を告げにきた。今夜は直しようがないこと、なのでこれ以上の上映は続けることができないことを言われ、俺たちは数少ない他の客と共に映画館の外に出た。

最終上映だったせいか、さすがに人通りはかなり少なくて。路地に響くのは、俺と三郎の靴音だけだった。沈黙が何故か怖くて、ふ、と疑問を漏らす。

「あの後、どうなったんだろうな?」
「あの二人が?」
 ああ、と俺が相槌を返せば、三郎はふと笑った。
「賭け、するか?」
「何を?」
「あの二人が、あの後、想いを伝えて付き合うかどうか」
「いいけど……けど、どう確かめるんだ?」

帰り際にちらりとチケットカウンターの傍にあった上映スケジュールを見たが、どうも今見た映画は今日が最終日だったらしい。老いたオーナは再上映のことを何も口にしなかったことを考えると、あの映画館で続きを見るのは難しいだろう。

「そのうちDVDとかになるんじゃねぇの」
「なるか? かなりマイナーなやつだろ?」
「まぁ、いいだろ。とりあえず、兵助はどっちに賭ける?」

何となく『付き合う』と答えるのが照れくさくて。三郎にからかわれる気がして俺は「付き合わない」と答えれば、そのことすら知ってるといった面立ちで彼は「じゃぁ、私は付き合う方にする」と答えた。気恥ずかしさを「もし当たったら、どうするんだ?」と誤魔化そうとすれば、ふ、と三郎が笑った。

「そうだな、私たちも付き合おうか」



***

結論から言えば、その後、何もなかった。

それじゃぁ賭けに勝とうが負けようが、どっちにしろお前と付き合うことになるじゃないか、と俺が三郎をどついて、終わった。赤くなっている顔に気づかれないように、と願いながら。

そうだな、と三郎も笑って------------それっきりだった。あの後も、俺は三郎と友人として残りの大学生活を送り、卒業と同時に疎遠となった。
そうだな、と頷けば「好きだ」と言えば、何か変わったのだろうか。後悔ばかりが俺の中に棲み着いてしまっている。

(もし賭けが当たってたら……そしたら、電話をしてみようか。それとも、今、してみようか……『あの映画の結末、知りたくないか?』って)

今更、と笑われてもいい。奪い取るような勢いで「買います」と手にしたDVD。

End roll

そう記されたタイトル。まだ、俺の中で三郎とのことは幕を下ろせずにいるのだから。俺はポケットに突っ込んだ携帯を、そっと取り出した。



End roll



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