※五忍無配


「兵助、何食べる?」
「んー。鍋?」
「もう?」

否定の色合いを含むハチの声音に、せっかく答えたというのに、と俺はちょっと、む、っとしてしまって。「もう、って別にいいだろ。寒いんだし」と告げる声は、ややきつい口調になってしまった。

「悪い、んな怒るなよ」
「怒ってないし」
「鍋に豆腐入れるから」
「あのなぁ」

許して、と言わんばかりに、ぱん、と掌を合わせて頭上で掲げるハチに、それ以上に零そうとしていた文句は笑いに変わってしまった。ハチには適わないなぁ、とこっそりと心の中で呟く。口にしないのは、してしまえば調子に乗ると知ってるからだ。

「豆乳鍋にしてくれるなら許す」
「本当に好きだな、お前」
「いいだろ。豆乳鍋ヘルシーだし。ハチ、ダイエットしないとまずいんだろ」
「そりゃ、まぁ、な」

それまでの勢いはどこへやら、急に声が小さくなったのはハチ自身、もの凄く気にしているからだろう。夏の健康診断でコレステロール値が引っかかったのは相当のショックだったようだ。三十路近くなれば、まぁ、それなりに体も変化するのは当たり前だと俺は思うのだか、今まで、超健康優良児で生きてきたハチには違ったようで。

死にそうな面立ちでその報告を受けたときに、時々見かける腹回りは確かに前よりも育ってきていることを思い出して「そういや、ちょっと太ったよな」なんて口にすれば「何で言わなかったんだよ」とすごい剣幕で言われたものだ。

まぁ、それ以来、晩酌のビールがカロリーオフになったり、揚げ物が減ったり、と涙ぐましいとまではいかないものの、それなりに気を使った生活をしているのだ。

「じゃぁ、豆乳鍋ってことで」
「いいけど……さすがに豆乳鍋のつもりはなかったから、何も材料ねぇや」

そうぼやいたハチに「じゃぁ、外、行くか?」と俺は提案した。今から着替えて買い物して作る手間を考えればそっちの方が楽だろう。街の方に出れば、近年の鍋ブーム豆乳ブームのおかげで、豆乳鍋がある居酒屋もあるし食べ放題みたいな鍋の店もある。ハチも同じことを思ったのだろう、

「居酒屋? 鍋のこと?」
「どっちでもいいけど、俺は」
「豆乳鍋が食べれたら、だろ」

とりあえず外食の方向で決定されたことを知った俺は「もちろん」と答えながら、来ていた部屋着代わりのロングスリーブの上を脱いだ。途端、ハチの焦った声が飛んでくる。

「兵助、お前、向こうで脱げよ」
「いいだろ、別に」
「いいって、お前さぁ」
「ほら、ハチもさっさと着替えろよ」

さすがにスウェットでは行かないだろう、と急かし立てればハチは部屋の隅に転がっていたジーンズを手に取ると、奥にある浴室に行ってしまった。今更、恥ずかしがることでもないのに、とその後ろ姿にこっそりと笑う。

昼間から互いの裸を見たところで、まぁ、そういうことに雪崩込むかといえば、そうならないことの方が増えてきた。惰性、とか、馴れ合いとか、そんな言葉が浮かぶこともある。付き合いたての新鮮さとかときめきとかは、もう随分と前に失ってしまったから。「好きだ」とか「愛してる」なんて言葉も、言わなくなったから。それが淋しいと思わなくもないけれど、

(長く一緒にいればそんなものなのかもな……というか、こんなに長く一緒にいるなんてな)

最初から別れることを想定していたわけではないが、でも、高校卒業してすぐに付き合いだした当初は五年、十年と先のことなんて全く考えることができなかったから。

「兵助、何、ぼやっとしてるんだよ」
「あ、悪い」

色々と考えを巡らしている内に、いつの間にかハチは着替え終わっていたようで。俺の元へとやってきていた。慌てて俺は立ち上がると、同じように床に転がっていたジーンズを手にし、着替えることにした。



***

ふわり、と体を温めるような匂い。食欲をそそるそれは、くつくつと音を立てる目の前の鍋から昇る柔らかな湯気から感じる。白と飴色。一つの鍋がしきりによって別れているそれは、一つは俺のリクエストである豆乳が、もう一つは口直しということで普通の出汁タイプのものが入っている。

ハチに任せて来た店は、いわゆる鍋食べ放題の店だった。時間制限はあるものの、がっちり食べようと思えば居酒屋より安く済む。

「あ、兵助、また豆腐」

つるり、とした白に箸を伸ばした途端、ハチに文句を言われた。

「豆腐しか食わないとか、栄養不足倒れるから」
「豆腐は畑の肉って言われてるんだぞ」
「そりゃそうだけど、せっかくなんだから普通の肉も食えよ」

そう言うハチの小皿には、がっつりと肉が入っている。気にしてるんじゃないのかよ、と思わず突っ込めば、主語がなかったから伝わらなかったのだろう「何が?」と不思議そうに首を軽く傾げられた。

「何がって、ダイエット」
「……いいんだよ、明日からすっから」

分が悪そうに視線を逸らしたハチは自棄とばかりに箸をその肉に向けた。まぁ既にビールの2杯目を頼んでる時点で言わなかったしなと思いつつも「早死にしても知らないからな」と俺は、軽口を叩いた。と、ふ、とハチが顔を上げた。

「われなべにとじぶたってあるじゃん」

いきなり出てきた言葉に一瞬、音が漢字に繋がらなかった。彼が口にしたのが『割れ鍋に綴じ蓋』という単語だと思い当たって、あぁ、と頷く。それから「それが?」と先を促せば、

「あれさ、俺、昔、綴じ蓋の蓋って『豚』って思ってたんだよ」

子どもによくある聞き間違いというやつだ。あー、と理解の色を相槌に込めれば「けど、ちゃんと漢字を知って、意味が分かって。すげぇ言葉だな、って思った」とハチは笑った。

「どんな人にも合った相手がいるってさ」
「そうだな」
「兵助で、よかった」

何が、とは言わなかった。何が、と俺も聞かなかった。けど、伝わる物がある。あぁ、と胸がほわりと温かくなる。確かに「好きだ」とか「愛してる」といった言葉は減ってしまったけれど。
でも、今なら、何となく考えられるのだ。あのとき考えることのできなかった未来が。-----------五年、十年経っても、こうやって一緒にいるんだろうな、って。歳を取って、しわくちゃなおじいちゃんになっても、ずっと、一緒にいるんだろうな、と。

「俺も、だ」

それは、とても愛しいことに思えた。



想わぬ時をさがそうか


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