※忍FES2の無配



がさ、っと耳の内側でノイズが引っかかった。ラジオの電波が届きにくくなっているのだろう。音が一つ綻びる。とたん、カーステレオの向こうで完璧だったメロディが崩れだした。織りなされた綾が一つ一つ解けてばらばらになっていくのを、俺はどこか遠くで聞いていた。流行の歌謡曲ではなく、どちらかといえば、洋楽のあまり知られてない曲を流す番組だった。音楽に包まれる帰途。ささやかな至福だった。

(結構、好みの曲だったんだけどな……)

一つ前から繋ぎで入ったために、まだ曲名やアーティストの名は電波を介して届いてはなかった。いつもは、曲が終わってからパーソナリティーが紹介をしてくれるのを聞いて、今度買おうと決めている。だが、今日は誰の歌なのか知る機会はなさそうだ。さっきまではノイズがメロディを分断した形だったのが、今は、ノイズの中にかろうじて音が入り交じっているのが分かるだけになっていた。砂漠に落とした針みたいなものだ。きらりとした光は一瞬のうちに呑み込まれる。それを探すのは大変で。

(ちょっと周波数を変えたら、聞こえないだろうか?)

右手はハンドルに沿わせたまま、左手をステレオボタンが密集している辺りに伸ばす。しばし、さまよった指先はボタンを間違うことなく選んだ。ぴっ。小さな電子音が響き-----そうして、俺がハンドルに手を戻してからも、いつまで経っても、再び鳴ることはなかった。

(……やっぱり、駄目か)

この辺りは山の裾野に抱かれていている。必要不可欠な携帯はともかく、あくまでも娯楽の一つでしかないラジオの為に鉄塔が増えることはない。闇に浮かんだ周波数の青白い光を追うけれど、目まぐるしく増えていった数は、ある瞬間を境に、ぱ、っと最初に数に戻る。止まることなく、延々と繰り返すそれに見切りをつけ、今度はCDの再生ボタンに指を向けようとした瞬間、

(ん?)

ざぁぁ、と小雨のように夜を穿ち続けていたノイズが途切れた。しん、とした空櫃。全ての音が闇に吸い取られたような静寂がそこにあった。そして、その閑けさに続いて、ざらざらとした声が雪崩込んできた。

(何だ?)

最初、それは片言だった。いや、本当はきちんとした言葉だったのだろう。けれど、まるで宇宙の交信を聞いているみたいだ。もしくは、海を隔てた国のラジオを聴いているような。---------自分とはあまりにかけ離れていて、想像することができなかった。

(あ、)

けれど、ある瞬間、それは音としてではなく、言葉として俺の耳に届いた。----------カーラジオが告げていた渋滞情報、その行き先が、ハチが住んでいる町だったから。ふ、と少し先、俺の視界の上方に横切る白っぽい影。ぽつん、ぽつん、と離れた間隔に灯る光。アンタレスにも似たオレンジ色は、高架を走る高速道路を照らし出す街灯だった。近くに来たために、どうやら混線してしまったらしい。本来ならば高速道路だけで流れるそれは、高架の下を潜ってもなお、俺の車の中で淡々と繰り返されていた。

(そうか、三連休か……)

みんなどこかに向かっているんだろう。カーラジオが告げる渋滞の距離は、想像がつかない長さにまで延びていた。数十キロという距離に、隣の町くらいまで連なっている車の列を想像してみたけれど、数珠つなぎのそれを考えてみてもおもちゃのようにしか思えなかった。どこか機械じみた女の人の声が余計にその非現実味を誘っていたのかもしれない。目の前にある闇はあまりに単調すぎて、出来の悪いホラー映画を見ているような気持ちになる。

(ラジオを消してしまおうか)

そうすれば、この気味悪さから解放されるかもしれない、と思いつつ、俺の手はハンドルを必死に握っていた。音が意味となったきっかけとなった町の名が、ハチの住んでいる町の名が、もう一度流れないだろうか、と期待したからだ。

(まぁ、流れたところで行けないんだろうけどな)

どれだけこの道を進んだところで、ハチにたどり着くことはないだろう。いや、道は繋がっている、というから、もしかしたら辿っていけばいつかはハチの元に行くことができるのかもしれない。けれど、それは、数十キロの渋滞を想像するよりも困難なことだった。

(そこにハチはいるんだよな)

お盆休みに帰れなくなった、と電話があったのは八月に入ってからだった。元々、ハチに会えるのは年に二回だけだ。盆と暮れとしか顔を遭わさなくなって、想うのは彼のことだった。春の桜も初夏の蛍も秋の紅葉も厳冬先にある雪解けも、見るのはいつもひとりで。

(淋しい、と言ったらハチはどうするだろうか)

仮に想いを告げて、気味悪がられたら、その二回もなくなったとしたら、そう考えると何もできなくなった。年々、臆病さだけが俺の中で根深くなって。毎年、夏と冬にハチからいつ帰るかという電話が来て、互いの近況方向をして「じゃぁ、またな」って通話を切って--------ぷつ、っと途絶えた電波の後にできた空隙と、それを覆い尽くすノイズに想いを零すだけだ。もっと逢いたい、と。けれど、砂漠の砂に落とした針よりも、ずっと、小さな光で。どれだけ希っても、きっと叶わないだろう。

(馬鹿みたいだなぁ)

そうと分かりながら、俺の指は未だCDボタンを押せず。高架から遠ざかれば遠ざかるほど砂嵐に呑まれていく片言の声を探していた。ハチが住んでいる町の名がそこに閉ざされているような気がして。

(ハチは今頃、何をしてるんだろう?)

闇に溶ける虫の音色。まだ仕事だろうか。それとも、今頃は帰ってアパートでビールでも飲んでいるのだろうか。想像だけはいくらでもできるけれど、こちらから電話をしない以上、それを確かめる術はなくて--------そう考えた瞬間、助手席に投げ出してあった携帯が震えた。メールだろうか、と、ちら、っと視線を投げて、

(っ、何で?)

掛かってくるはずのない電話。それなのに、今、携帯のディスプレイにはハチの名前があって。年2回の均衡。唐突に、何の前触れもなくそれが崩され、俺の頭の中は真っ白だった。

(何かあったんだろうか?)

事故、怪我。ぱ、っと浮かんだのはそんな昏い想像だった。仮にそうじゃないとしたら、と思い浮かべるけど、ハチから電話をくる、という自体が考えたことをなく、どうすればいいのか分からなかった。その間も、ずっと鳴り続けるコール。それが向こうの意志のような気がして、俺は車のブレーキを踏み込み、通話ボタンを押した。ぽつん、と落ちた街灯に虫が群がっていた。光にぶつかりにいったそれは、じぃじぃと焦がれた音を立てた。

「もし、もし……」

喉に引っかかった声は上手く音にならなかった。ぷつ、っと空気が途絶えたような気がして、せき込むように繰り返す。「もしもし」と。ふ、っとノイズが緩んだ。

「あ、兵助」

からり、と秋の空のような乾いた声が耳を抜けた。普段、耳にするよりもずっと近い声。不思議だ。あんなにも離れているのに。電話をしている時の方が声の距離は近いだなんて。

「あぁ」

妙にかしこまった声が喉にへばりついた。どう会話を紡げばいいのか分からない。沈黙があったわけじゃない。ただ、接ぐ会話を見いだすことができず、噤んだ唇を深く噛んだ。

「今、何してた?」
「車の運転」
「あ、悪ぃ」
「いいよ」
「や、そんな大したことじゃねぇから」

そのまま切られてしまうんじゃないか、って慌てて「路肩に寄せてるから」と告げ、ハザードランプを押す。規則正しいリズム音が俺たちに沈黙を作らせまいと必死だった。改めて耳を携帯に押しつければ、その向こうは、ざぁざぁと、と風が吹いているだけで----------もう、どっか別の世界にいってしまってるかのようだった。

「まだ帰ってないんだな」
「あぁ……どうしたんだ、急に?」
「どうしたって言うか、別にたいした用事はなかったんだけど」

徐々に小さくなっていく語尾はそこで途切れてしまって。何を言おうとしていたのか、と俺が「けど?」と続きを促せば、電話の向こうで急に声が張り上がった。

「あのさ、今、お前の家の前にいるんだけど」
「へ?」
「会いに来たんだけど」

何で、って言葉は音にはならなかった。けど、伝わったんだろう、電話の向こうで、ハチが笑っていた。

「会いたかったから」



ノイズの溶けた夜



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