「海」

寝そべりながら雑誌を読んでいた仙蔵が、唐突に言った。

「は?」

呆気に取られた俺に、もう一度言うのが面倒とでも言うかのように眉を顰めながら「海」と告げた。
蒸し暑いのが大嫌いだという仙蔵に合わせた部屋はクーラーが効いていて真冬みたいに寒い。
かちかちに凝り固まっている体をもぞりと動かし、首だけ仙蔵の方に向ける。

「……まだ、梅雨あけてねぇぞ」

おそらくは「海に行きたい」ということなのだろうと見当を付けつつ、窓の向こうに垂れさがっている曇天に、そう答える。
俺の返事が不服だったらしく、ふん、と鼻を鳴らすと、仙蔵は俺の方を、ちらりと見遣った。
それから、わざとらしいため息を、ひとつ、俺に聞かせる。

「去年、腹を壊したとか、当日になって言ってきた奴がいてな」

痛いところを突かれた、と思い目を逸らすと「なぁ、文次郎」と、絡みつくような声で仙蔵が名を呼んだ。
エンドレスに続きそうな嫌味に、降参、とばかりに「分かった。分かった」と諫める。
と、目の前を、銀色が軌跡を描いた。

「もちろん、お前が運転してくれるんだろう?」

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