「これも違う」

 喉にへばりつく甘ったるさを押し込んで「次、くれ」とハチに手を差し出す。新たに広がったはずのチョコレートの香りも、もはや、部屋に広がっている甘い匂いですぐに相殺されてしまう。呆れた面持ちで「もう諦めろよな」なんてハチが投げるように渡してきたものは見た目からして違った。けれど、その製菓会社の別にシリーズかもしれない、と口の中に放り込む。今度は触感がさっきよりも軽い。けど、違う。

(くそっ、またハズレ)

「三郎、あのさぁ、この街にいくつバレンタインチョコを出しているところがあると思ってるのさ」

 言い出しっぺである勘右衛門までも、もうお腹いっぱい、とげんなりした顔つきで包装紙を開けている。チョコの品質的に高級な物だ、というところまでは絞れたが、それ以上の情報はこの舌に残っているものだけだった。とりあえず、近くのデパ地下にある店からチョコレートを買えるだけ買ってきて(この辺は、連帯責任だ。面白がる二人にも買わせた)こうやって仕事後に連日味比べをしているのだが、なかなかあのチョコレートと同じ物を探し出すことはできなかった。半ば意地になってるのは分かっていたが、なかなか諦める気になれなかった。

「つうか、もう、明後日じゃん。明後日、学校、行くんだろ」
「あぁ。それまでに、何としても見つけてやる」
「買いに行くこと考えたら、今日中に見つけないとね。夜中はデパートなんてやってないだろうし」
「今日中!? そりゃ、無理だろ。絶対、見つからないって」
「てかさぁ、鉢屋、味、分かってる?」

 確かに、もう舌が馬鹿になっているような気もしたが、それを疑い出すと今までの努力が水泡に帰してしまう。実は気づいてなかっただけで、今まで食べた中にあっただなんて、そんなおぞましいこと考えたくもねぇ。さんざん文句を言ってくる二人に「いいから、次」と手を差し出す。

「ったく、頑固だよな、お前も」
「本当。……あ、これで最後だよ」

 がさ、っと勘右衛門が箱から取り出したのは、あのチョコとよく似ていた。摘んで、じ、っと観察する。表面が滑らかで光沢のあるコーティングをしている。けれど、トッピングが違うから、確信を持ってこれとは断言できなかった。

「もしかして、もしかすると、なのか?」

 私の様子に気づいたハチが期待するような目差しをこちらに寄越してきたが「食べてみねぇと分からねぇって」と答える。それはハチに対してというよりも、自分に向けた言葉だった。これでもし、違ったら、ショックが大きい。ごく、っと喉が自然と上下した。早鐘を打つ心臓に落ち着け、と言い聞かせ、そっと口の中に含む。柔らかな口溶け、広がるカカオマスの香り。

(あ、)

 目を大きく開かせた二人がこっちを凝視していた。抑えきれない昂ぶりに「どうなんだ、三郎?」とハチが聞いてくる。ゆっくりと味を楽しんだ私は、二人に笑いかけた。

「これだ」

***

「は?」

 店員の言葉が耳を右から左へと素通りする。理解できる。分かる。けど、信じたくねぇ。その気持ちのせいで店員の言葉に反応できないでいる私の代わりにハチが「もう一回、言ってもらっていいっすか?」と店員に頼んでいるのでさえどこか遠い。

「えっと、ですから、バレンタイン限定商品なんです」

 店頭に同じデザインのチョコがない地点で嫌な予感はしていたのだが、それでも私たちが覚えている限りの形状を説明すれば、店員のお姉さんは「あぁ、それ、うちの商品ですね」と頷いてくれて。すぐに見せてもらったカタログには、まさに私たちが食べてしまったチョコと同じものが小さな箱に収められている写真が載っていて。もう見つかった、と内心ガッツポーズだったのだが。続いて発せられたのは、その言葉だった。

「つまり、今は、売ってないと」

 冷静に、けれど、おそるおそる訊ねた勘右衛門に「そうですね。期間限定ですので」とお姉さんはあっさりと言い切った。ハチが「何とかならねぇ?」と懇願するも「人気商品でして、一月に発売して、開始してすぐに売り切れてしまったんですよ」と退けられる。

(一月に……)

勘右衛門が「そこを何とか」と粘っている傍で、ぱ、っと視線をディスプレイに落とせば、もうすっかりとホワイトディの仕様に変わっている。Sweet White Day という文字の下に『心からの贈り物を』という文字がならんでいる。

(心からの贈り物、か……そうだよな)

溜息を私は呑み込んで「勘右衛門、ハチ、帰ろう」と踵を返した。背後から「え、鉢屋?」とか「おい、三郎! どうするんだよ」と焦った声が追いかけてきたけれど、それを無視してさっさと歩を進める。

「なぁ、どうするんだよ? なぁ、勘右衛門。何かいいアイディアないのか? せっかく色々やったのに」
「そう言われても、何も思いつかないし」
「……あ、いいこと思いついた」
「くだらないことじゃないよね?」

 後ろでごちゃごちゃと言い合っている二人を余所に、ホワイトディの文字が躍る売り場を切り抜けていく。バレンタインと違って、もう準備を進めている人は少ないのかもしれないが、それでも、浮き立つ雰囲気がフロア全体から漂っている。

「違ぇって。とりあえずさ、さっきの店のチョコ、入れておけばいいんじゃね? バレンタイン仕様とか何とか言ってたけど、チョコはチョコだし。味の違いなんて、三郎みたいなやつじゃなきゃ、そうそう分からねぇだろ」
「あ、なるほど。ハチにしてはいい考えだね」
「だろ、俺、すげくねぇ」
「そう考えるとさ、何もチョコの店、探さなくてもよかったんじゃない? だって、どの店で買ったか、その渡した彼女しか分からないんだし。普通、『○○の店で買ったよね』なんてお礼に言わないだろうし」
「確かに。まぁ、いいじゃん。見つかったんだし。戻ろうぜ」

 呼びかけられているのが分かっていたが、私は足を止める気になれなかった。ハチが「三郎、聞いてんのか?」と駆け寄ってきたけれど視線を遣らずにいると、ぐぃ、と肩を掴まれた。

「……あのさ、やっぱり、正直に伝えることにする」

速攻で「はぁ?」とハチから怪訝な声が漏れ、勘右衛門からは「どういう心境の変化?」と訊ねられる。上手く答えられる気はしなかったが、ここまで付き合わせたのだ(原因は誰にあるかは別として)言わないわけにもいかねぇだろ。

「や、そのプレゼントの贈り主は『不破』ってやつのこと想って色々選んだろうな、って考えたら、ちょっとな」

 どこにでもあるキャッチフレーズだ。『心からの贈り物を』だなんて。けど、バレンタイン期間中に限らず、店で働いていて「プレゼントに」と買っていく人たちの顔を思い出した。色々ある種類から悩みに悩んで、時には「どっちがいいと思います?」なんて見知らぬ私たちにも相談して。-----------きっと、皆、相手に喜んでもらおうとか、相手の笑顔が見たくて、時間を費やして一生懸命に選んでいるのだ。だから、悪気があって食べたわけじゃねぇけど、このまま偽りのものを届けるのは、ちょっと違う気がしたのだ。

「やっぱ、そうする。正直に、相手に伝える」

***

(っし、できた)

 ふぅ、と零した息に答える者は誰もいない。シンクの上の蛍光灯が、ぴかり、と冷たい光を反射させている。オーナーに頼み込んで借りた厨房の台は私が使っている場所以外は粉一つなく磨かれている。金網のクーラーの上に載っているブラウニーは今までにない出来映えだった。

(これでいいのか? っていっても、これしかできねぇしなぁ)

 はぁ、と吐いた溜息は、すぐに白く凍り付いた。タダでこの場所を借りているのだ。必要最低限の光熱しか使わないよう、暖房なんてものは付けていねぇ。作業している間は体も動かしているし、オーブンも使っていたために暖かかったが、こうやって出来たものを冷めるのを待つだけの段階になると、クーラーの上のブラウニーよりも先に、放熱しきった体はどんどんと冷えていく。

(寒ぃ)

 かさかさに荒れきった指先をすりあわせる。ハンドクリームを塗りたいところだが、まだ、この後でブラウニーを触ると思うと、いくら手袋をしているとはいえ、どうしても踏ん切りが付かなかった。

(塗っても塗っても、効かねぇしなぁ)

 ハンドクリームを手にした直後はしっとりとするのだが、水仕事で酷使するせいか、すぐにがさかさした肌に戻ってしまう。皹も酷い。仕事帰りなんかに風に曝された日なんかには、しばらくの間じんじんと疼き続けるくらいで、飯を食うのに箸を握るのも億劫なくらいだ。他のものを握りたくねぇ。

(けど、帰ったら、手紙書かねぇとな)

 本当なら、ちゃんと顔を合わせて事の真相を告げ、謝るべきだとは分かっていた。だが、どうしても、面と向かって渡す勇気は出なかった。怖いのだ。相手にどんな風に想われるか、が。 
あの後、自分にできること、と色々と考えた結果、思いついたのが手紙だった。今までの経緯とそれから謝罪の言葉を書いて相手の机の中に侘びの品と一緒に入れておく。だが、手紙なんて、小学校の時に社会見学とか行った後に書かされたお礼の手紙以来な気がする。その時だって、まともに書かずに終わったのだ。どう書き出せばいいのか、さっぱり、分からなかった。

(だからって、何も書かずにケーキだけ入れておく、って訳にはいかねぇだろうしなぁ)

 いきなり机の中にケーキだけが入っていたら、自分だったら、まずごみ箱行きにするだろう。得体の知らないものなんて、絶対ぇ、口にできない。いや、手紙読んでも、棄てられる可能性だってある。相手が見知らぬやつなのだから。

(けど、この『不破』ってやつは、しない気がする)

 どうしてだか分からないけど、そんな気がしたのだ。


Love so sweet!!



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