「けど、じゃぁ、何で、三郎の机の中に入ってるんだよ」
ハチの問いかけに、カサカサに乾いた喉からようやく声を押し出す。
「昼のやつのだろ」
「どういうことだ、三郎?」
さっと理解したらしい勘右衛門が、あぁ、と納得したように相槌を打った。それから「この教室を使ってるのは、俺たちだけじゃないだろ。たぶんだけど、全日制でここの席に座っている人が『不破』って言うんじゃないかな」と説明を加えた。
「えぇっ!? じゃぁ、俺ら、勝手にその『不破』ってやつのチョコを食べたってことかよ」
「正確に言うと、その『不破』がもらうはずのチョコだけどな」
わざわざ勘右衛門が訂正したけど、問題はそこじゃない。人のチョコを食べてしまったってことだ。故意じゃないとはいえ、腹の中に入ったものを出すわけにもいかねぇ。ようやく事の重大さに気が付いたのか「まじかよ。どうすんだよ、これ」とハチが叫んだ。そんなの私が知りたい、と言い返そうとした瞬間、
「何だ、お前ら、まだいたのか?」
再び顔を出した山田先生に「ほら、さっさと家に帰りなさい」と促される。ちょ、待ってください、と声を上げたものの「もう閉めるぞ」と追い立てられる。仕方なく、荷物を持つだけ持って教室から出て、帰路に着く。空になった箱を握りしめれば、皹ができた指先が痛んだ。
すでに廊下で冷え切っていた空気は、校舎の外に出れば、完全に凍り付いていた。はぁ、と溜息を零したのは誰だったか。誰が言うわけでもなく、重たい足取りでファミレスに向かう。
***
「で、どうすんだよ、これ」
「どうするも、こうするも、食べたものを、おえ、って出すわけにもいかねぇだろ」
ピザを噛み契ったハチの開き直ったような態度に「お前らのせいだろ、もうちょっと真剣に考えろよ」と、つい、腹立たしさに任せて怒鳴ってしまう。どん、と拳を突いたテーブルで、チョコの空箱が飛んだ。すぐさま勘右衛門に「声、でかい」と注意され、ぱ、っと辺りを見回せば、周囲の注目を浴びていることに気が付いた。深夜と言うには早いが、だいぶ人気の少ないファミレスでさぞかし声が響いたことだろう。ボリュームを下げて「もうちょっと真剣に考えろよな」と二人を睨みつける。
「考えてるって。けど、どうしようもならねぇだろ」
「そうだよね。まぁ、素直にごめんなさいするしかないんじゃないの? もう食べちゃったんだし」
「……そんな恥ずかしいことできるかよ」
「俺らも一緒に謝ってやるから、な」
「無理。絶対ぇ、無理」
勝手に箱を開けてチョコを食べました、だなんて、言えるわけがなかった。もともと、謝罪は苦手だ。今まで生きてきて、数える程しかしてきてねぇ。今の店のオーナーにもよく「三郎の悪いところは素直に『ごめんなさい』を言えないことだな」と諭されているが、染みついてしまった性分はなかなか拭い落とすことができずにいる。
「それなら、最初からチョコなんてなかったことにする? それもできないでしょ?」
「じゃぁ、どうするんだよ。謝るのは三郎が嫌だ、っつうし」
「うーん。一番は、こっそり戻すかなぁ」
こっそり戻すつったって、もう中身は無いのだ。こっそりもへったくれもねぇだろう。勘右衛門が言っている意味が分からず、どういうことだ、と目で訴えると「そのチョコ、手作りじゃなかったんだろ?」と逆に聞かれた。あぁ、と頷けば勘右衛門は「それなら、簡単だよ」と一人悦に入ってしまった。
「つまり、どういうことだ?」
「だから、さっき食べたチョコと同じ店で同じものを買って、詰め直せばいいんじゃないの?」
ぱ、っと目を輝かせて「お、ナイスアイディア! 勘右衛門、よく思いついたな」なんて歓声を上げているハチに「でしょ」とご満悦の勘右衛門。その二人を横目に、私は溜息を零した。それしかないか、と。
***
「不破くん」
今日もなんとか居眠りを堪え、一日を終えた。まだ週の半ばだというのに体が重たいのは、眠たいからだろうか。そんなことを考えつつ、帰り支度をして鞄を持って教室から出たところで、同じ学年の女の子に声を掛けられた。
(兵助のクラスの子だ。誰だっけ? 何か可愛いってうちのクラスの男子が騒いでたけど……)
さほど恋愛に興味があるわけでもないから、それくらいしか知らす、「僕?」と思わず聞き返してしまった。彼女は「うん。ちょっといいかな」と言うと、こっちの返事も待たずにさっさと歩き出してしまった。今日は兵助が来ているから帰りの約束をしていたのが気になったけど、どんどんと行ってしまう背中に、とにかくついていくしかなかった。
「どこ行くの?」
とりあえず追ってきたものの裏庭へと続く渡り廊下まで来て、さすがに心配になった僕は彼女に声を掛けた。ふわり、とスカートが揺れる。振り向いた彼女は僕の質問に答えることなく、逆に「何で呼び出されたか、分かってるよね?」と訊ねてきた。真剣に考えたけれど、彼女に呼ばれた理由がどうしても思いつかなくて黙っていると、
「返事、オッケーだよね」
と、ますます意味不明なことを言われてしまった。当然、という響きだったけれど、何のことなのか僕にはさっぱりで。意を決して「……えっと、ごめんね。ちょっと、どういうことか分からないんだけど」と僕は素直に答える。
「分からない……」
そう繰り返す桜色の唇に申し訳なくなって「本当にごめんね」と平謝りすると、彼女は目を尖らせた。急に声が大きくなる。
「バレンタインのチョコ、一生懸命選んで、不破くんの机の中に入れておいたんだけど」
「え?」
「手紙も一緒に」
そう言われても、覚えがないものをありました、なんて言うこともできなかった。じぃ、と大きく縁取られた目が僕に注がれる。もう一度「ごめんね、えっと、受け取ってないんだ。もしかしたら、手違いがあったのかもしれないけど、でも、ごめんね」と謝っていると、綺麗に弧を描いていた彼女の唇が大きく牙を剥いた。
「不破くんがそんな嘘を吐く人だと思わなかった。最低」
声を掛ける間もなく、翻ったスカートが遠ざかる。ぱたぱた、と廊下を走っていく足音もそのうちに消えてしまって。嵐が過ぎ去った後のように、呆然と僕は取り残された。
(いったい何だったんだろう?)
「何だ、今の?」
僕の心の声が聞こえてきたかのようで、さぁ、と普通に返してしまってから気づいた。
「……兵助! 見てたの?」
「あぁ。悪い」
覗くつもりはなかったんだがつい心配になって、と唇を下げた兵助に気にしてない、と首を軽く振る。ほっとしたのか、肩を降ろした彼は「何か困っていたみたいだけど……」と僕に言葉を促した。
「困ってた、ってほどじゃないんだけど、ちょっとよく分からなくて」
「分からない?」
「うん。どうもね、バレンタインにチョコをくれたらしいんだけど、けど、もらった覚えがないんだ」
「覚えが?」
怪訝そうに眉を顰めた兵助に、そうなんだよ、と零す。バレンタイン当日の月曜日、確かに僕はいくつかチョコをもらった。それは、全部、義理だと分かるものばかりで。まぁ、でも、もらえるだけでも、やっぱり嬉しかったから有り難く受け取った。一ヶ月後にきちんとお返ししないとなぁ、って思ってたから、相手もちゃんと覚えている。クラスメートの子、図書委員の後輩、選択授業で一緒だった子-------------何度思い返しても、その中に、さっきの彼女の分はなかった。
「直接手渡したかどうか聞いた?」
「ううん」
否定の返事はしたものの、兵助が何をいいたいのかよく分からなくて彼の解釈を待ってると、「ほら、友達に頼んで渡した、とか、机の中に入れてあった、とか」と説明してくれた。
「それはないと思うよ。もらったチョコは全部義理チョコだったし、机の中も何も入ってなかったし」
「……となると、不思議な話だな」
首を傾げる兵助につられるように、僕の視界も角度が傾く。相手はチョコを渡したというけれど、僕はもらった覚えがない。チョコが勝手に消えてしまった、ということになるけど、もちろんチョコに足があって逃げ出したなんてマンガでもあるまい。
「まぁ、けど、よかったんじゃないの?」
「何が?」
「や、だって、付き合う前に本性が知れて。仮にも一度は好きだった相手だろ。それを『最低』呼ばわりするって、結構な性格だと思うけど」
確かに兵助の言うとおりなのかもしれないけれど、もしかしたら、こっちの落ち度があってチョコが受け取れなかったのかも、と思うと、あまり悪く言う気になれず「うーん、けど、まぁ、彼女も訳が分からなくてびっくりしたんじゃないの」と答える。すると「雷蔵さぁ」と若干、呆れたような声音で、名前を呼ばれた。冗談っぽく「結婚詐欺とかに遭いそうなタイプだよな」と言われてしまった。おかしくて、つい、「何それー」と吹き出せば、曇っていた兵助の顔も明るくなった。
「や、けど、彼女と付き合いたいっていうなら協力するけど」
「ううん。別にそういう感情はないから」
「なら、いいんじゃないか、気にしなくて」
「うん」
「まだ浮かない顔してるけど、どうかした?」
「んー。何で、僕なんかのこと好きになったのかな、と思って」
彼女とは一度も同じクラスになったことがないし、僕が兵助の教室に行った時に言葉を交わしたことがある程度だ。それなのにどうして、という疑問を零すと、兵助は小さく笑った。
「いっぱい話さなくても、人を好きになることはあるんじゃないかな」
Love so sweet!!
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