デスクのある編集部は閑散としていた。外から帰ってくると、のっぺりとした白い蛍光灯の眩しさにやはり慣れない。ぐったりとした体を引きずるようにして、部屋の奥へと進む。ふ、と闇に沈み込んだ給湯室にオレンジ色の光が灯っているのに気が付いた。コーヒーメーカーだ。

(眠気覚ましにコーヒーでも飲もう)

まだ原稿のチェックが終わってないし、もともと予定されていた取材先の資料の下読みもまだしてない。この前に取材を終えたやつの資料の片付けもしないと、そろそろまずい。やるべきことはある。それに、今夜はどのみち徹夜になるだろう。寝れそうもないのだから。---------------------明日で全てが終わる。正確に言えば、明日の朝、だ。

(……俺にできるのは、あとは、見届けることしかないんだろうか)

雷蔵、兵助、ハチ、それから七松先輩。それぞれが選ぶ道を、俺はただ見ているしかないんだろうか。

「おかえりなさい」

いきなり背後から声を掛けられて、腹の底が驚きに震えた。びっくりしながら振りかえると、そこには少し眠たげな面持ちの庄左ヱ門がいた。僕もコーヒーもらおう、と呟きながら、ふらふらと暗いままの給湯室に入っていく庄左ヱ門に、慌てて傍にあった電気のスイッチを押しながら、謝る。

「あ、ただいま。ごめんね、色々、投げ出しちゃって」
「いえ、大丈夫です」

ぱ、っと白い光が闇を散らした。いつもよりも疲れに濁った目を俺に向けつつ、庄左ヱ門は「あ、ありがとうございます」と俺に軽く頭を下げた。それから「あ、ついでに入れますね」と食器が上げられているカゴに左手を伸ばした。いいよ、と断るよりも先に庄左ヱ門の手にはコーヒーメーカーがあった。

「先輩は砂糖たっぷりミルクもたっぷりでしたよね」
「あ、ありがと。あとは、自分でやるよ」

なみなみと黒が注がれたマグカップに手を伸ばし、受け取る。触れた熱が指先を痺れさせた。今更、ひどく体が冷え切っていたことに気づく。いーえ、とのんびりした口調の庄左ヱ門の後ろを追おうとして、コーヒーを飲みながらチェックするためにデスクまで持っていくか一瞬悩み、机上の状態の悪さにひっくり返したら悲惨だ、とその場で片付けてしまうことにする。いつもは砂糖を山のように入れ、ミルクも二つ使うのだが、今日はそんな気になれず、そのまま飲み干す。熱く渋いコーヒーを突っ込まれた胃は、ねじ切れるような悲鳴で訴えてきた。

(……疲れてるんだろうな)

分かりきったことを思ってしまうほど、思考が働いてない自分に苦笑いを噛みつつ、どろりとした残滓が残ったマグカップを適当に水道で濯いで、食器カゴに水揚げしておく。給湯室の電気を消してデスクに向かおうとすると、自分の席に戻っていた庄左ヱ門に「あ、そうだ」と声を掛けられた。

「さっき校正終わったやつ、預かってきたんで置いておきました」

そう言われて俺は自分のデスクを改めて見遣った。いつも以上に片付ける暇がなく、ごちゃごちゃと資料や何やと積み重なってタワーと化している一番上に、それらしきものが乗っかっている。さっき自分で考えていたことだというのに、あまりの惨状に溜息しか出てこない。

「ありがとな。今から、見る」

パソコンを軽く触れれば、スリープ状態だった画面がぱっと明るくなった。いくつかのチェックが入っている箇所を確認しながら、原稿を直していく。ふ、と思い出して俺は庄左ヱ門に聞いた。

「そういえば、電気の方はどうなったか知ってる?」
「あ、さっき与四郎さんから連絡があったみたいで、明日の早朝には復旧するそうです」
「そっか」

よかった、と続けて呟こうとした俺を「あぁ、明日じゃなくてもう今日ですね」と庄左ヱ門が遮った。ぱ、っと時計を見れば、確かに彼の言う通り、時計の針は重なりをかなり前に超えていて。日付が変わっていた。ち、っ、と長針がまた一つ動き、終わりへと近付く。--------------明日じゃない、この朝には、皆、消えてしまう。

(俺は、このまま、この場所でその時を迎えるしかないんだろうか)

ずっと考えてきたことを、また自問する。けれど、やっぱり答えは出なくて。

「庄左ヱ門、明日っていうか今日の日の出って何時だったっけ?」
「日の出、ですか?」

言葉の音と意味が結びついてないような、面食らった声が飛んできたのも無理はないだろう。新聞の片隅に載っているそれを意識することなんて、そうそうないのだから。いくら庄左ヱ門でもさすがに日の出の時刻までは知らなかったのだろう。彼に「調べますか?」と問われ「あぁ、頼む」と俺は頷いた。

「 時 分ですけど」
「そっか、ありがとう」
「それがどうかしたんですか?」

不思議そうな。聡明な彼のことだ、誤魔化してもそのうちに気づくだろう、と俺はさっき七松先輩から受けた電話で知ったことを口にした。

「黄泉がえりの期間は三日間、ってことらしいけど、正確には明日の日の出までなんだって」
「え?」
「日の出と同時に、消えなきゃいけないらしい」

第一声が「なーなー、電気っていつ戻るんだ」というのを寄越した先輩が、ふ、と漏らした暗澹さは単に情報を知っているというだけじゃなさそうだった。けど、触れちゃいけないような気がして、俺にできることはない気がして、俺は「そうなんですか」と当たり障りのないことしか言えなかった。

(けど、本当にそうなんだろうか?)

明日の日の出。------------------雷蔵、兵助、ハチ、七松先輩はどうするのだろう。俺の知り合いだけでも、それだけの人が今苦しんでいるのに、俺はこうやって、傍観して終わっていくのだろうか。

(それでいいんだろうか?)

「ねぇ、庄左ヱ門」
「はい」
「もし、庄左ヱ門が死んだとして、黄泉がえってきてもいいってなったら、黄泉がえってくるかい?」

ふ、と思った事をそのまま口にしてみると、庄左ヱ門はしばらく考え込むように首を捻って「その立場になってみないと、分からないです」と正直なところを零した。確かにその通りなのだけど、ちょっと答えとしてはずるい気がして「その立場になったとして、でいいからさ」ともう少しだけ追求する。すると彼は落としていた視線を俺の方に向けた。

「先輩は?」
「え?」
「先輩はどうしますか?」

逆に切り返されて、言葉に詰まった。逃げようようとしたけれど、返す言葉が見つからず「ずるいなぁ」と呟くと「いいから答えてください」と急かされる。もし、自分が死んで、黄泉がえることができるのだとしたら。そしたら、どうするだろうか。------------------------数日前であれば、迷わず黄泉がえらないことを選んだだろう。けど、今は、今は……

「その時にならないと、分からない、な」

たぶん、正解なんて存在しないのだろう。逢いに来ることも、逢わずにいることも、そのどちらも相手のことを想ってのことだから。残された人のことを考えたときに、どっちが正しいとか、どっちが間違っている、って言い切ることはできないのだから。もし自分が黄泉がえることができると言われたら、きっと、その時に悩みに悩んで、答えがでないかもしれないけれど、選ぶのだろう。そのどちらかを。

「ですよね……今回のことは、いったい何だったんでしょうね」

しばらくは、この『黄泉がえり』のことは、きっとニュースを賑わせるだろう。けれど、数日も経って別の大きな事件が起これば、人々の関心はそっちに向いてしまって。---------------そうして、忘れ去られていく。けれど、きっと、当事者は永遠に忘れることができないだろう。それこそ、死がその人に訪れるまで。

「そうやって言われると、あれだな」
「こんな後味の悪いのも、なかなかないですね……でも、ちょっと色々考えてしまいました」
「どんな風に?」

庄左ヱ門はぐっと唇を噛みしめて、それからそれをゆっくりと解くように口にした。「当たり前のように自分はこうやって生きてきたんですけど、本当に色々な人に大切に想われて、支えられてここまでやってきたんだなぁ、ってこととか、もっと周りを大切にしたいなぁとか」と。それから、は、っと我に返ったように「何か、ちょっと変なこと言っちゃいました。照れますね」と頬を恥ずかしげに染めた。そんなことない、と首を俺は振った。

「俺も、明日死んでも後悔しないように生きたい、って思ったし」

自分で言ってみて、気づいた。あぁ、そうか、と。たとえ、明日何かがあってこの世と別れても、『俺は倖せだった』そう思えるような毎日でありたい、と。もちろん、『今日死ねてよかった』なんて思うことないだろう。けれど、でも、だからこそ、死ぬときに後悔せず『生きていてよかった』と思いたかった。

(このまま、ここで日の出を待って後悔しないか?)

自分にそう問い直す。答えはノーだ。------------------何ができるのか、なんて分からない。何も出来ないかも知れない。けど、このまま、ただ、ぼんやりと朝だけを待つのは嫌だった。いつか俺に死が訪れたその日、きっと後悔するだろう。どうして、あの時、そのまま日の出を眺めていたのだろうか、と。

「っ、」

振動が走った。携帯が鳴っていた。ごめん、と庄左ヱ門に目で告げ、私は受話のボタンを押した。

「もしもし?」



2010.12.26 a.m.0:49


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