(あ、もうすぐ、日付を越えてしまう)

手元から離したら終わりだ、とずっと傍に置いてあるはずの携帯を探し出せば、サブディスプレイは、静かに時間だけを刻んでいた。乾電池を使った簡易充電器のおかげで何とか電池を保つことができた。だが、そろそろ、その電池も危ないだろうな、と一日経てども回復しなかった電力に、さすがの私でも心配になる。完全に沈んだ闇は携帯の光でさえ呑みこんでしまいそうだった。

(本当に直るんだろうな)

夕方にちらりと携帯のウェブニュースで拾った情報が最後で、その後は電池を温存させるために見ていなかった。市の防災無線的なものが流れてきたが、それも同じように「明日中には直る」というもので。だから、きっとそうなんだろう、と思う反面、何もすることがないと、落ちつかない。

(あいつに聞いてみるかー)

前に電話した時は、黄泉がえりのことだったが、まぁ、新聞社に勤めているのならその辺りのことも知ってるだろう。いつもだったら、そのままさっさと寝てしまって気にも留めない。けど、今回はそういうわけにはいかないだろう。寝ている間に仙ちゃんがいなくなっちゃう、そんな気がしたから。残りの電池のことを考えると不安は不安だったが、このまま、じっと夜を明かすのも嫌で、私は携帯を握りしめて立ち上がった。

「外に行くのか?」

突然耳の近くで聞こえてきた声に、ひっ、と息を呑みこんだ。心臓がどっかにぶつかったみたいに、どくどく、速まる。そんな私に「驚きすぎだ」と仙ちゃんは呆れたように眉を上げた。忘れていたわけじゃない。けど、さっきまで気配ひとつすら感じ取れなかったのだ。

「仕方ないだろ。だって、幽霊みたいに現れるから」
「実際、幽霊だがな」

しまった、と思ったけれど、その時には遅くて。逃げ出したい気分のまま「ごめん……」と謝る。けど、私の正面に回り込んできた仙ちゃんは「別に謝らなくてもいい」と小さく笑った。

「うん、けど、ごめん」
「いいさ。それよりどこ行くんだ?」
「ちょっと電話、と思って」

文次郎にか、と仙ちゃんの目が聞いているような気がして、問われはないけど「後輩の尾浜。新聞社に勤めてるから、電気のこと聞きたくて」と相手を伝える。仙ちゃんは「そうか」と呟くと、す、っと闇に消えた。-----------------このまま、本当に消えてしまうんじゃないか、って思わず「仙ちゃん」と叫んでいた。

「何だ?」

ふ、と現れた仙ちゃんに、ほぉ、と胸を撫で下ろしつつ「何でもない」と答え、私は玄関に行くために折り畳みの携帯を開いて足元を照らした。



***

飛び出していった文次郎を追いかけようとした私を引き留めたのは、「いい、追うな」という仙ちゃんの鋭い声だった。けど、と反論しようとする私を仙ちゃんは「もう十分だ」と笑った。すごく綺麗に造られた笑みで、たぶん、あの頃の私だったらころりと騙されていたと思う。その言葉通り受け取っていただろう。けど、もうあの頃とは違う。

「嘘」

私も大人になって働き出して、作り笑いの仕方とかを覚えた。無理をしながらでも笑わなければいけないことがあることも、そうやって我慢しながら笑顔を向けている人がいることも知った。---------------たいていは、周りに心配を掛けまいとするために、そうやって頑張って努力して口の端を上げていると言うことも。今の仙ちゃんの笑顔はその笑顔だ。

「何がだ?」

私に指摘されても仙ちゃんは動揺することなく、無機質に貼り付けられたその笑みが崩れることもなかった。

「十分だ、なんて思ってないだろ」
「小平太……」

ぐら、と仙ちゃんの目の色が揺らいだと思ったのは私の祈りだろうか。そうであってほしい、という錯覚なんだろうか。じ、っと覗き込む私を仙ちゃんは鼻で笑った。何を言ってるんだ、と。それから「別に、逢えないなら逢えないでいいさ」と。けど、その語尾が震えているのを、今度は見逃さなかった。馬鹿みたいだ。あんなにも想い合っているのに、逢おうとしないだなんて。

(何で?)

私だったら、もし私が死んで仙ちゃんみたいに黄泉がえってきて、でも相手に気づいてもらえないのならば、何が何でも相手に気づいてもらえるようにする。周りを巻きこんででも、どんな手を使ってでも。--------------だって、この機会を逃してしまえば、もう二度と逢えないのだ。それなのに、仙ちゃんはそれをしようとしない。頑なになる理由が分からず、他に何もできねぇ自分に苛立ちだけが募る。

「嘘だ」
「何が嘘なんだ?」
「本当は、逢いたいと想ってるくせに」
「何を根拠にそんなこと言うというのだ?」

そうやってさらりと誤魔化そうとしているけれど、曲がった唇から苦しげに息が零れ落ちたのを私は聞いた。

「だったら、どうして黄泉がえってきたんだ? 逢いたいって願わなければ、黄泉がえることはできないんだから。仙ちゃんが、今、ここにいることが、何よりの証拠じゃないか」

いくら馬鹿な私でもそれくらい分かる。仙ちゃんがここに黄泉がえってきたということは、文次郎はもとより、仙ちゃんも願わなければいけなかったのだ。誰に逢いたいのか、って考えたら文次郎以外にあり得ない。そう言い切れば、初めて仙ちゃんは顔を大きく歪めた。貼り付けた笑顔は今にも泣き出しそうなそれに取って代わっていた。

「……今さら会った所で、何も変わらない」
「え?」
「私が死んだ、もう二度と逢えないということは、変わらないだろう」

私の方を見遣る仙ちゃんの双眼にある静謐の黒は、今にも零れ落ちそうなほど潤んでいた・

(あぁ、そっか。逢えないんじゃない、自分たちで、そのチャンスを避けてるんだ)

ようやく、理解した。文次郎が仙ちゃんが死んだということから目を背けているように、仙ちゃんもまた逃げているのだろう。永遠の別れを、二人はまだ受け入れていないのだ、と。だから、このまま何もなかったことにしようとしているのだ、と悟った。けど、それでいいのか、そう問い正したい気持ちでいっぱいだった。

「けど、」

私の反論を、仙ちゃんはまたあの綺麗な笑みで封じ込めた。

「悪いが、あと1日……というか、明日の朝まで、置いてくれ」
「え?」
「……もう、文次郎の顔を見ることもあるまい」

少し疲れた、そう呟いた仙ちゃんは、踵を返した。私に向けられた背が、泣いているような気がした。



***

「ただいま」

普段ならば言うことのないこの言葉を告げたのは、俺の部屋にいるであろう彼を意識してだった。案の定、ふわり、と出てきた仙ちゃんが「遅かったな」と肩眉を上げた。それは、よく見た表情だった。文次郎やみんなと一緒によく連んでいた頃、遅刻魔だった私はよく仙ちゃんにそんな顔をされたものだった。懐かしいなぁ、と思ったら、ぎゅっと胸が軋んで駄目だった。泣きたくなるのを必死に堪える。

「……だって、仙ちゃん、煙草の匂い嫌いだったでしょ」
「何だ、お前、吸ってるのか?」
「まぁ」

曖昧に肯定すると、仙ちゃんは眉を潜めたまま、さらり、と口にした。

「止めておけ、早死にする」
「仙ちゃん……」
「何でお前がそんな顔してるんだ?」

仙ちゃんの目に映り込む私が泣いているのか、それとも、仙ちゃんが泣いているのか、分からなかった。

「なぁ、仙ちゃん。やっぱり、文次郎のところ行こう」
「……何を言ってるんだ」
「もう一回、逢いに行こう」



2010.12.25 p.m.11:00


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