冬になれば日が暮れるのも早くなる。そんなことすら、俺の中からすっぽりと抜け落ちていて、気が付いた時にはすっかり暗くなってしまった。昼間はあんなにも晴れていたのに、ぐんと闇に冷えていく空は少しずつ雲が増えてきて、鈍色のそれはどんな光も通さない程に分厚くなってきていた。

「なんか、寒くなってきたな」
「あぁ。……そろそろ戻るか? 明日もあるし」

兵助にそう訊ねられ、俺は「もう一箇所だけ」と粘った。明日がない、ということを知らない兵助は、「けど、電気がないからどこ行ってもかなり暗いと思うけど」と正論を言ってきた。それでも俺が「どうしても、行きてぇんだ」と頼み込めば、「まぁ、いいけどさ」と折れてくれた。過去を辿る旅。そのゴールを俺は、最初から決めていた。

***

ベッドの中で泣いている兵助を抱きしめたとき、俺の中で、幽かな音がした。砂時計の砂が滑り落ちるようなそれ。内側から、やわらかに崩れていく、モノ。リミット。気が付いた。なんて馬鹿なことを考えていたんだろう、と。あの頃----------生きていた頃----------俺は、兵助とずっと一緒にいることができると思いこんでいた。一緒にいることが当たり前で、そのことについて何かを思ったことはなかった。けど、違った。時間は無限にあるわけじゃない。当たり前なんかじゃ、なかった。死んでしまって、兵助と逢えなくなって、思い知らされた。

(兵助と一緒にいられただけで、倖せだったんだ、と)

今だって、そうだ。俺が兵助と一緒にいることができる時間は限られている。そう、これは当たり前なんかじゃないんだ。奇跡みたいなもので、きっと、この次はない。ずっと一緒にいることはできない。だからこそ、残された時間を大切にしなければ---------------そう分かってるのに、

「ごめん、なんか洗い物までしてもらって。代わるよ」

台所で洗い物をしていた俺の隣に兵助が立ち、シンクを覗き込みながら手を差しだしてきた。俺が握っているスポンジを渡してくれ、という意なんだろう。けど、もうほとんど洗い物は大方終えてしまっていて、「や、ここまできたら、あとちょっとだし。いいって」と俺は断った。

「けど、朝飯作ってもらって、その上片付けまでとか、悪い」
「じゃぁさ、流すのやってくれるか?」

食い下がってきた兵助にそう頼めば「分かった」と彼は水道の蛇口を捻った。狭いシンクの前で、自然と俺と兵助の距離は近くなる。ちょうど手の中には、あの例のマグカップがあって。それほど汚れているわけでもねぇけど、スポンジを底まで押し込んで、ぎゅぎゅ、とただひたすらに洗った。

(このまま、全部消えちまえばいいのに)

俺の中にこびり付いている、醜い感情が------------兵助と、このマグカップの持ち主の倖せを祈れない、という想いが、このまま泡に包み込まれて、そうして水に流れて、すっかり消え去ってしまえばいいのに、と思わずにはいられなかった。自然と、マグカップを洗う手にも力がこもる。

(どんなヤツなんだろう)

兵助の今の大切な人は。このマグカップの持ち主がどんなヤツなのか、気になった。そいつは、兵助を哀しませたりはしないんだろうか。そいつは、兵助を笑顔にさせているんだろうか。そいつは兵助を倖せにできるんだろうか。-------------きっと、俺よりは、兵助を倖せにすることができるんだろう、けど、

(……なぁ、兵助。お前は俺がいなくても倖せか?)

ごぉごぉ、と水音の中で、俺は「あのさ」と漏らした。そのまま流れてしまえばいい、そう思ったけれど、どうやら思ったより俺たちの距離は近くて兵助には聞こえてしまったようで。フライ返しに着いていた泡を洗い流していた兵助の手が、止まった。俺の思案なんて知りもしない、素朴な疑問だけを持った目差しを兵助は向けてきた。

「ん? 何?」
「……や、何でもねぇ」

その、あの頃と何も変わらねぇ、澄んだ目を見ていれば、聞くことなんて、できるはずがなかった。だから、そう誤魔化したけれど、兵助は「ハチ?」とまだ不思議そうに俺を見遣っていた。その手にあるフライ返しはすっかりと泡が落ち網目から、どんどんと透いた水が流れていく。何か不安に駆られる光景に「水、もったいないぞ」とおどけてみせた。

「っと」

水を切ってカゴに上げた兵助に、俺は洗い終わったマグカップをに手渡した。す、と兵助の手に馴染むそれ。

「それよりさ、今日、時間くれねぇか」

届いていた新聞を見て気が付いたのだが、今日はクリスマスだ。こんな電気がない状態では普段通りにはいかねぇだろうけど、それでも、恋人同士であれば一緒に過ごすのが普通だろう。断られるかもな、って思ったけれど、マグカップに着いた泡を水で落としていた兵助は、そこから視線を上げると、少しだけ不思議そうに首を傾げながらも「当たり前だろ」と頷いた。

(ごめん、邪魔するつもりとか、奪うとか、そんなんじゃねぇから--------だから、もう少しだけ一緒にいさせてくれ)

誰とも分からねぇ、マグカップの持ち主に、俺は心の中で詫びた。

***

「なぁ、ハチ、どこ行くんだ?」

外に出てみれば、クリスマスだというのに街は驚くほど静かだった。まるで、そこだけが眠りから覚めるのを忘れてしまったかのようで。俺と兵助と二人分の足音が、やたらとはっきりと伝わってくる。このまま、どこか二人で行けたらいいのにな、なんて思ってしまう自分がいた。---------------どうやったって、そんなことできるはずもないのに。

「兵助、どっか行きたいところ、ある?」
「いや。……ハチとなら、どこでも」
「じゃぁさ、悪いけど、今日は俺に付き合ってくれねぇか? たいした場所じゃねぇんだけど」

頷いた兵助の手を取った。-----------------温かくて温かくて、俺は泣きそうになった。

***

俺が向かったのは、本当にたいした場所じゃなかった。最期のデートなんだ、そう考えたら、どこか特別な場所をと思わなくもなかったけど、でも最期だからこそ、俺は思い出の場所で過ごしたい、その思いであちこち歩き回った。一箇所目で兵助は俺の意図を察したのだろう。途中からは「あそこ行ってみないか?」と兵助も提案してくれて、色々なところに行った。よく一緒に帰りに寄った公園、休日に遊びに行ったゲーセンや映画館、クレープ屋にラーメン屋。街の図書館やプラネタリウムにも行った。コンビニにも俺たちにとっては大切な思い出の地だった。

(一日なんて、あっという間だよな)

冬になれば日が暮れるのも早くなる。そんなことすら、俺の中からすっぽりと抜け落ちていて、気が付いた時にはすっかり暗くなってしまった。昼間はあんなにも晴れていたのに、ぐんと闇に冷えていく空は少しずつ雲が増えてきて、鈍色のそれはどんな光も通さない程に分厚くなってきていた。

「なんか、寒くなってきたな」
「あぁ。……そろそろ戻るか? 明日もあるし」

兵助にそう訊ねられ、俺は「もう一箇所だけ」と粘った。明日がない、ということを知らない兵助は、「けど、電気がないからどこ行ってもかなり暗いと思うけど」と正論を言ってきた。それでも俺が「どうしても、行きてぇんだ」と頼み込めば、「まぁ、いいけどさ」と折れてくれた。過去を辿る旅。そのゴールを俺は、最初から決めていた。

***

「ここ……」

最後に来たのは、俺たちが通っていた高校だった。俺と兵助が出逢って、想いを重ねた場所。しん、と静まりかえった校庭を歩きながら「やっぱり、ここが一番思い出があるからな」とそんな話をする。闇に埋もれた校舎は当然のことながら鍵が掛かっていた。校門の柵は乗り越えてきたものの、さすがに中に入ろうと思うと窓でも割らねぇと無理そうだ。

「やっぱり、開いてねぇか」
「まぁ、土曜だからな。あ、学校は冬休みか?」

学生じゃなくなるとその辺の感覚が忘れてしまうな、なんて苦笑した兵助に、俺だけが胸が痛くなったのだろう。俺の中の時は学生のままで止まっていて、ただ、兵助ひとりだけが前を進んでいっているのだと思うと、ひどく淋しい。隣にいるはずの兵助が、すげぇ、遠くに行ってしまった感じがする。

(遠くに行ったのは、兵助じゃなく俺なんだけどな)

「中に入るのは難しそうだな」
「何とかして、入れねぇか?」
「どうだろう……月曜日まで待てば入れると思うけど。電気系統がその頃には直っていると思うし、まだ仕事納めじゃないから先生らは出勤してくるだろうし。卒業生なら入れてくれるんじゃないか?」

いいアイディアだ、というように兵助の口は綻んでいるのが分かった。

「な、ハチ。月曜日に来よう。俺、屋上に行きたいし」

ぴかり、と輝くような笑顔を見せる兵助に、どうして言えるだろうか。-----------もうその頃に、俺はいないのだ、と。



2010.12.25 p.m.4:22



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