(ってぇ)

割れるように頭が痛かった。だが、それ以上に、胸骨の辺りの痛みの方が勝った。ぐぅ、と鳩尾辺りが軋んで息ができねぇ。さらにその下辺りにまで重みがある、何かに乗っかかられている。その何かを全身をバネにしてはね除けるようにして飛び起きれば、「起きろ、文次郎」と、小平太の足が俺の胸から腹に掛けて乗っていた。さすがの俺も「おい」と怒を含ませて、やつの足をどける。

「文次郎が起きないから悪いんだろ。今、何時だと思ってるんだ」

その言葉に、ぱ、っと意識が切り替わる。明るい。少なくとも、普段、自分が起き出すような時間じゃねぇ。勢いで「っ、仕事っ!」と飛び起きれば、ガン、と痛みに頭が衝かれ「てぇ〜」と言葉が漏れた。喋っただけでこめかみの辺りにが弾けそうだった。完全な二日酔いだ。息をゆっくりと吸い、それから同じくらいゆっくり吐き出しながら呆れたように見ている小平太に訊ねる。

「今、何時だ?」
「今日、土曜日だぞ。休みだろ?」

小平太からは俺の問に答えるものではなく、別の質問が戻ってきた。そうだ、今日は土曜日。カレンダー通りに基本的に休みがある職だ。だが、実際はその通りに休みが取れた試しがねぇ。たいてい休日出勤になる。ましてや、昨日のことがあって、仕事が遅れている。昨日の上司の口調からして、出てくるヤツは少ねぇだろうが、行った方がいいだろう。俺はヤツに「あぁ、けど、昨日、遅れた分をやっておかねぇと」と答え、それから、ふ、と思い出す。

「そういや、電気は?」

それがねぇと、話にならねぇ。昨日は電気が通ってなくともできる仕事を中心に回していたが、さすがに二日もその仕事はねぇだろう。少なくともパソコンが使えれば、それで何とか出来る。だが、小平太の口から出てきたのは「まだ戻ってないっぽい」という、残念な結果だった。

「後で、また尾浜に連絡してみようと思うけど」
「尾浜に? あぁ、そうか新聞記者だからな」
「そう」

のろのろと体を起こしながら、ふ、と思ったことを口にした。

「それにしても、よく覚えてたな」
「何が?」
「尾浜がスポーツ新聞の記者だって」

そういえば昨日もヤツの口からは尾浜の名が出てきた時は、何のとも思わなかったが、不思議なものだ。もう大学を卒業してかなりの時間が経っている。直接の同期はともかく、後輩の動向なんてさっぱりだった。(というか、同期でさえ、こうやって奴らが絡んでくるから繋がりがあるだけで、もし、小平太みたいなやつがいなかったら、俺はとっくに切っていただろう)誰がどこの会社に就職しようが、いちいち覚えてられねぇ。後輩だって、俺が勤めている先に就職したいのでもなければ、卒業後の先輩となんか関わりを持ちたいとは思わねぇだろう。そういう意味で、小平太も俺と同じように尾浜とは何の接点もないはずだった。

(まぁ、こいつは、どこでも顔を突っ込みたがるような男で顔も広かったら、今でも連絡を取ってるのかもしれねぇけど)

「あー、だって、私、愛読者だし」
「はぁ?」
「ここのスポーツ記事、観点が面白いからよく買うんだけど、前に偶々、名前を見つけたんだよね」

ちらり、と小平太が視線を送ったのは山のように積まれている新聞だった。話から推測するに、おそらく、その新聞社が尾浜が勤めている所なんだろう。「それで色々と知りたかったからさぁ、携帯に番号残ってないかな、って思ったらビンゴ! つい掛けちゃったよ」なんて、からりと笑う小平太に、ちょっと尾浜が気の毒になった。

「で、文次郎。私、さっき、新聞を買ってきたんだけど」

不意に、小平太の声が低くなった。それまでのあっけらかんとした明るさはなく、撲とした重たい物。まるで俺を押し潰さんとばかりなのは声だけではなく、その目差しもで。ふつ、とした怒りとも哀しみとも取れねぇ色がそこに浮かんでいた。どさり、と俺の前に投げられたのは、今日付の新聞。一面トップには電気の供給が止まったことなどが代替的に報じられている。

「これがどうしたんだ?」
「違う、裏面だ」

触れたら切れそうな、何かを抑え付けるようにしている抑揚のないヤツの声に導かれるように、俺は新聞をひっくり返して、

「っ」

そこにあったのは、『黄泉がえり』の文字。酒を飲んでいるときに、小平太が言っていたことだった。視線を反らしたい。だが、俺の目はその記事に吸い付くばかりだ。黄泉がえり。期限は三日間。双方が逢いたいと願えば逢うことができる--------------そこの文面を見つけ、俺の視界はぐらりと目眩った。……馬鹿馬鹿しい」新聞を投げ棄てる。

「馬鹿馬鹿しい? ふざけるなよ、願ったのか? 仙ちゃんに逢いたいって」
「願ったさ。馬鹿みてぇにそれしか考えてねぇよ。逢いてぇって」

あの日以来、仙蔵がいなくなってから、何度も何度も自分に言い聞かせてきた。仙蔵は死んだんだ、と。もう二度と逢えねぇのだと。それなのに、未だに、捜してしまう。街の影、電車の中、交差点の人混み。そこに仙蔵がいるような気がして。どっかで仙蔵に逢えねぇだろうか、って、捜してしまう。

(逢いてぇ、としか思ったことがなかった)

仙蔵が死んだだなんて認めたくなくて。仙蔵がいなくなったことが信じられなくて、俺は泣くことができなかった。泣いてしまったら、その死を認めてしまう。どこかで今も生きてるんじゃねぇか、って思わずにはいられねぇ。ある日突然、「何、私を勝手に殺してるんだ。アホ」って、ひょっこり帰ってくるんじゃねぇかって。逢いたくて逢いたくて、ただ逢いたくて。

「文次郎」

痛い。二日酔いの残る頭でもねぇ。小平太に踏まれた腹でもねぇ。もっともっと深い部分が抉られる。

「逢いたいと思ったさ……じゃぁ、どうして、死んだあいつは姿を現さない?」

死んだ。そう仙蔵は死んだんだ。もう二度と逢うことはできねぇ。この街にいるはずがねぇ。誰よりもそのことを俺はよく知っている。俺はヤツの死と直面したのだから。それでもなお、俺の現実は拒否し続けるのだ。---------------仙蔵が死んでしまった、だなんて、どうしたって信じられなかった。

「文次郎」
「もしかしたら、仙蔵はまだ「文次郎っ!」

俺の祈りは小平太の叫びにかき消された。顔をぐしゃぐしゃに歪めたヤツは泣いていた。

「仙ちゃんは死んだんだよ」

たった一つの祈り。仙蔵が俺に逢いに来ねぇってことは、つまりは、まだ生きているんじゃねぇだろうか、という祈り。死んでねぇから、だから、黄泉がえることができねぇんじゃないだろうか、という。その、今にも消えてしまいそうな小さな小さな光のような、そんな祈りを小平太は吹き消した。

「死んで、文次郎に逢いに来た……けど、それを、文次郎が見ようとしてないだけだろ」



2010.12.25 a.m.10:48



main top

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -