誰もいない遊園地は閑散としていていた。開園時間だというけれど、一向に人が来る気配はない。ちらり、と職員が集まる事務所に入り込んでみれば、今日は休園をするということを耳に挟んだ。電気供給がなされないのだ、動かしようがないのだろう。かさり、と、忘れ去られた枯れ葉が、一枚、私の足に絡みついた。頭上には冷たさを磨かれた空が張り出されていて、時々、吹き荒ぶ風は獣の咆吼のようだだった。ぱちり、と枝先がぶつかりあっては、弾ける。本当にゴーストタウンのようだな、と嗤った。

(まぁ、幽霊は、私、独りだけだけども)

雷蔵を哀しませた罰として、最期を迎えるに相応しい場所だった。

***

目を覚ましたとき、私がいたのは雷蔵のアパートの前だった。何度か来たことのある彼の住処だ。間違えるはずがない。それでも、ドアの上部に掛かっていた表札を確かめたのは、もうあの日から何年も経っているからだ。あの頃、雷蔵が内緒で就職先を私のいる大学のある都市で捜していたことを、私は知っていた。私が死んだ以上、その都市での就職の必要はなくなったけれど、何となく、この街に残っているとは思わなかった。てっきり、地元にでも帰っているのだと、勝手に思いこんでいた。けど、少し薄れた文字で「不破」と書かれていて、間違いなく今も彼がここに棲んでいることを表していた。


(雷蔵が、ここにいる)

この扉の先に、雷蔵がいる。そう思うと、今すぐにでも飛び込んでいきたい気分だった。けど、

(今更、どの面、下げて雷蔵に逢う気なんだ)

私が今ここにいる、ということは、私だけでなく雷蔵が望んだからなのだろう。そうでなければ、黄泉がえることはできないのだから。だが、どうして雷蔵は私と『逢おう』と思ってくれたのか、そう考えたときに、私は雷蔵に合わせる顔がないと強く感じた。自分勝手に死んで、もう一度逢いたいだなんて、なんてムシのよい話だというのか。一度迷った手は、どうしたってドアを叩くことはできなかった。ぐ、っと握った拳を扉に打ち付けるどころか、触れることさえできなかった。

(このまま、逢わなければいい)

三日だ。私がこの地にいることができるのは。その三日、雷蔵に逢わずにやり過ごせば、それで終わってしまう。三日経てば、私はいるべき場所に戻り、そうして、また待つ日々を過ごすだけだ。-----------いつか、雷蔵が彼の地に来る、その日まで。今までも、そうして過ごしてきたのだ。あと何十年だって待つことができる。

(そう、わざわざ、己の望みのためだけに雷蔵を付き合わせる必要はない)

わざわざ雷蔵の前に現れて、彼の日常をかき乱さなくてもいい。その思いが私の拳を解かせた。行き場の失った指が掴むのは、冷たい空虚さ。それを淋しいと思う己が、また滑稽だった。そんなこと思う資格すらないというのに。どれほど雷蔵を傷つけたというのか。どれほど雷蔵を苦しめたというのか。

(それでも、まだ、この期に及んで自己憐憫に浸るだなんて、な)

赦されたいと願う感情を殺すために唇を噛みしめる。痛めつけても痛めつけても、なお、感じるのは心の軋み。一刻もこの場から立ち去ろう、それが私にできるせめてものことだ、と踵を返したものの、動くことができなかった。幽霊に足があるのも不思議な話だが、足が地面に縫い止められたみたいに、動くことができなかった。

(一度だけ、一度だけ、雷蔵の声が聞きたい)

気が付けば、私の手にはなぜか携帯があって、発信ボタンを押していた。1コール、2コール、3コール--------------出てほしい----------4コール、5コール、6コール----------けど、出てほしくない-----------7コール、8コール、9コール。ぷつり。回線が途切れる音。ないはずの心臓が、ざわざわする。苦しい。痛い。

『ただいま電話に出ることができません……』

その硬質な声が聞こえてきた途端、どっ、と戻ってきた動悸。しばらくして聞こえてきた機械音に続くその無音の空間に私は耳をそばだてていた。再びの、機械音。留守録の録音が終わったことを知らされ、私はボタンを押して通話を終えた。雷蔵は、出なかった。それが、私に下された決定なのだろう。涙は、出なかった。

(もう、行こう)

そうは決めたものの、他に行く宛てもなかった。地元や自分の大学のある都市ならいざ知らず、この地は雷蔵の家に遊びに来たときに、数回訪れたことがあるだけで、何があるのかほとんど知らなかった。無論、他の知り合いもいない。この部屋の前を離れるとして、どこに行けばいいのか分からなかった。

(どこでもいい……残りの時間を過ごすことができる場所があれば)

この街から出て行くことも考えたが、黄泉がえりの身で、それが可能なのかは分からなかった。私の体の中にある情報は、双方が願えば黄泉がえることができることと、三日後にはまた逝かなくてはならないということだけだったから。この街から離れられないのは、それだけじゃなかった。もしも、もし、こんな私であっても赦されるのであるならば、できることなら、雷蔵がいるであろうこの街で、雷蔵のことを想いながらリミットまでを過ごしたかった。

(あぁ、そうだ……あそこが相応しい)

そうして、訪れたのは、雷蔵と一緒に来たことのある、小さな遊園地だった。

***

幼い頃から、私は遊園地が好きだった。どうして、と問われると、よくは分からない。ただ、私にとって遊園地は倖せの象徴だったのだ。私の記憶がはっきりしている頃から忙しく、そして不仲であった父母が、唯一連れて行ってくれた場所だからだろうか。コーヒーカップ、観覧車、そしてメリーゴーランド。いつもは気むずかしい顔を父親と能面のような顔をしていた母親が、このときばかりは、笑顔を見せていたのが、印象的だった。

(結局、両親は別れてしまったのだけれども)

身長のせいで乗れなかったジェットコースターにも乗れるようになって、観覧車の高い場所から下を見下ろすのも平気になって、ちょっとコーヒーカップやメリーゴーランドに乗るのが恥ずかしくなった頃、両親は離婚した。母親の元に引き取られて、それでも、何度か父親と会って。そのときに連れてきてもらったのも、遊園地だった。

「もう乗らないのか?」
「え?」

酔うから、とジェットコースターに父親は一緒に乗ろうとはしなくて、いつも、そのジェットコースターのベンチの前で待っていた。夏はソフトクリーム、冬はココアを持って。あれは、いつだっただろう、ふ、と父親がそんなことを聞いてきたことがあった。確か、渡されたのがココアだったから、冬だったのだろう。もう父親と遊園地に行くということが恥ずかしい、と思う年齢だったのかもしれない。寒さのせいで、全然、人がいなかったのも手伝って、私は3回連続でジェットコースターに乗って、それから、父の元に戻った。ココアを手渡しながら、父が、私に言った。

「メリーゴーランド」

父の太い指が指し示したのは、子どもやカップルが楽しそうに上下している回転木馬だった。ジェットコースターの前にあるそれは、優しいメロディを奏でながら、回り続けている。くるくるくるくる、と。どこが始まりで、どこが終わりなのか分からないそれは、永遠に続くようにも思えた。けど、やがて、音楽はゆっくりゆっくりと旋律を失いながら途切れていき--------------やがて、止まった。

「乗らない。もう子どもじゃないし」

父親からすれば、私だって十分、子どもだっただろう。だが、父は笑うことなく「そうか」と呟いて。それから---------------

「冬の間じゃ、一番売り上げの見込みがある日に最悪だな」
「そうだよな。まー電気が来ないなら仕方ないけどさ」

大きな声で、過去が打ち破られた。この遊園地の職員だろうか。同じような青っぽいジャンバーを来た二人組がメリーゴーランドに近づいてきた。慌てて、二人とは対称的な場所になる柱の影に隠れて。そうしてから、自分はこの従業員たちには見えないのだった、と思い出して苦笑いする。おそらくこの街で私を見ることができるのは雷蔵だけだ。

(このメリーゴーランドに乗ったのは、結局、一回だけだったな)

雷蔵の街にある遊園地は、私と彼とが育った街の遊園地とよく似ていた。特に有名なアトラクションがあるわけでもなく、小ぶりのジェットコースターと観覧車はあったものの、後はゴーカートであったりコーヒーカップであったり、どちらかといえば家族向けの遊園地だった。喧嘩別れとは違う、けれど、よそよそしい雰囲気で互いの大学に進学したからこそ、私はマメに連絡を取り続けていて。最初のゴールデンウィークには、彼がいるこの街に遊びに来ていた。

「三郎、行きたいところある?」
「いや。特には」

雷蔵といることができたなら、どこでもよかった。どんな場所だって楽しむことができる自信があった。別にどこかに出かけなくても、アパートで二人、のんびりと過ごすだけでも十分だったのだけれど、雷蔵はどうにかしてもてなそうとしてくれたようで。そうして連れてきてくれたのが、この遊園地だったのだ。

「ここ……」
「僕も初めてだから、よく分からないけれど」

驚いてしまった。離ればなれになって一ヶ月、ずっと毎日連絡を取っていたけれど、雷蔵は、まだ私が勝手に進学先を決めてしまったことを赦してくれていない、そう感じていたから。だから、その一員を担っている遊園地に連れてきてくれるとは思ってなかったのだ。だから、つい、聞いてしまっていた。

「怒ってないのか?」
「怒ってる、よ。……けど、決めたから。三郎の夢を応援するって」
「雷蔵……」
「三郎が夢を叶えるのを、待ってるよ」

そうやって言ってくれた雷蔵が、無理に笑っているのを、私は知っていた。けど、心の底から思って言ってくれているということも、痛いほど分かって。私は、ぎゅ、っと抱きしめたのだ。「ありがとう」と。その後に乗ったのが、このメリーゴーランドだった。どっちが言い出したのか分からない。ただ、嬉しくて嬉しくて、ぐるぐると回る幼稚な乗り物でさえ、魔法が掛かったみたいに、楽しかった。

(それ以来、何度か、この遊園地に来たけれど、夢の話をしたのはその時きりだったな……)

よく考えれば、それが雷蔵の答えだったのに、私は、雷蔵が応援してくれている、そう勘違いして研究に打ち込んでいった。勘違い、と言うと語弊があるかもしれない。確かに、雷蔵は応援してくれていたのだから。けれど、それが彼の本心の全てでないことを、私はいつしか忘れてしまっていた。雷蔵が待っていてくれる、そう思ったから頑張ることができたのだ。どんな時でも、雷蔵は私を待っていてくれた。毎日の電話が遅くなった日も、掛ければ必ず出てくれた。出てくれないのは喧嘩したときだけで。けど、もう一度、掛ければ仕方ないなぁ、って赦してくれた。

(だから、きっと、待ってくれている。そう思ったんだ。あの時も)

留学の話が来たとき、迷った。うちの母を通じて雷蔵の母親から「まぁ、そっちにいても三郎くんがいるから安心よね」と、雷蔵がこっちで就職先を捜していることを聞いていたから。雷蔵と一緒にいることができたなら、どれだけ倖せなことか、そう思う一方で、せっかくのチャンスを棄てたくない、という思いもあった。雷蔵なら待っててくれるだろう、そう心のどこかで思っていたのかもしれない。

(けど、ずっと私は雷蔵を我慢させてたんだ。ずっと、辛い場所で待たせてしまっていたんだ)

そう。だから、今度は私が雷蔵を待つ番だ。いつか、彼の命の終わりが来るその日まで、私は待つと決めたのだ。それが私の罰だ。雷蔵に辛い思いをさせてずっと待たせていたのだ。それぐらいの罰当然だ。気が遠くなるくらいの時間を独りで待つ、そう決めたというのに-----------気が付けば、雷蔵に電話を掛けようとしている自分がいた。



2010.12.25 a.m.8:34



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