兵助に、逢いたかった。ずっと、逢いたかった。もう一度、逢いたかった。---------------ただ、それだけだった。

(あ、)

あの頃より伸びた身長は、俺とあまり変わらなくて。体つきも、単に華奢だったあの頃とは違って、す、っと尖らせたような精悍さを持ち合わせていて、でも、あの頃と変わらない、ぬくもりが俺を包んでいた。しん、と冷え切った部屋の中で、押し当てた胸から聞こえる、鼓動。とく、とく、とく。刻む音が俺の中まで日々着てくる。倖せな夢を見ているようだった。

(でも、夢じゃねぇんだよな)

どこからか、スズメの声。ベッドに入ったまま、目だけを上方に転じれば、淡いピンク色に染まった東雲が窓の向こうに広がっている。ぐ、っと寒さに凍り付いた美しい朝が、そこに広がっていた。隣にある温もりからは、すぅすぅ、と優しい寝息が零れてくる。光がゆっくりと辺りを包み込んでいく中で、兵助はまだ眠りの中にいた。

(このまま、ずっと、こうしていれればいいのに、な)

昨日の夜、気が付けば全然知らない部屋のドアの前にいた。でも確信していた。この扉の先に、兵助がいるのだ、と。黄泉がえってきたのだ、と。よくは俺も分からない。神様、ってやつが、いるのかもしれないし、いないのかもしれない。死んでもなお、その辺りのことはよくわからねぇ。ただ、俺が『兵助に逢いたい』と願い、そして兵助も俺に逢いたいと望んでくれたから、俺が今この場所にいることだけは分かった。そして、ずっとは、一緒にいられないことも。---------------俺の中の何かがすり減っていくのを、感じていた。だから本当なら今にも兵助を起こしたかった。一分でも一秒でも長く、一緒にいたかった。

(けど、こうも気持ちよさそうに寝ていると、起こすのは気が引けるな)

あの後、泣き崩れた兵助に俺も泣けてきて、二人、ただただ泣いた。分け合う温もりが愛しくて、兵助と再び逢えたことが嬉しくて、ぎゅ、っと抱きしめることしかできなくて。何も言葉にならなかった。落ち着いて色々と話をできたのは、ずいぶんと遅い時分になってしまい、再会の余韻の中でベッドに入ったのは三時前だったように思う。

「どうすっかな? 兵助、よく寝てるし。……とりあえず、朝ご飯でも作って待ってるか」

そう自分で口にしてみて、まるで、新婚さんみたいだな、と唇がにやけた。朝起きたら隣に兵助の温もりがある。兵助の寝顔を見ながら、今日のことを考えるだなんて、絶対に叶うことのなかった、倖せな夢。ずっと夢見ていたことがそこにあった。ちょっとキモイぞ俺、なんて浮かれながらベッドから抜け出そうとして、

「ん?」

寝る前に兵助から借りたスェットは俺にピッタリで、そのスェットの裾に重み。何だろう、と思えば、ぎゅっと兵助の手によって俺のスェットは掴まれていた。握りしめている兵助の指と指との隙間に自分の指を入れる。温かい。兵助を起こさないようにして、そっと、スェットからその指先を引きはがす。

「ハチ……」

寝言でも名前を呼ばれれば、俺の胸は温かさでいっぱいだった。

***

浮かれ弾むような足取りで、まだ冷え切った部屋を横切る。死んでも寒さは感じるらしい、そう思うと、ちょっと不思議な気もしたが、そもそも俺の存在自体が不思議な物なのだから。とりあえず、部屋を温めたい、とエアコンのスイッチに指が伸びて、ふ、と兵助が「電気が止まっている」と言っていたことを思い出した。

(あ、馬鹿じゃん、俺。電気通ってなかったら、エアコンとか付けれねぇし)

他にどうにかして部屋を温められないだろうか、と、ふ、と見渡して目に付いたのがガスコンロだった。確か、ガス台は、最初の点火の時は電池を使うだけで電気とは関係なかったはず、と思い、かち、っとコックを捻る。と、予想通り、ぼっ、という音と共に温かな熱がそこに灯った。このまま火だけを付けていくわけにも行かず、お湯を沸かすことにする。やかんに水を入れ、コンロの火に掛ける。

(ついでに、何かコーヒーとか飲もう)

見回してみれば、ちょうどコンロのそばにある棚に瓶詰めのコーヒーがあった。あの頃はココアとか甘い物一辺倒なイメージがあったけど、どうやら今は違うらしい。ちょうどいい、とそれを手にし、食器を乾かすカゴをのぞく。けど、あいにく、そこには何も入ってなくて。棚にないだろうか、と見渡して------------つきり、と心が痛んだ。

「これ、」

俺の視線に止まったのは、---------------------ペア、カップ。

「そっか……そうだよ、な」

しん、とした朝の光。まるで、侵しがたい聖域のような。その中に、色違いのカップが存在していた。

(もしかしたら、兵助には恋人がいるのかもしれねぇ)

当たり前だ。何年、離れているのだろうか。ココアしか飲めなかった兵助がコーヒーを飲めるようになった。俺の方がでかかった身長も、今や、そんなに変わらなくなって。それだけの歳月が経っているのだ。わかっていた。彼が俺以外の人を好きになるのだって、当然なはずなのに。俺がいなくなった歳月は、俺が兵助といた時間をとっくに超えているのだから。

(……なのに、どうして泣けてくる?)

ぐ、っと瞼の裏の熱を押えきることができねぇ。溢れてくる涙に手の底で抑え付ける。それでも濡れる掌。ぎゅっと絞られたみたいに息ができねぇ。苦しい。痛い。ちぎれそうだ。もう体は痛みも苦しみも感じないはずなのに、馬鹿みたいに痛ぇ。

「ごめん、な」

その謝罪は、勝手にペアカップを借りることだけじゃなかった。

「兵助……ごめん……」

死を受け入れた瞬間、祈ったことは、彼の倖せだったのに。もう俺の手で倖せにすることはできないから、俺が兵助を笑わせてやることはできないから、だから、祈った。俺のことなんかさっさと忘れて、別のヤツと倖せになってほしい。そいつの傍で笑ってほしい。確かにそう祈ったはずなのに、--------------今は、そいつとの倖せを祈れない。

「ごめん、な」

兵助に、逢いたかった。ずっと、逢いたかった。もう一度、逢いたかった。ただ、それだけだった。ただ、それだけの願いで黄泉がえってきただけなのに。こんな涙を流さなきゃいけないなら。こんな辛い現実を見せ付けられるくらいなら。こんな風に、彼の倖せを祈ることができなくなるなら。

(『もう一度、逢いたい』なんて思わなければ、よかった……)



2010.12.25 a.m.7:20



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