(あ、寝てしまった……)

ぞわ、と寒気に眠りから一気に冷め、自分がこたつに入ったまま寝ていたことに気が付いた。見れば見るほどにと膨張しているような気がする闇。もし電力が戻ったら気づくように、と蛍光灯のスイッチをオンしておいたけど、どうやらこの分だと、まだ電力は供給されてないみたいだ。エアコンやこたつはもちろん、ストーブも使えない部屋で、吐く息は白を綴る。生まれては、形を変え、そして消えていく。----------------まるで、亡霊みたい、だ。


「黄泉がえり、か」

勘右衛門に「もう一度逢えるなら誰に逢いたい?」と聞かれて、とっさに嘘を吐いてしまった。ぱ、っと思いついたのは、三郎で。三郎以外に考えることができないというのに。どうしてか、と問われて、よくは分からない。ただ、三郎のことは、たぶん、誰も知らないからだと思う。もし知っていたら、共有できたのかもしれないけど、きっと三郎との思い出の置き場所がなくて困ってるのは僕だけだろうから。

「あ、」

自分の指先でさえ、少し離れてしまえば見えなくなるような深い深い闇。その中で、ぴかぴか、と交互に瞬く光が床に転がっていた。また携帯の電源を切るのを忘れていたみたいだ。けど、昼の時のような、焦りはなかった。着信と留守録を知らせる合図に、僕はちょっと期待を込めて携帯電話を手にした。たぶん、おそらく、きっと----------------空白からの、メッセージだ。

「やっぱり」

そのアイコンを選んで開いても、そこにあるのは真っ白の画面。誰から電話が掛かってきたのか分からないそれ。『留守録が残っています』というメッセージに再生ボタンを選べば、さっきと------------ううん、あの日と、変り映えのしない機械の声。それに従って操作すれば、また聞こえてくる、風の音。遠い、遠い、風の音。

(ねぇ、三郎、お前はそこにいるの?)

永遠にも感じれるほど長い間それが続き、やがて、唐突にぷつりと途切れた。また聞こえてきた機械を通した女性の声が僕に尋ねる。メッセージを残すのか、それとも、消去するのか、と。迷わず僕は残すことを選んだ。もしかしたら、誰かのいたずらかも知れない。偶々、誰かが公衆電話か何かから僕の携帯に電話をしているのかもしれない。幽霊からの電話よりかは、よっぽどそっちの方が現実味がある。------------------けど、どうしたって、三郎からなんじゃないか、っていう期待は棄てれなかった。

『雷蔵』

その声に僕は僕の全てを攫われた。耳も目も口も手も足も心臓も、そして心も。---------------昨日まで唯一入っていた、最初で最期の留守録。ずっとそこに閉じこめてあった、三郎の声。気が付けば、一件目のメッセージまで巻戻って、それが再生されていた。聞きたくない。止めなきゃ、そう思うのに、指は携帯をきつく握りしめることしかできなかった。抑え付けた耳を離そうとすればするほど、三郎の声が食い込む。

(あの日も、クリスマスイブだった)



***

「三郎の、馬鹿」

クッションは、ぼすっ、っと鈍い音を立てて壁に当たった。側には電源を入れたままの携帯が床に転がっていた。黒く染まった壁。夜の色は寂しさを掻き立てる。いつもだったら我慢することができたのに、今日ばかりは我慢ができなくて。感情を押し殺しても、すぐに「馬鹿……」と薄闇に僕の声が響いた。

「ごめん」

ぐっと痛みに耐えるような三郎の面持ちは、どうしたって消えることがなかった。

***

三郎とは幼い頃からずっと一緒だった。だから、これからもずっと一緒だと思っていたのに、三郎は遠い大学の地を選んだ。学びたいことがあるのだ、という。それだけでも僕にとってはショックで、当てつけみたいに僕も遠い大学を選んだ。それでも別れきらなかったのは、三郎の努力であり、僕の努力だったのだろう。電話したり、メールしたり。バイトしてお金も貯めて、休みの度に夜行バスに飛び乗った。お互いに住んでいる街に会いに行くのはあまりに遠すぎて、たいてい、会う場所は僕たちが高校まで過ごした地元だった。距離の分だけ、できることはすべてやって。-----------------------そうして、あっという間に、三年が過ぎた。

「やっぱり、落ち着くな。ここは」
「そう?」

年内最終講義をさぼって僕たちは地元に戻ってきて、どちらからともなく、遊園地に誘った。幼い頃から通い慣れたその場所はディズニーランドみたいな華々しいパレードや幻想的なお城もなかったし、富士急ハイランドのようなスリル溢れるジェットコースターもなかった。クリスマスイブだからか、いつも来るときよりも、ずっと混雑していたけど、元々、ちびっ子向けのジェットコースターや、コーヒーカップ、それからメリーゴーランドがあるだけの、小さな小さな遊園地だった。

(まぁ、三郎がいれば、どこでだって楽しいけど)

「あぁ」
「でも三郎が学んでいる分野からしたら、そんな立派な遊園地じゃないんでしょ」

彼が遠い大学に進学を選んだ時、その大学でしか学べないことなのだ、と彼は困ったように呟いた。僕が「その大学でしか学べないことって?」と聞けば、デザイン工学の中でも特に遊園地なんかのアトラクションのデザインや安全性を学ぶのだ、と説明してくれたけど、聞いたこともない分野にあまり理解できなかった。つまり、それほど、今の日本で浸透している学問ではないのだろう。だから、遠くにいくのだ、と頭では理解した。けど、思わず「僕と離れてでもやりたい仕事なの?」なんて言いそうになったのは、理解していたけど分かりたくなかったからだ。

(まぁ、結局、言えなかったけど)

そんな女々しいこと口に出来るわけなくって、そのまま、離れてしまって以来、何となく僕たちの中ではタブーになっていた話題だった。けど、こうやって遊びに行ったときに、いつも楽しそうに「あの設計はさ」と話してくれるのを見ると、もう仕方ないのかな、って思う。三郎が充実した学術生活を送っているのは分かっていたから、文句を言って喧嘩にすることなんてしたくなかった。

(まぁ、あと1年の我慢だしね)

大学の卒業まであと1年。就職活動が本格化してきた僕は三郎がいる都市での就職を考えていた。内定が出たら、三郎に教えようと思って、まだ彼には内緒だったけど、説明会にも出てるし、試験のエントリーもしている。やっぱりどうやったって埋まらない距離は淋しい。

「まぁな、けど、大事なのはそこじゃないから、いいんだよ」
「どういうこと?」
「大切な人と来たらさ、どんな場所だって楽しいからな」

三郎が僕と同じようなことを考えていることが嬉しくて、僕は思わず三郎の手を取った。普段しない行動にびっくりしたのか「雷蔵? どうしたんだ?」と目を見開いている三郎がおもしろくて笑いがこみ上げてくる。僕は「何でもないよー」と答えて、三郎の手を握った。それから、ぐっと引っ張った。

「ねぇ、三郎。メリーゴーランド、乗ろうか」

***

「あー、久しぶりに乗ると、何か楽しいね」
「あぁ」
「わ、すごーい」

メリーゴーランドを降りれば、遊園地全体に淡い光が灯りだしていた。茜が崩れていく西の空。ゆっくりと東からは闇が透けて見えて、青紫の夜が降りてきていて。そんな空にアトラクションのイルミネーションの光がきらきらと煌めいていた。それこそ、有名な遊園地にも引けを取らないくらい幻想的な雰囲気で。振り返ったメリーゴーランドも、電球が輝き、まるで宝石箱のようだった。

「ね、三郎」
「あぁ」

それなのに、三郎は押し黙っていて。久しぶりに会えて、ずっとはしゃいでいた僕の心が不安がっていた。

「ごめん」

どれくらい経ったのだろう、不意に、彼が呟いた。痛みを噛みしめるような、そんな目。いつしか、僕たちの次の番の人たちがメリーゴーランドから降りてきたようで。その人の流れに呑まれそうになる。けど、動けなかった。降りてきた人たちは一様にイルミネーションの美しさを口々にし、浮かれた空気が一層、大きくなる。楽しそうな人々の歓声。けど、彼の言葉ははっきり届いていた。

「三郎?」
「来年の春、留学する。どうしてもドイツで学びたいことがあるんだ。ごめん、な」

わかっていた。我慢をしなきゃ駄目なことぐらい。三郎は自分の夢を叶えるために頑張っているのだから、僕が我慢するしかないんだって。どんなに淋しい時も、どんなに会いたい時も。でも、それは、四年間っていう期間限定だったから。四年間我慢したら、また、毎日、ずっと一緒にいることができると思っていたから。だから、がんばれたのに、

「いつ、まで?」
「まだ詳しいことは分からないけど、二年か、三年か……院も、あっちを考えてる」

流れ来たカップルや家族連れが僕を惨めにする。こんなに綺麗なのに、周りはあんなにも倖せそうなのに。

「三郎の馬鹿っ」

僕はその場から逃げ出した。胸が、疼く。痛くて苦しくて。涙が頬を伝い落ちた。----------------------------世界で一番不幸だった。

***

僕の帰郷を歓迎しようとしてくれた家族に「ちょっと疲れたから、先寝るね」と告げると、僕は部屋に上がった。電気をつける元気もなくて、僕はただただ闇の中膝を抱えていた。隣の家のテレビだろうか、笑い声が幽かに響いて。それはどこか嘲笑に似ていた。不意に振動が床で跳ね上がった。携帯、しかも、着信だ。コール音と同時に水色の光が灯る。

(三郎から、だ)

光がくるくる、駆け巡る。闇にそれは鮮やかだった。僕はきつく手を結び直し、膝を抱えた。わかっていた。
何故、彼が電話をしてきたのか。喧嘩をした後は、昔から、そうだったから。いつも、謝るのは三郎からだった。20コールの後、『只今電話に出ることができません。御用のある方はピーと鳴りましたら、メッセージをお入れください。』という無機質な声が流れ出した。そして、続いて、電子音が響く。

『雷蔵、本当にすまない』

いつもより幾分低い声。聞きなれてしまった、機械越しの謝罪。喧嘩の後、どれだけ僕が悪いときだって、先に謝ってくるのは彼からで。僕は、留守録越しにそれを聞いていた。膝を抱えて。いつも、そうだった。謝罪の後に残された沈黙。そこに車のクラクション音が遠く割り込んだ。まだ、外にいるのだろうか。

『……雷蔵、そこにいるんだろう?』

疑問というより確信に近くて、僕は身を固くして、両手で抱え込んだ。再びの、沈黙。

『あのさ……』

録音時間終了の合図が、不意に鳴り響いた。電話は唐突に、冷たく切れた。僕は携帯電話を手元に引き寄せ、「馬鹿……」と口にした。その言葉は何に対してなのか分からずに、痛くて苦しくて、声を押して泣いた。携帯を抱きしめながら、ただ、電話が鳴るのを待った。さっきの言葉の続きを、ただただ、待った。

でも、電話が鳴ることは二度となかった。

真夜中の電話は彼の親からで。僕は小さく、暗い部屋で彼と会った。静かに眠っている彼に温かさは巡ってなくて。-----------------------信じれなかった。永遠に降り続きそうな冷たい雨。雪に変わればもっと軽くなるのに、黒い服はずっしりと雨に浸っていた。夢現だった。僕に残されたのは、留守録のメッセージだけだった。



***

(何で、あんな別れ方をしてしまったんだろう)

どれだけ後悔したって、電話は鳴らない。わかっている。もう二度と電話が鳴らないことは。あのメッセージの続きが聞けないことは。それでも、彼からの電話が鳴るのを、ずっと待っていた。泣かずに。泣いたら、認めてしまう。電話の鳴らない日常を。彼のその死を。-------------------そうして、あっという間に、四年が経ってしまった。離れているのを我慢した期間を、とうに過ぎていた。

(ねぇ、あの時、何を言おうとしたんだい? 消せないじゃないか、最後の言葉)



2010.12.24 p.m.10:51



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