夢を、見た。夢の中で彼は笑っていた。

「っ」

掴む空隙の冷たさは、いつだって指先に淋しさを残す。夢だ。夢だと分かっているから手を三郎の方に伸ばすのに、いつだって、彼が僕と触れそうなその瞬間に、目が覚めてしまうのだ。喉がひりひりとする。部屋が乾燥していて、それで痛いのであれば、予防する術なんていくらでもあるのに。それとは違って、僕の想いなんて関係なくその夢を急に見せつけられ、僕の喉は塩水を呑んだみたいに痛むのだ。いきなり突きつけられるのだから厄介だ。覚悟も何もないまま、引きずり込まれるのだ。夢に。いや、過去に。

(-------------もう、戻れないあの頃に)

毎晩、思う。夢で逢えたなら、と。現実で逢えないからこそ、夢の中くらいはせめて、逢えたらいいのに、と。けれど、実際、こうやって夢で見てしまえば、余計に現実を思い知らされるのだ。もう三郎はいないのだ、と。。

(変なこと考えてないで起きよう……ていうか、寝すぎちゃったなぁ)

カーテンの隙間から入り込んでくる日差しがフローリングに作る影はこの時期らしく色は淡いものの、ずいぶんと短い。もうお昼頃なんだろう、と体を捻れば、ベッドの周りに並んだ目覚まし時計は3個とも同じような角度を刻んでいた。11時半を回っている。ううん、むしろ12時に近いくらいだ。いくら休みだからとはいえ、ちょっと寝過ぎだ。こんなにも並べているというのに、その目覚まし時計は全部止まっていた。というか、僕が止めてしまったんだろう。

(けど、なんか、あんまり寝た気がしないなぁ……)

途中、何度か起こされたような気がして、ゆっくりと眠れなかった。まだ体が重い。とはいえ、こうやってゴロゴロとしていたら、いつまでも布団の中で過ごしてしまいそうだった。予定がなければ、それでいいのかもしれないけど、今晩は(といっても、夜遅くだけど)勘右衛門と兵助と、鍋パーティーをする予定だ。その前に部屋の片づけくらいはしておかないとなぁ、と、と起き上がる決意を固める。「よいしょ」と気合を入れ、上半身を垂直に保とうとして、ふ、と視界に点滅する光が目に付いた。

「あ……」

二色が交互に灯っている携帯のそれは、着信と----------それから、留守録、だ。

「しまった、なぁ……」

いつも携帯の電源を落としてから眠るのは、学生の頃からずっと使っている携帯の電池の持ちがよくないから、ってだけじゃない。寝るときに限らず、運転中や仕事ですぐに携帯を出れない時も、必ず電源を切っていた。それが、僕が心を安らげて過ごすための呪いのようなものだった。誰からも電話が掛ってこない、留守録に残されることはない、そう状況にしないと、安心して寝ることができなかった。当然、起きた時にまずすることは、携帯の電源を入れることだというのに。

(今日に限って忘れちゃったんだな……)

恐る恐る、話すのとメールだけしか使わない小さな箱に手を伸ばす。いじるのが面倒で初期設定のままの画面には、予想通り、着信を表す携帯電話のアイコンと、それから留守録を表すテープのアイコンが並んでいた。寝ている時に何か音が聞こえたような気がしたけど、もしかしたら、携帯電話の着信音だったのかもしれないな、なんて思う。勇気が出なくって、先に携帯電話の絵柄を選ぶ。着信履歴には『尾浜勘右衛門』が並んでいた。大学の友人である彼とは、今夜の鍋パーティーの仲間で。これだけ連絡が入ってる、ってことは、何か重要な用事何だろう。

(どうしよう……とりあえず、電話した方がいい、よね)

留守録のアイコンが画面にあったってことは、そこにメッセージが残っている可能性もあったけど、どうしてもそのテープのアイコンが映っていた待受画面に戻る気はなかった。そのまま、着信履歴から勘右衛門の番号へと発信する。1コール、2コール……本当は電話もあまり好きじゃない。押し寄せては返す波のように鼓動の速さが変調する。押し付けた耳は、ラインの向こうにある音を聞き取ろうと必死になって、痛い。怖かった。

(もしかしたら、このまま出ないんじゃないか、って)

耳に残されるコール音が、ふ、っと途切れ、その先にあるのが「もしもし、雷蔵?」という肉声だったことに、ほっと、胸を撫で下ろしながら僕は「うん。そう。ごめんね、何度も電話入れてもらったみたいで」と謝りを入れれば「ううん。大丈夫だよ」と彼は温かな声のまま許してくれた。

「何だった? あ、留守録に用件入れてもらってたのなら、ごめん、まだ聞いてないや」
「留守録? メッセージ、入れてないよ」
「え?」

じゃぁ、あのアイコンは何だったのだろう、と思いつついると、勘右衛門は「だって、入れたって聞かないでしょ。留守録嫌いって言ってたし」と電話口で笑った。確かにその通りなのだけど、彼とは大抵メールでやりとりをしているから、不思議に思って「そんなこと言ったっけ?」と尋ねれば彼は「言ったよー」と、楽しそうな声色を深めた。

「ほら、大学入学当初に」

そうやって言われて、思い出した。ずいぶん昔、親しくなって携帯番号を交換してしばらくした頃、そんな話をしたことを。その頃、すでに僕の中では電話に出れない時は電源を切る、というルールは定着していて。友達との約束連絡はメールばっかだったのだけど、割と放置することが多くて。一回、「連絡が取れないから、電源入れておいてよ。そしたら留守録に残せるのに」と勘ちゃんに怒られた時に、「留守録は嫌いだから」と言ったことがあるような気がする。

(けど、まさか、覚えているとは思わなかったな)

「そうそう。で、用件の方なんだけどさ」
「あ、うん。何だった?」
「悪いんだけど、急に大事件が二つも入っちゃって、今日、行けそうもないんだよね」
「大事件が?」

その響きに何だろう、と疑問を零せば、「そういえば、雷蔵の家、電気点く?」と聞かれた。ずっと今まで寝ていて、部屋の電気すらいじってない僕としては答えようがなくて、そのことを正直に申告すれば「どうも、この辺一帯がずっと停電してるみたいなんだ」と勘右衛門は溜息混じりに言った。それは大事だ、と俺も近くにあったテレビのリモコンのボタンを押す。いつもなら寝ながらでも操作できるのだけど、今回ばかりは何も変わらない。どうやら嘘ではなく本当のようだ。

「何があったの?」
「まだ分からないんだ。こっちは先輩が調べてるっぽいから、また情報が入ったら教える」
「ありがとう。こっちは、って勘右衛門は別のこと取材してるの?」
「あぁ、そうなんだ」

ひと息入れた勘衛門が「それでさぁ、それがよくわからない話なんだよね」と囁くようにして呟いた。

「よくわからない? 何が?」
「なんかね……死んだ人が、黄泉返ったって」

体中の、僕の中に潜むものが、ざわ、っと揺れた。-------------死んだ人が、黄泉返った。楔のように、僕に打ち込まれた、その言葉。それは、ひどく非現実的な言葉なのに、リアルに刻み込まれる。死んだ人、が。磔にされたみたいに、咽喉も楔で繋ぎとめられたみたいに、声を出すどころか息すらできなくて、僕はその場で立ち尽くしていた。

「雷蔵? もしもーし?」
「あ、ごめん……や、冗談にしては性質が悪いな、って思って」
「ん……なぁ、雷蔵。もし、死んだ人が黄泉がえるなら、もう一度逢えるなら、雷蔵は誰と逢いたい?」

三郎。反射的に、その名が脳裏を過ぎった。もう、ずいぶん昔のことなのに、今でもはっきりと浮かぶ彼の笑顔。遠い遠い過去に、しまい込んだはずのそれは、コトリ、と音を立てては不意に現れて。今でも胸を、ぎゅ、と締め付ける。--------------------------もう一度、三郎に逢いたい。

「……蔵、雷蔵? おーい、兵助?」
「え、ああ? 何?」
「どうしたの?」

記憶の残滓に、囚われて。過去に還っていたことに気がついた。彼に気取られないように、「ううん、僕の場合家族だと祖父母だからね、小さすぎてあまり覚えてないんだ」と慌てて言を継いだ。勘右衛門を上手く騙せただろうか、と返事が返ってくるまでの数秒間、その空隙に心臓がざわめく。

「まぁ、やっぱり、普通、そんなものか……」

何か含みのある彼の言い回しが気になったけど、言及すると墓穴を掘りそうな気がして、止めておく。代わりに「とにかく、今日は無理なんだね」と話を本来の用件に戻した。勘右衛門も何のために電話して来たのか思い出したのだろう「あーそうそう。だから悪いんだけど、また今度にしてくれないか」とすまなさそうな声が響いた。

「いいよ、仕事だもの、仕方ないよ」
「ごめん。また埋め合わせは今度するから」
「うん。あ、そうだ、兵助は知ってるの?」

そう勘右衛門に尋ねれば、不意に声が重たくなった。「いや」と。耳にしただけでも押しつぶされるように感じたその声の昏さに何か兵助と連絡を取りたくないんだろうか、と変に勘ぐってしまい「僕から連絡しようか?」と助け船を出した。けど、「いや、いいよ。もう何回も電話入れてるんだけど出なくてさ、そのうち掛って来るだろ」と断られた。困ったような笑いだった気がするけど、僕はそのまま「そっか」と相槌を打った。

「じゃぁ、本当に今日はごめんね」
「ううん。いいよ。仕事、頑張ってね」

さっきとは違う、「んーまーほどほどに頑張るよ」なんて冗談混じりの笑い声が途切れれば、画面には通話時間の記録だけが残された。そして、それはすぐに元の待受画面に戻る。右上に日付と時間と電池の残量とがあるだけで、基本的にはシンプルなそれは、いつもと見慣れるのもがあった。-----------ぽつん、と左下に離れたテープのアイコン。留守録。

(誰だろう……?)

さっきの話ぶりだと勘右衛門じゃなさそうだ。けど、現に、アイコンは画面上にあって、誰かが僕に電話を掛けてきたのだという事実を残している。勘右衛門の他に電話をしてくる人が思い当たらなかった。留守録を使ってまでメッセージを残そうとする人、なんて。僕は意を決して、そのアイコンに当たるボタンを押した。

(え?)

そこは雪原、だった。基本情報にあたる電話番号も名前も何もない。真っ白の、画面。唯一あるのは、電話が掛ってきたであろう時刻だけだった。朝の7時前。その数字があるだけで、他は何もなかった。今まで、数えるほどしか留守録の画面は見たことがないけれど、その時のことを思い出しても、こんな何も書かれていない、まっさらな状態の留守録を見たことがなくて。

(どういう、こと? 誰から掛って来たんだろう?)

混乱する頭で再生ボタンを押す。硬い、機械を通した女の人のアナウンスに従って操作をする。不意に、さっきの勘右衛門の言葉が俺の脳裏に浮上した。『死んだ人が、黄泉返った』その言葉が。もし、それが冗談でも何でもなく本当のことだとしたら。だとしたら、このメッセージの送り主は、と期待してしまう自分がいた。

(もしかして……三郎?)

どれだけ、そんなことあるはずない、そう言い聞かせても。そう思わずにはいられなかった。メッセージを再生するために1のボタンを押す。すると「メッセージを再生します。最初のメッセージ、2010年12月24日、午前6時45分」という機械でできた声が聞こえてきて、俺は留守録に集中するために。携帯をぎゅっと握り、痛いほど耳に押し付けた。-----------------そこには、ただ、風が吹いているだけだった。



2010.12.24 a.m.11:46



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