鬼のような列待ちをしてようやくタクシーに乗り込んだのは、7時過ぎ。1時間も待たされて、ガチガチに凍り付いた体にほっとした。これで何とか会社にたどり着ける、と。だが、そこからがスムーズに行けたかといえば、全然で。俺を乗せたタクシーは未だに道のど真ん中で立ち往生していた。片道三車線もあるっていうのに、どれもぎゅうぎゅうに詰まっている。駅員の言ったとおり、電力が機能してないのは鉄道だけではなく、街全体らしい。

「結構、渋滞してて、歩いていった方が早いかもしれませんよ」

乗車の時にそうやって冗談を飛ばしていたタクシーの運転手も、今や笑う元気もないらしい。賃走のメーターを渋滞仕様に切り替え、そして、そのメーターを切ってから、ずいぶん経つ。距離ではなく時間で計算するのも馬鹿らしいくらい、車は動かなかった。途中、跳ね上がっていく料金にちょっと懼れを抱いていただけに、「もうこの料金でいいですよ。今日はどっちみち商売にならなし」と言ってくれた彼の懐の広さに感謝しつつ、じりじりと焦がれるような気持ちで車が動き出すのを待つしかなかった。

「お客さん、この先、ずっと車が動かないらしいです」

ラジオは駄目らしいが、無線は生きているらしく、がさがさと飛び交う混乱の声から情報を拾い出していた運転手が振り向いた。どうします、と目で問われて、俺はフロントガラスの先を見遣った。ずっと先まで、それこそ、目で辿れる限界の所まで赤が行列している。時々、思い出したかのように蠕動運動する車の列は、けれども、夜まで掛かっても会社に着くのは不可能と悟る。「ここで降ります」と告げれば、「すみませんね」と謝られ、慌てて「いえ、運転手さんのせいじゃありませんから」と声を掛け、懐に入れてある長財布を取り出した。メーターに表示されている料金にカードで払う。自署のサインを求められ、紙に書きつけていると運転手が話しかけてきた。

「にしても、行っても、会社はお休みになりそうですね」
「あー、そうかもな。とりあえず行ってみねぇと分からねぇけど。どーも」

ペンと紙を返し、戻ってきたカードを財布に入れ、「お気を付けて」という運転手に頭を下げ俺は開いたドアから降り立った。とりあえず、道のど真ん中だ。完全にどん詰まりしている車と車の間を、苛立ちよりも諦めの表情が並ぶフロントガラスの合間を通り抜け、歩道へと向かった。

(さて、とりあえず、歩いて行くしかねぇよな)

一応、タクシーに乗る前、直属の上司が起き出したであろう頃に電話連絡と状況を伝え判断を仰いだ。折り返し掛かってきた電話では「来れるヤツだけで業務はする」と言っていたが、おそらくこの交通渋滞の酷さを知らないからそんなことが言えたのだろう。この中で、果たして何人が無事に会社にたどり着くことができるのだろうか。

(まぁ、みな俺よりは近いがな)

電車で1時間半掛けて通勤しているのは部署内では俺だけだった。会社の所在は確かにこの辺りでは都会に部類されるが、その近くにいくらでも独身者向けの安いアパートなんかはあって、同年代の奴らはみなその辺りに住んでいた。家庭を持っている上司らはもう少し郊外に住んでいたが、それでも、車で三十分もあれば十分な所に家を建てていることが多い。よく飲み会でも電車の都合で先に帰ろうとすれば先輩らに「お前、さっさと近場に引っ越せよ」と言われる。それでも、俺は頑なに拒み続けた。--------------あの街は、仙蔵と共に過ごした街だった、から。

(んと、女々しいよな)

自分でも馬鹿らしいと分かっていた。いつまで引きずってるんだ、って。さっさとあの街から出た方がいいんじゃないのか、と忠告してくれた友人もいた。自分がそこに棲み続けていたって、仙蔵の死が変わることはねぇ。

(そう、仙蔵は、死んだ--------------)

「っ」

切り裂くクラクション。ブレーキ。白んだ意識に不意に弾けた色。

「馬鹿野郎、死にてぇのか」

罵声に、は、っと息が切り戻って、目の前に車が飛び出てきたことをようやく認知した。や、飛び出したのは車じゃなく、俺だ。横道から出てきた車に気付かなかったらしい。心臓が、鼓動がひっくり返ったまま呆然としていた俺に「危ねぇだろうが」とさらなる声が突き刺さって、慌てて一歩引きさがり「すみません」と頭を下げる。まだ何か言いたげな運転手は、けれど、時間が惜しかったのか、顔を引っ込め、窓を上げると押しきるようにして渋滞の列に突っ切っていった。ようやく事態が呑みこめたころ、呼吸が落ちつく。戻ってきた拍動は、残念ながら俺が生きている証拠だった。

(死にてぇのか、か。……死んだら、逢えるだろうか)

死んで仙蔵に逢えるのなら、それでも構わなかった。----------それくれぇ、仙蔵に逢いたかった。



2010.12.24 a.m.9:43



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