※久々知が男娼。ゆえに、気持ちR-15以上で。



断線させられたラインの向こう、俺との間についたてられたのは、拒絶、の二文字だった。のし掛ってくる空しさが思考を奪う。耳に押し当てた電話の受話口の熱とは対照的に血の気が引いて冷え切った体は重たい。

(うそ、だろ?)

いくら夢だと思いたくても耳元で無情にも響き続ける通話終了を知らせる音が、現実を俺に突きつける。--------もう、兵助に二度と会えないかもしれない。そんな現実が。耳にずっと当てていた携帯電話をようやく下ろせば、新鮮な冷たさが膚に入り込んでいく。とっくの昔に通話を終えた画面はバックライトが落ちて、今にも泣きそうな自分が映り込んでいた。

(なぁ、嘘だろ?)

兵助からこの仕事を辞める、なんて話は一回も聞いていない。あまりプライベートの話を詳しくしたことがなかったけど、それでも、時々漏らすこの仕事の話では、しばらく続けるようなニュアンスを俺は汲み取っていた。最後に会った日もそんな話は出なかった。

(そう、いつもと変わらない。……いや、違うな)

最後の会った日、兵助が口にした「抱いてほしい」という真っ直ぐな言葉。不意にそれが俺の心に甦ってきた。兵助の体に残る痛々しい痕跡に、彼の願いに応え自分の望みを達成することはとてもじゃないができなかった。けれど、今思い返してみても、ひどく切々としていた眼差しだけが浮かぶばかりで、彼がそんなことを口にした理由は、さっぱりだった。

(もしかして、最後の別れのつもりだったんだろうか? だから?)

このまま真相を置き去りにして生きていけるほど、俺は靱くなかった。

「あのっ」
『……なんだ、またお客さん?』

再び掴んだ携帯電話。リダイアルを押し、鳴り続けていたコール音に空隙が生まれる。出た。俺が声を発した瞬間、跳ね上がった口調は一気に地底まで陥落した。さっきと打って変わって店員の態度が極端に冷たくなっていて、今すぐにでも電話を切られそうだった。慌てて「あのさ、」と回線の隙間を縫うようにして会話の起点を埋め込み、「さっきの話、冗談だよな」と続けて食い下がる。

『冗談だったらどれだけいいか。店長、めっちゃ怒って、俺らまでとばっちりが来たんっすよ? ……まぁ、マネージャーが収めてくれたからよかったものの。つーか、店長って』

さっきの声音とは違い、今度は愚痴めいた色の言葉が並び立てられる。まだ連なり途切れなさそうな想いの群れを俺は押さえ込んだ。

「兵助と会いたいんだけど」

彼の を無視して遮ったせいか、電話口の向こうから、むっ、と気分を害したような気配が漂ってきた。一瞬の沈黙の後、『だから、兵助はいないんだって』と若干語気が強まって尖った男の声がハウリングする。

「俺は、兵助と会いてぇんだよ」

苛立ちを隠さない様子に、こっちも不愉快になり、つい舌打ちをしていた。普段なら気に留めることのない小さな音は、けれど、自分と彼としかいない状況では、やたらとはっきりと響いた。それが彼にも伝わったのだろう。

『あ、他にいい子、紹介するっすよ』

もともとは予約が入っていたのにだからサービスするっす、というセールストークは、さっきよりも甲高くて陽気で、けれども、その縁に滲むのは怯えに近い物があった。ドスの効いたような声音に誤解させてしまったのかも、と、一つ、深く息を吸い込んでから「悪ぃ……それは本当に別にいい」とできるだけ柔らかく告げた。

「他のヤツなんて、どうでもいい。兵助じゃないと、駄目なんだ」



***

最初は単なる人恋しさだったのだ。数字とコンピューターの画面に追われるだけの日々に疲れを感じることさえ疲れてしまっていた。本能を突き動かすような欲情は枯れつつあり、それでも時折、熱を噴出することはあった。その熱さを収めるには、別にDVDでも電子媒体もよかったはずなのに、その日に限って、どうしてだか、本当の温もりを求めたのだ。-------そうして、兵助と出会った。

(あの頃は、まだ、誰でもいいって思ってた)

誰でもよかった。冷たい画面越しに温もりにを想像するのに比べたら、相手が誰だろうと、構わなかった。単に性欲処理の一環なのだと考え、後腐れがないという点だけでプロを選んだ、ただ、それだけのことだった。だから、別に相手が誰だろうと関係ない、そう思いこんでいた。

(けど……)

兵助と出会い、そうして逢瀬を重ね、兵助のことを知っていく度に思った。兵助じゃないと駄目なんだ、と。正直、一回も触れない間に溜まった欲を他の風俗嬢とかで抜こうかと思った。けれど、やっぱり、駄目だったのだ。体の前に、まず、心が拒否した。

------知りたい、ふれたい、さわりたい、恋しい、愛しい------体も心も兵助を求めていた。

体を繋ぎ熱を分かち合いたい、という気持ちはいつでもあった。言葉だけでは伝えきれねぇものがあるから、だから、抱きしめることで、口づけをすることで、体を重ねることで想いを伝えたいと。------けれど、怖かった。このまま、抱いてしまえば、自分と兵助との関係が、完全に客と男娼というものになっちまうんじゃないかって。金と色欲だけで繋がって、それでおしまいになるんじゃねぇかって。指先一本でさえ、触れてしまったら、もう歯止めが効かなくなるような気がして。

------------兵助に一度だって触れることができなかった。

(けど、こんなことになるなら、ちゃんと伝えておけばよかった)

いつまでも、ずっと今の関係が続くと思っていた。毎週午後8時。煌びやかなネオンに飾られたホテルに吸い込まれていくカップルを羨ましいと思いつつ、それでも、隣を歩けるだけで倖せだった。いつか兵助に想いを伝えよう、いつか触れよう、いつか……。本当は客との関係を抜け出したかったけれど、そうやって、先延ばしにして己の気持ちを誤魔化していたのだ。



***

(ここ、か)

自分が使えるだけのつてを全て酷使して、俺は兵助が属していた風俗店の元締めの場所を見つけた。風俗店といっても、店を構えているわけではなく派遣業務が中心だからだろう、予約仲介のための事務所は歓楽街の奥にある小さな雑居ビルの一角だった。一般のマンションのような造りのビルには、看板のようなものが一つもない。見上げてみても窓には全てブラインドによって閉じられており、中の様子を伺い知ることはできず、俺は溜息を雨に一つ零した。分厚い雨雲は一向に散る気配はなく、辺りはまるで夜にいるかのように暗い。

(頼む……何か一つでも手がかりがあれば、)

ただでさえ排気ガスに塗れて灰色にくすんでいた壁は、雨だれによってできた染みが蜘蛛の巣のように走り黒ずんでいた。ほの暗さに鈍く光った集合ポストの一つに彼が名乗っていた店の名前が小さく書かれていて、間違えてなかった、と、ほっと胸を下ろす。そのプレートに一緒に印字されていた数字から、この雑居ビルのどこにその店があるのか推測する。

「四階、か」

お世辞にも綺麗とは言えないビルは古びているせいか見つけたエレベーターには故障中の貼り紙。仕方なく外に回り込んで、コンクリートの階段を昇ることにする。踊り場となる部分が屋根になっているとはいえ、降り込んでくるんだろう、溜まった雨水が階段の両端から足下へと伝っていく。ようやく登り切れば、久しぶりに体を動かしたせいか、そんな高さでもないはずなのに息が切れていた。ぜぇと腫れる喉に、二、三度深呼吸を重ね、気持ちを整える。固そうな金属製の扉を、俺は叩いた。

「はいはいはい」

しばらく反応が無かったが、それでも叩き続けていると、重たげなドアの向こうから軽やかな声が近づいてきた。聞き覚えがある。電話のヤツだろうか。だったら話が早い、と期待して扉が開くのを待つ。どんどんとこちらに向かってきた「はいはいはい」という言葉の陽気さは、ドアが押し出され彼がこちらを見留め、「あの」と話を切り出した瞬間までだった。

「あんた、もしかして……」
「あぁ、電話じゃ埒が明かないからな。兵助の連絡先を教えてくれないか?」
「……あんまりしつこいとストーカー扱いで警察に届けるっすよ」

いかにもチンピラ風情の男は眼光を鋭く閃かせたが、それに負けるわけにはいかない。こっちも眉間に力を入れ唇を噛みしめ、腹に力を入れできる限り低い声を絞り出し「兵助の連絡を教えてくれ」と端的にに告げる。ぐ、っと男が引いた瞬間、

「何、騒いでるんだ?」

落ち着いた声が俺たちの緊張感を発破した。男が「マネージャー!」と振り返る。そっちに視線を向ければ口の端を不機嫌そうに下げた男が俺を睨め付けるように見ていた。目の前のチンピラとは格が違うのが一目瞭然だ。そのマネージャーはチンピラの方に向かって顎をしゃくった。さ、っと顔色を変えたマネージャーの説明は「や、この前の、しつこく電話してきたヤツがいきなり来て」と、途中で閉ざされた。

「あー。分かった、お前はもう電話番に戻ってろ」
「けど、」
「マネージャー命令だ」

ねじ伏せる視線にちんぴらの男はすごすごと部屋の中へと引っ込んでいった。俺に舌打ちするのを忘れずに。マネージャーの男は、その奥の部屋のドアが閉まったのを確認してから「さて、」と俺の方をむき直した。

「兵助を」
「お前、竹谷だろ」

先手を封じられ、俺は頷くしかなかった。何で名前を、と俺の頭を占める疑問符を見抜いたかのように「まぁ、一応、マネージャーなんでね」と彼は薄く笑い、懐から名刺を俺の方に差し出した。

「……はち、や さぶろう」

シンプルなそれにはこの店の名前とおそらくは予約の時に使うであろう電話番号、それから小さな肩書きと彼の名前だけが刻まれている。音を推測しながら彼の名を読み上げながら名刺を受け取った俺に彼は「兵助からも、お前の話は聴いてるよ」と意味深な笑みを深めた。その名前に引き戻された俺は慌てて彼の所在について言い募ろうとした。けれど、

「お前、兵助のことが好きなのか?」

からかうような色が一つもない真っ直ぐな眼差しが俺を射ぬいていた。唐突な質問だったけど、迷いはない。ただ、切り結ばれた緊張感に喉が干からびていく。そこに貼り付いて曖昧になってしまいそうな言葉を、きっちりと伝えるために、俺は深く深く息を吸い込んだ。新鮮な冷たさに俺ははっきりと頷いた。

「あぁ、そうだ」

しばらくの間、俺の顔を見つめていた三郎はさらに質問を重ねていった。

「兵助は男だぞ」
「性別なんか関係ねぇ」
「お前とは住む世界が違う」
「住む世界なんて、関係ない」
「兵助が体を売ってても?」

首筋に散らされた赤黒い華。彼が他の男に体を売っている証。誰かも分からないヤツが付けたキスマークに嫉妬で気が狂いそうだった。それは確かだ。それでも、そのことで嫌いになることはない。兵助を想う気持ちには、何ら代わりはない。-----------愛しい、という気持ちが。

「関係ない。どんな兵助であっても、兵助は兵助だから。兵助が俺は好きなんだ」





なんだかそれは、幸せの形をしたものに見えた。

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