※久々知が男娼。ゆえに、気持ちR-15以上で。



夜が溶け込んだ薄暗い小径には深夜だというのにたくさんの男女が手を取り合いながら睦まじげに歩いている。深みを増す闇とは対照的に煌びやかな光を放つホテルのネオンはあたかも誘蛾灯のようだった。そこに吸い込まれていくカップル達を見送る。

(今からお楽しみなんだろう、な)

時々、好奇に満ちた視線が俺たちを通り過ぎていく。ホテルの傍らで男が二人、という状況が気になるのだろう。それでも、長く留まるような目は一切無かった。みな、これから始まる自分たちのお楽しみで頭がいっぱいなんだろう。-------------皆、とても倖せそうに見えて、ひどく自分が惨めだった。

(あの人たちからしたら、俺たちも同じように見えるのだろうか)

互いしか見えないような笑みで、本当に倖せそうに歩いている他の連中。握られた手は、温かいのだろうか。重ねられた唇は、温かいのだろうか。繋がり合った体は、温かいのだろうか。------その倖せな温度を、俺は知らない。今、向き合っている俺たちの、この距離が、数十センチが埋まることは、二度とない。ハチに、拒絶されたのだから。

(こんな体、抱けるわけないって。……当たり前だよな)

乾いた笑いが胸中を切りつける。こんな自分を愛して欲しい、なんて思うこと自体が間違いだったのだ。あの男が言ったとおり、こんな汚れきった自分なんか誰かに愛されるわけがない。俺を抱く奴らは、俺を愛しているわけじゃない。顔とか体とかが目当てで、ただ、欲を満たすためだけのもので。俺が誰かに愛されるわけがないのだ。ましてや、光の場所にいるハチに愛されようなんて、思い違いも甚だしい。

(ハチに愛されるわけ、ないのに)

雑踏をしばらく見遣っていたハチは俺の方に視線を戻し「送ろうか」と微笑んだ。深い夜の底で、そこだけが日なたのようだった。温かな笑みが、彼の優しさが、痛い。まだ俺の体を案じるようなハチの優しさが、俺を貫く。

(なぁ、頼むから、これ以上、優しくしないでくれ)

可能性が0だと思い知らされているのに、それでもその優しさに縋り付きたくなる自分がいて。

(けれど、これ以上、ハチを想ったって、俺は愛されることはないんだ)

もう、ハチの傍にはいられない。ねじ切れるような痛みと、必死に闘いながら「いいよ」と断りを絞り出した。ハチにそれ以上の言葉を重ねられる前に、俺は踵を返す。これ以上いたら、いつまでも、ずるずるとハチを想い続けてしまう。叶わない夢を見てしまう。

「じゃぁ、さよなら」



***

あの後、どこをどうほっつき歩いたのか、全く覚えていない。気がつけば、俺は全く見知らぬ男にホテルのベッドで組み敷かれていた。誘われるがままに付いていった俺に覆い被さる男は、どことなくハチに似ていた。

「っ」

絡みつくような唇が下へ下へとさがっていき、ようやく顔を出した天井はよく見知ったものだった。ぐるりと首を巡らせば、安っぽい派手さのある室内が目に入る。男がずれて髪から出た口元は新鮮な空気を求めたのに、入ってきたのはねっとしとした精の匂いだった。この部屋でこういう行為に及ぶことは、ごくごく当たり前のことで、さっきまでの自分たちの不自然さが浮き彫りになる。

「ん」

首に吸い付いて熱滾った男の舌が蠕動を繰り返す。筋の部分から鎖骨へと降りていったと思いきや、今度は急に耳朶を食まれる。熱い息が頭の裏側を引っかく。ぞわり、と直下する快楽。早急な手つきで引き裂くようにシャツのボタンを外した大きな掌が、俺の善い所を確かめるようにはいずり回る。時々悪戯を仕掛けるみたいに羽毛を滑らすかのように柔らかく撫でたり、逆に爪を立てたりきつく摘んだり、とねちこく蠢く手や唇。緩急を付けて責め立てる男に体は生理的に反応してしまう。艶めいた声で鳴く自分を、どこか遠いところで俺は眺めていた。

--------もう、どうでもよかった。

「愛してる」

不意に紡がれた男の掠れた声が、ひどく虚しく俺の胸を叩いた。

(これがハチだったらよかったのに)

俺を撫でる手が、触れる唇が、愛を謳う言葉の持ち主が、ハチであればいいのに。男のそれと記憶に棲まうハチのそれとを重ねる。今、俺を抱いているのはハチなのだ、そんな夢を見ることを、ほんの一時だけ、俺は赦してやりたいと思った。-----どうせ、叶うことはないのだから。頬を伝う冷たさと共に、俺は目を瞑った。



***

「まぁ、上がれば」

夜も越えた時間、ひどく泣きはらした顔でチャイムを鳴らした俺を、俺の努めている店の雇われマネージャーである三郎は一瞥すると、それ以上何も言わず部屋へと通してくれた。

「ビールでも飲むか?」
「いい」
「私は飲むけれどな」

喉の潤いが奪われそうなほどに乾いた部屋はだだ広く、けれども、ほとんど何も置かれてなかった。部屋の隅にぽつねんと置かれた薄い大型のテレビや革張りの黒いソファ、猫足のラインが美しいテーブルに毛足の長いラグなどを高級感が漂うものもある。けれど、それ以外は慎ましいほどに何もなく、逆にそれらの物がひどく不釣り合いに思えた。俺たち男娼の間ではかなり儲けていると噂されているが、実際の所、奴の私生活についてはあまり知らない。けれど、俺は割と三郎に気に入られているらしく、過去に数回、この部屋に来たことがあった。

「で、」

しばらく奥の部屋に引っ込んでいた三郎は左脇にビールの缶2つ抱えて戻ってきた。一瞬、一人で2本飲むのだろうか、と思ったが、よく見れば右手で摘むようにして持たれているグラスも2つで。急いで「俺はいいって」と手をかぶりふったけれど、三郎はそのままテーブルに置いた。

「まぁ、飲めよ」

俺が止める間もなく、缶のプルタブに指をねじ込む。ぷしゅ、と小気味の良い発砲音が響いた。テレビのコマーシャルでよく見かける一般的なメーカーのビールが、前衛的なディテールにカッティングされたグラスに吸い込まれていく。そのアンバランスさに、どことなく三郎らしい、と感じる。金色に伸びる影は三郎によって崩された。彼に「ん」と差し出されたグラスを受け取り、その勢いのままに呷った。涼しげな爽快感に、心地よさが喉を駆け下りていく。数口だけだというのに、くらり、と優しい目眩に襲われた。このまま酔って全部を忘れてしまいたい、そんな願いに取り憑かれるようにして俺はビールを延々と飲んだ。苦しくなるまで飲み続け、とん、と音を立てテーブルに戻したグラスにはあと数口分が残るのみで、白い泡は溶け消えていた。ふ、と視線を寄越せば、まだ半分ばかりしか飲んでいなかった三郎と目が合った。

「で、例の客、竹谷っつったか? そいつと何かあったのか?」

さっきとは違う目眩と急な呼吸困難。巡るアルコールに鈍痛。

「竹谷と何か合ったから、私の所に来たんだろ」

言葉を失った俺に、今度は問いかけではなく確定事項のようなトーンで話しかけてきた。昨晩からの断片が頭の中で弾けた。喉を迫り上がる苦しさは、アルコールの熱だろうか、それとも。

「ま、聞くくらいならただで聞いてやってもいいがな」

------胸に抱え込むことのできない痛みが、一気に溢れかえった。



***

「……馬鹿じゃねぇの、お前」

いつの間にかハチを好きになっていたこと、だからできるだけ仕事を減らして、ハチとの約束のある土曜日だけにしたこと。けれど、一番触れて欲しいハチは俺に興味がなくて、「抱いてほしい」という願いが叶えられることはなかったこと。一通りのあらましを話し終えた俺に、三郎が投げかけてきたのはその一言だけだった。

「分かってるよ、馬鹿なことぐらい」

すっかり温くなってしまったビールに口を付ける。さっきまで弾けていた爽快感は影を潜め、ぬたくった舌触りだけが残された。馬鹿だなんて、自分が一番よく分かっている。分かりすぎているほど、分かっている。

(あんなこと、言わなければよかった。「抱いて」だなんて)

そうすれば、まだハチの隣にいることができたかもしれない。客と男娼という関係であっても、繋がっていることができたかもしれない。あんなことをハチに言わなければ、もし好意を伝えなければ。---------けど、どれだけ後悔していても、もし、あの瞬間まで時間を巻き戻すことができたとしても、きっと同じことを俺は言っただろう。「抱いてくれないか」と。

「……竹谷がお前に興味がない、ってのは、どこから分かったんだ?」
「興味も何も、抱かれないどころか、ふれられない時点でありえないだろ」

俺自身は言葉にするのも態度に出すのも苦手で(というよりも、どうすればいいのか分からないのが本当の所なんだろうけど)上手くできないけれど、それでも、『ふれる』というのは好意を伝える手段だと、体以外の恋愛経験値が低い俺でも分かる。

「竹谷がお前に興味ない、とは思えねぇけどな」

しばらく黙ったまま新しい缶に臨んでいた三郎が、ぼそり、と呟いた。

「ないよ、俺になんて」
「興味がなかったら、毎週、予約なんか入れないだろ。大金、はたいてまで」
「金持ちの道楽だろ、きっと」
「もうちょっと前向きに考えたらどうなんだ? お前のことが好きだから毎週、会おうとしていたとか」
「……そんなこと、あるわけないだろ。ハチが俺のことを、なんて。第一、俺のことを愛するやつなんていないよ」
「まぁ、お前がそこまで言うんなら、いいけどさ」

あきれ果てたように溜息を一つ零してから三郎は「で、どうするんだ、来週も竹谷の予約、入ってるんだろ」と続けた。そう、問題はそのことだった。半年も先まで、土曜日の午後8時、その時間の俺の予定はハチで埋まっていた。拒絶されたのだ。どんな顔をしてハチと会い続ければいいのか、分からない。俺は三郎に頭を下げた。

「そのことで、頼みがあるんだけど」

(さよなら、ハチ)






なんだかそれは、幸せの形をしたものに見えた。

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