切々と訴える叫びはじりじりと耳を焼く。昼間の蝉しぐれのような重なり合った煩さとは違う。ただ、その悲痛なまでに声を上げる蝉に居たたまれなさを覚えるのだ。何を訴えているというのか。ただただ、その燃えるような灼熱さが苦しい。どうせ、朽ちていく命だというのに。

(あー、だりぃな)

だらん、と肩から落ちた手首にくっついている掌は辛うじて花束を掴んでいた。いや、花束ならまだ恰好がつこう。実際、私が手にしているのは、単に新聞紙に包まれた献花だった。鮮やかさの欠片もない聞くは買って来たばかりだというのに既に熱に生気を奪われていた。もう片手には桶を携え、私は墓地を彷徨っていた。似たような灰色の石が延々と続くそこは迷路のようだと思わずにはいられない。

(確か、この辺りだったはず)

年に一回、盆にしか参りにこないこの地で目当てとなる墓はすぐに見つけることができなかった。昼の太陽に壊されたのかすっかりとしなだれている菊花やほおずきは、それでもまだ色を残していた。辺りを見回しても、そんなものばかりだ。今日、新たに加えられたような形跡はない。もうお盆も終わってしまったのだ、ときっと昨日にまでは賑やかだったと予測できる光景を浮かべる。

(といっても、テレビでしか見たことがないんだけどな)

脳裏はどれもこの墓地で見たものではなくニュースやドラマでしかないことに気づいて、小さく哂った。一度しか、お盆の当日に墓参りをしたことがない。当てつけだ。私は祖母が苦手だったから。いや苦手ではなく嫌いだった。心の中だけでなく、実際に「くそばばぁ」と罵る程度には折り合いが悪かったのだ。



***

突然、離婚して戻ってきた母をばばぁが快く受け入れたかというと全然で。私とばばぁだけでなく、実の親子だというのに母とも関係が断絶気味で、出戻った母に「だからあんな男、反対したのに」と呟きつつも、慰める気はさらさらないらしく、続けて「まぁうちに置いてもらいたいならしっかり働くことだね」と私の目の前で言い放ったことは眼膜にはっきりと刻まれている。どうやら私の母親が勝手に出て行ったことに原因があるらしい。まぁ、血は争えないというか、どちらも気が強いからぶつかるのは仕方なかったと今なら思えるが、当時は本当に最悪だった。

(雷蔵がいなかったら、雷蔵を通じてあいつらと出会わなかったら、絶対ぇに家出してただろうな)

私に似て、いや私が似たのか、母はこの田舎町に馴染めなかったのだろう。閉塞感、という言葉がこれほどまでに似合う町を私は他に知らない。狭い町だ。朝に一つ噂が立てば、夕刻には食卓に他の料理とともに並ぶ話題。そんな空気を嫌って「もう戻ってこないから」と都会へと飛び出していった母が子どもを連れて戻ってきたとなれば、メイン料理といっても過言じゃなっただろう。道を歩けば好奇の眼差しに覆われた。直接的に言われたわけじゃない。ちらちら。ひそひそ。一つ一つは軽いのだろうけれどもそれが幾重にも幾重にも巻きつかれてしまえば息苦しかった。

(けど、息苦しいのは外にいたって家にいたって一緒だったな)

周りの人たちとは違い直接的なばばぁの嫌味に、最初は置いてもらったんだ、と、じっと耐えていたが、すぐに私の臨界点を超えてしまって、夏が終わる頃には「うっせぇ、くそばばあ」というのが当時の私の口癖になっていた。けど、まだ子どもだった私が言い負かすことなどできるはずもなくて。結局、雷蔵の部屋にいつも逃げていた。いつか、絶対、ばばぁにやり返してやる、そう思いながら。

(雷蔵はそんな事情、何も知らなかったのだろうけど。……だからこそ、救われたんだろうな)

私が彼の部屋に行くと「あ、三郎」と同情でもなんでもなく、ただ柔らかい笑みを浮かべていつも私を出迎えてくれた。対等な立場で接してくれているのが、何よりも嬉しかったのだ。言い争っては雷蔵という温かな場所に避難する、そんな日々は、その年の冬まで続いた。ばばぁが、ぽっくりと逝ってしまうまで。参列はしたものの葬式で泣けるはずもなく、ただ、白と黒の世界の中で雷蔵が泣き伏していたのを眺めていた。骨になったばばぁは、あっけなかった。ぱきり。形見分けと貰った骨は、私が指で軽くつまんだだけで砕け、風に溶け消えた。哀しくはなかった。ただ、ぽっかりと虚ろさだけが私に開いた。

***

目当てだった墓を見つけ、私は近寄った。去年と変わってないように思える。苔むしたその中に自分と血が繋がっている奴らの骨があると思うと、随分と奇妙な気がした。古びた墓石だったが、けれども朽ちた印象はない。きちんと母親が手入れをしているからだろう。ばばあが死んでもなお意地を張っていた私とは対照的に、母親はやはり実の親ということもあったのか、心境の変化が起こったらしく、月命日ごとに参っている様子だった。私はというと母親に脅されるようにして墓参りはしている。---------わざわざ、お盆の翌日に。

「どーも」

いつも挨拶に迷う。相変わらずあの世でもうるせぇくらい元気なんだろう、と思いつつ、元気かよ、って聞くのもおかしいし、かといって落ちついて黙っていられるほど冷静にはいられない。とりあえず、そう口にして、無言を貫く墓石に、びしゃり、と柄杓を使って水を巻く。くすんだ灰色が途端に濃くなった。垂れていく水の軌跡は涙に喩えるにはあまりに量が多すぎた。他の家と同様に暑さに参っている仏花を墓の筒から抜いた。ぽろり、と赤が落ちる。

「ほおずき、か」



***

「かゆっ」

思いっきり(ぱちん、音が鳴るくらい)腕を叩いた。けど、ハズレ。あざ笑うかのように私の眼前を黒が飛んでいく。羽ばたきがじわじわと右耳に入り込む感覚。そこか、と今度は平手を振り回す。けれど、当然、そんなんで捕まるわけもなく見失った。赤みを帯びたそれを見た途端、かゆくなる。ここに来て、13個目。

(……新記録。って、全然嬉しくないし)

「あーやっぱ、中に行きゃよかったか…」

だれがばばぁの墓参りなんかするか、と意地を張ったが、初盆だから、と強制的に連れてこられた寺で、私に与えられた選択は二つだった。外の木陰にいつつ墓のろうそくの番をするか。寺の中で長ったらしい意味不明なお経を聞くか(しかも正座のオプション付きで)。どっちかしてて、って母親に言われて外を選んだけど。後悔という言葉が私に重くのしかかっていた。

(これは、選択を間違えたな……)

「あー、マジで面倒だし。だから、墓参りなんて行きたくねぇって。だいたい盆なんて意味ねぇって」
「何で、そんなこと言うの?」

しゃがみこんで、ぶつくさ文句を言ってた私に、上から言葉が降ってきた。雷蔵だった。彼は私と違い、中で読経を聞くことを選んでいたが、真っ赤にした彼の脚を見るに、耐えきれなくて出てきた、といった所だろうか。そのことをからかってやろうかと思ったが、それよりも先に真摯な目の色に私の喉は最後の唾を飲み干した。言葉が干からびる。

「ねぇ、何で、お盆は意味ないなんて、言うの? おばぁちゃんとかがさ、あの世から逢いに来てくれてるかもしれないのに」
「お盆なんて死んだヤツのためだろ? 生きてる私らには関係ねぇし。どうせ、死んだばばあが怨み言、言いにきてるんじゃねぇの?」

何が雷蔵に分かるというのか、そう叫ぶ心のままに言葉を迸らせていた。子どもみたいな態度に気恥かしさを覚え、は、っとなった。けれど、ただ哀しそうに微笑んでいるだけで。彼は何も言わず、ぶちり、と墓に飾られていたほおずきをちぎって。その包みを先端から裂いて、中に付いていた玉を揉み出した。黒い影にコントラストをなす朱色。楽しそうだな、と思いつつ、それを素直に口に出せずに「いいのかよ?」と文句をついつけてしまう。

「んー、いいんじゃない? うちの墓だし」
「ばちが当たるぞ」
「三郎に言われたくない。ほら、三郎もやってみれば?」


雷蔵が手渡してほおずきを同じように揉んでみたものの、力加減が分からず、ぐちゅり、と玉に爪が刺さって破裂した。草の生々しい匂いが鼻をつく。匂いといい、形といい、トマトみたいだよな。緑っぽい香りが漂う中で思い浮かんだのは、自分が嫌いな野菜だった。

「もっと、丁寧にしなきゃダメだよ」
「分かってるって。ってか、これ、どうするんだよ」
「そのうち種が浮かんできて自然と取れるから、そしたら、中身出して、笛にするの」
「ふーん」

雷蔵があまりに真剣に見てくるものだから、嫌いなトマトに似てるのに、私はいつの間にか、懸命に揉みほぐしていた。



***

「げっ。また刺された」

ほおずきで遊ぶことに熱中していたせいか、叩いた手のひらに、潰れた蚊と血が残った。

「しかも、血が付いたし。マジでありえない」
「三郎が、生きている証拠だよ」
「蚊、飢えてるってことだよな。こんな墓場じゃ死んだヤツばっかだから、血なんて、吸えないし」

我ながらうまいこと言った、そう思ったけど。彼は何も言わず、ただ、私の方を見た。その眼差しは非難というよりも、--------今にも泣き出しそうな、哀しそうな瞳で私の名前を呼んだ。「ねぇ、三郎」と。思わず、私は彼の視線から逃げた。ほおずきに集中してるフリをして。意識を眼差しから逸らす。

「きっとさ、言いに来るんだよ」

朱色にぶつぶつ、と種が浮かんできて。ふにふに、とした感触に囚われる。強く押したら、壊れそうで。-------------もう還れないモノの存在を、知る。

「お盆は、死んだ人のためだけじゃないよ。生きている人のためでもあるんじゃないかな」

雷蔵が言いだしたことがどこに流れ着くのか分からず、怖くて聞き流すふりをしていたが、思わぬ言葉に「え?」と、つい顔を上げていた。胸が、痛い。彼を見ているだけで、きしきしと胸が悲鳴を上げる。

「死んだ人は言いに来るんだよ。大切な人にさ、怨み言じゃなくてさ、笑って生きろって」

その続きを彼が綴ろうとした瞬間、ぽろり、と朱い玉が落ちた。まるで、討たれた首が、もげ落ちるように。視線をそちらに奪われた雷蔵は「あ、できた」とそれを拾うと、慣れた手つきで形を整えると「はい」と私の方にそれを差しだした。そっと、口に含む。きゅっ、とほおずきが鳴いた。その音色に、何だか、泣きたくなって。感傷を押し隠すように口から笛を放した。



***

線香の煙が肺を一つ分満たした頃、私は目を開けた。線香とろうそくが短くなった以外は何も変わらない風景。お墓に飾られたほおずきが、優しく揺れていた。立ち上がると離別の言葉を告げる。「じゃぁな、くそばばぁ」と、心の中ではなく口にして、桶を持ち上げて墓に背を向けて。

「っ」

驚きに飲まざるを得なかった息に混じっていた線香の香りがさらに奥へと入り込んだ。雷蔵だった。

「……声、掛けてくれればよかったのに」
「うん。でも、随分、熱心に祈ってたから」

いつから見られていたのか気恥かしくて「帰っていたんだ」と誤魔化す。あの日、夜明け前に会って以来、雷蔵とは顔を合わせていなかった。お盆の間、雷蔵は毎年、彼の父方の実家に行っている。行かなかったのは、それこそ、あのばばぁの葬儀の年くらいだろう。

「雷蔵」
「ん?」
「私が死んだら君に会いにくるよ。怨み言じゃなくてさ、笑って生きろって伝えに」

笑って生きていってほしい。その祈りは、いつだって雷蔵に向けられている。これまでも、これからも、ずっと。想いが実らなかったけれども、それが変わることはない。いつだって、そのことだけを願っている。永遠に、だ。死によって別つ日が来たとしても、その先もずっと。



0816 (どうか、雷蔵が笑っていられますように)

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