▼ 竹久々

「あ、」

まるいまるい、月だった。金色の、やわらかい光を纏ったそれは、とても大きくて。とっぷりと暮れた闇の中で、静かに宙をのぼって行くところだった。絵本の中に出てくる、青い帽子と赤い帽子の二匹のねずみが作った、大きなカステラみたいな、ふんわりとした月だった。

(あれは双子の野ねずみだったっけ?)

帽子と服の色以外には見分けを付けることができない仲睦まじい二人が、卵から大きなカステラを作るという話が好きだった。ふ、と、遠くにいる彼のことを思った。普段なら、そんなセンチメンタルなこと考えねぇのに、その優しい満月に、どうしようもなく彼のことが浮かんできた。

(ハチに見せてやりたいよな)

「……あっちは、何時だろう?」

ポケットに突っこんだままの携帯を取り出して、サイドキーを押せば、人工灯の乾いた光が目を射った。小さな画面に現れた携帯の時刻を見ても時差を考えても、ちっとも見当がつかない。せっかくの国際電話対応だというのに、まだ、一度もハチに電話をしたことがなかった。電話するのが怖かった。

(ハチの声を聞いたら、きっと)

臆病者、と笑われればそれまでかもしれねぇけど、怖かった。ハチも頑張ってるんだから、困らせることはしたくなかった。だから、電話をかけたい衝動を必死に押さえ続けていた。ただ、電話帳の画面を開いては閉じるのを繰り返すうちに、妙に桁数の多い番号は覚えてしまった。

(今すぐ、飛んで会いに行けたらいいのにな)

かぐや姫がどっかの求婚相手に吹っ掛けた無理難題のようなものだ。あり得ない、そう分かっている。

(ハチと、この月を見れたらいのになぁ)

叶うことのない祈り。月にだって人類は行けちゃう時代、それと比べれば、海外なんてずっとずっと近いはずだった。ただ、それは経済力というものがある大人にとって、というだけで。毎日のメール代金ですらバイトで貯めたそれで四苦八苦しながらやりくりしている俺にとっては、ハチのいる地は、月よりもずっとずっと遠い場所のような気がする。

「何て思ってたって、しょうがないか」

沁みこんでくる痛いほどの淋しさを振り払うように、「あ、写メールとか送ってみようかな?」と明るく自分に言い聞かせる。もちろん、返事なんて返ってこなかったけど、カメラ機能を選んで、空に向けて手を伸ばす。そんな多少の距離でどうにかなるわけじゃないと分かっていたけれど、少しでも近くなるように、と。カシャリ、と切り取る音が耳に響いた。-----------携帯の液晶に映し出されたのは、イミテーションの、月。

(やっぱり、偽物は偽物だよな)

目の前に広がる優しい月の光をどう足掻いたってハチに伝えることはできないのだ、そう知って、心臓の裏側から冷えていく。淋しい。哀しい。会いたい。

「っと、…誰だろ?」

突然、携帯が震えた。軽く持っていたがために、あまりの反動に落っことしそうになって。ぎゅ、と握りしめるようにして、なんとか免れると、まだ手の中で携帯は振動していた。長く響くバイブレーションの種類から電話だと気づくと、発信者を確かめずに通話のボタンを押した。

「もしもし」
「あ、兵助? 俺だけど」

温かな声が俺を包み込んだ。遠い遠い異国の地で一人頑張っているハチの声。

「ハチ!? どうした? 何かあった?」
「……何かないと電話しちゃいけねぇのか?」

受話器越しに感じた急に下がりきったトーンに慌てて「や、違うけど…急だったから、びっくりした」と否定をし思っていたことを告げれば、ふわりと明るさが浮上した声音で「元気してたか?」と尋ねられた。

「俺? 俺はまぁ変わりないよ」

彼の声を逃さないように耳に携帯を押しあてながら、ゆっくり歩き出す。月明かりに、足もとを付いてくる影が長く長く伸びる。本当は淋しくて、元気なんてなくて、変わりないとは程遠いのだけれど、強がりをごまかすように、別の話題に向けた。

「あ、あのさ、ハチ」
「ん?」
「今日、月が綺麗だよ」
「へぇ」
「すっごく丸くて、黄色くて、まるで」

視線を上げると、さっきよりもちょっと高いところで、ふんわりと浮いている。

「あー、なんか、大きなカステラみたいだな」
「え?」
「前にお前が見せてくれた絵本にあったじゃん。あんな感じ」
「…なんで、外国にいるハチが分かるんだ?」

すると、耳元で笑い声が揺れた。あったかな、大好きな。彼の、笑い声。

「今、兵助の家の前だから、早く帰ってこいよ」

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