熱がこもったアスファルトの上、いくつもの浮かれた影が踊りながら同じ方向を目指して進んで行っている。生暖かくねっとりと体にまとわりつく風にはソースの焼け焦げる匂いと祭り囃子の音色が混じっている。いつもだったら僕の心を弾ませるそれたちも、今の僕には憂鬱を増長させることにしかならなかった。

(はぁ、帰りたい……)

どこからともなく現れる人々は、やがて一本の流れになりつつあった。この時間帯にこれだけの人を見るのは年に3回くらいだろうか。お祭りと花火大会と大晦日。外から来た人も地元の人も戻ってきた人も、皆、下駄をかき鳴らし、団扇を扇ぎ、弾むようにして神社へと向かっていく。けれど、僕は足を止めたら、もうそのまま立ち尽くしてしまいそうだった。

(本当に帰りたい……けど、帰ったら、勘ちゃんに追求されるものなぁ)

数日前、お祭りの待ち合わせの時刻と場所のメールが来た。今までならば、最初から最後まで遊び倒すのだけれど、今年はバイトの都合で途中合流という形を取らざるをえなかった。去年、ううん、数日前の僕だったら即座にその場で「分かった」なり何なりのメールを送っただろう。けれど、返信ボタンを押すことができなかった。

(考えてよ、か)

------------三郎のあの言葉が、ずっとリフレインしている。

勘ちゃんから催促のメールが寄越されても返事をしなかったために、直接、僕の所に出向いてきたのは記憶に新しい。行くか行かまいか迷っている僕を見て、勘ちゃんは眉を潜めて心配そうに「何か三郎とあった?」と尋ねてきた。

「……どうして三郎だと思ったの?」
「んー何となく、二人の様子がおかしい気がしたから」

潮騒のようにずっと蠢いている彼の言葉。考えても考えても、答えはでなかった。僕にとって確かに三郎は特別で、三郎のことが僕は大好きだ。けれど、彼が口にした「好き」と僕の「好き」は同じなのか、と問われると躊躇ってしまう。

(……僕は、どう思っているんだろう)

自分のことなのに、さっぱり分からなかった。考えれば考えるほど、頭の中が混乱していく。それなら、考えなければいい、と極論を出したけれど、バイトをしていても、家で本を読んでいても、何をしていても、すぐに三郎のあの時の面持ちが甦ってきて駄目だった。寄せては返し、返ってはまた寄せて繰る波のように、結局、三郎に還るのだ。

「困ったことがあったら、相談ぐらいには乗るよ?」
「うん。ありがとう……でも、今は大丈夫だから」

勘ちゃんにどう説明をすればいいのか分からなかった。起こった事実だけ告げるならばとても単純なもので、要は三郎に告白された、というだけのことだ。けれど、それに対する自分の気持ちだとか、これからどうしたいのか、ともし問わたとしても、答えが見つからないのだ。

(……そもそも、考えて、って何を考えろっていうんだろう)

とぼとぼと地面を擦るサンダルを見下ろす。流行というものは田舎町にも遅ればせながらもちゃんと届くもので。爪先をドーム上に覆っているカラフルなゴム製の草履も、本当のブランドのではないが海の家で扱っている。ただ、今、僕が履いているこれは本物だった。三郎が「これ、いいって」と見つけてきたのは、世間的なブームが巻き起こる前だったと思う。彼の手には当然のようにプラスアルファの飾りまで揃えられた二足があって、当然のように僕は受け取った(もちろん代金は払った)。都会の機微にいち早く敏感な彼が、どうして、この田舎町を出ていかなかったのか、僕はずっと疑問だった。

(あんなにも、この町を出たがっていたのに)

この開放的な夏の時期に表出する陽の部分に騙されて、外から来る人は気づかないだろう。この土地独特の冥く絡みつくような陰翳には。夏の観光で成り立っているといっても過言じゃないこの町は多くの人が客商売に勤しんでいる。そのため、観光客への当たりがよく、外から来る人を温かく受け入れている。けれど、それは、あくまでも『外から来る人』であり『いつか去る人』に対してであって、『余所者』にはとても厳しい土地柄だった。

---------途中からこの町に来た三郎は、ずっと『余所者』として生きてきたんじゃないだろうか。

***

頭を叩きつける勢いで鳴り響く目覚まし時計に僕は起こされた。僕を寝かせまいと、だんだんと音量が増していくアラームに、欠伸をし終えた僕は手を伸ばした。スイッチを切ると同時に、ジリジリジリ、と原始的な音が途絶える。けれども、部屋が静かになることはなかった。それこそ夜の間も鳴いているんじゃないか、と疑いたくなるくらい朝から絶好調の蝉の合唱が耳へとねじ込まれる。

(んー、6時5分か)

長針が天頂から傾きかけているのを視界の隅で確認して、僕は体を起こした。そのまま眠気にのめり込みそうになるのを無理矢理起こすために立ち上がれば、シーツの上を目覚まし時計が転がった。夏休み前に両親におねだりして買ってもらったやつは、その効力をいかんなく発揮している。これに代えてから、一回も寝坊したことはなかった。

(着替えてラジオ体操に行かないとなぁ……けど、その前に)

「さぶろー」

あけっ放しだった窓から通りを挟んで同じく全開の窓に向かって、僕は叫んだ。語尾が消えても、絶え間なくシャワーみたいに鳴き続ける蝉の音と波繰る残響で煩かった。もちろん返事がないのは承知で「あと10分したら迎えに行くから、用意しておいてよー」と続け、それから僕はタンスから今日着る服を探すことにした。

***

「ほら、おきてよ」

10分後。予想通り、三郎は布団にかじりついていた。こうやって、毎朝、布団から彼を引きはがすのが僕の役目になってしまっていた。別に起きていないわけじゃない。頑なに体のシーツに爪を立てて掴んでいるのを見れば、起きているのは一目瞭然だった。ぎゅ、っと瞑られた目からは意地でも開けない、という三郎の気概が伝わってくる。

「体操、遅刻しちゃうよ」
「…別に行かなくてもいいだろ」
「駄目だよ。判子が少ないと、新学期、先生に注意されちゃうよ」

私の所はそんなことなかった、とぼそりと三郎は呟くと、これ以上聞きたくないと言わんばかりに、体を丸め込むようにして僕に背を向けた。拒絶された、そんな気がして、ちくり、と胸が痛む。布団に大して真っ直ぐに切り立つ背中は、まるで壁のようだった。

(……でも、もっと辛いのは三郎の方だから)

「兵助と勘右衛門も待ってるよ」
「……他の奴らも来るんだろ」
「それは……仕方ないよ、だって地区のラジオ体操だし」

狭い町だ。どうして三郎がこの町に引っ越してきたのか、次の日には知れ渡っていた。初日は「雷蔵の従兄弟だ」と懐かしそうに、もしくは物珍しそうに三郎を見ていた奴らも次の日には遠巻きに好奇の視線を三郎に浴びせていた。豪快に「夫と別れちゃって」と笑うおばちゃんと違い、三郎は何一つ語ろうとしなかった。

「行かないの?」
「行かない」
「だったら、もう、お祭りにも行かないからね」

僕は切り札をなげうった。ぴくり、とその肩が跳ね上がる。毎年、神社で行われる夏祭りを彼はとても楽しみにしていることを僕は知っていた。こっちに引っ越してくる前に夏休みに遊びに来たときは必ずこのお祭りに一緒に行っていた。

「兵助と勘ちゃんと三郎で行こうと思ったのに。三郎は置いていく」
「……それは困る」
「ほら、だったら起きて」

そうやって僕が掌を開けて彼の方に伸ばせば、三郎は振り返って、ぎゅっと僕の手を掴みながら起き上がった。

「雷蔵には、敵わないな」

***

そう、いつだって、僕が差しだした手を三郎は握ってくれた。僕はそれがとても嬉しかった。僕にとって三郎は従兄弟とかそんなのを越えたすごく大切な人なのだ。でも、じゃぁ、三郎の方から気持ちを差し出されたとして、どうしてあの場で「僕も」と言えなかったのだろうか。答えを突き詰めていけば、やっぱりそこに辿り着くのだ。

-----------どうして、三郎は町を出て行かなかったのだろうか?

その答えを聞くのが僕は怖かった。何もなかったことにしたかった。三郎にどんな顔をして会えばいいのか分からず、けれども、膨れあがった人波に押し込まれて、今更流れから抜け出すこともできなかった。最初にお参りをしてから屋台を楽しむ、という不文律があるのだ。そのために、一直線に神社へと人が吸い込まれていく。あまりの人の多さに、息苦しさを覚える。下から光で照らし出されたために金混じりの朱色をした鳥居がじりじりと近づいてきていた。あの近くに三郎がいるはずだった。

(やっぱり体調が悪いって勘ちゃんにメールしようかな)

ポケットに突っ込んであった携帯へと指を滑らした瞬間、ぐ、っと手首に圧が掛かった。え、っと思う間もなく、力任せに引っ張られ、僕の体は規則的な人の流れを横切った。誰かとぶつかり、足が何かを踏む。謝ろうと顔を上げた先にいたのは、

「雷蔵」

三郎だった。新鮮な空気が胸に痛い。胸で渦巻いている想いを吐き出すことなどできず、「三郎……」と名前だけを呼んだ。まだ捕まれている手首が熱い。あの時、差し出した手を握られたの時のとは格段に違う、力強さ。骨張った彼の手は、もう、子どものそれとは違う。祭りの喧噪が遠い。提灯の灯がゆらゆらと煌めき闇を薄めていて、輪郭以外の彼の表情もちゃんと見えた。

「あんまりにも遅いから、来ないかと思った」
「……うん、ごめん」

楽しそうな子ども達の歓声が僕の耳をすり抜けていった。ほんの少し前まで、僕らもそうだったのに。気づかされる。---------もう、戻れないのだ、と。何もなかったことにはできないのだ、と。

「みんなは?」
「先、お参り行ってるって」
「そっか……僕らも行こうか」

また流れに戻ろうとした僕の手首に掛かる力がさらに強まった。「ちょっとだけ、話、いいかい?」と告げる声は、掠れていて海鳴りのように低い。僕は顔を視線をサンダルに固定したまま頷いた。三郎とおそろいのサンダルは飾りが一個取れてしまっていた。

「あの時は、すまない。雷蔵に、そんな顔をさせるつもりはなかったんだ」

思わぬ謝罪に、僕は顔を上げた。ゆらゆらと彼の面立ちが揺れて滲んでいるのはどうしてだろうか。泣き出しそうになっているのは誰だろう。三郎だろうか、それとも僕だろうか。ぎゅ、っと握られていた温もりが、剥がれ落ちた。

0807 「あの話、忘れてくれ」

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