「雷蔵はさ、結局の所、鉢屋に甘いよ」

俺たちの間で揺られていたスーパー袋が、ガサガサと音を立てた。午後3時半。最近では2時ではなく4時に暑さのピークを迎えている、なんて信じがたい噂もあるけれど、思わずそうだと頷きたくなるくらい、暑い。煙草の焼き焦げみたい影は真っ昼間と比べれば少しだけ長くなっている物の、その色合いは深みもまた増しているような気がした。早く帰って、この袋に入っているアイスを食べたい、そう切に思わずにはいられない暑さに、外に出ていない鉢屋を思い出して俺は恨みがましく呟いた。

「え?」

不思議そうに俺の方に向けた雷蔵は日焼けのためか既に頬の辺りがうっすらと赤くなっている。あとで鉢屋が「痛くないか? 何か冷やすものはいらないか?」とぎゃぁぎゃぁ騒ぐんだろうな、と想像できて、ちょっとだけ気が重くなった。

(もしそうなったら、絶対「鉢屋が代わってもらったんだろ」って言ってやる)

「だから、雷蔵は鉢屋に甘すぎる」
「そうかな?」

きょとん、と元から円い目をさらに丸くさせた雷蔵は足下にあった石礫を一つ蹴った。地面を刻む乾いた音に、俺の視線もそちらに自然と吸い寄せられる。熱せられたコンクリートの上で踊らされた石礫は少し先にある電柱の傍の草むらに飛び込んだ。昨日まで地上のありとあらゆるものを潤した雨も、朝から照りつける日差しのせいであっという間に蒸発してしまい、面影一つ残っていない。なのに、ぐわん、と天と地が圧縮された遠くには水があるように見える。逃げ水だった。

「例えば、どの辺が?」
「まず、このお使いだってそうだろ」

ぎしぎしと腕に食い込む重みを少しだけ引き上げて雷蔵に袋を示す。本来は三郎の仕事だったのだ。基本的には材料の仕入れなんかは事前に俺のおじさんがきちんと発注をしているのだが、それでも客の動向によっては突発的に何かが足りなくなったりすることもある。その場合、買い出しに行かなければならないのだが、人が抜けても海の家がちゃんと回る場所からお使いのメンバーを選ぶということになっていた。今日は俺と三郎が暇をしていたから、頼まれたのだけど。この暑い中、外に出るのを鉢屋の奴は嫌がって、駄々をこねたのだ。

「まぁ、そうだけど。でも、三郎は病み上がりだったし」

夏バテなのか夏風邪なのかは知らないが、つい最近まで伏せ入っていた奴はそれを切り札にして。たまたま、俺と鉢屋が問答を繰り広げている最中に通りかかった雷蔵の「僕が行こうか? 三郎、仕事と交代しよう」という優しさに、あっさりと乗っかかったのだ。

「そうだけどさ。でも、それだって、雷蔵が代わったんだろ」

早朝に鉢屋から体調を崩した旨のメールが入り、すぐさま、その日が元々休みだった奴に連絡を取った。海の家のバイト、というのは、雨という突発的な休みは別として、このバイトが入っているが為に夏の間はほとんどずっとこの田舎町に縛られてしまう。だから、シフト上の休みというのはとてもとても貴重なもので。連絡を入れた奴らからは全員予定を入れているという返事が返ってきた。ただ、雷蔵が「どうしても人手が足りないなら入るよ」という菩薩の一言を付け足していて、結局、他に打つ手がなかった為に六連勤を願い出たのだった。

(鉢屋が甘えすぎ、と言うべきなのか、雷蔵が甘やかしすぎ、と言うべきなのか)

「でも、体調が悪いんじゃぁ、仕方ないよ」
「もしさ、あの時、体調が悪かったのが鉢屋じゃなくても、引き受けた?」

ちょっと意地悪く、その質問をぶつけてみる。案の定、日焼けで赤くなっていた頬が更に熱で染められる。ぱくぱく、と酸欠の金魚みたいに開閉を繰り返す唇からは、乾いた息の音しか聞こえない。ちょっとからいかいすぎたかな、と「なんてね、冗談」と笑えば、ほっと、雷蔵は肩を下げた。

(よく分からないよなぁ)

鉢屋にとって雷蔵が特別なのは、なんとなく分かる。孤独という陳腐な言葉では言い表せないほどのものを抱えてこの町に来た鉢屋にとって、雷蔵の存在はとても大きかったのだから。



***

鉢屋がこの田舎町に引っ越してきたのは、小学生最後の夏だった。以前からも、夏休みになれば奴は遊びに来ていたから顔くらいは知っていたが、だからといって、それほど親しいわけじゃなかった。

「おはよう、勘右衛門」

夏休み初日、寝ぼけた頭と壊れかけのラジオを抱え、この地区の体操場所である神社の境内に出向いた俺を迎えたのは、幼なじみの雷蔵と瓜二つな少年だった。あまりにそっくりすぎて、思わず寝ぼけているのかと自分の目を擦ってしまった。擦りすぎて四重になった彼らの輪郭がしばらくして収まっても、二つから一つになることはなく、ようやく二人は別人なのだと納得した。

「おはよう、勘右衛門、雷蔵……そっちは、三郎か?」

律儀にも首からカードを吊り下げ、まだ眠たそうに欠伸をかみ殺しながら判子の入った缶を鳴らせて登場したのはもう一人の幼なじみの兵助だった。兵助の言葉に、そういえばそんな奴いた、と思い、俺はその雷蔵とそっくりな少年を見遣った。面立ちは似ているけれど、どうやら内面は全然違いそうだった。

「うん。従兄弟の三郎だよ。昨日ね引っ越してきたんだ。秋からは、同じ学校に通うんだって。三郎。こっち、勘右衛門と兵助。僕らと同じ小6」
「よろしくな、俺、久々知兵助。前に、一回、遊んだの覚えてるか?」

元来は人見知りする性格の兵助だ。少しだけ硬い表情なのは緊張しているからだろう。それでも雷蔵の従兄弟だと紹介されたせいか、顔は知っている奴だからか、兵助の方から手を差し出したことに驚きつつも、俺はその頑張りにちょっと嬉しくなった。だが、

「あぁ」

そう言ったっきり彼の方はそっぽを向いてしまった。手の行き場を失った兵助は困ったように眉を落とした。きゅ、と握られた指先が、今にも泣き出しそうで。慌てて雷蔵が「あ、こっちは勘右衛門ね」と取り繕う。一応、兵助に倣って「よろしく」と告げたものの、返ってきたのはやはり「あぁ」ととても短い相槌だけだった。微妙な空気の間に、息を吹き返した蝉たちのがなり声だけが鳴り響く。どうすればいいのか分からずに、俺たちと彼との間を
見遣っている雷蔵の背後で、「おはよー」と甲高い声が届いた。ほっとしたように、雷蔵が振り向き「おはよう。カードはそこに置いておいてね」と伝えた。それから兵助に「判子押し、手伝うよ」と穏やかな笑みを向ける。近所の下の学年の子たちの登場に、俺たちはその輪を崩した。ぎこちなさだけを取り残して。

***

「じゃぁ、ご飯食べたら、またここに集合ね」

三々五々に散っていく近所の子たちを見送り、俺たちも一度朝食をとりに家に戻ることにした。朝の涼しい内に勉強を、なんて先生は言っていたけれど、もうすでに騒ぎ始めた蝉の声と同じく家で大人しくなんてしていられない。去年の夏のように約束を取り付け、俺は家への帰路を急いだ。

「そういえばさ、鉢屋さんとこの息子、来てたんじゃない?」

親も分かっているのか、家に帰るなりさっと出てきた朝食をかきこんでいると、ふ、と思い出したように母親が尋ねてきた。

「鉢屋?」
「ほら、本屋の隣の民宿の。たしか、三郎って名前だったと思うんだけど」
「あぁ! ……さっき出会ったよ」

出会いの印象の悪さに、つい、トーンダウンしてしまう。そんな俺ではなく、隣で新聞を開いていた父親に「なんでも、旦那さんと別れてこっちに戻ってきたみたいだけど」と母は話しかけた。あまり興味がなさそうな父は「らしいな」と言ったっきり、紙面に没頭している。誰に言うわけでもなく呟いた母の言葉が耳にこびりついた。

「離婚だなんて、親の事情で振り回される子どもが可哀想よね」

それでも、俺はさっきの彼の態度が許すことができず、意地悪い気持ちで返す。

「鉢屋なんて、可哀想じゃないよ」

***

再び境内に着いた頃は、すっかりと日差しはきついものになっていた。大きな木の影に入れば、まだマシだったが、それでも焼け焦げそうになっていた体をだらだらと汗が伝っていく。ゆらゆらと立ち上る陽炎に包まれて近づいてきた彼は、雷蔵の面立ちをした、けれども雷蔵とまったく違う表情をしていた。

「雷蔵は?」
「忘れものしたって、戻った」

それ以上会話が続かず、熱を高じらせる蝉の声音ばかりが辺り一帯に降り注ぐ。早く兵助か雷蔵が来ないかな、と遠くに俺は視線を飛ばしていた。ぐらぐらと煮立ったような空気の下でアスファルトは海面のように揺れている。まるで、そこに水があるみたいだった。

「すまなかった」

蝉時雨を縫うようにして、ぼそり、と届いた言葉。その唐突さに、音が意味を成さず、思わず「え?」と鉢屋の顔を見遣っていた。まじまじと俺が視線を寄越したせいか、奴は目を少しだけ泳がせ、それから俺に目線を定めると、こんどははっきりと口にした。

「さっきは、すまなかった」



***

あれからずいぶん経ってから、鉢屋が教えてくれた。あの日、ラジオ体操からの帰り道、俺や兵助への態度について雷蔵に怒られたことを。それから、雷蔵はわざと鉢屋だけを先に行かせて、謝るチャンスを作ってくれたのだと。

(他にも色々と鉢屋が雷蔵に頭が上がらない理由はあるのだろう)

とにかく、鉢屋にとって雷蔵は特別なのだ。けれど、雷蔵にとっても鉢屋が特別なのは、どうしてか未だに理由が分からなかった。もしかしたら、一生涯、俺には分からないことなのかも知れない。-------どれだけ近づいても、逃げ水は捕まえることができないのと同じで。

(幼なじみとしては、知りたいような知りたくないような、)

「でも、勘右衛門だって、十分に三郎に甘いと思うけど」

淋しさなんだか安堵なんだかよく分からないような気持ちをぐるぐると頭に抱えていると、ふ、と雷蔵が笑いながら俺の方を見ていた。雷蔵と比べてずいぶんとシビアな対応をしていると思っていたから「何で?」と尋ねれば、雷蔵はさらに目尻を緩ませながら、俺の腕からぶら下がっているスーパー袋に視線を向けた。


0728 「だって、何だかんだ言っても、三郎に頼まれたアイス、買ってあげてるもの」

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