ふ、と背後の闇が重くなり、振り返ると、「やぁ」とそこに雑渡さんがいた。
嫌味の一つでも言ってやろうか、とも思ったけど、いい言葉が思い浮かばなくて。
中途半端に絡まりかける視線をほどき、背中を返して作業に没頭することで、無視しようと試みる。
けれど、雑渡さんはそんな僕に構わず、すぐ傍らに座り込んだ。

「仕事中かい?」
「えぇ」
「見たことのない草ばかりだなぁ」

束になっている薬草を仕分るの手を止めると、雑渡さんの眼差しがウズウズと光を湛えているのに気がついた。

(渡来の品だから、僕でも珍しいものなぁ)

下級生みたいに、興味のまま触ろうと手を伸ばしそうになる雑渡さんに

「触っちゃだめ。棘があるから」

自然と、後輩に注意するような口調になってしまって。
しまった、と思ったと同時に「伊作くんに子ども扱いされるなんてねぇ」と雑渡さんが可笑しそうに呟いた。
なんとなくばつが悪くて、手荒に薬草をかき集めた途端、

「っ」

指先を鋭い痛みが掠めた。
草にあった棘に穿たれた皮膚が切り裂け、じわりと血が滲み出していた。
思ったよりも深く棘が刺さったらしく、あっという間に血が球状に溜まり崩れそうになって、

「っ、」

さっきとは違う、鈍い痛みが胸に落ちた。
傷口を、雑渡さんが舐めていた。
くらりと逆上せて放しそうになる意識をギリギリの所で抑えつける。

(後生だから、)

懇願と咎めに揺れる僕の視線に気付いたのか、「消毒だよ」と雑渡さんは顔を上げた。
僕の指から離れた彼の唇が緩く弧を描いた。
途絶えていた血が、再び、ぷくり、と人差し指の先端で膨れ上がり、珠となる。

「……舐めちゃだめですよ。バイ菌が入る」
「さすが保健委員長だね。…あぁ、そうだ舐めるといえば犬が自分の足や人の手を舐めるのを見たこと、あるかい?」

僕の忠告にも茶化すように答えたくせに、唐突に厳しい目をするもんだから、僕ははぐらかすこともできず、ただ、頷いた。

「何で舐めるか知ってるかい?」
「いえ」
「どんな気持ちで、って言い換えればいいかな」
「……人が好きだからじゃないんですか」

生憎、自分は生物委員みたいに動物の気持ちは分からない。

(人のすら分からなくて四苦八苦してるというのに、)

僕の返答に雑渡さんは、少しだけ眉を下げて、囁くように言った。

「淋しいから構ってほしくて舐めるんだよ」

雑渡さんのくぐもった声が、ぼんやりと耳を覆う。
その言葉が僕にこうやってちょっかいを出しにくる雑渡さんと重なった。
淋しいから僕に触れるんだって宣言されているようだった。

身勝手だと解っていても、やわらかな痛みに、じわりじわりと浸されていくのを止める術がなかった。

僕の考えが伝播したのだろう、雑渡さんは薄く笑った。

「私は淋しいから君に構ってほしいわけじゃないよ。君が構ってくれないから淋しいんだ」

優しい温もりが、また、僕の指先を包みこんだ。


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